カップラーメン一週間
ルイーズがトグサの屋敷へと訪れて早くも一週間が経過した。
「トグサ」
クエスト報酬で手に入れた本棚から一冊の書物を取り出して読書をしているトグサは顔を向ける。
親指の腹を舌先に触れて唾液を付着させると、本の開いている頁に塗って閉ざす。
この行動は栞の役目を持ち今度この本を手に取った時に書物は自動的にこの頁を開く仕組みになった魔法の本だった。
「どうした?」
トグサは本を閉ざして、ルイーズの方に視線を向ける。
男性用の白いシャツをスカートの短いワンピースの様に着込んだルイーズがカップラーメンを握っていた。
巻き髪をしていた銀髪は、今では髪が梳かれておさげとなっている。
「お湯の沸かし方は教えただろ?」
カップラーメンが気に入った彼女の為に、態々コンロの使い方を教えた。
だが、彼女の表情は嶮しくて、どうやらインスタント食品をご所望ではないらしい。
「正直に申し上げますわ、飽きましたの、毎日三食、カップラーメンの毎日なんて、最初は至福でしたのに、毎日だと流石に殺意が湧いてきましたわ、他の食糧は無いんですの!?」
トグサは額を掻きながら、本を開き直す。
その話は興味がないのだろう。
「前にも教えたけど…俺は死んでいるんだ。言うなれば魂の存在。食欲は存在するが、食わなくても平気なんだよ」
魂の存在は、既に肉体の持つ性能限界から解き放たれている。
それでも、肉体に憑依していれば、肉体側が空腹となり活動が困難になるが、この肉体は人造人間だ。空腹や苦痛と言った感覚器官を遮断しているので、支障はない。
ルイーズは異世界人ではあるが、構造は人間に似ている。
食事をしなければ死んでしまうし、何よりも同じ食事ばかりではストレスが溜まってしまう。
「うぅ…わたくし、虐待を受けてますわ、酷い…人権無視ですわ、こんなの」
「食事なんてカップラーメンだけあれば十分だろ…と」
再び、トグサは舌で指を濡らして頁に栞を刻むと立ち上がる。
屋敷の廊下に設置された黒電話の音に反応して、トグサは廊下へと出ていく。
棚の上に置かれた黒電話の受話器を取ると、耳に当てて首肯する。
「…仕事ですか」
呟いて、トグサは受話器を黒電話に置くと、軽く腕を伸ばした。
「なんですの?先程の音は」
電話と言う概念を知らぬルイーズは、ベルの音を何十倍にも大きくした音に驚きながら、彼に伺って来る。
トグサは、ルイーズの方に向きながら、答えた。
「仕事の時間だ、家に居るのも暇だろうし、一緒に行くか?」
トグサは、ルイーズを誘った。
墓園の入り口から、トグサは現れる。
実に一週間ぶりの外の空気は澄んでいた。
けれど、彼にとっては毒でしかない。
世界から拒絶されている気分を覚えながら、トグサは墓園からオフィスへと向かう事にする。
「な、なんですの、あの建物、す、凄い人だかりですわ!!あ、馬車ですわ!!馬車なのに馬がいませんわ、なんなんですのコレ!!」
その近くにはルイーズが居て、外の世界で初めて見るものに対して、説明を求める。
初めての外出なので、彼女の服装は、赤いドレスに、頑張って自分で髪の毛を巻いていた。
「ねえトグサ。あれ、あの女性、何を食べていらっしゃるのかしら?」
トグサの袖を引っ張りながら、ルイーズは女性が手にもって食べている代物を指で差す。
トグサも視線をその女性に向けると、OL風のビジネススーツに身を包んだ女性が、クレープを食べていた。
「あぁ、クレープ」
「クレープ?どんな食べ物ですの?」
主に食事に対する興味が尽きないルイーズに、トグサは簡単に説明をする。
「お菓子だよ、簡単に言えばな。クリームとか、新鮮な果物とか、チョコも入ってたか、それを、パンケーキを物凄く薄くした様な生地で丸めて、食べるスイーツだな」
口元に白いホイップを付けたOLを見ながら、トグサは簡潔に説明すると、彼女の目は爛々と輝いていて、物欲しそうな目をしていた。
「トグサ」
「無理だ」
彼女の台詞、最後まで聞く事なく、トグサは否定する。
状況から察して、あのクレープを食べたい、と言いたいのだろう。
「俺は死人だ。それに従うお前も現実の存在じゃない。相容れる事の出来ない二つは、壁が存在する。だから、あちらは俺らを認識できないし、触れる事も出来ない、俺達も、触れる事も出来ないんだ」
それが、この世界に点在し続ける上でのルールだ。
現状、現界では幽霊と言う概念は存在し、転生せずに留まる事がある。
しかし、彼らは何もしない。ただ、現実を想いながら眺める事しか出来ない。
心の持ち様が変われば、現実を負い目に転生すると言う例が多く存在する。
これだけは言えるが、幽霊が現実に干渉すると言う事は出来ない。
怪奇現象として、幽霊が見える、ラップ現象が起こる、そう言った事例が起こるのは、幽霊と違う生物による行為だ。
「ほら、止まってないで行くぞ…俺はあまり、好きじゃないんだ」
トグサは悲しそうな表情を浮かべながら、現実世界から逃れようとする。
十分ほど歩いた場所に、ビルと、ビルの隙間がある。
人が通れない程に細い隙間があり、其処に、トグサは手を突っ込んだ。
彼ら帰還者の移動空間であるオフィスは、人の目には入らない場所へと設置されている。
ビルとビルの隙間。
ここならば誰も目に入らず、同時に何かあるとは思わないだろう。
しかしそのようにしなくても、普通の人間には入る事が出来ない仕組みだ。
白いタイルを踏みつけて、足音を鳴らしながらトグサは扉を開ける。
するとタバコとコーヒーが入り混じった匂いが鼻をついた。
ルイーズ = カンデラはこの臭いに対して眉間にしわを寄せる。
せっかくの綺麗な赤いドレスの衣装に臭いが張り付いて台無しになると思った。
対してトグサはどこか嬉しそうな表情をかみしめた。
死人であるトグサは基本的に匂いを感じない。
現実の世界に顔を出しても世界に充満した生きた匂いを感じないのだ。
だからトグサは灰汁を煮詰めたような臭いを放つこの部屋が好きだった。
十数個の金属製の机が川の字に設置されている。
その真ん中の列に、トグサは向かっていく。
たくさんに積み重なった書類の山と、たくさんのスナック菓子の山に挟まれた、1台のノートパソコンが置かれた机にトグサは座る。
トグサ専用の机だった。
「これは何ですの?」
ルイーズ = カンデラが見た事もない代物に興味深々で聞いてくる。
トグサはノートパソコンを開いて電源ボタンを押した。
これは仕事の内容を確認する道具だ。
一つのメールにつき、『異世界の名前』『仕事の内容』『達成した時の報酬』この三つがメールに表示されている。
「俺たち帰還者は、自分に見合った仕事を探して活動をするんだ」
机に身を乗り出してルイーズ = カンデラはノートパソコンを見ている。
「何ですの?!全然文字が読めないですわ!」
それもそうだろう。
彼女は異世界の人間である。
トグサの様に言葉や文面が、トグサに合わせて日本語で翻訳されている。
けれど彼女にとっては意味の分からない文明の言語でしかなかった。
「お料理、ごはんの報酬はないのですか?!」
トグサに翻訳を任せて自分の望むものを伝える。
だがトグサは首を横に振る。
「悪いんだが、俺は武器が欲しいんだ。食材は、また今度な」
現在、トグサの欲しいものとルイーズ = カンデラの欲しい物は相容れていない。
基本的にトグサが上位的存在である為に、余程の事でなければルイーズ = カンデラの願いは却下されるだろう。
トグサの肉体は人工物でありその肉体には特殊な能力が付加されている。
磁力を操作すると言う特別。
その能力に適したものは、金属製の武器に他ならない。
だからトグサが基本的に仕事で報酬を選ぶ際には、武器を選ぶ事が多かった。
トグサがめぼしい報酬に目をつけていた時の事だった。
事務所の中から唐突に黒電話のベル音が鳴り響く。
急なベルの音にルイーズ = カンデラはを驚いたが、トグサは珍しげな目をしながら黒電話を取ろうとした。トグサが受話器をとって耳に添える。
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