第16話:万能薬が完成しました
「……おいおい、まさか教会を襲撃でもしたんじゃないんだろうな。なんだその量は」
イエラさんに借りた荷車に載せて私が運んできた聖水入りの大壺を見て、師匠が顔を引き攣らせた。
「説明はあとです! 早速これで万能薬を作りましょう!」
私がそう急かすと師匠は頷いて、聖水入り大壺を作業場へと運ぶ。見ると、カウンターの隅っこでウルちゃんがスヤスヤお昼寝をしていた。天使すぎる……。
「さあ始めましょう。ニーヴ、手伝って!」
私が再び毒の精霊であるニーヴを喚び出す。前回と同じ材料、ただしホースブラッドではなく聖水を使い、ビーカーの中で混ぜていく。
「しゅー♪ しゅー♪」
なんだかニーヴも嬉しそうだ。
「どうだ?」
「いけると思います――ほら!」
ビーカーの中の液体がキラキラと瞬き始めた。精霊錬金の反応の証拠だ。師匠はこれを〝精霊光〟と呼んでいる。これが起きればそれは正しく反応が行われている証拠で、精霊錬金が成功している可能性が高かった。
「精霊光だ! よしいいぞ、慎重に進めろ」
「はい!」
師匠も前のめりになって、私の精霊錬金の過程を見守っている。やがて、光が収まっていき――
「出来た!」
「……素晴らしい」
ビーカーの中にニーヴの姿はなく、そこには半透明の紫色の液体が揺れていた。それは、教本の中の挿絵で見た〝
「本来ならこうして生成した薬剤に中和したい毒を混ぜて、解毒薬を作っていくんだが……この様子だとその必要もなさそうだな。よし、早速実験してみよう。エリス、もう一度ニーヴを出せるか? 複数の毒素を出して、中和できるかを調べるぞ」
「ニーヴ、おいで!」
再び召喚したニーヴに私はお願いし、全く別種の毒素をいくつか出してもらった。それらを別々のビーカーに入れる。
「これがブラックセンチピードが持つ毒で、こっちがキマイライーターの毒。これはえーっと」
「しゅー」
「ああ、そうそう、
どれも禍々しい色をした液体で、異臭を放っている。
「キ、キマイライーターと炎獄茸の毒だと!? お前それ
師匠が珍しく慌てた様子だが、私からすればニーヴがいるので全く問題ないのだけど。
「とにかく、この三つの毒に効くならおそらくどんな毒にも効くんだと思います」
「分かった。試してみよう」
師匠がそれぞれ毒の入ったビーカーへと、私が生成した先ほどの薬剤をスポイトで垂らしていく。
「エリス、見ろ!」
師匠が嬉しそうに、ビーカーの中を私に見せてくる。
それぞれのビーカーの中で毒と薬剤が激しく反応を起こし、やがてそれが止まる。中に残ったのは、どれも無色透明の液体だけだ。
「あとはこれで、確認して……」
そう言って、師匠が薄っぺらい小さな紙片をそれぞれのビーカーの中へと入れた。
「これには毒に反応する薬が塗ってあってな。もし色が変われば、毒がまだ残っている証拠になるんだが……」
私と師匠が固唾を呑んで見守る中――紙片はどれだけ時間が過ぎても、色が変化する様子はなかった。
「……成功だ。間違いなくこの薬剤……いや万能薬はこの三つの毒を中和した。凄いぞ、エリス! これはある種、精霊鉄よりも偉大な発明かもしれん」
「すぐに残りの聖水を使って、作っていきましょう!」
「そうしよう。恐らく入れる容器が足りないだろうから、ちょっとかき集めてくる。まずは出来たそれをウルに持って行かせ、試させた方がいい。万が一、今回の毒に効かなかった場合も想定しておかないとな」
「分かりました!」
その後、私は心を鬼にして寝ているウルちゃんを起こして、先ほど作った万能薬を小瓶に入れて持たせた。
「すぐに確認してくる!
「うん、よろしくね」
慌ただしくウルちゃんが出て行く。
私は万能薬作りに全神経を注ぎ、生産していく。そうしているうちに師匠が帰ってきて、それからしばらくしてウルちゃんが帰ってきた。
その顔に浮かぶ笑顔を見て、私は聞かずとも確信した。
万能薬は名前の通り――やはり万能だったと。
***
それから数日後。
「あ、イエラさん!」
イエラさんが工房を尋ねてきた。彼女が引く荷台にはたっぷりの聖水の入った壺がいくつも並んでいた。
「エリスさん、追加の聖水です……」
心なしか、イエラさんの声に覇気が無い気がした。それに立っている姿にも力がなく、今にも倒れそうだ。
「ありがとうございます! というか大丈夫ですか? フラフラしてますけど」
「ええ……なんとか……」
「とにかく中で休んでてください! 師匠! 運ぶの手伝ってください!」
「へいへい」
私が呼ぶと師匠が出てきて、銀騎士と共に壺を作業場へと運んでいく。既にイエラさんは何度かここに来ており、師匠への紹介は済ませてある。事情を全て説明すると、師匠は驚きながらもそれを受け入れた。
イエラさんも勝手知ったるとばかりにフードを脱ぎ、カウンターに突っ伏していた。露わになった獣耳や力なく垂れているふさふさの尻尾を、師匠は気にしている様子はない。
やっぱり、師匠って妙に心が広い気がする。
「エリスさん……これで足りそうですか?」
イエラさんの疲れの滲む声に、私はなるべく明るい口調で言葉を返す。
「多分、いけると思いますよ! 本当に助かります!」
「それは……良かったです……流石に連日連夜、祝福を施すのは疲れますから……ふにゅー」
「あう……すみません、無理を言って」
私が申し訳なく思いながらイエラさんへと頭を下げた。万能薬は見事、毒に苦しむ冒険者達を救ったが、必要となる数があまりに多く、とてもじゃないが生産が追い付かなかった。
当然、一番のネックは聖水だった。
だから生産した万能薬を必要な分だけ約束通りイエラさんに渡したあとに、図々しくも追加のお願いをしたところ、快く彼女は受け入れてくれた。
おかげで、とりあえず何とかなりそうではあるけども。
「イエラ――エリスに、いや全冒険者に代わって礼を言うよ。ありがとう」
運び終えた師匠がそう言って、イエラさんの前に飲み物の入ったグラスを置いた。
「いえいえ……それもまた神に仕える者の務めですから。ありがたくいただきますね」
イエラさんが、グイッと飲み物を飲み干した。妙に様になっているその様子から、実は結構な酒飲みなのではないかと私は疑っている。
「昨今は、祝福が使える聖職者が少なくなっていると聞く。だからこそ、
「そうなんですか?」
「アゼリア教は、獣人を差別しているだろ? だがその信仰対象である神……あるいは聖女アゼリアは、獣人であるイエラに祝福の力を与えた。俺からすれば、獣人を差別すべしという教えが、本当に聖女アゼリアの言葉なのか疑問に思ってしまうよ」
師匠がそう言って煙草を取り出し火を付けようとするも、なぜか止めてそれをポケットにしまった。
「仰る通りです。アゼリア教内部でも、私の存在は不都合が多いようで秘匿されています。ミローニ司祭からすれば、便利な聖水製造要員としか思っていないでしょうが」
「政治の道具にでも使うつもりだろうな。エリスの話を聞いて、ますますあいつらが嫌いになったよ。イエラみたいな人もいるのは分かってはいるが」
「気にしないでください。私もまた、彼らを利用しているだけですから」
そう言って、イエラさんが力無く笑った。何か力になれることはないだろうかと思ったけども、師匠に、〝無責任なことは言わない方がいい〟、と先日釘を刺されたので、私は黙っているしかない。
「イエラ。今回作った万能薬についてだが、当分の間はその存在もレシピも秘匿するつもりだ。というのも、エリスにしか作れないのじゃ、わざわざ公開しても意味がないしな。それに聖水の需要が高まるのも避けたい。あんたが多分、酷使されるだけだろう」
「助かります。もし万能薬の材料が聖水と分かれば、きっとアゼリア教の上層部はそれを使って冒険者管理局や錬金術師協会に圧力を掛けるでしょうね。いらぬ諍いは起こさない方がいいのです」
私が二杯目をイエラさんのグラスへと注ぐ。
「ああ、そういえばエリスさん。私の仲間達……獣人の冒険者達がいつかお礼をしたいと言っていましたので、何か
そう言ってイエラさんが何かを取り出した。それは、骨で出来た小さな笛だった。
「狼笛、と私達は呼んでいます。それによって我々にしか聞こえない音が鳴るんです。更に、
「そんな物を……いただいていいのですか?」
「貴女は私達を救ってくれましたから」
「でも、それはイエラさんの聖水があったから」
「人は一人では誰も、何も救えません。お互いを尊重し労ることで双方が救われる。そういうものです」
そう言ってイエラさんが微笑んだ。それを聞いていた師匠が、フッと小さく笑う。
「聖職者の説教は大嫌いだが――イエラのはなぜか聞いていられるな」
「ふふふ、いつでも入信をお待ちしておりますよ、優しいお師匠さん」
「嫌なこった。禁酒禁煙禁欲なんてどう考えても俺には向いていない」
師匠がそう言って肩をすくめた。それを見たイエラさんが立ち上がる。
「それでは私はそろそろ戻ります。また何か御用があればいつでも仰ってください」
「あ、はい! ありがとうございました! この笛も大切にします!」
私の言葉にイエラさんが微笑み、扉に手を掛けて外へと出ようとする。
彼女は背を向けたまま、最後にこう言った。
「ああ、そうそう。お師匠さん、アゼリア教では相手を慮る心があれば、酒も煙草も欲も、全て許されるのですよ? 獣人は鼻が利くので煙草の臭いを嫌うことを知っていたゆえに、吸うのを止めた貴方なら……きっと善き信者になれるかと。それでは――」
カランカランと鳴る鈴の音と共に、イエラさんが去っていった。
「……やれやれ。全部お見通しってか。久々に女に惚れそうになったよ」
「むー、そういう目でイエラさんを見たらダメですよ!」
私がちょっとむくれながら、師匠の脇腹を小突く。
「冗談だよ。なんだ? 嫉妬か?」
「はああ!? なんで私が嫉妬なんかしなきゃいけないんですか! 私はもっとしっかりした格好よくて強い人が好みなんです! 師匠みたいなポンコツは対象外です!」
「ほー、例えばどんな奴だ?」
師匠がからかうようにそう聞いてきたので、私は慌てて思考する。
しっかりしていて格好良くて強くて……うーん、誰がいるだろ。
と思った時。
「あっ」
私がとある人物を思い付いて、その名前を口にしようとした、まさにその時だ。
再び工房の扉が開く、鈴の音が鳴った。
「すまない、エリスはいるか?」
そう言って入ってきたのは――まさに私が思い浮かべていた人だった。
「……ラギオさん!」
それはSランク冒険者ギルド<赤き翼>のリーダーのラギオさんだ。
「久しぶりだな、エリス。それにジオも」
「おお、あんたか! こないだは世話になったな。しかしSランク冒険者様が、どうしてうちに?」
師匠が嬉しそうにラギオさんを中へと案内する。
「ああ。実は少し聞きたいことがあってな。それ次第では……依頼をしたいと思っている」
ラギオさんがそう言って、私を真っ直ぐに見つめてこう言ったのだった。
「エリス、君の持つ精霊と錬金術の力について教えてくれ。君なら……俺が求める武器を作れるかもしれない」
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