泰然
冬餉号と五百号は、群島内の小島の入り江に、並んで停泊していた。
小島と言っても、黒い岩で出来た小山が一つ、海上に顔を出しているだけだった。
巨大な椀を伏せて海の上に、ポンと置いた感じだった。
ガイナルト船長の言葉を借りれば「火を起こして塩漬け肉茹でて、皿に盛って食べ終わる頃には一周出来そう」な位だった。
真ん中には小さな頂が二つ、並んでいた。一周、よじ登れなくは無いが大分切り立った崖に囲まれていた。
一画だけが、何者かがやはり巨大な匙で内側に向けてえぐった様に成っていて、入り江を作っていた。良き港たり得たが、砂利の浜が少々有るのみで直ぐに、やはり崖に成っていた。
風が、強かった。咬呀群島に入ると、三角航路から幾らも離れていないにも関わらず急に、波も風も寧ろ猛々しく成った感じだった。
アルトナルド、ヒョウ、エノシマの3人は船倉の食料庫に、押し込められていた。
塩漬け肉の、酸味有る香りが立ち込めていた。
武器は取り上げられていなかったが、とにかく、ガルキスというらしい黒ずくめの男と手下達が冬餉号を扱う間、出て来ない様命ぜられていた。
五百号は、明らかに下調べしていたと見え、冬餉号を従えつつ迷わず小島に、やって来ていた。
乗り込んで来た者達は甲板の思い思いの場所で眠りに就いたし、ヒョウやアルトナルド、エノシマや船長や乗組員達もそれぞれに、寝なかった訳ではないのだが。バルキエールという男は一晩中起きたまま、船長や乗組員に指示を出しつつ船首に立っていた。疲れた様子は、見せなかった。
船客達も無論、船室や居場所から出て来ない様命ぜられていた。旅の商人達である。
船長自ら状況を説明して回ったが皆、恐怖の色を浮かべつつも取り乱しはしなかった。
あれこれ苦情を述べる者もいなかったが、これは、船長の後ろに海賊が居ると言うべき状態だったからかもしれない。
謎の、赤覇エルフの客にも話がされたが、船長によると恐ろしい程の無表情のまま、殆ど頷く事もせず直ぐに、船室の戸を閉めてしまったという。
小さい入り江は、外の波や風を完全に防いでくれる様な物では無かった。二艘が入り込むと、狭く感じられた。
停泊しながらの揺れは、感じ方が違う。
進みながらの上下が無い分耐え易くも有るが、海に振り回されている感じも強い。
緊張は有るとは言え、する事無く待つしか無い今、ヒョウは再び、絶え間なく揺れを感じていた。
入り江に収まると、黒ずくめの男は再び冬餉号に乗り込んで来た。バルキエールを抱き締める様にして労を労うと、立て続けに指示を出し始めた。
乗組員も乗客も、冬餉号の者は全員、甲板下の居場所に引っ込んで出て来ない。
五百号の者が、これから冬餉号の積み荷に仕事をする。
冬餉号の者は、一切邪魔をしないのみならず、何をしているかを見てはならない。
その代わり、一切手を貸す必要も無い。
もし、余計な事をした場合は、全ての約束は消滅した物とする。
かくして、裏街道の者達がどんどん冬餉号に、乗り移って来る事と成った。船長含め乗組員も皆、甲板下に追いやられた。
考慮の余地無く承諾するガイナルト船長の顔には、しかし、抑え切れない苦さが浮かんでいた。
自分の船に、乗り込まれる。積み荷が、勝手にされる。どれ程誇りが傷付く事か、ヒョウの胸は痛かった。
ヒョウ、アルトナルド、エノシマの三人は特に、船底近くの食料庫内に入る様指示された訳である。エノシマも一緒だったのは、護衛の一員と見なされていたからである。
かくして、エノシマの身の上をじっくりと聞く時間が、生まれる事となった。
武器を持ったままで良いというのは、殺さない約束を守る意志かと思われたが。ヒョウ達に取っても、荷が掻き回され、持ち出されるというのは極めて、不快だった。
上の方から色々な物音が響いていたが、余り大きくは無かった。大量に運び出されている様子では、無かった。
「話に感謝する、エノシマ殿」
アルトナルドが言うと、ヒョウとアルトナルドは頭を下げた。エノシマも、下げた。
「そこから何故、此の地に?」
尋ねたのは、ヒョウだった。
「ゲンガめらは、隣国に逃げてすぐ、船に乗せて貰ってジパングを、離れたらしいのです。その船は、大海を越え、「セトの海」なる内海に面した本国目指して、出港していったという事でした…黒鷲の旗を掲げており、かなり、大国だという」
「帝国ガルランティア」
「わたくしも、乗せてくれる船を見付けてジパングを離れ、「セトの海」を目指した訳です…大海越え、大変でした」
「さぞ」
「幸いわたくしは、海には弱くない様でした」
「羨ましい」
ヒョウの声には、真情がこもっていた。
「あやつらを乗せた船というのは、以前から商いにしばしば、ジパングを訪れていたそうでした。あやつらと繋がりが合った風では、無く。金髪の美しい男とジパングの民、間違い無く目を引いた筈です。港まで辿り着いて尋ね回ると、運良く、あやつらを乗せたとおぼしき船を、発見出来ました…確かに、覚えられておりました。ただ、あやつらは着くと直ぐ、小さめの船に乗り換え再び、港から出ていってしまったらしく。そこから、先は…」
「手強いですな」
「はい…ですがわたくしは、望み無き旅とは、思っておりませぬ」
「確かに」
「カイ=ルンは極めて、目を引きます。ゲンガめは、今何をしているにせよ…一人の名も無き者として街や村に、埋もれているとは思えませぬ」
「何かしら、耳にする事は有りそうですな」
「それがつまり、何故わたくしが此の船に乗り込んだか、なのですが」
エノシマの声には、それまでと違った響きが有った。
「どうやら、少し前にカイ=ルンが、此の船に乗ったらしいのです」
さすがにこれは、ヒョウとアルトナルドにとっても全く、及びも付かない話だった。
「しかし、あやつについて話した時に御二人は何も、思い当たらなかった様に見えましたな…話は、誤りだったのかもしれませぬな」
「俺達は、自由傭兵だ」
ヒョウは、答えた。
「此の船だけに、乗り込んでる訳じゃ無い…色々な所から、色々な仕事を受ける。護衛以外にも、色々」
「船長が此処の所二度ばかり、俺達を指名しても先約が有って断られたって話、してた」
アルトナルドが、付け加えた。
「船長やみんなに、聞いてみなければ…ただ、今の状態ではな」
「誰から、その話を?」
ヒョウである。
「埠頭の、乞食達です…しばしば、幾らか金を与えつつ、聞き回っております。二人から、金髪の、驚く程美しい人間の男が此の船に乗り込むのを、見たと」
「面白い」
声が響いたのは、ヒョウの胸元からだった。
「忘れておりましたが」
エノシマの顔に驚きが浮かんだのは、しかし一瞬だった。
「ヒョウ殿…胸元にしまっておられるその方は、何者なんですか?」
「『対魔章印』」
ヒョウは、黒地に赤い線が走った皿型の物体を、取り出した。
「改めて、宜しく御願い申し上げる、エノシマ殿…此の精霊使いめよりは遥かに、立派な人物の様だ」
「ジパングでは、耳にした事が無いかも」
ヒョウは、章印の言葉を無視して話を、進めた。
「極めて、珍しい物だ…魔法具だが、勿論俺やアルトナルドが作った訳じゃ、無い。とてもとても!今の世に、作り出せる力を持った者が、いるかどうか?遠い昔、と言ってもエスペリアや旧帝国程では無いけれど。クー・カザルからは大分西、今のシャンディエドの領内にかつて、ゼグナントという国が有った。魔法具、魔力の事物を産み出す事に極めて極めて、長けていた…旧帝国を、凌いでいたともいう。その民が生み出した一つが、これだ」
「どういった、力が?」
「それぞれどれも、形も力も違うらしい…目の前のこれが、普通って訳でも無い。俺達もそんなに詳しくは、無いんだ…たまたま、見付けただけでな」
「大いなる武勲で、あったぞ」
「とにかく、厄介で危険だったんだ…こいつ目当てに、動き回ってた訳じゃ無いんだが。『大混沌領域』の近くだった」
「大混沌領域」の語を耳にした瞬間アルトナルドが、顔をしかめた。
「見ての通り、自らの意志が有る。全ての対魔章印がそうだって訳でも、無いらしいけれど。とにかくこれは、喋る事が出来る。しかも、聞く者を苛々させる事が出来るのだから、大した物だ」
「我は、正しき言葉しか発しておらぬ」
「驚かされます」
「そう…ゼグナントの民がどの様な魔力、どの様な技や力によって産み出したのか、想像も付かない…ただ、これは、そこまで有り難い物でも無いんだ」
「我は、我の役目を完全に、果たしておるぞ」
「対魔章印の力はそれぞれ、様々らしい…そして、今目にしているこれは、闇の魔術、魔力に対して働く。感じ取り、読み取り、或る程度防御や対処もしてくれるんだけれど。ただつまり、あくまで闇の魔術にだけなんだ、働いてくれるのは」
「ところが、闇の魔術ってのはそんなに、あちこち転がってはいない」
アルトナルドが、口を挟んだ。
「俺達みたいな稼業してたって滅多には、出会わない」
「まるで我が、役立たずであるかの様だな」
「心から信頼し、頼りにしているよ」
「既にヒョウには伝えたが、あちらの船に乗っておった青い衣の者は、些か闇の魔術に手を染めた事が有る。逆に、皆が気にしておる赤覇エルフの船客は、何はともあれ闇の術には、関わっておらぬ」
「闇の魔術という事自体は、力の一つの様相に過ぎないから…関わりが有るというなら何かしら、後ろ暗い奴だろうけれど。関わっていないからといって、良い奴という事にはならない」
「難しいですな…そして、確かに、あのエルフの客人は何か、邪悪を持っておりますな…誰か、来そうです」
最後の言葉は、外の様子に向けられていた。何者かが、近付いて来る気配が有った。
戸がいきなり開けられる、髭を乱雑に伸ばしたドワーフが、出て来る様促してきた。
甲板上には、黒ずくめの男の手下の大部分が、乗り込んで来ている様だった。一瞬三人は身構えたが、害を加えに来る様子は無かった。寧ろ、思い思いに甲板に散らばり、寛がんとしている空気だった。
その中に有ってガイナルト船長が、周りを見回しつつ表情は冷静そうに、立っていた。
五百号は、姿を消していた。
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