濃かった一日の終わり。



 名前を言え。そう言われて、僕は素直におじさんの名前を呼んでみる。

 

「…………えと、オジサンですよね? オジサン・サンジェルマンさんです」


 それがおじさんのフルネーム。


「そう。俺はオジサン・サンジェルマン。俺はお前にあの日、そう名乗ったな?」


 そう名乗られた。

 

 …………え、なに、もしかして偽名とかだったりするの? そんな改まって名前の事がどうしたの? なんか怖くなって来た。


「最初にお前は俺をおじさんと呼んだ。そして俺の名前を聞いたお前は、知らぬ間に呼び捨てしてごめんなさいと言った。そしてですねと、今のお前のように、あの時もそう言った」

 

「…………そう、ですね? えと、え、もしかしてあの時の呼び捨てが未だに尾を引いてるっ?」

 

「馬鹿野郎が。ちげぇよ」


 もっちょもっちょと食べ進めて、殆どの料理を平らげたおじさんは、一回雰囲気をわざとぶち壊す様に「げーぷっ」って胃のガスを口から吐き出して、一拍待ってから口を開いた。


「俺なは、嬉しかったんだよ。お前が俺の名前を汚さなかった事がな」


 また、凄い優しい顔が一瞬だけ見えた。


「…………名前を、汚す?」

 

「ああ、そうだ。俺の名前はな、良く汚されんだよ」


 なんて事無いように、昔からそうだった事実をただ語るみたいに、そうしないと感情が揺れてしまうから、あえて客観的な語りをしてるみたいに。


「俺の名前はオジサン・サンジェルマン。これを名乗れば大体の奴は、名前がおじさんだなんて大変ですねと笑う。子供の頃にイジメられませんでしたかと笑う。その言葉がもう既に俺を馬鹿にしているとも思わずに、気軽に俺の名前にケチを付ける」


 最後に残ったスープを、ズズっ、ズズっと啜るおじさんは、やっぱり淡々としていた。


「タクトでさえ例外じゃねぇぞ。俺の名前を初めて聞いた時、口に出さずともアイツは顔にハッキリと『うわ、すげぇ名前だ』って書いてあった。俺は俺の名前でそうなった奴を絶対に忘れねぇ」


 僕は、何となく首を傾げる。

 

 話しが、ちょっとよく分からない。


「…………はは、そう。そうだよ。お前はそう言う奴なんだよ。だから気に入ってんだ」

 

「えっと…………?」

 

「俺はガキの頃から苦労した。お前に比べりゃ屁でもねぇ苦労だが、この名前が俺をずっと苛んでた。スクールに行けばジジイだのオッサンだのとイジメを受け、教員なんざ下らねぇ理由でトラブってんじゃねぇと俺を叩きやがる。クソッタレな幼少期だったぜ」


 僕は、まだやっぱり分からなくて、ただ相槌を打つくらいしか出来ない。


「俺の人生で、俺の名前を聞いて、心底何も感じずに『オジサン』と言う名前をそのまま受け入れて、知らぬ間に呼び捨てしてて悪かったと、なんですね、なんて言ってのけたのは、たった一人、お前だけなんだよ。俺はそれが何よりも嬉しかった」


 ………………………………えっと?


「お前にとって、『オジサン』と『おじさん』は完全に別物なんだろう? たまたま音が同じだった言葉ってだけで、そこに何の関連性も抱いちゃいない。なぁラディア、お前は気が付いて無いだろうが、『オジサン』って名前はスっっっっっっゲェ馬鹿にされる名前なんだよ。『おじさん』と音が同じだから、ジジイだのオッサンだのクソオヤジだのと、散々馬鹿にされる名前なんだ。お前には分からんだろ?」


 えと、うん。ホントに分からない。

 

 なんで? あの、名前は、結局ただ名前では? なんでソコに関連性が出るの? 子供の名前がオジサンでも、子供なんだからおじさんじゃ無いじゃん?


「えと、そう、ですね。僕にはちょっと、意味が分かりません」

 

「そう、お前はそうなんだ。俺の名前を汚さなかった唯一の奴なんだ。だから俺はお前を気に入ってる。その精神性は必ず何時いつか化けると信じてた。だから積立金なんてお節介も黙ってやってた。……まぁいきなりクソ程稼ぎやがったからあんまり意味無かったけどな?」


 そんな事はない。全然無い。めちゃくちゃ嬉しかった。


「お前は『オジサン』と『おじさん』を完全に別に考えてる。だから俺を呼ぶ時、普段はおじさんなのに、名前を呼ばせるとオジサンになる。おじさんって呼び方も、音が一緒で紛らわしいからって、俺が許すまでは頑なにオジサンさんって呼び続けたよな」

 

「…………懐かしいですね。おじさんに、面倒だからおじさん呼びで良いって、実際今は年齢的におじさんだから失礼じゃないって言われて」

 

「そうだ。そう、お前にとって、『オジサン』と『おじさん』を並べて紛らわしいのは、『おじさん』の方だった。他の奴らは『オジサン』なんて名前なのが悪いと言う中、お前だけは『おじさん』の方こそが紛らわしくて、失礼になるからって、俺が許すまではオジサンさんって呼び続けたな」


 食べ終わったお皿を重ねたおじさんは、食器をキッチンに運びながら言った。


「俺の人生で、俺の名前の味方をしてくれたのは、お前だけなんだよ。だから俺も、お前の味方をする」


 そう言いながらおじさんは、運んだ食器をガシャッと全自動クリーナーに放り込んで、スイッチを押して起動した。


「信じられるか? 俺が元嫁と別れた理由が、『親の名前がオジサンだと娘がイジメられるから別れて欲しい』だぜ?」

 

「はっ…………、はぁっ!? なにそれ、酷いッ!」


 そんな、そんな理由で離婚とか、馬鹿じゃないのか!? 


「そう、ひでぇだろ? 俺もそう思う。だが、周りは『そんな理由で離婚は極端だけど、娘さんを想うなら仕方ない』って意見が大半なんだぜ?」

 

「い、意味わかんない! 娘さんはイジメから庇われるのに、おじさんは離婚で奥さんからイジメられて良いって意見は、おかしいと思う!」

 

「そうなんだよ。俺のことは誰も助けてくれなかったんだ。嫁と娘すら、俺の名前を汚すんだぜ?」


 おじさん良い人なのに! 意味わかんない!


「お、おじさん! その、無責任な意見かも知れないけど、僕、そんな人とは別れて良かったと思う! 家族なら、娘さんと同じくらいおじさんの事も大切にしなきゃだよ! そうでしょっ!?」

 

「ホントだよなぁ。別に、娘がイジメを受けたってんなら、俺が大金積んでも徹底的に相手をシメてやったのによォ。まさか俺の方を切りやがるとか……」

 

「ほんと意味わかんない! ムカつく! お腹ムカムカしてきた!」

 

「一緒に成るときゃぁ、名前なんて気にしないわぁとか言ってた癖によぉ……」


 おじさんは戻って来て座り、気の抜けた顔でタバコに火をつけて、ぷはぁ……、っと吐き出した。


「嘘吐きだ! 奥さん嘘吐き! て言うかそこで気にしないって言う時点で気にしてるじゃん! 本当に気にしないなら最初からそんな言葉出て来ないよ!」

 

「マジでそれだよ」


 僕は訳わかんなくて、うがーってして、イライラがピークに達したので、席を立って勝手におじさんのキッチンの冷蔵庫を漁り、おじさんが良く飲んでるお酒を出して持ってきた。

 

 ローテーブルに酒瓶をドンッ! おじさんは別に悪くないのに、流れでおじさんをキッと睨んじゃう。


「おじさん! 飲もう! 今日は飲もう! 大人ってこう言う時にお酒飲むんでしょっ!?」

 

「………………お前も飲むのか?」

 

「飲めない! だから、飲んでるおじさんを見てるね!」

 

「なんだそりゃ……」


 僕の行動が面白かったのか、気が抜けたのか、おじさんはカラカラと笑って、そんじゃぁ飲みますかと瓶に手を伸ばした。


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