彼には見捨てられない街
大陸歴 2718年 7月10日
ガツガツ、とせわしない音で目が覚めた。
確かな日差しの光と熱に、視界を覆った新聞紙をめくった。
瞬間、朝日の眩しさに、思わず目をしばたき、掌をひらひらと振って目覚めた。
トラックの運転席に座ったまま寝ていた彼は、体を起こした後、シートに残った自分の熱を感じて、背伸びをする。
義眼と脳とのペアリングがエラーを起こしたあの日から、少し体のコントロールに困難さを抱えている。ただ、わざわざ家まで来てお祝い事をしてくれたリズィとサミーに、ありがとうとメールを打つことくらいは抜かりなくやっていたのを送信済みメールの一覧で確認すると、現実に戻ろうとして朝日を浴びた。
が、彼らとの素朴な日常に安住してもいられない。
クーがいる運転席の窓ガラスの向こうで、さんざんノックしている音が引き続き聞こえたからだ。
その音は丁度指の付け根の関節の突起から鋭い早鐘を鳴らしているような感じで、ずいぶんとせっかちだった。
クーが細い目で相手と目を合わせると、相手の目はさらに鋭くなり、タバコを吸いすぎて黄ばんだ歯がべらべらと動いた。
窓の外だから聞こえないというのに、上司の輸送長は文句を言う。
クーはゆっくりとスイッチを押し、窓ガラスを開ける。
「起きたかバカヤロウ!貨物船が大気圏内に入った。受け入れだぞ!早くしろ」
「はぁい」
「なんだその返事は!今度生返事したらクビだ」
「へい」
とは言うが、彼が自分をクビにしたことはない。
「わかってんのか?戦争中なんだぞ、取引先はモルトの兵士だ!気合い入れろ」
「あい、あい、あい……」
眩しい。寒い。上半身はシャツ一枚の上に仕事服のボタンシャツだけ羽織っていただけだから分が悪い。昨日、資料作成で時間を食いすぎたのが原因だ。
四時出勤は守ったし、この日第一波の荷物も運搬したが、その後新聞を店で買ってここに戻り、その後は疲労でろくすっぽ読めもせず、ずっと同僚に任せて眠ってしまっていた。ダメな社員の皮をかぶって三年目……というより、この『正業』に対して真面目になれないまま戦争を迎えたといったほうが正しい。
時刻は六時を回る。定期貨物第三波の準備をしなければならない。
戦争で変わってしまった輸送のダイヤに体を合わせるのも一苦労だった。
空を見ると、月からの補給物資を運ぶシャトルの船団が大気圏の中に入り込んで、飛行機雲を描きながらこのモルトランツ荷捌き場に近づいてくるのが見える。
群れを成して大きな矢印を描くような規律正しい動きをする船たちは、統制のとれたモルトの組織を象徴する。大気圏に突入するときは翼を畳んで、突入後広げる仕組みだ。胴体が大きく、鋭角の後退翼であるからか余計に矢尻のように見える。
ウィレの船を排除してからずっと、この無骨なデザインしか見ていない。
「クー!こっちだ」
先に行く輸送長が手を振っているのが見える。
クーはにわかに走り出して、そして急いで彼に追いついた。
輸送機が駐機できるほど巨大なターミナルに入ると、エントランスで社員証をかざしてゲートをくぐった。
「そんなに急いで、なんかあったんすか?」
「今日は物資が大量に入ってくるからその分荷物が多いんだ。星のものが減って、月のものが増えてな。だいぶモルトの都合が勝ってきてる」
「そういうことっすね」
「ニュース見てるか?」
「まあまあ、人なりに」
「ホントかァ?」
「ホントっすよ」
などと軽く言いあいながら通路の奥へと歩く。様々な運搬用機械の往来を背にして進むと、真っ白に輝く照明の下で様々な色のつなぎを着た人間たちが働く開けた場所に出た。
クーが荷物を持っていくことになっているスーパー『ストアレコッカレ』の看板があるセクションの前に立つと、荷物を待ち受けるスタッフたちが既に端末やキャリアー、運搬車両を動かして各店舗への仕分けをスムーズに行えるように準備していた。
運搬補助のパワーアームや自動運搬装置によって、レコッカレのセクションは大量の荷物でも十人でオペレーションできるようになっている。
「予想通りだ。今日はモルト産の豆が大量に入ってくるからその分荷物が多い」
申し送りを受信したモニターを見ながら輸送長が言う。
「また豆?豆ばっかりじゃないっすか。ウィレの品物なんかもうないでしょ」
「彩はないが、栄養がある。月の食事だからな」
「なんつーか、わびしいっすね」
「俺に言われても。ここはもうモルトの入植地だ。すべての品目が月と同じになるのも近い。ウィレが物を送ってこないからな」
「あーあ、レトルトのレカイスが食えるのもいつになるんだか」
「ぼやくんじゃない。ウィレのメーカーの食い物が欲しけりゃ火を掻い潜って海を渡るんだな」
「ですよねえ」
などとやる気のない従業員を装いながら―――ここにはクーの感情が入っていたのだとしても、クーはもっと輸送長の言葉が欲しい。
「最近、現場てんやわんやすけど。上なんて言ってます?」
「ウィレ系のサプライチェーンが崩壊して全部モルトの戦時国債で買い支えることになったらしくてな。その後軍轄に置かれるようになるそうだ。ウィレの側に立つ企業は倒産するらしいし、まあ、愛国心ないからモルトの世話になるだろ。最近は承認も軍かモルトの半官企業だ。慣れない仕事で向こうはぐちゃぐちゃさ。こっちも登録情報の書き換えで情報セクションはブラック化してるんだよ。無事故だといいんだが」
「ニコニコしてるくせにやることはえぐいっすね」
「声がでかいぞ……たく戦争なんて」
「つってもこないだ一緒に作業する奴ふらついたり倒れたり散々でしたよ」
「月から派遣される奴らが軒並み重力を知らないし訓練も受けてないから効率が落ちてるんだよ」
「まあ商売だけ解放するわけにもいかないんでしょうね。もう戦争の論理も破綻してるけど。星側のせいにするんでしょ?」
「全く何でこんなことに……。」
輸送長がぼやくと、しかし彼は彼らしく気を取り直して言った。
「だが人のために仕事をしてる。大人としての基本だろ」
クーはそう言って愚痴りながら仕事をする輸送長が、同じ男として好きだった。
「失礼します」
そこにモルト進駐軍のエンブレムを付けた、軍用ジャケットをまとう男が、プラスチックのボードを手に持って現れた。
「ストアレコッカレ向け荷物が到着しました。サインいただけますか?」
「ああ、はいはい。クー、行け」
「俺でいいんすか?」
「いいよ。電子サインだし」
かざしたパッドに指で文字を書くと、『モルト軍モルトランツ進駐軍統括責任者 シュレーダー将軍』により承認しましたという文字がモルト語で表示される。
「ウィレは初めて?」
その年若い兵隊は貧血気味かのように、うつろな目を一瞬したがすぐに軍人らしい硬さを取り戻した目で言った。
「一か月であります」
「いいよ、俺業者なんだからそんな言葉づかいしなくて」
「いえ、職務遂行中はあくまでモルト軍人として振舞っています」
「大変だなあ」
「お気遣いなく」
「慣れた?」
「はあ、ま、まあまあです」
「そうか。昼夜逆転と虫に悩まされないようにしてくれよ」
「えっ、虫?」
「ああ、そうだよ、虫」
「モルトランツにもいるんですか?」
「どこにだっているよ。ここにも出るし」
「自然公園でしか見たことないので、清潔な場所では出ないかと」
「虫と雨と風はどこにでもある。雷も豪雨もな」
その時、きびきびとした女性の声がセクションに響く。
「荷物はいりまーす!」
巨大なシャッターが開いてモルトランツ中にあるレコッカレの店舗向けに用意された様々な物資が流入してきた。
「じゃあ荷物滞りなく。よろしく頼むぜ」
「ご安全に、運転手さん」
その肩に力の入った声の中に、いくばくかのフレンドリーな雰囲気をまとった声で返答した兵士に微笑み返したクーは、歩き出す。
あんな成人もしてないような兵隊もどきの奴を送り込んでくるなんてな。
モルトの人不足は本物らしい。
不足と言っても、攻撃を仕掛ける側は防御側より大規模な兵が必要なのだ。優勢でも劣勢でも、絶えず猫の手も借りたいほど人間が必要ということなのだろう。
まして星間戦争など、戦線がどこからどこまでなのか、兵站がどこまでなのか、宇宙空間でそんなボーダーなど分かったものじゃない。
今まではSF世界のものだったそれは今や、この惑星から生えた生物である人間の、人間による人間のための自作自演にも近いクソな戦争のせいで、夢を失った。
そればかりか、何もかも奪われる瀬戸際にある。月には資源もあるし、モルトにこのまま圧迫されればウィレの生命線が確保され、星側は戦うためどころか生きるための資源さえも失うだろう。
昨晩の通信で行った会話を思い出しながら、クーは巨大な機械が物資を搭載したパレットを仕分け、ルートに乗せ、今に自分のトラックへと中継していくのを見る。
特殊な電子タグによる識別によって最適化された荷捌き場は、最終的にテクノロジーと人の目によって検品されて、その最後の運搬をトラック運送業者であるクーが請け負うことになっていた。
「なあ、クーよ」
感慨深げに輸送長が言うのを聞き、クーは答える。
「なんすか?」
「俺たちモルトランツは、見捨てられないよな」
その言葉には、輸送長なりの本気が乗っていることをクーは理解していた。
クーにとっては、それが何気ない言葉に聞こえない。
胸をつかまれた思いがした。
「降参も、選択肢かもしれんって、頭にふとよぎったんだ」
輸送長はモルトの資材が流れ込む荷捌き場の全景を視界にとらえながら、そう言った。
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