2
少女は、ホワイトボックスの中で一人、何もない天上を見上げていた。
外がどんなに黒く、星空を広げていたとしても少女がそれを知ることはない。
だが、少女はそれを想像して。
ただ、涙を静かに流しながら上を見ていた。
立つことが出来ない自分が憎らしい。
あまりにも無力で、情けなくて。
大人は自分のために頑張ってくれていると言うのに、それに応えることの出来ない自分の不甲斐無さに、死にそうな思いで少女は。
頬を濡らしていた。
「…………隣、良いかな?」
しかし、そんな孤独の空間を壊すノックの音が響く。
「……?」
少女の元を訪れた少年。
地味ながら、希望を秘めた眼をした少年。
不器用なのか、愛想なんてものはなく。
表情筋は機能を放棄しているようで凍り付いているような少年。
彼は、少女のことを見ながら悲惨な過去を追悼するかのように目をほんの一瞬閉じると歩き出す。
「すまない。おそらく。いや、絶対的に君に会うのは初めてだ。僕は、一方的に知ってたけど」
そう、緊張した声音で少年は少女――ドールの横に立つ。
少女は慌てて長い黒髪で顔を隠しながら言う。
「……ホワイトボックスの中に科学者以外の大人が居るなんて珍しいね」
「どうして僕を科学者じゃないと思った?」
「白衣を着ていないもの」
「非番かも」
「非番でもここの科学者たちは白衣を脱がないわ。彼らの存在を示すものだから」
「じゃあ僕が変わり者だったとしたら?」
と、二人は言葉を交わす。
互いに、特色のない黒い瞳を交えながら。
違いは目に生気があるかないかだろうか。
「それに歳が若い。ここに居るってことは被験者かもしれないけど、自由に私の部屋に入って来られるのだから施設関係者ではあるのでしょう? 仕事までは分からないけど」
「……君、思ってたより喋るね?」
「私はいつでもお喋りよ? 一〇歳の女の子なんだから、当然でしょう?」
少女は目元を隠しながら微笑む。
それを見た少年は少しばかり目を大きく見開いて、「……たしかに、それを失念していた」と呟いてから、膝を折った。
「僕は…………技師だ」
「技師?」
「あぁ、脚を作ってる」
「あれ、貴方が作っていたの? 初めて知ったわ」
「それはそうだろうね。なにせ初めて言ったんだ」
と、少年は自分の手を重ねながら話す。
「今日、この場に来たのは。許可が下りたのは僕が覚悟を決めるためだ」
「覚悟?」
「あぁ、君を絶対立たせてやるって意思を今以上に固めるため」
そして、少年は少女の手に触れて言った。
「絶対に、次の義足で君を歩かせる。一歩でも。絶対に」
表情とチグハグな台詞。
だが、その眼に迷いはない。
「…………」
しかし少女は。
ドールは返す言葉が見つけられず、黙ってしまう。
初めてのことで、色のない眼は少年の熱い眼差しを避けるように右下へと下がってしまう。
「義足で立てないのは君のせいじゃない。まだ――」
「――しの、せいでしょ?」
「え?」
「私のせいで、貴方に解雇宣告が来たんでしょう? 違う?」
少女の瞳は影を落とした。
漆黒の瞳が、さらに濃く。
深く闇を宿して。
ついには、雫を溢した。
「ごめん、なさい。ごめんなさい、ごめんなさい……私が、立てないから…………」
少女は泣く。
大人たちの前で泣いたことのない少女が、表情を見せる。
少女は壊れてなんか居なかった。
大人たちは、彼女は笑わなければ泣きもしないと思っていたが感情はまだ残っていたのだ。だから少女は泣く。毎晩。一人、誰にも見られることなく泣いていたのだ。
だが、今日は違った。技師だと名乗る少年が少女の隣に居る。彼はその涙を見て、やはり覚悟を決めた。
「違う。君のせいなんかじゃない。完成出来てなかったんだ」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい…………」
「本当だって。それに別に解雇宣告なんて受けてないよ、信じるのは難しいだろうけど」
わなわなと、手を動かし少年はどうにか少女の涙を拭こうとする。
だが、彼は不器用なようで宙を泳ぐ指は、少女の頬に触れることはない。
「なんだろう、その、えぇっと。あぁそうだ。義足の説明をしよう! そうだ、それがいい!」
と、急に立ち上がった少年は少女の背後に周り、車椅子の手押しハンドルを握るとロックを解除し壁際まで押し始める。
「え? え? なに?」
「今から義足の説明をする。理解度が高まれば、明日立てるかもしれないし!」
ボードが無いから、壁に書くけど――と少年はどこからか取り出したペンで白い壁に筆を走らせる。
「まず、義足の名称は実はまだ決まってない。ごめん、ネーミングセンスが無いんだ」
まるで教鞭をとる新人の教師のように、不器用な講義が始まって。
「…………」
驚きのあまり少女は言葉を失っていた。
この少年が何をしているのか理解できなかったから。
ホワイトボックスの壁に。
白以外の色を付けた少年の行動が理解できないから。
少女は自身の涙が止まっていることを自覚しないまま、少年を見上げていた。
「でもまぁ、とにかく。この義足はただの棒じゃない。関節は曲がるし、脚の指を手みたいに広げることだってできる。こうやって」
と、少年は必死に。少女が既に泣いていないことに気付かないくらい必死に、自分の手を閉じたり広げたりして説明を続ける。
「じゃあ、なんでこんなことが出来るのかと言うと――」
少年は続けた。
言葉も纏まらないうちに喋り続けて。
壁を黒く染めあげて。
「とにかく、この義足は感情でも動くんだ。昨日までの義足にはその機能が無かった。関節も曲がったし、指も広げられたけど意思を読み取ることが出来なかった。けど、明日君に取り付けるのは意思を読み取る。君が、信じれば立つことが出来る!」
そう、目を輝かせて言い切った。
「…………ふふ」
「? な、なにかおかしな説明したかな僕」
「ふふ、はははは! いいえ、なにも。貴方はおかしな説明はしていないわ」
「だよね? でも君はなんで笑っているの?」
少年が不思議そうにペンをしまいながら言うと少女は言った。
「貴方ここの壁に物を貼ったり、書いちゃいけないことを知らないのでしょう? これ、消さないと怒られちゃうわ」
「えぇ!? 早く言ってよ!? え、うわ……どうしよう。結構書いてるなぁ僕」
数歩下がり、自分が書き走った文字の羅列を見て、左手を後頭部に当て、困惑している少年はしばらく考えてから走り出す。
「タオルを持ってくる! 君も手伝ってくれ!」
そう、表情が死んだ少年は叫んだ。
「いやよ、自分で処理しなさいな!」
――そんなぁ~! と、遠くから泣き言が聞こえた気がしたが、少女は振り返らず走り書きされた文字がある壁を眺めていた。
特殊な義足を開発するくらいだから、頭は良いのだろうと考えながら。それ故に彼の表情が氷のように固まってしまっているのだと言うことも、なんとなく少女は理解できる。白衣の科学者たちがそうだから。彼らが笑わないから、理解できる。だが、彼はどこか抜けているようだった。白衣の大人とは違って、彼は不器用なだけでユーモアがあるのだ。
「この壁に、文字を書く人が居るとは思わなかったなぁ」
ホワイトボックスの壁に刻まれた几帳面な字。
止めも撥ねも丁寧にはっきりと書かれている読みやすい文字。
仏頂面で分かりにくいが、少年の人柄が出ているようで、少女は少し信じてみようと思って。
「あったあった! ちゃんと二枚持ってきたから手伝ってよね!」
そう、叫ぶ黒髪の少年の顔を初めてちゃんと見た。
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