これはただの手付金だから
夏が近づいている。
昼に温められた地面が、漂う空気を熱する。
夜になっても気温はやや高く、蒸し暑い。
「…………眠れない」
決戦の時が近い、という緊張感に寝苦しさも加わりアリアは寝つけずにいた。
ベッドから起き上がったアリアは、夜風に当たろうと部屋を出る。
身に着けている
こんな服装で外を出歩くなんて、王宮にいた頃には考えられないことだ。
しかし今は、アリアを見咎める者はいない。
王女という肩書を失ったことで、新たに得たもののひとつだ。
「なんだか、自由って感じがするな」
なんとも言えない開放感。
少しだけ大人になった気分。
とはいえど、出歩くのは建物の近く。
あまり遠くへ行って、またぞろ
月明かりと星明かりが、地面とアリアを照らす。
生温かい風がアリアの身体を通り過ぎていく。
心地よい、と評するにはベタつきが気になる。
「んーーーっ」
アリアは湿った夜の空気を大きく肺に入れ、腕を上げ華奢な身体を伸ばした。
「ん?」どこかから視線を感じる。
辺りを見回してみるが、目につくところに人はいない。
(気のせい……かな?)
首を傾げながら、視線を森の方へ向けると闇の中に光るものを見た。
(なにか、いる)
金色の光がふたつ。いや、もっとある。
さすがにひとりで近づくわけにはいかない。
アリアは目を凝らして、森の奥に広がる闇を視力で探った。
一度気がついてしまえば、どんどん見えてくる。
闇の中に無数に散らばる金色の光。
(もしかして……敵⁉)
ここは守護者が護る禁足地。
外敵の侵入があれば、幾重にも張られた仕掛けが反応する。
あの金色の光が侵入者であれば、当然見張りが気づくはずだ。
これほど大量の敵が入り込むなど考えられない。
それでも、戻って報告だけはしておいた方が良いだろう。
アリアは
「むぷっ」
が、走り出した瞬間、なにかにぶつかった。
同時に鼻をくすぐる甘くスパイシーな香り。
この匂いはよく知っている。
ラキスがいつも吸っている葉巻の匂いだ。
「ラキス⁉」
「アリアか。こんな時間になにをしている?」
「なにって……散歩?」
「ちゃんと寝ないと大きくならんぞ」
「なっ!!」
アリアがとっさに胸を隠すと、ラキスは頭をポンと
あ……、そっちか。
いや、そっちでも失礼なことに変わりはない。
アリアは頭に乗ったラキスの手を払いのける。
「子ども扱いするなっ!!」
「そういうセリフはもう少し大人らしくなってから言うんだな」
出会ったときからずっと、重ね重ね失礼な男だ。
これまでの付き合いで、ずいぶん慣れたけど。
などと考えを巡らせ、それどころではなかったことを思い出す。
「いや、そんなことはどうでもいいんだ。
ラキス! 森の中になにかがいる!!」
アリアの訴えに「ほお」と返事をすると、ラキスはズカズカと森へ向かう。
その様はあまりにも無遠慮。あまりにも無防備。
「ちょっ、ラキス。気をつけてよ。
もしかしたら、大軍かもしれないんだ」
さきほど見た金色の光を思い出し、ラキスの外套の裾を握って後についていく。
「せめて、せめて
アリアの声は届いているはずなのに、ラキスはすっかり無視をして歩みを進める。
森の入り口、奥は闇に包まれている。
ここまで来てはじめてラキスは「サモン」とつぶやいた。
ホッと息を吐いたアリアの前に、ゴブリンの
暗いから斥候を
「ラキスゥ……」
不安で外套を掴む力が強くなってしまう。
頭を地面の方へ向け、恐る恐る周囲に目を配る。
斥候とともに森へ入って数メートル。
ラキスがピタリと足を止めた。
「なにも、いないようだが?」
「へ?」
そんなバカな、と思いつつ。
アリアは顔を上げて周囲を見渡した。
「……あれ?」
あれほどあった金色の光はどこへいったのか。
どれほど目を凝らしてみても、光のかけらすら見つけることはできなかった。
「さ、さっきは本当に……」
「夢でも見たんだろう」
「夢? いやいや、寝つけなくて外に出たんだぞ」
「じゃあ幻か幽霊だ」
それはそれで怖い。
アリアの背筋にゾワゾワッと悪寒が走った。
森を後にしたラキスが葉巻を取り出し、いつものように斥候が火を点ける。
「ふぅー」
吐き出された紫煙が、星の散らばる空へとふわふわと昇っていく。
「さあ、帰るぞ」
「……もう少し付き合ってよ。
いま戻ってもアリアは眠れそうにない。
確かに見たはずの金色の光、あれは結局なんだったのか。
正体を知ることは出来なくても、せめて心を落ち着かせたい。
夜空の下、ふたりは地面に腰を下ろした。
こうしているとラキスと初めて会った日のことを思い出す。
焚き火もないし、白湯もないけれど。
ラキスはあの日と同じく、葉巻をくわえていた。
「ラキスはどうしてボクを助けてくれるの?」
「お前が責任を取れと言ったんだろう
対価はお前のカラダ、違ったか?」
「違わない……けど」
アリアはずっと気になっていた。
はじまりはアリアが彼を巻き込んだから。
『対価はボクのカラダで払う』
『お前のカラダ? で手を打つ』
そんなやりとりをしたのは確かだ。
だけどきっと、いや確実に、ラキスはアリアの身体になど興味はない。
アリアは男の子のような喋り方をしていても、華の十六歳乙女。
異性からの目線の違いくらいはわかるつもりだ。
ラキスがアリアを見る目は……家族を見る目とよく似ている。
その証拠に、今まで一度だってアリアに手を出したことはない。
それどころか、手を出す
アリアはそのことに、ホッとすると同時に、情けなさも感じていた。
「ロゴールから救って貰った。
ルシガーに捕まったときも助けてくれた。
でも、ボクはまだ、なにも支払えてない」
このままだと借りばかりがふくらんでいく。
負い目ばかり背負うことになる。
おずおずとラキスの顔を覗き込む。
彼は「ふぅ」と煙を空へと吐き出した。
「後払いで構わん」
「それって、いつの話さ」
「そうだな……。お前次第じゃないか」
ハッキリとは言わない。
だけど「女としての魅力が無い」と言われているのと同じだ。
「……ムカつく」
「そうか」
どうしてこうなってしまうのだろう。
なぜこんなことでイライラしているのだろう。
アリアはラキスに子ども扱いされると、いつも胸がキュッと苦しくなる。
「ムカつく!!」
アリアは一際大きな声で悪態をつき、ラキスの胸元を掴んで顔を引き寄せた。
唇が重なる。
大人のキスというには程遠い、触れるか触れないかというギリギリの口づけ。
それでも、ラキスが吸っていた葉巻の香りを唇越しに感じた。
どれくらいの間、そうしていたのだろう。
ものすごく長い時間だったようでもあり、一瞬のようでもあった。
アリアは両手で押し出すように、ドンッとラキスの肩を突き飛ばして立ち上がる。
「こ、これは。
さ、最後まで、ちゃんと責任もって仕事しろよな!」
それだけ言い残して、アリアは部屋へと走った。
残されたラキスがどんな顔をしていたのか、アリアは見る勇気は無かった。
その夜、結局アリアが朝まで眠れなかったことは言うまでもない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます