志とその瞳
『まさかの事故に、ご病気に!『モルティッツァ保険』の充実プラン!』
「こっちゃあまさかの戦争だよ」
と言いながら、小麦を発酵させてこねて焼いて作ったこぶし大の
すると濃厚なチーズが赤いソースと絡んで伸びて目を丸くする。
うぇっと言って麺麭を持つ手を起用に振り、落ちるチーズを麺麭で拾いきる。
「そんなに熱いかよ」
レンチンしすぎたかな。
そう思っているうち湯気と香わしい匂いが車内に広がった。
「まあいいや」
そしてクーは、そのアツアツの朝食を一口で食いながら、違う手で二つ折りの自分のPCをダッシュボードに置いた。
ニュース記事はどこもかしこも、モルトランツ市民の半径一メートル程度の範囲の不安だとか、心配ばかりを報道している。大きな世界情勢は星側と月側の両方の情報が同じだけ錯綜していて、しかしお互いの主張が一致することは絶対にない。
いろいろ読んで確信できるものはそれしかなかった。
軍からもたらされる、絶対的に正確な情報を掴んでいるクーにとっては、その報じられ方だけがウィレ軍への報告素材だ。
もっとも、クーが今探している記事は、そういった諜報目的でもない。
ただの趣味だった。
「やっと見つけたぞ」
クーが待望した記事は、閲覧数も記載列の順番も低かった。
『爆発は映画のようにはいかない。閃光よりもその後の煙の方が圧倒的に多い。戦場に入れば、男も女も煤に汚れて誰が誰かも分からなくなる。それは倒れた死体も、伏せた兵士も同じだ。違うのは奇跡的にまだ動けるかどうかだけだ。
海岸には鼻を取りたくなるような死臭と、多くの兵隊の体が積まれていた。鉄の巨人の死骸が多くの兵の死体を轢き潰して倒れている。
初めの半日においてここには、モルトに抗するには僅かな兵力しかなかった。ウィレは決めるのがすべて遅かった。衛星が落ちて混乱し、それを端にした情報戦に敗北し、政治的判断の遅さに繋がった。ウィレ側の兵器だったものはすでに鉄塊となり、何かもわからない腐った死体のようだ。ウィレの政治家たちは、ここで死んだ兵士たちにどう申し開きをするつもりなのか。もうこれが空を飛んでいたのか陸を走っていたのかも全く分からない。延々と続く人間と鉄の死体が打ち捨てられた、こんな光景が西海岸から北岸に渡るモルトランツの海の玄関口に広く終わりなく続いている。
ウィレモルト双方の燃料や火薬や廃棄された兵器の影響によっては、今後百年、環境汚染によって以前のような遊泳もドライブもできないだろう。
モルトランツ市内では、『戦後』として急速に現場の復旧が進んでいる。爆発痕の洗浄と、破壊された建造物に対しても、モルトの都市開発公社が名乗りを上げ、ヒュージ3Dプリンターユニットを搭載した鉄の兵隊達が屋根や柱の修繕を始めている。
その、自らが一方的に破壊した街を後片付けする様は、皮肉かあるいは滑稽の極みだ。
モルト軍をしてグラスレーヴェン《天からの兵士》と名付けられたこの兵器に復旧活動をさせることには、多分に政治的な意図もあろうことは明らかと言える。
だがそれはモルトランツ市内の破壊に乗じた『モルト化』ではないのか。
いかに『正しい選択だった』と独裁者が豪語しようと、この海岸線の無残な光景に勝る絶望はない。他のあらゆる命に敬意を払わない絶対解などこの世にはないのだ。
文責:アルクリアベースメント社 チャムレヴ・パカド』
その文章の後には、こう続いた。
『この記事はモルトランツ内の言論の自由の確保のため、あらゆる情報をオープンにする方針のもと掲載しております。読者に於かれましては多様なソースから客観的な情報を入手されますことをお願いいたします』
クーは、思わず深くつらいため息をついた。
「そらクビになるわコイツ」
というポータルサイトのコメントは、こうした記事のあらゆる末尾に、スタンプのように記されている。それにしても同じ会社の同じ条件の記者でも、もっと何とか文章をこねくり回して直言を避けていたように思うのだが。
案の定、コメント欄には過激なものと厭戦的なものと厭世的なものと上から目線なものとただ戦争反対を叫ぶものとが混迷と迷妄を極めていた。
だがこの迷妄は正直、どれも正解だ。クーは思った。仕方がない。この戦争には突き詰めればどちらの理もない。そう思われても仕方がない空虚な戦争だから。
これは理不尽な侵略戦争とは違って、ただただ、完璧な正義を振りかざす間違った指導者が率いる軍隊と、不正義を露呈する幾分マシでしかない政府が戦っているだけのことに過ぎないから、いろいろ差っ引いて、独裁主義と自由主義の闘いに還元されるなら選ぶは後者だ。というだけの話だ。
それでもクーがこの仕事を完璧にやってのけられるのは、とみに自分の周りの人の静かな夜を守るためでしかなかった。
突き詰めてそれが一番やりたいことだという訳だ。
まあ、ああいう目に炎が入ってしまったやつのやり方はこんなもんだろう。チャムレヴの記事を見て思う。それ自体はよくわかるし、若いころに自分自身、経験もした。人生のある時期にやって来る失望の時期に、それを認めることが大人になることだとしばらく思って、また諦められず翻った。
もっと賢く、もっと強かに立ち回らなければ自分の身すらも守れないこの世界で、冷たい撃鉄に手をかけて引く度、赤熱化する銃身を思った。世界の仕組みを知れば知るほど志とやらはうつろになって、経験を重ねていくほど鏡に映る瞳は、濁っていった。
全てこの戦争の五年前から見られた兆しに付き合っているうちに起きたことだ。
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