悪夢にうなされる夜は終わりにしよう


 禁足地の近くにある森。

 フクロウの鳴き声もしない、とても静かな夜だ。

 空には雲が厚く、月の光も、星の光も届かない。


 静寂に包まれた黒闇の世界。


 十センチメートル先も見えない闇の中、

 ルシガーは灯りも持たず立っている。


「時は満ちた」


 ルシガーは待っていた。

 視界の全てを闇が奪い去る夜を。


「もう悪夢にうなされる夜も終わりだ」


 舞台は森で、相手はゴブリンの悪夢。

 ルシガーにとって、出来ることならなかったことにしたい苦い思い出。


 この戦いにおいて『戦闘での勝利』は必須条件ではない。


 ルシガーが大いなる力の元へとたどりつき、支配下に収められれば戦いは終わる。


 ならばやるべきことは夜襲しかあるまい。

 一個小隊五十名を囮とし、闇に紛れて封印の地までたどり着く。


 倒せない強敵は倒さなければ良い。

 目的だけを速やかに達成すれば勝ち。


 五年前に気づいていれば、もっと他にいいやり方もあったかもしれない。


 いや、今さらだ。

 あの敗北があったからこそ、今日はヤツの鼻を明かすことが出来る。


 ルシガーは拳を握って、心を整えると、

 隣の影に小さく声を掛けた。


「準備はどうだ?」

「万事、整っております」


 返ってきたのは小隊長の声。

 辺りが暗くて相手の顔は見えない。


 それは、つまり。

 これ以上無い最高のコンディションということ。


「相手はゴブリンの悪夢だ」

「はっ」


 返事に緊張の色が見える。


 彼は五年前の戦争でもルシガーと共に戦った。

 今なお、ゴブリンの悪夢に捕らわれた友である。


 ゴブリンの悪夢の強さを、その身を持って知っている。


「生きてまた会おう」

「殿下もご武運を」

「うむ」


 我ながら空々しい言葉だ、とルシガーは下唇を噛み締めた。


 彼らは囮だ。戦力は決して十分とは言えない。

 再び会える可能性がどれほどあるというのか。


 もちろん、小隊長もそれはわかっている。


 主であるルシガーのため、帝国の未来の礎となることを受け入れた忠臣。


 一個小隊五十名が暗闇に包まれた森を前進する。


 ルシガーはその背を見送ると、ひとり森の影へと姿を隠した。



   §   §   §   §   §



 風が吹き、木々がザワザワと揺れる。

 先ほどまで静かだったせいか、ひどく耳障りに感じた。


 夜襲とは、夜に襲う、と書く。

 しかしこの小隊は襲うべき相手を知らない。


 ただ、山の麓を目指して目立つように行軍することが任務である。


 そうすれば、きっと敵の方から出てくる。

 というのはルシガー殿下の言葉だ。

 小隊長である自分はその言葉を信じるだけ。


 小隊は自分を含めて五十名。

 五名にひとつ角灯ランタンを持たせ、十分な明るさを確保しながら森を進んでいく。


「うわあぁっ!!」

「どうした! 敵か!?」


 小隊長は角灯を片手に、声のした方へ静かに近寄ると、すぐに状況を確認する。


 パッと見たところ、負傷している者はいない。


「どうした、なにがあった?」


 小隊長の問い掛けに、ひとりの兵士がおずおずと手を挙げた。


「申し訳ありません。足に、何かが絡んだようで」


 ここは森だ。絡むものといえば草くらいのもの。

 だが敵地であることを鑑みれば、罠を仕掛けられている可能性もある。


 小隊長は兵の足元を角灯で照らした。

 やはり草しか見えないが、如何せん灯りの量が足りない。


「灯りを集めろ」


 同じく角灯を持った兵が、三人、四人と集まり足元を照らした。


「な、なんだ……これは」


 角灯を持った兵達が驚愕の声をあげた。


 集められた光に照らされた兵の足。

 絡んだ、という言葉では言い表せないほど、ビッシリと草が巻き付いていた。


「ひ、ひいぃぃぃ!」


 角灯の灯りで自らの足を直視した兵が、情けない声をあげてその場に座り込んだ。


「うっ、うわあぁぁ!!」

「ひっ! あ、足が!!」


 あちらこちらで悲鳴があがる。

 角灯を照らすまでもなく、他の兵も草に足を取られているのだと予想がついた。


 おおよそ自然には起こりえない現象。

 すなわち何者かによる作為的な行動の結果であり、つまりは攻撃だ。


 悲鳴をあげたくなる気持ちもわかるが、戦場ではその一瞬が致命傷になる。


「慌てるな。こんなもの剣で斬れば――」


 そのとき、小隊長の耳は空を裂く風切り音を捉えた。


 ガシャン、と音を立てて角灯が割れる。

 角灯が割れる直前、その光が照らしていたもの。

 

 彼方から飛来したそれは、間違いなく斧だった。


「手斧、だと……」


 角灯の灯りを狙って投げてきたのだろう。

 

 誰が?

 

 手斧を投擲する戦い方は、王国軍の戦い方とは印象が異なる。


 ならばゴブリンの悪夢か。

 それともどちらでもない別の誰かなのか。

 

 いずれにせよ疑いようのない事実は相手が人である、ということ。


 すでに戦いの火蓋は切り落とされていた。


 静寂を破る風切り音。

 兵の悲鳴。

 人が倒れる音。


 手斧が次々と投げ込まれてくる。


 すでにこちらの位置は補足されている。

 にもかかわらず、こちらから相手が見えない。


 誰の目から見ても劣勢。

 さりとて、このままやられっぱなしというわけにもいかない。


「各員、防御陣形!」

「「「おう!」」」


 大きく揃った声が、森の中に響いた。

 その声に呼応し、兵が一斉に動き出す。


 前衛は木を背に、仲間を囲うように盾を構える。

 鋼鉄で鋳造された盾が、飛んでくる手斧を弾く。


「火を放て」

「はっ!!」


 劣勢になっていても、小隊の動きに動揺はない。


 これも想定していたことだ。

 この小隊の役目は囮。そして陽動。


 先手を取られたとはいえ、敵の目を引きつけている今の状況は悪くない。


 この間、ルシガー殿下は自由に動けているのだ。

 状況はベストでは無いが、ベター。


 辺りが明るくなってきた。

 周囲の草木に火が回っているのだ。


(さあ、我々を放っておくと森が無くなるぞ)


 ルシガー殿下の目的が達成されるまで。

 敵の目を引きつけておくことが小隊の、そして小隊長の使命。


「ぐあっ」


 背後からの悲鳴に目線をやると、槍兵が肩に矢傷を受けていた。


「手当してやれっ!」

「はっ!!」


 衛生兵などおらずとも、応急手当レベルであれば全ての兵が身につけている。


 そんなことよりも、矢が飛んできた方向が問題だ。

 

 あの矢は横から射られていた。

 手斧を投げ込んでいる者とは別の手合いがいる。


(このまま防御陣形で留まるのは不利か)


 小隊長が次の一手を思索する中、背後から部下の悲鳴のような叫びが届いた。


「小隊長、ダメです!」

「ん?」


 背後を見遣ると、先ほど矢傷を受けた槍兵が泡を吹いて倒れていた。


「毒か。解毒剤は⁉」

「ダメです、効きません」

「チッ!!」


 解毒剤は全ての毒に効くわけではない。

 正確には毒によって解毒剤が違うし、解毒剤が無い毒もある。


 普段、携行している解毒剤は、帝国が毒矢に使用している毒を中和するもの。


 解毒剤が効かない毒矢。

 五年前にも悩まされた障害。

 

 毒の分析も行ったが、神経毒であることしかわからなかった。


 今も、有効な対策は立てられていない。


 少し離れた木の上。

 暗闇に琥珀色の光が見えた気がした。


「…………ゴブリンの悪夢め」


 小隊長の心に深く刻まれた恐怖の古傷がひらく。


 気持ちを誤魔化そうと、下唇を強く噛み締める。

 鉄臭い血の味が口の中に広がっていく。

 

 まずは敵の正体がハッキリしたことを前向きに考えよう。


 毒に対する有効な対策は見つけられなかった。

 しかし、『ゴブリンの悪夢』への対策は当然してきた。


「毒矢に注意しろ!

 召喚部隊、矢避けの風を起こせ!

 森は片っ端から焼き尽くせ!

 弓兵は矢を放て! 当てずっぽうで構わん!!」


 小隊長が声を張って部隊を動かす。


 勝つ必要はない。

 敵の目を引きつけつつ、凌ぎ続ければいい。

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