承 都合のいい大人にはならない
星側のフリーのジャーナリスト
大陸歴2718年 5月27日。
一人で通りを歩く。
モルトランツ市内、アクィリア通りは、縦横に結えた藁のかごを持った軍人と、ショッピングバッグを持った市民と、相変わらず革のカバンを持ったサラリーマンが歩く。
日が落ちかけた夕方、ネオン看板や蛍光灯が色をなす地上の光が連なる繁華街を、アーケードの屋根が覆う。
ここから星は一つも見えない。
モルト軍の占領から三か月経ち、ここにも活気が戻った。しかし品物はぽつぽつと歯抜けになっているか、月産、つまりモルトの商品に置き換わっているものがある。
例えば豆などの、不毛な土地でもよく育つ作物が売り物として目立つ。この水の星ではどんな作物も育つというのに、八百屋から緑黄色野菜が並んで見える虹色が消えた。
モルト・アースヴィッツ占領政府は、ウィレ側には一切物流の規制をかけていないと主張しているが、ウィレはモルト軍に物資供給される懸念からそれを自粛した。
要するに、占領被害にあった民間人に対しても、敵の占領地に肥沃な土地で得た物品を送る気はないのだ。
月表面の砂で作られた器は、戦争前からモルトランツにはよくあった。
しかしこういう微妙な物品にこそモルトの方針は入り込んでいて、要は月特産品の流入が倍に増えた。
月のメーカーが作った電化製品も、月の砂で生成された服も増えた。モルト軍は、我々のことを解ってほしいと言っているが、ウィレとモルトを美しく折衷したことがアイデンティティであるはずの、この土地の文化が、こうした同化政策によって破壊されるのは、クーにとっては穏やかなことではない。
クーは、この町が幼い時から変わらずそのままの姿であり続けることを望んでいる。しかしそれも、一般市民という身分である以上は抵抗できない。仕方がなかった。クーの白いシャツには、黒いウィレのブランドロゴが入っている。カーゴパンツはベージュで、スニーカーはモルトのブランド、『バッツェ』だ。
これがクーのアイデンティティだった。
そしてこの町の人々も、同様にそのようなスタイルを好んだ。
八百屋の角を抜けたあたりで、見慣れない人間の姿を見て立ち止まる。
クーは、その女の、落ちかけた日と街頭に照らされて青から紺へ、そして黒へ、頭の動きに従い、重層的に輝く頭髪の色を見たのだ。
「インタビューをお願いしてもいいですか?」
女はそう言って、クーを呼び留めた。
身軽そうな黒いパンツに、メンズのような黒いブルゾンを羽織っている。
「フリーのジャーナリストです」
クーは女の目を見ずに尋ねた。
「星側か?」
女は口をとがらせる。
「違います。フリーのジャーナリストです」
「星側のフリーのジャーナリスト?」
「あの。どちらにも与しません」
出やがった。こういうマス・コミュニケーションの建前はうんざりする。
「そうかよ」
そして女を無視し、髪の色だけを覚えて立ち去ろうとするクーは、一般市民に擬態していてさえ、女の食い下がる声に足を止めざるを得なかった。
「独自の視点で、この戦争を追ってます」
「自由に自分の意志で?」
「そうです」
「そういうのを星側っていうんだ。自由と民主主義って習っただろ?学校で」
ジャーナリストは、おそらく自分が馬鹿にされたと思ってムキになっていると思った。その程度の感情コントロールも効かない奴に今後命が保証されるはずがないとも。
じゃあなと言って去ろうとしたが、実際は違った。
「私は、この街がどう思っているのかを知りたいんです」
クーの動きが止まった。
「今更なんだ。ここはもうモルト領だ」
「納得してますか?」
「納得も何も、飲み込むしかない。瞬く間だったからな。そういう乱暴な聞き方してると、モルト兵に殺されるぞ」
「試してみたけど、彼らは何もしない。だから大丈夫」
「適当な奴らだ。だったら戦争なんか仕掛けるなと言ってやれ」
「ごもっともね。でも月の論理は理解できない」
「宇宙人か?」
「いえ、人間よ」
女は話をねじ込む。
「星側の援軍が一掃されたのは、利害を超えられず官僚主義に陥ったウィレ政府の怠慢だと言われています。星側政府について、どう思われますか?」
自分が本当に思っていることは言わない。
「俺たちの安全を守ってくれるのは、モルトランツ市警だけだ」
「シェラーシカ・レーテ将軍の艦隊が独自判断で救援に来たことについては?」
「軍隊のことなんて知るか。奴らも負けた」
あえて意味深な言葉を告げた。
そこに乗せた微弱な感情を読み取ったのか。言葉を言い終えたその時、女は深く頷いた。
「ありがとうございました。私はチャムレヴ・パカド。また聞かせてください」
名刺を差す彼女からその小さい札を受け取る。
肩書は『アルクリアベスメント・ブロードキャスト』記者とあったが、几帳面に切った薄く白い紙でつぶされている。
アルクリア社と聞けば、ややウィレ政府系の独立メディアだ。
「クビになった?」
「何が?」
「この紙貼ってるだろ。大手?」
「なんでわかるの?」
「すべてを透通す目を持ってる。すなわち勘ってやつだ」
釈然としないチャムレヴは、首を振って少し考えた後、こう言った。
「まあ、コミュニケーションの祖語ってことにしといてください」
「こんなもん刷りなおせよ貧乏くさい」
「お金がなくて」
「ハァ?気持ちだけで来たとか言うなよ?」
「なんにせよ。志が大切。そう思いませんか?」
不敵にそう言って見せるチャムレヴに、クーはため息をついた。
そしてチャムレヴから受け取った名刺をそのまま、彼女が取り出した右胸のポケットに、今から差すぞ、と言わんばかりのオーバーな振りをして、コンプライアンスに配慮した風にやってみせながら手を差し出すチャムレヴに受け取らせた。
「志とかいうなら、人に軽々しく名前を渡すな」
「ハァ?」
チャムレヴが思わず女の子らしいいら立ちの声を上げると
「そういうのは胸にしまっておくもんだ。……ああそういう意味じゃない訴えるなよ」
チャムレヴはその言葉を聞いて、逆ににっと笑う。
気が強いやつだと思った。
「じゃあな。新人」
クーはそう言った。
そして彼ははっきりと背中を見せて去っていくそぶりを見せた。
チャムレヴとかいう女が追ってくることは、もうなかった。
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