でももう、どっかに消えないで。

 リズィは言葉を飲み込んで、サミーの顔を見る。

サミーは箱からラフィを取り出し、スイッチを押して目を光らせた。


『ありがとう』

その言葉を復唱するラフィは、なんだか自律的な言葉と音を繰り返した。


「おもろい?サミー」

サミーはまんまる、と言いたいほど口を開けてクーを見た。

「おっちゃんがくれたからうれしい」

おもちゃを嬉しがってるかは解らないが、まあいいだろう。これで一安心だ。


 仕事は終わった、そう思ったとき、リズィが口酸っぱい言葉を投げた。


「そろそろ。自分の幸せ考えてよ?」

「マジで言ってんの?俺に?」

「マジ。サミーのことも、あなたのことも心配」

「子ども扱いかよ?」

「だって半分子供みたいなんだもん」


 大人の話に置いてけぼりになったサミーは、

『サミーって名前なんだ』「そうだよ」『ぼくラフィって名前なんだ』「似てるよね」『にてるにてる!』


 目を光らせてぺらぺらとしゃべるラフィと初めてのあいさつを交わしている。

音声を聞いてからのレスポンスも早くていいと思ったが。


「メカに強いよね、あなた」

「オタクだからな」


「オタクなの?」


 サミーの素朴な問いに、リズは少しいたずらっぽく答えて見せる


「そう、おっちゃんはオタク。何でも知ってるの」


「すごいね。ぼく、おっちゃんみたいになりたい」

とサミーに言われ、口ごもったクーは答えた。

「いや、俺はちょっとやめたほうがいいかなあ」


 それは半分、本音だ。


 サミーには手で動物の形を作ってふざけながら、本題には気を取り直してリズィを見る。


「……で、なんだっけ?安定感?」

「まあ、そんなとこね」

「ずっと非正規だとか?」

「そう。あと私じゃない女」


 リズィは早く幸せになって、卒業して。そう小さく言った。


「じゃー……俺と付き合ってくれたら考える。大人になるよ」

 べろべろバー的な顔を作りながらふざけると、多少シリアスにリズは言う。


「面白い顔しながら言うのやめて」

 シリアスな冗談は彼女の神経をとがらせるだけで、笑いにはならなかった。

「わかったわかった」

「でも。ずっと変わらない」


 その信頼を寄せるかのようなリズィの顔を見ると、クーは困る。


「そういう事言うからまた……」

「とにかく。ちゃんとして。心配してんだから。いい?」

「大丈夫だよ俺には大型四輪とホバーの資格あるし、大卒だし、切れ目なく働いてるつもりだし、モルトランツでずっと暮らす分には不自由もしてない」


 それにサミーもいるしなあ。

その言葉を口にしかけた時、サミーはクーを見て笑った。



「モルトの荷捌き場、大変なんでしょ」

「月の軍隊が占領してからは相当物流が変わったからな」

「話変えましょ。怖いから」

「いつどうなってもいいように好きなことをするんだ。あくまで俺の生き方だけど」

「それ人生の教訓って感じね」

「ああ。でも、何かあったら君らのところに飛んでいくか、メールする」

「いろいろ助かってる」


 この戦争が起きるまで、その兆候が見られた時点でクーは、マーフィン家をモルトランツから引っ越させるためにあらゆる手段を講じた。


 嫌われてもいいと思った。

しかし、それは『戦争などというのは遠い昔の話』と思っていたこの世界の、この地域の、この町にいる彼ら以外の、他の家族と同じ意識を共有していたマーフィン家には、その切実さが伝わらず失敗した。


 と思っていたら、どうやら実はロバートはこの土地で医者を続けるつもりだったようだ。


 金持ちだけ逃げ得はしない。

そうロバートは言った。

 だから一応、町はずれの田舎にあるリズィの実家に、母子だけは何かあれば避難することだけ算段に入れることになった。


 そのタイミングで、ウィレ政府が始めたテロ対策という名の都市閉鎖政策が始まった。予告なく地域から出られなくなってしまった人々がたくさんいる。

 だから、クーはその立場上、友人の家族とそこに住まう人を守る使命を与えられた。

 少なくともクー自身はそう理解した。

だから、モルトランツが空から降ってきたおびただしい数の黒い巨人グラスレーヴェンに占拠され、星側の支援の手が伸ばせないまま瞬時に陥落したあの日も、その前日にマーフィン家にいち早くメールを入れて惨禍を逃れさせたのはクーだった。


 宇宙人モルト人たちが侵略戦争を一方的に起こしておきながら『猶予を与える』などと言い、いぶかしむ惑星側が派遣した第三者委員会を丁重に扱って、むしろモルトランツにある最高級のホテルに自腹を切って宿泊させて停戦の交渉を始めた時もそうだった。


 その宇宙からの支配者モルト・アースヴィッツ政府が、このモルトランツを一方的に呑んだくせに、にも拘らず笑顔のうちに手を差し伸べてきたことを屈辱と取ったウィレ側外交官が、安全保障会議のテーブルを蹴り、途中退席して手を振り払ったことで始まった不気味な巨人の行進モルトランツ占領軍事パレードの時も、ずっとクーはマーフィン家と連絡を取り、ロバートに忠告して家から出なくてよいようにした。


 安全保障理事会のメンバーに対して、モルト側は強調した。


『我々は連中と違って、被害者たる民衆の皆さんに対して用意がある』


 それは自分が無垢で優しく、決して危害を加えない証拠であることを表現したい宇宙からの支配者が、星側に向かって言った言葉であり、敵対者への当てつけであった。だが、宇宙人は少なくとも振りかざしたそのプライドのまま言行一致に努めた。


 そのために、白いシャツに武器を一切身に着けず、ただ市民生活に溶け込む努力を始めた。


 その時にも、クーは万が一の避難のための情報や、麦の乾麺や缶詰を送り付けた。

そして一切、彼らがモルトランツの他の住人と同じ行動をとるように促し続けた。

ロバートもリズも穏やかで優しい性格だから、それは心配することではなかったが。


 マーフィン家とその周囲の世帯は、高度通信技術を用いたモルトランツの町内会ネットワークに助けられたのだが、その活動が有効に働いたのには、非正規の物流で働く傍ら、消防団員も兼ねると自称しているクーの力があったことを、リズィは人づてに最近知ったのだった。


 クーは若い頃、リズとの恋愛関係があった。

しかしあの時期、やむを得ぬ理由で突然別れを告げ、忽然と姿を消してしまった自分は今もリズを裏切った男に過ぎない。

だからクーが命ぜられて故郷に帰った後も、到底彼女に会えないし、会うつもりはなかった。


 最後の日、急すぎた説明に、マニキュアで塗った爪と細い指で顔を覆ったリズのことを考えれば、彼女は怒っているし、複雑な気持ちにもさせたろうと考えていたからだ。


 どうしてもやらなければならないことがあったとはいえ。


 ただ同時に、リズにもう一度再会したとき、その予想に反して、リズが彼を案じていたこと、しかしクーを待っているうちに、そして目まぐるしい日常生活を送るうちに、クーへの気持ちを持ち続けることを重荷に感じて、それを掬い上げてくれたロバートが運命の相手となったこと。


 そして何より、それまで彼女がクーに見ていただろう、心惹かれたあのはつらつとした少年のような目がもう、クー自身から失われているのを感じていく彼女の感覚をまるで生き映したように感じたこと。


 あの『恋』という感情の喪失。


 それを解るようになって旅から帰ってきてしまった自分を、ひどく客観的に見たクーは、これでいいと思った。

ひたすら身勝手な自分の重力下に彼女の心があることを望まなかった。

そうしているうちに、ほかのいい男を探す機会がなくなってしまうことの方が、彼女の幸せのためにならない。


 リズ自身の心は収まるべきところに収まっていくだろうことに安心した。

そう予期した時の、あっけらかんと漂泊した心は今も覚えている。

それはすっかり人間という弱き存在を動かしてやまない、この「感情」というものに精通してしまった自分への、失望でもあった。


 けれどまた、リズィは言った。


 友達だから。

 その言葉をリズは言えたんだと思う。

その声がクーに聞こえた時、その瞬間、心に刺さっていた何かは抜けて、普通は成立しづらい、男女を超えた何か強固な関係性が生まれていくのを感じたクーは、それでよかった。


 それで十分だった。


 自分に与えられた使命と感じるには、それで十分すぎるほどだ。


 そして今、クーの背中にある窓の向こうに抜ける青空をふと眺めたリズィは、これ以上、望むことはないかのように言った。


「でももう、どっかに消えないで」


 その声は切実に届いた。


「そうしたい」


 戦争に巻き込まれるなんて、そう誰もが思う。

ここはモルトランツ市街。

 半年前は戦争など空想の世界だったのに、今やこのカフェの大きな窓の向こうに、ミリタリーブーツにカーキ色のパンツ、白いシャツの軍人が歩いている。


「サミーのことを見守っててほしいの。私たちと一緒にね」

「そうしたい」


 クーはその上の句を言った後、まっすぐにリズィを見つめ、それ以上何も言わなかった。そしてサミーに目配せすると、サミーはまた笑っていた。

クーは首元に手をやるとカフェの空間を見つめた。


「そろそろいい時間だな」

「帰ろっか。サミー」

「おかさん。もうおっちゃんとお別れなの?」

「ラフィがいるだろ」


 ラフィが透明で硬いプラスチックの目を光らせて反応すると、サミーは彼なりに状況を飲み込んだのか、やだー、と言うけれど、ラフィの手を引いて床の上に立った。


「また会える」


 リズィがそう力強く言うから、サミーは嬉しくなってむしろこのカフェの外に関心を向けだす。クーは穏やかなため息をついた。何の心配のない野原を裸足で駆け回って遊んで胸いっぱいに気持ちいい空気を吸ってほしい彼に対して。


 けれど今は、それができない。必ず保護者が必要だ。この時代は、戦争というこの事情は、あまりにも非合理的だ。


 この過酷な外環境は、多かれ少なかれ透明な目を持った子供の心をゆがめる。

そして歪める企みをもって大人が子供の手を誤った方向に引きかねない。

だから今は、クーが、二人と関わる事をやめたくなかった。


 キャッシュレス会計を済ませガラスの扉の外に待つサミーのもとへ歩く。


「おっちゃーん」

 夕焼け空の下でサミーがクーを呼んだ。


「知らない大人について行っちゃだめだぞ」

もう一言いう。


「お父さんとお母さんから離れるなよ!」

 サミーは頷いて池に近づいていく。その彼の姿を必ず視界にとらえながら、隣のリズに向かってクーは言った。


「サミー。モルト兵と会ったかも」

「えっ」


 リズィはサミーが隠していた事実を知って、息をのんだ。


「これからどうなるかわからない。今は穏やかだし何も悪い噂を聞かないが、シャトルが次々、この星に来たこともない兵隊をこの場所に送り込んでる。それが心配だ」

 リズは息を飲んで、クーの顔を見た。


「ロバートにも相談する」

「うん。ただサミーを叱ったりしないでくれ。いや。君はしないだろうけど」

「しないわ。そんなこと」


 肌寒い風が西の大陸から吹き抜けて、移ろいゆく秋から冬の気配を感じて、サミーの背に輝きながら落ちていく太陽の動きが、いつもより早いことを知る。


「このまま何も起こってほしくない」

「俺もだ」


 その向こうに、小さく白く、モルトの三日月が見える。


 大陸歴2718年 5月15日。


 我々は包囲されている。


 このガラス玉のような惑星、ウィレティルヴィアの外から、そして現在人の手が及んでいるすべての領域が今。宇宙人の手中にある。

 準備すべき時は、実は近い。


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