ご飯は美味しいし、温泉は気持ちいい
岩に囲まれた泉には湯気が立っていた。
ラキスは守護者の男とふたり、熱い水が湧く泉に身体を沈めている。
夜の風が顔を撫でる。
肩から下は温かく、頭は涼しい。
初めて体験する感覚と、自分が置かれている不可思議な状況。
ラキスは今の気持ちをシンプルに口にした。
「わからん」
「温泉は初めてですか?」
この熱い水の湧く泉は『温泉』というらしい。
「それもわからん。なぜ湧き水が熱いのだ?」
「私も理屈はよく分からないんですがね。
そこの山が地下水を温めているそうですよ」
男が指差した山を見る。
外見は普通の山だ。
岩肌が多く木々が見当たらない山。
男の説明を聞いたラキスは、聞いても分からない、ということだけ分かった。
そんなことより、もっと分からないことがある。
「俺たちはなぜ、温泉? に入っているんだ」
「運動したら、お風呂が気持ちが良いでしょう?」
「……ああ」
あれを運動と表現するのが適切なのか。
それは分からないが、気持ち良いことに関しては全く異論はない。
熱い湯が身体を芯から温めてくれる。
身体が無意識に緩んでいくような心地になる。
多少、おかしなニオイもするが、ここしばらく、野宿を続けていた身に染みる。
湯舟に浸かるのが気持ち良いということもすっかり忘れていた。
「それが理由のひとつです。
もうひとつ、ここには武器を持ち込めません」
「モンスターは召喚できる」
「そうですね。
ですから、これは私達なりの誠意です」
「なるほど」
誠意を見せたのだから、森を燃やすような真似はしてくれるな、ということか。
森に火矢を放ったのが、よほど効いたらしい。
「申し遅れました。
私の名はアーク。アーク・エックスです」
「俺はラキス。ラキス・トライクだ」
ラキスは名を告げながら、大きな木造りの柵に隔てられた向こう側に視線をやる。
「あっちの湯に浸かっている方はアリアだ」
今はここにいない、連れの名前を伝えた。
男女で別れて入浴できる気遣い設計。
禁足地の守護者たちは、ずいぶんと文化的な生活をしている。
「あ、もうひとつ理由を思いつきました」
「なんだ?」
理由を思いついた、とはどういうことか。
男の
「一度、心も体も裸になった方が、良い対話が出来そうじゃないですか」
「そういう考え方は嫌いじゃないな」
いつしか、このアークという男のことも嫌いではない、とラキスは感じていた。
アークも同様に感じているのか、ふたりは顔を見合わせて笑った。
「単刀直入に伺います。
アリアさんと一緒に、守護者になりませんか?」
「断る、と言ったら?」
「私が困ります」
「そうか」
「ええ。だってあなた強そうですから。
殺すのはちょっと骨が折れそうです」
アークはこともなげにそう言った。
殺すことは前提、ただそれが面倒だ、と。
ついさっきまで、手斧を投げられていたのだ。
彼が譲歩しているであろうことはわかる。
「お前たちは何を護っている?」
「もちろん、この土地です」
「なにを隠している?」
ラキスの問いに、アークが目を丸くした。
鳩が豆鉄砲を食ったよう、というのはきっとこういう顔だ。
「どういう意味でしょう?」
さきほどまでと比べて、ラキスの声が静かで、冷たい。
なにか触れてはいけないものに触れた。
そう思わせる空気が漂う。
「土地を護るだけなら、ほかにいくらでもやり方があるだろう」
ラキスは頭に乗せた布で、顔の汗を拭う。
「侵入した者は殺す、か仲間に引き入れる。
これは情報を
つまり、とラキスは言葉を続けた。
「この場所には外に漏れてはならない何かがある」
アークは笑顔だが、目が全く笑っていない。
そのまま、ふぅと小さく息を吐いた。
「全てですよ」
「ふむ」
「この温泉も、あの山も、そして私たちの存在も。
全てが外には漏れてはならない情報です」
「なるほど」と頷き、ラキスはアークの目をじっと見つめる。
今の回答はウソでない。
だが全てを語ってもいない。
ラキスにはそのように聞こえた。
どちらにしても、アリアが関わる以上は勝手に決めるわけにはいかない。
「まずはアイツと相談してみないと、な」
「ええ。そうでしょうとも」
その答えに満足したのだろうか。
アークから放たれていた殺気が消え、張りつめていた空気が弛緩した。
風呂上りには豪勢な食事。
まさに
長机がいくつも並べられた食堂のような広間。
百名ほどの守護者たちが集まっていた。
長机にはイノシシ料理が並んでいる。
ところどころ、小さいイノシシが混ざっているのは、ウリ坊だろう。
「これはアリアさんが
「見てたのか⁉ ……どのあたりから?」
「ドライアドを召喚するあたりから、ずっと」
「ほとんど全部見られてる!!」
アリアが真っ赤になった顔を、両手で覆った。
ラキスは見ていないから分からないが、彼女にとってはよほどの黒歴史らしい。
「守護者はこれで全員なのか?」
「ふふふ。ヒミツです。
教えてほしかったら仲間になってください」
「その話は飯を食ってからでも構わんか?」
「ええ。もちろんですとも」
イノシシ料理は絶品だった。
脂たっぷりの肉汁。
弾力のある肉感。
シンプルだが素材の味を引き立てる味付け。
腹も満たされ、いよいよ本題に入る時間。
アリアが寝てしまう前に、片付けてしまおう。
ラキスとアリアは、食堂を出るとアークの案内で小さな部屋に通された。
「狭いところですが、どうぞ」
確かに狭い部屋だ。
しかし粗末な部屋ではない。
華美ではないが、立派な調度品が並ぶ棚。
動物の毛皮で作られたカーペット。
向かい合わせに並べられた椅子。
そこには生活に必要な家具が一切なかった。
どこからどう見ても、応接室である。
客人を通すために作られた部屋にしか見えない。
外敵を問答無用で排除し続けている守護者には似つかわしくない。
「簡単な話ですよ」
ラキスの心を読んだかのように、アークが説明を始めた。
「たまにいるんです。あなた達のような人が」
「なるほど」
「我々は常に人材を求めていますから」
「この部屋で勧誘しているわけか」
アークはニコリと笑って頷いた。
となると、最初の襲撃は試金石。
あれで死ぬなら死ぬで良し、十分な力を持っている者だけ仲間に誘う。
「実は私もそうです」
「アークも⁉ じゃあ、じゃあ。
アークは守護者になる前、なにしてたんだ?」
突然食いついてきたアリアに驚きつつも、
アークは微笑を絶やさず、彼女の疑問に答える。
「冒険者というやつです。出身はルブストですよ」
ルブスト連合国。
ロゴールの邪魔がなければ、ラキスとアリアがいたかもしれない国。
「なんで守護者になったの?」
「ご飯が美味しくて、温泉が気持ち良いからです」
「えー⁉ それだけ⁉」
「重要なことですよ。食事と風呂は」
「それは。……まあ、分かるけど」
ラキスに付き合ってしばらく野宿だった反動か。
アリアは、ここの料理と温泉にすっかりほだされてしまっている。
アリアのことはさておき。
ラキスとしても――正直、悪くない話だ。
衣食住が揃っている生活。
普段の狩りはゴブリンにでもやらせれば、悠々自適の生活。
これだけ文化的な生活をしているのなら、外界に出ている者もいるに違いない。
多少は外の物品を手に入れることが出来るだろう。
侵入者が来た時だけ働けば良い。
その侵入者も、禁足地ともなればそれほど多くはないだろう。
少なくとも、賞金稼ぎに襲われるより多いということはなかろう。
元々、ラキスが宮廷召喚士になったのも楽な暮らしが出来ると聞いたから。
宮廷は派閥争いだなんだと面倒ばかりだったが、そんな心配も要らなそうだ。
「どうだ、アリア。
ここの守護者ってやつにならないか?」
「いいぞ!」
「決まりだな」
「え? 本当に良いんですか?」
成り行きで王宮を出ることになり、アリアも行く当てが無い。
この誘いを断る理由はなかったようだ。
食事と風呂は、やはり大切。
ふたりはあっさり守護者になることを決めた。
そのことに、一番驚いているのはアークだった。
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