3

 翌日。

 真っ白なホワイトボックスはいつもの朝を迎えた。

 一面に淀みのない部屋。

 一点の黒は車椅子と少女自身だけ。

 角がどこにあるかもわからないそんな一室に、白衣を纏った大人が大勢押し寄せてくる。

「ドール、今日の体調は?」

「良好よ」

「体温は?」

「正常」

「今日はいつ」

「☓☓☓☓年の☓☓月☓日」

「ふむ。問題なさそうだな」

 そう、薄いボードを持っていた大人が離れていく。

 次に少女の真横に立ったのは義足を持った大人だった。

「着けるぞ。昨日までのと違って多少痛むかもしれない」

 黒く歪な輝きを放つ義足。

 義足中を走るラインは青く、不気味な発光を繰り返していて思わず少女は唾を飲む。

「なんだか不気味ね」

「あぁ、それは俺も同感だ。製作者はセンスが無い。どうせ光らせるなら赤の方がかっこいいのに。それに、血管ぽくってニュアンスが分かりやすい」

「ふふ」

「? 今笑ったか?」

「……いいえ、笑ってないわ」

 製作者はセンスがない、その言葉に思わず昨日の少年の様子が脳裏に過った少女は笑ってしまったが、科学者に問われた次の瞬間には表情から笑顔を消して、いつも通り感情の死んだドールを演じる。

「? なら、良いのだが」

 科学者もドールと呼ばれる少女が笑うとは考えていなかったようで、すぐに義足を取り付ける作業に取り掛かり始めた。

「今日からこれを着ける。これは言わばプラグを受け入れる穴だ」

 と、科学者は少女に人工関節を嵌め込み、具合を見る。

 少女は顔には出さなかったが激痛が走っていた。

 金属の一部が。おそらく説明にあった意思を読み取る何かが差し込まれていたから。それが神経を侵して身体の中を這っている感覚があったから。

 だが、それらを全部隠して。

 少女は言う。

「なんだか、脚が長く感じるような気がするわ」

「君が膝関節まで失てなかったらわざわざ切断することになっていたかもしれないな。痛みは?」

「大丈夫」

「動かせそうか?」

「動く。ってどう言うことかしら」

「っあぁ、説明を受けていないのか。おい、資料寄こせ!」

 少女は知らないふりをする。

 昨日の出来事が無かったかのように振る舞う。

 それはおそらく彼が昨日ここへ来たのは独断だと感じたからだった。

 本来、この場に入るためには身分証を持ち歩かなければならない。もし許可なく不法に侵入した場合、警報が鳴る仕組みが組み込まれている。それは、例え入院者だったとしても鳴ってしまう。少女は言わなかったがそのシステムがあるからこそ、少女は少年を警戒せずに関係者であると言う結論を導き出していたのだ。

 だが、彼は首に身分証を下げていなかった。つまり、ポケットなどに隠して入ってきたことになる。名前は隠しておきたいと言う意思の表れなのだろう。と、予測を立てた少女は、やはり聞いたことが無いと言う表情を作って科学者の顔を見た。

 実際はただ少年がシステムをハックし、こっそりと侵入していたのだが、少女は知る由もなく。偶然にも噛み合った嘘を重ねたのだった。

「――つまり、念じればこの人工関節が曲がるって訳なんだが」

「えぇ、理解できたわ。でも、難しいわね」

 モーターが回る音がする。

 大勢の大人が居ると言うのに、少女が人工関節を曲げようとしているその瞬間は、静まり返っていた。

 そして。

「…………出来たわ。結構、強く思わないと曲がらないのね」

 グギギギと、今にも大破しそうな音を立てて関節が曲がる。

 その瞬間。

「「「よしゃあぁぁぁぁぁあああ!!」」」

 ホワイトボックスを振動させるほどの歓喜の声が部屋の至る所から発せられて。

 少女は一人驚いていた。

 白衣の大人が喜ぶ姿を初めて見たから。

 彼らが、まるで子供のように拳を固めて喜ぶ様を想像したことが無かったから。

「彼の技術は成功だ! あとは、義足を取り付けて動けばいいのだが……」

 そう、興奮気味の科学者は言いながら関節に義足が近づける。

「善処するわ。今日のなら、立てる気が、する。もの」

 と、歯切れの悪い少女の応えに科学者は目を細めながら義足を取り付けた。

「よし、はまったな。立ってみてくれ」

 ――と、言われてもね。なんてことを考えながら、少女はとりあえず立つイメージを頭に思い浮かべる。

 足の裏に体重を乗せ。

 床を感じ。

 腰を浮かせる。

 と、そこまでイメージを構築して、実際に身体が動いていたはずなのに無意識にすべての動作は止まっていた。

「っ。立て、ない……?」

 肘置きを鷲掴み、前かがみになりながら少女は左脚を何度も動かし、床に乗せる動作を繰り返す。だが、立つことは叶わない。

 ただ、室内に金属が床を蹴る音が虚しく響くだけで。

 それ以上のことはなにも起こらなかったのだ。

 ――どうして、こんなに立つことを考えているのに。と、少女は焦る。だが結果は変わらない。少女が立ち上がることが出来ない。

「…………失敗、か。くそ! 関節は上手くいったのに、なんでだ!!」

 科学者が怒鳴る。

「…………」

 少女は一人、それを悲しい気持ちになりながら受け止めて。

 諦めようとしていた。

 奇跡は起きなかったのだ。

 技師の少年は立てると言っていたが駄目だった。

 その原因は義足ではなく、自分のせいだと。

 少女は、深く落ち込んで――

「君は、立てる!!」

 ――落ち込んでいたのだが、昨日聞いたばかりの声が聞こえて。

 少女は顔を上げた。

「貴方、は…………?」

 不意に漏れた声。

 とても小さなその声は見知っている少年に対して向けた言葉だったが、技師本人はそれをどう聞き取ったのか。

「僕は技師だ。君のその脚は動く。僕が保証する。今、君に必要なのは支えだ」

 ズカズカと、少年は入り込んできて。

「科学者。怒鳴ったって意味がない、僕も表情は死んでいるが、それでも熱がなくちゃいけない」

 と、少女の近くに居た白衣の大人を押しのけて、黒い衣類に身を包んだ少年は膝を着いて少女に手を差し出した。

「大丈夫。僕が手を離さないから。ゆっくりで良いんだ」

 少年の不健康そうな手を見て。

 とても綺麗と言えない指を見て、少女は驚いて目を見開いた。

 彼の手は幾度の義足製作の過程で負った怪我の跡が多く、白く長い指はお世辞にも綺麗だとは言えない状態で。

「……貴方、不安なのね」

 自分よりも血の気の少ない手が震えていることに、少女は気が付いた。

「あぁ、不安だ。僕は君に外の世界をもう一度知ってもらうために義足を作っているのに、ここで立てなかったら無意味に終わっちゃうからね」

 凍り付いた顔は、やはり動かない。

 だが、少女は技師の眼から熱を感じた。

「でも、今日立てなかったとしたらまた明日だ。君が立てるまで。歩けるようになるまで、僕が君を支え続ける。だから、この手を握って欲しい」

 思いもしなかった台詞に、少女は頬を赤く染める。

「……なんてことをしれっと言っているのよ、貴方わ」

 ――そ、それってもしかして。告白!? なんてことが脳裏を過る。しかし、仏頂面はいつも通りで、感情が読めない技師を見て、少女も感情を押し殺し平静を装う。

「…………はぁ、分かったわ。貴方を、信じる」

 だから、少女はただ一呼吸。

 ため息を一回吐いて。

 彼の手に、手を重ねた。

 お互い体温が低いのか、冷たく。

 支えてくれるのか不安になるほどとても少ない接点で。

「立つわ。支えてね」

「あぁ、倒れそうになったら全力で支える」

「本当に?」

「もちろん。これでも力もちなんだ」

 そう、冗談を交えて少女は静かに願う。

 想像する。立ち上がる自分の姿を。

 幼い頃のように、自分の意思で歩く姿を思い浮かべて。

「…………っ、ねぇ立っているわ! 私、立ててる!!」

 ただ、立っているだけ。

 歩くことは叶っていない。

 だが、それが彼らにとって大きな進歩で。

「「「うぉぉぉぉぉおおおおお!!!」」」

 もう一度歓喜の声が、部屋を振動させる。

「君!! やったよ!! ついに、立ち上がれた!!!」

 と、技師の少年が初めて頬を緩ませた表情で少女の手を握っている。

「えぇ。えぇ! 立てたわ! 私、今立って――」

 と、ほんの少し、少女が自分より背の高い技師に近づこうとした瞬間。

 ガシュンっと、聞き慣れない音が義足から鳴った。

 全員の視線が。

 少女の足元、さらには床に転がる義足に集まった。

「……まぁ、今日は一歩立ち上がれたんだ。よしとしようじゃないか」

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