首藤汐里(しゅとうしおり)

 始まりは、私の嘘だった。


 少し前。片思いの相手――幼馴染の武藤大海むとうひろみに一緒に帰ろうと言われた私は、どこか浮ついた思いを抱えて、彼の隣を歩いていた。


 家が近所で小さなころからよく遊んでいたヒロ君。

 家族ぐるみで一緒にキャンプに行ったり、親の帰りが遅いときは、お互いの家で泊まったり。幼稚園も小学校も一緒で、よく遊んでいた。

 幼かった私にとって、彼を好きになるのは、ある意味当然だったように思う。


 でも。


 中学に入ってからはなぜか気まずくなり、互いに距離をとるようになった。全く話さないということも無いけど、昔ほど仲良しではなくなってしまった。


 それでも。いや、だからこそ、かもしれない。

 運動神経が良くて、優しくて。たまに見せてくれる子供っぽい笑顔。

 いつしか私は男の子としてヒロ君を好きになっていた。


 中2になった今も、それは変わらない。でもこの想いのせいで、余計にヒロ君に話しかけることが気恥ずかしくなってしまった。

 そうして迎えた5月。テスト期間で部活も無い、そんなある日。


 『今日、久しぶりに一緒に帰ろうぜ』


 そう言った彼の顔はどこか緊張していた。

 だって好きな人から一緒に帰ろうと誘われたのだ。

 友達ともよく、誰が格好良い、どんなアイドルが好き、俳優が好きだと話す。


 もしかして? と浮かれるのは当然だと思う。


 『うん。私も、ヒロ君と話したかった』






 そして、帰り道。

 互いにどこかよそよそしい距離感で歩くだけ。

 少なくとも私に、会話をするだけの余裕はなかった。


 それに、ちょっとした期待もあって――


 信号待ちのタイミング。家まであと5分くらいだろうか、なんて考えていた時。


 「あ、あのさ」

 「う、うん。どうしたの?」


 こっちを見ないで言ったヒロ君の耳は赤い。

 ようやく生まれた会話に、全身から汗が吹き出し、体が沸騰する。


 どうしよう、どう答えよう?


 ふわふわと浮ついた気持ちの私は、


 「木稲このみって、汐里しおりから見てどんな女子?」

 「――ぇ?」


 明後日の方を向いて言ったヒロ君が言った言葉の意味が分からなかった。

 時間をかけて彼の言葉を咀嚼し、飲み込む。

 その“真実”は、まるで清涼飲料水のように一気に、私の体の熱を冷ましていく。


 彼の耳を赤くするその熱は私ではなく、友人――木稲加恋このみかれんに向いていたのだ。

 加恋は私と同じバレー部のエースだ。高い身長、長い手足、きれいな長髪は黒のロング。実際、モデルのバイトもしているほど、きれいな子。


 そのうえ、ざっくばらんな性格は相手を選ぶようなことをせず、誰にでも公平公正に接する。

 同性の私から見ても魅力的な、そんな女の子だった。


 「なんで、加恋のこと?」

 「いや、実は席隣で最近よく話すんだけど――」


 ようやく私の方を見て、何か話しているヒロ君。

 でも、ふわふわと浮いていた私の心はその分、落下した距離も長く、衝撃も大きかった。


 ヒロ君と加恋が隣の席であることは知っている。

 2人が楽しそうに話している姿も、ヒロ君が昔みたいに無邪気な顔で笑っていたのも。

 遠く離れた後ろの席から見ていた。見えてしまっていた。

 それを見ないふりしていたのは、私なのに。


 小さく首を振って、無理やりにでも納得させる。

 そう。格好良い加恋と、どんな男子よりも素敵なヒロ君はお似合いのカップルだ。


 「どうした、汐里? 大丈夫か?」


 黙り込んでいた私を心配そうに見て、言ってくれるヒロ君。

 それを嬉しいと思ってしまうこの心は、もう、切り捨てないといけないみたいだ。


 「加恋は良い子だよ? きれいで、かっこよくて、この前なんか――」


 自分でもびっくりするくらい、言葉が上滑りする。

 加恋の魅力について語る、感情のない言葉が、涙の代わりに溢れ出る。

 それが枯れるころには、ヒロ君の家の前に着いてしまっていた。


 「そっか。教えてくれて、ありがとな。そうだ、汐里の話ってなんだ?」


 どこかすっきりした笑顔で言ったヒロ君が、私の話を聞こうとしてくれる。

 その姿がまだ、格好良いと、嬉しいと思ってしまう心。

 この心がある限り、私は期待してしまう。友達の不幸を、ヒロ君の不幸を願ってしまう。


 だから私は、嘘をついた。


 「私、鈴木君と付き合うことにした」


 親友にも、誰にも言えなくなってしまった、この想いを消し去るために。

 どれだけ時間がかかるのか、想像もつかないけれど。

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