第22話:大峡谷です!


 その場所は、まさに〝大峡谷〟と呼ぶに相応しい景観をしていた。


「凄い……迷宮メイズってなんでもありなんですね」


 目の前に広がるのは隆起した茶褐色の大地。岩と山が支配するその風景を真っ二つにするかのように、深い地割れが出来ている。


「こんなので驚いていたらキリがないわよ。ま、表層のこのダイナミックさは確かに他では味わえないかもね」


 砂混じりの強い風で、メラルダさんの紫色の綺麗な髪がなびく。彼女の視線は目の前にある地割れへと向けられている。


 深く広いその地割れの崖沿いには細い道が下まで続いているのが見えた。


「それで? うちのリーダーはここを降りていったのね」


 メラルダさんが私達の後ろにいた、恰幅の良い中年男性へと声を掛けた。冒険者らしい格好をしているが、腕に腕章を巻いている。


 彼の名はイルスラ。調査隊の隊長で、ここ大峡谷の管理を迷宮調査局から依頼された調査専門の冒険者――探査師サーチャーなんだそうだ。


「その通りだよ。僕達が送った第一次調査隊がこの地割れの下へと行ったっきり帰ってこなくてね。見ての通り、下まで続く道はその細い崖沿いの道だけで、大人数で進むには不向きな場所だ。だから少数精鋭がいいと伝言を送ったら、ラギオ氏が来てくれたんだよ」


 イルスラさんがそう言って、苦い表情を浮かべた。まさかSランクギルドのリーダーで、帝都でも五本指に入る剣士であるラギオさんまでが、消息を絶つとは思わなかった……そんな感じの表情だ。


 私は風で乱れる前髪に少しイライラしながら、二人の会話を聞いていた。風がビュービュー吹いているせいで、そもそも聞き取りづらい。


「うちのリーダーが世話を掛けたわね。下の状況は?」

「残念ながら不明だよ。ただ聞いていると思うが、〝蛇風ククルカン〟は下でしか吹かないそうだ。なぜそれが表層中の魔物に感染しているかは目下調査中だ」

「なるほど。〝蛇風ククルカン〟への対策は?」

「今のところはない。風とはつまり空気の流れであり動きだ。空気を完全に遮断するのは、呼吸を行う我々には不可能だよ」

「厄介ね」


 むー。風が鬱陶しくて、会話が頭が入ってこない。


「……クイナ!」

「きゅい!」


 クイナが私の言葉で察して、私の周囲に風を渦巻かせた。吹いてきた風とクイナの風とぶつかり相殺する。


「ん? エリス。今のは? マナの流れを感じたけど」


 メラルダさんが私へとそう聞いてくる。


「へ? マナ?」

「ああ、精霊の力ってことよ。魔術は大気や大地、その他色々な物質に宿っている精霊の力、マナと自身の魔力を組み合わせて発現、行使するものなのよ。今、風のマナを感じたから」

「ああ、風が鬱陶しいからクイナに頼んで、相殺させているだけです」

「……なるほど。やっぱりエリスは少しお馬鹿そうに見えて、賢いわね」


 メラルダさんが感心したようにそう言うと、私へと微笑んだ。


「お、お馬鹿そう!?」


 確かに私は頭脳明晰ってタイプではないけど、お馬鹿そうは心外だ!

 

 あ、でも師匠に〝油断していると口がぽかーんと開いててマヌケっぽいぞ〟――と言われたことがあったっけ。


「ふふ、冗談よ。イルスラ、〝蛇風ククルカン〟対策なら今思い付いたから問題ないわ。風を遮断するのは難しいなら……吹き飛ばせばいい。私とエリスならそれが出来る――ね? エリス」

「へ? ああ、はい。多分」

「そ、そうか? ならいいが。だが、間違いなく〝蛇風ククルカン〟は魔物由来の物だろう。油断しないでくれ。あとはこれを」


 イルスラさんがそう言って渡してくれたのは、私が作った万能薬が沢山入ったポーチだ。


「恐らく、調査隊の隊員達は毒で苦しんでいるはずだ。だが我々が運んで、同じ目に遭ったら元も子もない」

「分かりました。私が運びますよ」


 私はそのポーチを受け取ると腰へと巻いた。


「とにかく、〝蛇風ククルカン〟を何とかしないことに救助隊も満足に送り込めないわね。私とエリス、それに生きていたらラギオの三人で原因を突き止めて、その魔物を排除しないと」


 生きていたら――その言葉に、私は少しだけ気を引き締めた。


 ここから先は遊びではないのだから。


「行きましょう、メラルダさん」


 私の表情を見て、メラルダさんが頷く。


「ご武運を。何かあればすぐに信号弾を飛ばしてください。赤ならば緊急事態、青なら問題解決済みと判断しますゆえに」


 イルスラさんが信号弾を撃つ専用の魔道具を手渡してきた。


「了解よ――いつでも救助隊を送り込めるように待ってなさい」


 メラルダさんがそれを受け取り、不敵な笑みを浮かべる。


 私はそれに頷き、メラルダさんと共に谷底へと続く崖沿いの道へと踏みだした。


 風が複雑な凹凸を描く岩肌にぶつかり、独特の音を奏でていた。まるで、泣いているかのような嫌な音だ。私の好きな風の音とは違う。


 一歩ずつ、私達は階段状になっているその道を下っていく。


「エリス、この道では私の魔術は使えないから、貴女の力で風を相殺できる?」

「任せてください。クイナ、メラルダさんも風で包んであげて」

「きゅー!」


 クイナがその小さな翼を広げると私を包んでいた風の渦が広がり、メラルダさんを包み込んだ。バタバタとなびいていたメラルダさんの紫髪がストンと落ちる。


「便利な力ね……魔力もほぼ使っていないのでしょう?」

「はい。あくまで、クイナの力ですから。ここからあれこれしようとすると、流石に魔力は使いますけど」

「なるほど。エリス、貴女は錬金術じゃなくて魔術師になったら? よっぽど面白いわよ?」


 そんなことをメラルダさんが言いだした。元錬金術師の魔術師の言葉として、それは正しいのかもしれないのけども……私はそうは思わない。


「むー、錬金術師も楽しいですよ! それに師匠を裏切れません」

「残念。弟子にしてあげようと思ったのに」

「それはそれとして、魔術は教えて欲しいですけどね!」


 だって、いつか助けてもらった時のメラルダさんはとってもカッコ良かったもの!


「ふふふ、いつかね」


 そんな会話をしていると、私はふと気になっていることをメラルダさんに聞いてみた。


「そういえばメラルダさん。この道って……のでしょうか?」

 

 階段状になっているこの崖沿いの道。この大峡谷は未発見だったし、いくらなんでも調査隊の人達がここを見付けてから作ったとは思えない。つまり――最初からこの道は存在していたことになる。


 それに、メラルダさんやラギオさんに助けてもらったあの遺跡林。あそこに点在していた遺跡は――誰が作ったからこそ、残っているのだろう。


「へえ。そんなことに気付くなんて、やっぱりエリスは面白いわね。新人の子でもそれを聞いてくる子は滅多にいないわ。でも、答えを先に言うと――。我々人類がこの迷宮を見付けてもう五百年以上が経つけども、それ以前に誰かしらが潜っていても不思議ではないわ。あるいは……迷宮メイズには元々文明があったのかもしれない。いずれにせよ、それを調査する為にイルスラ達がいるのよ。もしかしたら、迷宮調査局の上層部は何か知っているかもしれないけども」

迷宮メイズって不思議な場所ですよね。上を見ても空しかない。本当にこのずっと上に帝都はあるのでしょうか」


 私は空を見上げて、思わずそう言ってしまった。あの雲の先に天井があり、その上に帝都があるとはどうしても思えなかった。


「物理的に言えばあるはず。でも、確かめた人はいない。帝都の別場所から掘削して表層への別ルートを作ろうとした計画が大昔にあったらしいけど、あまりに硬い岩盤に当たってしまい、当時の技術や魔術を全投入してもそれに傷一つ付かなかったとか。だから――本当に帝都の地下に迷宮メイズがあるかどうかは証明するのは難しいわね」

「大階段はちゃんと物理的に繋がっていましたけど」

「ええ。でも、大階段で到達する深さとこの空の高さは、どう考えてもおかしいけどね。ま、それも含め、深層に行けばきっと何かが分かるのよ。だから冒険者達は下を目指す。そこにきっと秘密が眠っているから」


 そう話すメラルダさんの顔には、ワクワクが隠しきれないような感情が見えた。


 それは、何だか意外な一面だ。大人な女性なイメージのメラルダさんから、そんなどこか子供のような好奇心が見えるとは思っていなかった。


「何よ、まじまじと人の顔を見て」

「いえ。メラルダさんもやっぱり冒険者なんですね」

「あはは、どういう意味よそれ」


 メラルダさんが愉快そうに笑う。そうしているうちに、いよいよ谷底が見えてきた。


「着いたわね。しかし、これは……なるほど」


 谷底にはごつごつした石や砂が転がっている。この地割れは方角で言えば、南北に走っているのだけども、ここはその南端だ。背後は、崩れた岩が山のように積み重なっていて、塞がっている。隙間から風が通っているのが音で分かる。


 北へと続くこの谷底には、波打っているような崖の僅かな隙間以外に、遮蔽物は一切なく、常に北から南へと風が吹いているのだ。


「もしこの風に毒が混じれば……確かに防ぎようがないですね」

「ええ――。エリス、クイナの力、解いていいわよ。精霊の力はまだ温存しといた方がいい」

「え? でも風が」

「任せなさい」


 私がクイナの風を解除すると、メラルダさんがニヤリと笑い、杖を掲げた。


「クイナのおかげで存分に、風のマナが使えるから。見てなさい――〝女神よ、勝利を我に息吹け……<ウェザーベインの心変わり>〟」


 膨大な魔力が紡がれ、メラルダさんが掲げた杖を円を描いていく。それと同時に――私達のら強い風が吹いた。


「え?」

「向こうから厄介な風が吹くなら――風向きを変えればいい」


 いやいや! 簡単に言うけど、風向きを変えるなんてめちゃくちゃ凄いことですからね!? いつだか父が、天候操作は最も難しい魔術の一つだと言っていた。


 これはまさに天候操作そのものだろう。


 改めて、メラルダさんの凄さが分かった気がした。


「さあ、気紛れな風見鶏ウェザーベインがこちらを向かないうちに進みましょ」


 メラルダさんが魅力的なウインクを送ってくるので、私は大きく頷いて返事したのだった。


「はい!」


 こうして大峡谷での捜索が始まったのだった。



***


 エリス達が大峡谷へと踏み入れた時と同時刻。


「攻撃が止んだ? 今のうちに撤退するぞ!」


 谷底で一人の青年が、ボロボロになった小隊を指揮しながら南へと移動していた。彼らの周囲の地面には、まるで砲弾か何かで抉られたような痕がいくつも残っていた。


「ラギオさん……俺はもう置いていってください……毒でもう満足に動けません……かはっ」


 口から吐血する男に、指揮していた青年――ラギオが冷静に言葉を返す。


「弱音を吐くな。なぜか攻撃が止んだ今しかない。調査隊の根性を見せろ」


 ラギオがその男へと肩を貸して進んでいくが、そう言う彼の身体もまた既に毒で冒されていた。携帯していたエリスの万能薬はとっくに尽きていた。


「絶対に生還して……アレについて報告しなければ……」


 ラギオがそう言って、北の方へと振り返った。そこでは、が翼を羽ばたかせている。


 しかしラギオの視線は、その巨大な影の頭部へと注がれていた。


 そこには。


「懐かしい気配を感じる。そうだろ?――


 そう言って、その巨大な影の飾り羽根を撫でていたのは――

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