黒ずくめの男は、欲しかった物を抜き取ると、大半の配下を冬餉号に移し、何処かへ行ってしまったらしかった。

 ヒョウは素早く、見える限りの水平線に目を走らせた。が、無論、五百号が完全に姿を消してから初めて、食料庫から解放されたのは明らかだった。


 バルキエールが、近付いて来た。


「司令官は、出掛けられた」


 甲高い声だった。


「我々が、残る…お前達を、管理する。何か有ったら、殺す」


 甲板上は、雑多ないかがわしい者達で、混みあっていた。ザワザワ、音が響いていた。

 その中にあってガイナルト船長が、表情は冷静そうに立っていた。ヒョウは素早く、近付いた。


「どう思う?」


「受け渡し、だろうな…操舵長達は?」


「向こうに、乗せられたままだ」


 船長の答えにヒョウは頷くと、それ以上言葉は発しなかった。

 アルトナルドとエノシマも、辺りを伺いつつ何も、しなかった。

 船員達、まして船客達は、出て来ようとはしなかった。


 それからの時間は、今まで以上に奇妙かつ奇怪な物と成った。

 乗り込んで来た、黒ずくめの男の手下達は、乱暴はしなかった。寧ろ、一休みといった空気が有った。思い思い甲板上に散らばり、座り込んだり寝そべったりし始めた。

 しかし、皆それぞれ色々と、裏仕事に関わっているのは見て取れた。

 冬餉号が汚れようと壊れようと気にしないのみならず、寧ろ汚すのを楽しむ様な何かが、感じられた。

 武器を手元から放しも、しなかった。

 仲間同士じゃ無いな、とヒョウは感じた。


 要するに、五百号が何処かへ行って用件を果たしてる間、大半は冬餉号に残り、つまりは何か事を起こしたら皆殺しにするぞ、という話である。


 甲板上と船内、住み分けた奇妙な状態が、始まった。


 黒ずくめの男が何をどの様に盗ったのか調べたい所だったが、出来る様子でも無かった。

 ただ明らかに、船倉を空にした訳では無かった。それどころか、殆ど手を付けられていない様子である。


 特に話し合う事も無く、暗黙のやり取りでヒョウ、アルトナルド、エノシマの三人は交代で、甲板上に残る事を決めていた。

 船長も、侵入者達に占拠された甲板から離れる事をしたく無さそうだったがヒョウが目線で、一旦船長室に戻る様促すと、従った。




 夜が大分、深く成っていた。争いの様な声に目を覚ましたヒョウは、慌てて甲板に出て来たが、起きている番だったアルトナルドに、止められた。

 驚くべき事にエノシマは、既に出て来ていた。


 後部甲板の端の辺りで、灯りを手にした数人に囲まれて膝を付いている姿が、見えた。

 黒ずくめの男の手下の一人で、食料庫に押し込められていたヒョウ達を出しに来たドワーフの男だった。

 バルキエールが、その前に立っていた。


「司令官が!命令出したよな?出したよな?」


 叫ぶ訳では無かったが、高い声だった。


「酒、禁止だったよな?命令出したよな?」


 ドワーフの脇には、小さな革袋が落ちていた。


 いきなりバルキエールは、背中に付けていた片手持ちの大槌を、取り外した。


「勘弁してくれ…」


 無造作な動きにも関わらず、横殴りに振られた大槌は、ゴツゴツした金属の固まりが目で捉えられない程の、速さだった。衝突音と共に、ドワーフの声は途絶えた。

 バルキエールは他の者達が、まだ微かに動いている身体を引きずって海に放り込もうとしているのには目もくれず、ヒョウ達の方を向いた。返り血を気にする様子も無く、声を掛けて来た。穏やかだった。


「甲板、汚しちまった…司令官から言われてるんで、朝に成ったら掃除させる」


 言うと革袋を海に向かって、蹴り飛ばした。


 朝に成ってもバルキエールは、返り血を落とそうとはしていなかった。まるで当人が、怪我をした様にも見えた。

 しかし約束は守り、乗り込んで来た内の何人かがその辺りを掃除した。ただ無論、完全に綺麗とはいかなかった。


 ひたすら時が長く、ひたすら重たい一日が始まった。時折、青空が姿を見せたがそれも、陰鬱そうに見えた。

 黒ずくめの男の手下達は、何をするでも無くダラダラしていた。統制が取れている理由の一端は、昨夜目にしている。

 それなり騒ぎであったにも関わらず、甲板上に居た他の者達が誰も起き出さなかったのは、気が付かなかったので無い。判った上で見えない振りをしていた事にヒョウは、気が付いた。


「頭の横に、一撃」


 折を見てガイナルト船長に、ヒョウは言った。


「完全に、一撃」


 アルトナルドが、付け加えた。


「船倉見たが、あいつら、個人の荷を幾つか盗っていっただけだ」


 ガイナルト船長が、言った。


「そうか…」


 ヒョウの返事は、短かった。


 バルキエールも仲間達も、話し掛けたところで乗って来る空気は全く、無かった。

 船長もヒョウ達も、甲板に立ち続けた。

 幸い、風は昨日より穏やかだった。


 陽が傾き始めた頃、帆柱に上がっていた者から声が上がった。バルキエールはヒョウ達に再び、甲板下に入る様命じた。




「色々、御迷惑お掛けしまして!」


 黒ずくめの男は相変わらず騒々しく、満面に笑みを浮かべつつ船長に頭を、下げた。変わらず、黒一色の装いだった。

 戻って来た五百号は再び、冬餉号に横付けされていた。渡し板も、渡されていた。


 人質にされていた操舵長達の姿が、五百号の甲板上に見えた。

 疲れた表情だったが、危害を加えられた様子は無かった。


 大半の手下達が五百号に戻っており、バルキエールも、冬餉号から離れた様だった。


 黒ずくめの男は真顔に成ると、言った。


「詳しく、お話したい所ですけどな…とにかく、全て上手く行ったんですよ、お陰様で!」


「良かった」


 船長は冷静に、答えた。


「そちらは、そんな気持ち無いでしょうがこちらとしては、お近づきに成れて嬉しかった!」


「正直言って、興味深い出会いでした」


「有難う!…それでは、さて、御別れといきたい所ですが、夕暮れだ!明日の朝!さようならだ!お仲間も、その時お返ししますよ!」


 ヒョウ、アルトナルドとエノシマにとってはこれからが、一番用心しなければならない時だった。

 黒ずくめの男の事は信用して良い気持ちに成っていたが、それにしても、全てが上手くいったという此の段階で、約束を破って襲いに来る事は十分、考えられたからである。

 小島に向かって来る途中と同じ様な形に、何人かが冬餉号に残っていた。ただ、バルキエールは五百号に戻ったままだった。


 三日月が、中天に達した頃だった。考えていたのとは別の事が、起きた。


「感知。感知。感知」


 ヒョウの胸元から対魔章印の声が突然、響き始めた。

 取り出された章印の表面の赤い線上を、同じく赤い光の点が幾つも、行き来していた。アルトナルド、エノシマ、船長が素早く、集まって来た。


「感知。感知。巨大な発動、感知。西北西。破壊・殺戮を伴う性質と思われる。感知。感知。感知。発生源、複数。中距離。当地点への影響は、無いと思われる」


「これは…」


「章印の、力だ」


 船長の問いに、アルトナルドが答えた。


「闇の魔力に、反応する…聞いた通り、此処から離れた、しかしそこまで遠くも無さそうな何処かで、強い闇の魔術が発動した」


「これ程のは、久し振りだ」


 章印が、普段通りの話し方になった。


「相当、強い…かなりの血が流されておる、間違い無い」


「止んだか?」


「続いておる。続いておる。戦いであり、恐らく殺戮であろうな」


「出来る事は、無い」


 素早く周囲に目を走らせてから、ヒョウは言った。バルキエールなら又違ったであろうが、現在五百号から乗り込んで来ている者達はやり取りに、気付いていない様だった。


「これ程の力が向けられる事となったら、此の船とあちらの船と力を合わせても、歯が立たぬであろうな」


 再び、章印が言った。




 不穏な一夜が、明けた。

 対魔章印によれば、闇の魔術の発動は半刻近く、続いたという。


 ヒョウ達に取っては、ただ、そこに意識を向けている余裕も無かった。人質も返され、別れとなる筈の此の時にこそ、襲い掛かってくる事も考えられた。


 黒ずくめの男は、本当に約束を守る様だった。

 人質も、返された。

 再び、笑みを浮かべながら冬餉号に乗り込んで来ると黒ずくめの男は、ガイナルト船長に再び、ヒョウには判らない言葉で話掛けた。やり取りは暫く、続いた。同じ、肌の色の黒い人種でありつつ全く異なった者同士であり、しかし似た者同士だった。

 ヒョウは両方を強く、感じていた。


 黒ずくめの男は、アルトナルドとエノシマにも挨拶の言葉を掛けてから、ヒョウに寄って来た。顔を、近付けて来た。


「ヒョウ・エルガート!面白い!面白い奴だ!仲間の二人も、素敵だ!いつか、俺の事を雇ってくれよ!」


「確かに、良い仕事をする」


「だろ?」


 愛想を振りまきつつ、男は渡し板を渡っていった。


 両船が、錨を上げた。帆が、広がった。

 今日も、風は程良かった。


 二艘が入り江を出るのに、さして時間は掛からなかった。何がどうであれ、船が再び帆に風を受けるのは心地良かった。

 小島が、船尾の方向に成った。


「約束、守るとは思えないが」


 船長が、呟いた。


 その時、見張りの声が響いた。


「水平線上に微かに、煙が見えます!」


「方角!」


「西北西です!」


 船長が応じようとした時、五百号から声が響いた。


「おい!おい!煙がな、遠くに見えるんだ…気が付いたか?」


 妙に、真面目な声だった。


「調べに行くべきだと、思わないか?」


 事故を助けに行くのは、言う迄も無い海の掟である。しかし、黒ずくめの男が言い出すのは、奇妙だった。無論、昨夜の件も有った。しかし何にせよ、確かにまずは調べに行くべきなのは、間違い無い。


 煙は、微かだった。しかし、昨夜の事を差し引いても何か、変事なのは間違い無かった。

 変事は、一方で船内からもやって来た。


「船長」


 船客の、世話係のエルフだった。


「あの、よく判らん赤覇の客、居ません!」


 予想外の出来事でもありつつ、何か予想通りでもあった。


「今までずっと、上等に閉じ籠ってた筈です…空っぽです!船の中、回ってみましたが…」


 上等、とは一番良い船室の事である。


「確かに、旅に出たな」


 無人の船室を覗きながら、ヒョウが言った。一番上等、とは言っても寝具が入れば殆ど、一杯な部屋である。

 アルトナルドが突然、床に落ちていた、紙の様な何かを拾った。


「感知」


 対魔章印の声が突然響いたが、アルトナルドが拾った物に対してでは無かった。


「進行方向、多量の闇の魔術の痕跡有り」


「距離は?」


「まだ、中距離だ…昨日の今日だから感知が有って当然だが、そこまでは、近付いておらぬのにな」


「濃い?」


「痕跡に対し、これだけ感じるというのは…濃い。殺戮だ」




 赤覇エルフの船客は間違い無く、姿を消していた。

 アルトナルドは船長に、船室で拾った紙の様な物を見せた。


「呪符?」


「式神…聞いた事、無いか?」


「使い魔か?」


「まあ…此の式符が人型や動物や、色んな物に変化する。操って色んな事が、出来る」


「聞いた事は、有る…だが、おい!自分は話してるんだぞ!あれが、偽物だったっていうのか?」


「あんたの目は、誤魔化されないだろ」


「島に落ち着いた後じゃ、ないかな」


 ヒョウが、付け加えた。


「じゃ、島に残った…いや、そんな筈は、無いな!身代わり使って、いないのを気付かれない様にしながらあっちの船に、乗り込んだんだろうな」


「そう思うんだが、問題は…」


 アルトナルドが言いかけるのを、ヒョウが引き取った。


「今、あっちの船に乗っている気が全く、しない」


「確かにな!」


 煙は少しずつ、近付いて来ていた。黒みが、濃かった。

 突然アルトナルドが、顔をしかめた。


「毒の臭いだ」


「魔術絡み?」


「最低最悪だ」


 煙は、少しずつ姿を見せて来た、先程まで停泊していたのと同じ様な小島から上がっているらしかった。


 いつの間にか、五百号が横付けに船体を、寄せて来ていた。


「おい!」


 黒ずくめの男が、呼び掛けて来た。


「もう一度そっちに、乗って良いか?」


 再び乗り込んで来た黒ずくめの男は、しかし笑みも無く、驚くべき事に、黙ったままだった。ただ、煙の方を見つめるばかりだった。

 とうとうヒョウが、声を掛けた。


「どうした?あんたらしく、無い…祝い事についてでも、考えてるのか?」


「どうも、マズい」


 黒ずくめの男らしからぬ言葉だったが、それだけに一層、重みが有った。


 突然、色々な物が入り交じった臭いが微かに、しかし鋭く、流れて来た。木の燃えた、臭い。肉が焦げた、臭い。そして、甘い様な、しかし腐った様な正体の掴めない様な臭いも、有った。目が、ヒリヒリした。


 再び、見張りの声が、響いた。


「見えて来ました!大きい船です!酷く、やられてます!」


 まだ、はっきりはしなかったが煙を燻らせているのは、冬餉号や五百号より一回り大きい、一艘の船であるらしかった。

 小島の岩壁に、船首から突っ込んでいってそのまま、食い込んでいる様だった。前の方は、ひしゃげていた。


 黒ずくめの男が、言った。


「依頼人の、船だ!」

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