根性あんのか?

 本名、クー・セルド。


 コードネーム:アルドと言ったこの男は、中学二年生で漠然と見た映画に憧れて何らかの……人を守ったり、支えたりする職に就けたらと思っていた。

 その頃にはすでに戦争の脅威は去っていた。

 放射能を生まない核の撃ち合いは、結果的にゴシック化した世界をいったんワイプ・アウトし、それから減った人口を再び増やし、その際限なく増えた人間たちに仕事を与えるうちにすっかり世界は、戦争をする能力など欲さなくなったように見えた。


 毎日、軍に関するニュースと言えば、時代遅れの戦争に備えた訓練によってもたらされる騒音被害と、質の悪い兵士の素行不良と処分ばかりだったから、クー少年の身近なレベルで、もう必要ないものだと随分長い間、教えられていたものだった。


 それが防衛大学に入って後、平時という状況を作ることこそが、兵士が果たす役割だと知って、心を掴まれた。

 自分が守るべき人間から卵を投げられることも、怒号を浴びせられることも、本来の役割が機能している証拠に過ぎない。

 我々こそ平和を望んでいるからだ。そう語った当時のスミス・エドランド海軍将校のスピーチに胸を震わせたことは確かだし、その熱を持った彼の言葉で、クーに具体的な人生の柱が立った。


 しかしそれは今まで慣れ親しんだ故郷、このモルトランツとの別れを意味した。

 そしてまた、愛する者と離れることも意味した。


 それでもあの当時は、瞳に炎があったから、リズに別れを切り出すことも苦ではなかった。そのころのクーには、人がこの世に生まれたからには何らかの目的があるに違いないという望みがあった。

 そして自分にもそれが見つかったと思ったたからである。


 だから、リズが当たり前に願う『普通の人生の幸せ』と、クーの思い描く幸せには、その輪郭に最初から差があったのだ。


 今思えば痛む結果になったのだとしても、そう理解すれば気は楽だ。

 その後、彼は単身、西大陸パスキァルル養成所に渡って学業と訓練を修めた。

 そして実際に報道されない民族紛争や武力衝突の現場に赴き、鎮圧任務に就く中で実際の戦闘行為も経験した。

 多くの情報を目にした彼を待ち受けていたのは、戦いを忘れかけていた世間に流布する事実に反した目も眩むほど窮迫した情報ばかりだった。


 もう既に現実的な兵力の縮小が行われ、様々な兵器が退役し、これからは月と星の経済が作り出すによって、新次元の調和の世界が実現するという素晴らしい未来を提唱していたグローフス・ブロンヴィッツ。


 その人が、そもそも議会制民主主義を破壊して独裁政権を作った危険人物である。


 肯定的な影響を世界に与え得るなら、ある程度の過程は踏み越えられてしかるべきだ、それが指導力だと、何の良心の呵責もなく言い放ち、そして政治評論家をして、『誰が見ても申し分ない政治』をモルトに敷いた時、もしその意図が暗転したときにはらむ危険性など、誰が読めたことだろう。


 それも……その公然の事実を知りながら星側の人間たちが目を瞑り、そして「出自ではなく我々の行為を見てほしい」という彼の戯言に付き合ったという事実。


 そしてそれを監視している集団が、表では友好を騙りながら全面戦争を企図する動きを活発化させているとの情報を掴んでいた。


 その中にクーは入り込むことができた。

』の一角に。


 それからクーは、その組織の中で、故郷に戻らせてほしい、故郷で仕事をしたいとの申し出を、いたって静かに、二回にわたって行った。

 三年は留保されたが、インテリジェンスが戦争可能性に言及する半年前に、ここに戻ってくることができた。

 にも拘らず今、クーの心に去来する思いはひどく真逆で。


 チャムレヴの書いたその文章を眺めながら彼女に向かって、クーは言った 


「お前には根性があるか?」

 そしてクーはこめかみに一本指をあてて、それを押した。

 今。


 クーの視界に広がるのは、宙に浮く仮想のブラウザが作り出す画像だった。

 目に見えるそのカメラ映像を巻き戻してゆく。

 三日前にあいつに会った時の像を呼び出したとき、チャムレヴの差し出した名刺に書いてある、メールアドレスの文字を拡大した。


 使えるかもしれない。

 そう思ったとき、車の外でスタッフが手を振っているのが見える。


「搬入終わりました!クーさん、いつでも出てください」

「あいよー」


 手を振り、スイッチを入れるとトラックが静かに浮遊し、その後タイヤが力強く地面を噛む音がする。バックに入れてペダルを踏む。


「行ってらっしゃい!」

 クーは公道に出るために施設内の道路を走った。

 人間が操作しなければならない状況になるまでは、自動運転によって集中を要する場面は少ない。この車内は実のところ、クーのデスクの一つだった。


「じゃあな」

 この荷捌き場にある広大な敷地を抜けるためにアクセルを踏んだ。


 これから公道を出て、自動運転制御道路に向けて走る。この荷捌き場の付近には、モルトに接収された基地も多く配置されている。


 クーは敷地内を通過するとき、必ず経由する地点へと走った。漸次的に軍用となった飛行場の隣だ。

 その広大な土地には、すでに日常の景色に溶け込んだような顔をして、あの鉄の巨人が歩き回り、行進しているのが見える。銃を持ち、構えて歩き回っている。平時なら物珍しく見ただろうその姿を、クーはテクノロジーでできた目玉で捉えていた。


 サムクラフト社製サイバーオッドアイは、クーの片目に外科手術で埋め込まれたものだ。


 壁を隔てた物体の輪郭を透視し、武器とネットワークで連携し、自分の目で捉えた文字通りすべての光景を見届けることができる能力を持っていた。


 重力下かつ平坦なアスファルトの上で行われる訓練は、モルト市民とモルト占領下にある土地全ての人に対するエキシビジョンでもある。


 その様を観察する意義はもうないが、かつて立像が経っただけでもSNSを占拠した巨大なロボットが、屹立をやめ驚くほど滑らかに早く歩き、膝立ちをし、跳び、銃撃をするデモンストレーションの様子はそれでも一定の面白みがあった。


 あ。手と足の動きずれてね?

「あいつ下手くそだなあ」

 などと笑いながら、とうとう敷地の出口にある無人ゲートを抜けた。そして公道に出て、自動運転成業道路へと導く看板の矢印に沿ってハンドルを切ったその時、演習していたグラスレーヴェンの三機が一斉にスラスターを噴き上げるのが見えた。


 三機は空中で姿勢制御を始めていたものの、その中の下手くそな一機だけが片足から上がる火柱を消すことなく、跳んだまま、どうやらこちらに流れてくるのが見える。クーはブレーキを踏み車両を止めてそれを見た。


 粒ほどの大きさの機体が待ち合わせした建物並みの大きさになって視界を覆う間、勿論、耳をつんざく轟音がクーを襲った。


「マジか」

 下手くそはあろうことか空中で制動することなく、片足から吹いたスラスターを抑えられずに隕石となって堕ちて……ことを認識したとき、クーは思わず体を丸めて顔を覆う。

 トラックは地面に落ちた空き缶のようにたやすく振動し、前方の窓ガラスはすさまじい音と土煙と火花を伴って盛り上がり、掘り起こされる地面を映していた。

 土埃の中、黒い巨人の身体が見えた。

 こちらに五本の指を伸ばしたまま、静止している。

 あと車両一台分進んでいたら、倒れたあいつの下敷きになっていたところだ。


 そう思っていると、早速誘導棒を持ったモルト兵たちが警笛を鳴らしてやってくる。

「死ぬところだったぞ」

 と文句を言うと、ごつごつした顔の壮年軍人が頭を下げた。


「申し訳ない」

「どかしてくれ」

 モルト兵は蹲って当事者たるパイロットに通信した。

「ベンツィラ1、2。3を早く起こせ」

『了解。ったくバカヤロウが』


 そして二人の巨人が可能な限り音を立てないように、巨大な音を立てて降着すると、倒れこんだグラスレーヴェンにかがみこむ。トラックの屋根の上で、マンションくらいの高さの建造物が人間と同じように動く音を耳で生々しく聞きながら、クーはその巨人たちが手を貸して倒れた者と掌をがっちり結び、下腕のスラスターをふかして立たせる様を物珍しそうに見ていた。


「あのさー燃料の吹き上がりでも悪いの?」


 クーが尋ねると、モルト兵は答える。

「軍事的秘密だ。答えられない。仕事の邪魔をしたのは謝る」

「そうかい」

「所属は?」

「運送業者。スーパーマーケットの運ちゃんだよ」


 自分の所属するモーアル通運の社員証と、取引相手のレコッカレのマークを見せた。


「被害届を出して君らの会社と取引先に報告せねばならん」

「ハァ?こっちゃ早く荷物を届けないと、品出しに間に合わないんだよ」


 気圧してみる。

 見られていいものしか置いていないが、今の言葉には車内を覗かれるのはできるだけ避けたいという個人的感情も入っている。


「そう言われてもモルト軍の規定があって……」

 と言いかけた時、軍人が目ざとく車内を見る目配せを察した。

「待て」

 クーは落ち着き払ったように言う。

「なんだよ」

 軍人は表情を変えずに言う。

「君のことを知りたい」

「そんなに知りたい?いいよ」


 真面目な雰囲気だがこの男は軍隊だ。クーは間抜けな人間に擬態しながら、特段なにも目立ったものは持っていないことを自認した。頭以外は。


「それが最近、ウィレの人間がモルトランツに入り込んでいることがあるらしくてな。まあ、一台くらい調べたという上司への点数稼ぎにでも使わせてくれ」


 砕けた口調に慣れていないんだな。そう思う。怪しまれるとしたら私用の端末と、自分の片目ぐらいだ。モルトの軍人はハンドスキャナーのようなものでクーの頭に光を当てた。ピー。何かを発見したような音が聞こえた。


「義眼か?」

「ああ、事故で目を突いてしまったんだよ。片目は健康だから仕事は問題ないけど」

「ほお」


 そう言いながらスキャナーを深部探知モードにした兵は、クーに承諾を得ることなく更に目の周りに光を当てた。


「サムクラフト社製グラックス第六世代。高かっただろう、これ」

「おかげで見えすぎるくらいだ。記録は取ってないが中身を見せようか?」

 あえて強気に出る。するとモルト兵が小さく頷く。

「頼む」


 クーはスマートフォンに連動したグラックスのアプリケーションを開いて、映像が一つも残っていないことをくまなく見せる。

 どうも。そうモルト兵が言うと、クーは携帯を懐にしまった。全部確認すんの?と問うと、クーの車の後ろに続くトラックの列を見て、そうらしい。ため息をついて軍人が言った。

 その時。


 軍人が胸と耳を抑えてどこかと通信を始める。


「はい……はい。え?」

 クーが訝しがるが、軍人は応答を続けて、二、三応答を繰り返す。

「……はっ。了解致しました」

 こちらを向いて軍人が言う。


「君、そのトラックはホバーできるか?」

「できるよ。遠くまで飛べないけど」

「ならもう行っていい。許可が出た。というより早く行ってくれ」

「許可ね」


 はいはい。と言いながらクーはシフトレバーをホバー動作に入れた。

「車載カメラは消させてくれ」

「何の指示もないのに消せない。あんたらが上司に話しとおしてくれれば」

「我々はモルト軍だ。安心してくれ」


 あーそうだね。とその話題について話している間クーはのろのろとした動きで車載カメラのモジュールを取ると、軍人に映像を見せながらその記録を抹消した。

「行っていいぞ」


 と言われてすぐにクラッチを踏んだ。

 するとトラックはタイヤ部分が地面から離れて、ホイールが変形した。高度計を設定すると、規定高度までトラックがホバリングしたのでそのまま低速でアクセルを踏んで大穴を避け、そして垂直に降着させて窓越しに後ろを向く。


「そこさー。あと何台か通るから早く復旧してねー」

「すまない!ありがとう」


 モルト兵のその実実直そうな声を聴いて、正面を向くと空に馬鹿たれと言った。


 その後無事マーケットに物資を届けたものの、道路は通行止めになっていて、迂回に三十分かかってしまった。輸送長によると事故現場にはシートがかぶせられ、防護服を着た科学技術班が出入りしていたらしい。


 内部に入り込んだ人間たちのレポートを待つほかないだろうが、クーは直感的に、あの巨人のパイロットの技術だけであんな事件が起こるだろうかと疑問を持っていた。


 たぶん『心臓が悪かった』んだな。そう思った。

 巨人に据えられたその心臓こそ、クーたち工作員の調査の核心である。


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