第16話 アリューゼ王女

「ふぅー…きもちー……」


 ダンジョンから一旦部屋に戻った俺は着替えを取り、近くにあるいつもの川へとやってきていた。

 シャワーも風呂桶も何もないのでまず川に入り、そこで支給されている布でゴシゴシと体や顔を洗い、その後全身を水につけて髪の毛を洗うのが俺たち仕入部隊の入浴タイムズのスタートである。

 部隊の管理人たちは最低限の衛生状態を保てればいいくらいに考えているらしいが、お偉いさん等が王都から視察に来る前日だけは"脂と灰で出来た小さな石鹸"を配布してくれるのだ。俺たちはそれを大事に大事に少しずつ使い、日々清潔な状態を最大限保っている。


 学校や公衆トイレにある手洗い用の石鹸が自由に使えた事を思い出し、改めて日本に居る時は恵まれていた事を実感する。

 そしてその想いはそのまま、帰還の為のモチベーションにも繋がるのだ。


「絶対に元の世界に帰るぞ…」


 それが俺の行動原理。帰る為なら、無茶な事でも何でもやる。

 シュンとクレイエンテさんから託された想いと力は、俺の足を前に進めるには十分すぎるモノだった。


「さて…ちゃっちゃとやるかぁ」


 俺は川から上がり体を乾かすと、新しい服に着替え"洗濯"を開始した。

 仕入部隊に入隊した際配布される2着の服。普段の生活ではその2着を着回さなければならない為、大体の隊員は入浴時に汚れた方を体と一緒に洗うのだ。

 人によっては何日も同じものを着続けるなんてことをするが、俺は毎日ダンジョンに潜るようになってからこうして毎日川に来て手洗いするようになった。


「これも大分ボロになってきたな…」


 安い生地を冷たい水で一日おきにゴシゴシこすっていれば、当然消耗も早くなるワケで…。俺の持っている2着の服はかなり傷んできていた。

 そもそも配布された時から誰かのおさがりみたいな感じだったので、もう服の寿命はゼロに近い。

 しかし大体が服の寿命よりも先に着ている人間の寿命が尽きるので、新品に交換してもらうなんてことは滅多に無いらしい。

 死んだ人間が着ていた服があまりにもボロだったら、現場の兵士の判断で廃棄するなり雑巾にするなりして、その時にたまたま入隊する奴が新品ゲット! という流れになるとか。(あとは、服ごとモンスターに食われたとかで消失した時)



「ホクト…」

「ん…?」


 俺が管理者にどのタイミングで新しい服の申請をしようかと悩んでいると、少し離れた所から俺を呼ぶ声がした。

 声のする方へ目を向けると、そこには顔なじみの少女が居たのである。


「ああ、第3王女様…。いらしてたんですね」

「ええ。昨日から…」


 姿を現したのは、ミストリア王国の第3王女である【アリューゼ=ミストリア】だった。歳は15で、俺の二つ下だ。

 その王女様がこんな地の獄に居るのには理由がある。

 悲しいくらい王位から遠い彼女に与えられている仕事は、このダンジョン地区の管理責任者である。が、責任者とは名ばかりのお飾りで、実権は兵士隊長のアーカーが握っていた。


 彼女は月に1~2回、視察と言う名目でこの地区にやって来ては、空いた時間で俺と軽いお喋りをするようになった。

 キッカケは5か月前…お偉いさん方との会食が嫌で抜け出し外の空気を吸っていたところに、行水帰りの俺とバッタリ出会い話すようになったのがそうだ。

 俺のここでの話を聞いて、例え異世界の人間とは言えあまりの扱いのひどさに心を痛めてくれていたようだが、何も変える事の出来ない自分の無力さに落胆していた。

 俺が異世界で会った人間の中ではとても良い人物だった。


「アナタ…行方不明になったって」

「ええ。ダンジョンの下層に飛ばされて死にかけました。こうして何とか生きて戻ってこられましたけど」

「そうですか…」

「もしかして、心配してくれてました?」

「当たり前じゃないですか…! 昨日話を聞いた時は、もうダメかと思いました…」


 こんなに仕入部隊の人間を気にかけてくれる人間はそうは居ない。食堂のおばちゃんや用務のおじさんくらいだろうか。

 しかし彼女はここの管理者。管理者が仕入部隊に情が移ったとなれば適性を問われてしまう。配置転換くらいで済めば良いが…こんな良い娘の身に危険が迫ったのでは救いが無さすぎる…。


「ありがとうございます。でも、近いうちに俺も死ぬと思いますよ」

「え…?」


 あっけらかんと自分の死を語る俺の顔を、一瞬理解不能な物を見るような目で見る王女。

 俺はそんな彼女に話を続ける。


「聞いたと思いますが、俺の友人が昨日亡くなりました。あと、同じ部屋のヤツもひとり」

「ええ…聞きました……」


 辛そうな表情を浮かべる王女。


「俺たちはここに居る限り、長生きなんて出来ません。『頑張っていればいつかは報われる』なんて環境じゃないし、今回の転送の件でどんなに仕事に慣れたとしても一瞬で死の危険が迫る仕事なんだって事を改めて認識しました」

「……」

「だから、今日がお話する最後の機会…くらいのつもりで居てください」

「っ…! そんな…!」


 俺は少し突き放すようなことを言う。

 今話した内容に関しては事実だと思っているし、俺は死ぬ気なんかこれっぽっちもないが、計画が進めばここから居なくなるのは変わりない。というかなるべく早く去りたいと思っている。


 だから王女には早めにお別れを済ませておきたかった。俺を心配してくれる数少ない人の、悲しみをできるだけ和らげたかったからな…。


「そんな悲しいこと…言わないでください」

「すみません。でも事実なんで」


 いつも優しい笑顔で仕入部隊や寮の管理人たちを癒やしている王女の顔を曇らせてしまう。


「じゃあ、そろそろ行きますんで…」

「ホクト…!」


 その場を離れるため、俺は足早に歩き出す。

 どうか心折れることなく、強く生きてほしいと願いながら。









 ________











 俺が帰還してから数日が過ぎた。

 ダンジョンへと潜るシフトはシュンが負傷する前の『2日に1回』となり、ステータスの高さも相まって全く苦戦することなくノルマをこなせるようになった。

 飯もちゃんと一人前を食べられるので、空腹に苦しむこともない。


 しかし代わりに別の苦労が出来てしまった。それが『弱いフリ』だ。

 鏡に映るステータスは誤魔化せても、ふとした瞬間に出る能力を視られてしまっては元も子もない。

 だからモンスターも加減して殴らないといけないのがシンドイ。

 しかし、明日の出撃で…もう……!


「おはようホクト。今日も元気そうね」

「おばちゃん。おはよう」


 朝食をとりに向かうと、馴染みのおばちゃんから声をかけられる。

 いつからか体調を気にかけてくれるようになり、他愛ない話からまだ小さい息子さんの成長過程などを聞くようにまでなった。

 ルームメイトや寮の人たちと話している間だけ、俺が人で居られるような…そんな気がしていたので、好きな時間だった。


「なんか、視察団の人たち…今回は長く滞在しているわね」

「そうですね。いつもは1日2日くらいしかいないのに」

「ねぇー」


 おばちゃんが言うように、アリューゼ王女含む王都にいる視察団管理者たちの滞在がいつもより長かった。

 人数も多い気がするし、見ない顔もチラホラといる。いつもと様子が違うのは誰の目から見ても明らかだ。


「ああ…あと、ホクトの同室に新しい子、中々入ってこないわねぇ」

「そうですね。いつもなら2日もあれば来るんですけどね」

「でもね…新しい子に関しては、ホクトの部屋だけじゃなくてどこにも入ってこないみたいなのよ」

「へぇー…」


 新しい仕入部隊の人員補充がなされない事を怪訝そうな顔で話すおばちゃん。

 しかしこれに関しては心当たりはもちろんある。俺が研究施設を破壊したからだ。

 大規模転送の核となっていたマルクトを開放し、関連する機器の破壊および研究室に至るための転送装置を壊した。

 これで気軽に研究者があそこに行き来するのは難しいだろうし、転移であの場に到達できるとしてまたあの設備をイチから構築するのは難しいだろうと踏んだが…。どうやらその見通しは当たっていたようだな。


 マルクトの話だけでは確信が持てなかったが、新しい人員が来ないという結果が妨害の成功を示していた。


「まあ、しばらくは部屋を独り占めできると思って手足を伸ばして堪能しますよ」

「ふふ…良かったわね―――」


 知らないフリをしておばちゃんとの会話を続けていると、食堂入口の方から武装した兵士が数人入ってくる。

 他の人間も何事かとそちらに目をやっていると、兵士たちは俺を半分囲うようにして位置取り、手に持っている剣を俺に突き付けたのだった。


「動くな!ホクトヒナミ!!」

「え…一体何ですか…?」

「兵士ジョイワスの殺害および死体遺棄の容疑で、キサマを処分する!!」


 俺の安らぎの朝食タイムは、儚くも終わりを告げた。


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