声 額縁 部屋

 暗い部屋。

 今よりも遥か以前————わらわは、暗い部屋にいた。

 なまぬるい水に満たされた部屋。

 何も見えない、狭い部屋。

 そのからを破り外へ出るが、まだ暗い。

 体を前に進む感覚がある。何故だか脚の感覚がないが、不自由ではない。肩や腕のない手を動かし、背を動かし、腰をひねることで、自由自在に動き回れた。

 壁に当たる。柔らかい。

 そして、暖かい。

 水の生温さは、この壁から移ったものであるらしい。どくん、どくん、と脈打つ振動も、この壁からもたらされている。

 だんだんと、自分の置かれた状況が解ってきた——ここは、腹の中だ。

 妾は恐らく魚か何かで、より大きな魚の中に産まれた。魚でも人のように子をはらに宿すものもいるのだろうか。いや、実際に体感しているのだから、考えるだけ無駄だろう。

 不意に、部屋を包む大きな振動とは別に、泡が細かな振動が鳴る。それは一つではなく次々と響き、やがて、妾のひれが出す振動と同じものになった。

 ——妾の他にも、いる。

 そんなは、妾のような戸惑いなどは見せずに、それぞれが元気よく泳ぎ回っているようだ。

 そもそも、なぜ妾は、産まれたばかりのあか、それも魚であるはずなのに、こんな事を考えているのか。もしかしたら、人の赤子も、自分の母の胎の中で、似たようなことを考えてるのかも知れない。外の世に生まれいずるまで。


 そういえば、妾は、この中から出られるのだろうか?


 そんなことを思った時だった。

 何か、旨そうな匂いがする。同時に、激しく暴れる同胞達の振動も。

 これは、血の匂い、か?

 月のおりものではないだろう。胎の中には妾たちがいるし、魚の下物など聞いたこともなかった。


 だとすると————なるほど。


 へそのもない稚魚が生きるには、同胞を喰らうしかないのだろう。なんと野蛮な生き物か。

 しかし、おかしながないだけ幾分かマシだ。

 妾の一生は、いつの日か見た南蛮から渡って来たというのようなものだった。決められた大きさのがくぶちに収められ、自由に動けない、何もかもが決められた一生。

 ただ子を成すためにつかえ、産まれなけば下働きをする。ろうがいわずらったのは、逆に、幸運だった。短いながらも、気楽に生きられたから。

 他の者と喰らい合う一生。

 悪くはない。

 気品なども気にせずに、ただただ、生き延びてやる———。


 妾は喰らった。

 同胞を。

 一度でもかじられたならば、終わり。でも妾は生き残った。

 知のあるぶん妾は他の者と比べて強かったのだ。

 ときを知るためにはこの母親の脈動を数える他なかったが、そんなものはどうでも良かった。

 長い刻にも感じられたが、全てを喰らい尽くすのはあっという間でもあった。


 ——さて、餌がなくなった。いっそのこと、この胎を、喰らいやぶいてみやびなるうぶごえでもあげてやろうか。


 妾がそんな考えを巡らせていると、突然、母の脈動が強くなる。

 壁が波打つ。

 同胞を食って大きく妾の身体からだも、水の中でらめく。

 大きくなって気づいたのだが、妾も、この部屋も、うみへびのように細長い身体をしていた。

 ただ、妾には鰭がある。

 食った同胞達と身体が同じなら、背と、えらの近くと、尾に、鰭があるはずだ。こいなまずのようなひげはないし鹿のような角もないが、もしかしたら、龍のようなものなのかも知れない。

 妾も、この母親も。

 

 母のがどんどん激しくなる。これは、形が変わっている。

 何が起こっているのか。

 いき、ぐるし、い。

 身体全体を締め付けられるような、そんな息苦しさが、妾を包んだ。

 妾はたまらず壁に、齧り付く。


 その時だった————。


 息苦しさから突然、解放された。何かが壁を突き破ってこの部屋に、侵入して来た。

 息苦しさからは解放されたが、妾は二度目の死を感じる。

 それが、妾の身体に、刺さっていたからだ。何かが、妾の中に、入ってくる。

 熱く、暑い。 

 そしてそれは、妾の身体をも、変化、させるのだった。


 これが妾の、生誕の記憶である。

 


 声 額縁 部屋 終わり? 

 

 

 

 

 

 

 

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