第15話:聖水が手に入りました!
「そ、その耳!」
シスターの頭部で揺れる犬のような耳。となれば、ローブで見えないだけできっとお尻には……。
「ふふふ……
そう言って――イエラさんが妖艶な笑みを浮かべたのだった。彼女はメラルダさんとは別の方向性で、魅惑的な雰囲気を纏っていた。
「まさか帝都に獣人がいるだなんて……」
「でしょうね。長年、我々と人間は敵対関係ですから。特にこの帝国とは、二百年に渡る戦争を今もなお続けていますし」
大陸の南部一帯を支配する獣人達と私達人類は、古の時代から争い合っていて、それは現代となった今も変わっていない。大陸北部が帝国によって統一されたけども、依然として南部は獣人達の支配下にあった。
その為、獣人との交流は帝国法によって禁止されている。だから当然、イエラさんがこの帝国の中心部たるこの帝都にいる事自体がおかしいのだ。いつ、見付かって殺されてもおかしくない状況なのに。
「ついてきてください」
イエラさんが再びフードを被ると、路地の先へと進んでいく。私は迷った末、その後を追った。
その背中へと、私は質問を投げる。
「……なぜシスターを」
そもそも、アゼリア教は人による人の為の宗教だ。その教えの中でも獣人は魔物と同義であり、忌むべき、聖罰を与えるべき存在だと語られている。
なのに獣人のイエラさんが帝都の、しかもアゼリア教の教会でシスターをやっているなんて何かの冗談だ。
「貴女が思っているより人はずっと闇深く、そして愚かなんですよ。貴女が知らないだけで、この帝都には獣人がたくさんいます。見えないところで蠢いているのです」
「……そうなんですか」
その話が何を意味するのか。想像できるだけに聞きたくない。
「私はこの帝都にいる同胞達を守る為に、帝都の中でも独立した権力を持つ存在……アゼリア教に近付きシスターとなりました。幸いともいうべきか……アゼリア教の上層部は腐っています。少し色目を使っただけで……彼らの中の教えは私に都合の良いように歪みましたね。おかげでシスターの立場となり、苦しむ同胞達を助けることができました」
イエラさんが立ち止まった。そこはいわゆる貧民街と呼ばれる場所で、師匠には決して近付いてはいけないと言われている。
その中にある、今にも崩れそうな古そうな建物にイエラさんが入っていく。扉には、アゼリア教の施設であることを示す、二重十字の紋章が掲げられている。
「どうぞ、中へ」
私はここまで来たら同じだとばかりに、その中へと足を踏み入れた。
すると――
「お姉ちゃん! おかえりなさい!」
「お腹すいたああ!」
「イエラさん、やっぱり解毒薬が効いてないよ。どうしよ……?」
「やっぱり人間の治療師に診てもらわないとダメなんじゃ」
「人間に頼るなんて間違ってる!」
「そんなこと言っている場合じゃないだろ!?」
頭に獣耳、お尻に尻尾が生えた、沢山の子供達が私達を出迎えた。どの子もボロボロの服を纏っているし、痩せ細っている。だけども皆、表情は明るい。
「はいはい、皆さん落ち着いて……」
イエラさんが笑顔でその子供達を宥める。しかし、彼らはそこでようやく私の存在に気付く。
「ん? 変な匂いがする」
「……っ! ひっ! 人間!」
「嫌……嫌……!」
「ぎゃああああ! 逃げろおお!」
私の姿を見た子供達が悲鳴を上げて、奥へと逃げていく。一人の子は尻尾を丸めたまま、震えながらイエラさんの脚にしがみ付いていた。その子の瞳には、恐怖が見える。
「えっと……」
「……皆さん、彼女は善き人間です。怯えなくて結構ですよ」
イエラさんがそう言うも子供達が出てくる様子はない。代わりに、
「人間は出て行け!」
そんな声が投げられた。
正直ここまで誰かに拒否されるのは初めてで、心がきゅっと締め付けられた。
怒りよりも、やるせなせがこみ上げてくる。一体どんな思いをすれば、こんな幼い子供達が見知らぬ人に対してこんなに怯え、そして敵意を向けることができるのか。
「……来てください」
思わず俯いてしまった私へとそう声を掛けると、イエラさんが奥へと進んでいく。
「イエラさん……ここは」
「ここは孤児院です。様々な理由で虐げられてきた子達を、私はここで保護しています。アゼリア教の施設となっていますので、誰も手出しはできません」
「……そうなんですね」
奥へと進むとそこには小さな祈祷室があった。片隅になぜか井戸があり、壁際には簡素な祭壇が設置されている。
「そこで見ていてください」
「はい」
イエラさんがいきなりローブを脱ぎはじめたので、私は思わず目を逸らしてしまう。だけども、その下には肌着を着ていたので私はホッとする。いくら同性でもやっぱりいきなり裸になられたらびっくりするよ。
すると彼女は井戸から水を汲み、それを鈍色の杯へと注いだ。
「あの……なにを」
私が聞くもイエラさんは答えずに、何やら作業を開始する。
彼女は井戸水を注いだ杯を祭壇へと捧げ、静かに祈りを捧げた。
「……〝天にまします我らの母よ。ねがわくは
不思議な感覚が私を包み込む。それは魔力とは全く別種の力で、より繊細で……今にも消えそうなほど、儚い力だ。
これは……まさか。
「――我らに、祝福の涙を」
イエラさんがそう祈りを締めくくった。
「イエラさん、今のって」
彼女はやはり何も答えずに、杯に入っていた水を小瓶へと移した。その水は、見ただけなら何の変哲もない水だけど……確かにそこには何かの力が宿っていた。
「エリスさん。貴女に……この
「やっぱり……」
あれが、きっと選ばれた聖職者がのみが扱えるという、魔術とは全く別系統の技――〝祝福〟だ。
師匠曰く、祝福を施された物質は神性が宿り、厄介な魔物……アンデッドを滅却できたり、呪いを解いたりだの、魔術や錬金術では為し得ないことが出来るようになるそうだ。
「エリスさん。貴女、錬金術師ですよね? なぜ聖水を欲しがっているか分かりませんが……きっと何かお困りのことがあるのでしょう。だから、この聖水は差し上げます。ですが、交換条件があります」
「なぜ、私が錬金術師だと分かったのですか」
「そんな不思議な物を扱えるのは、錬金術師ぐらいなものです」
イエラさんが私のチョーカーを見て、微笑む。それは、確かにそうかも。
「それで、交換条件というのは?」
「実は――」
そこからイエラさんが語った内容は、なんというか運命を感じさせるものだった。
「私達の仲間……つまり獣人だけで構成された冒険者ギルドがあります。もちろん……冒険者管理局の許可なんてない、違法ギルドではありますですけどね。そのメンバーが……実は毒に苦しんでいまして」
「……毒?」
「はい。おそらくブラックセンチピードと呼ばれる魔物の毒だと思うのですが……それ専用の解毒薬が効かず困っているのです。仮に新しい解毒薬が新たに作られたとしても……私達にそれが回ってくるとは思えません。彼ら冒険者の稼ぎでここは運営されていますので、このままだとここは……」
そう言ってイエラさんが俯いて、自分の手を強く握り締めた。
「私に出来ることは、何とかしてその新しい解毒薬を手に入れることだけです。解毒薬を作れるのは錬金術師のみ……だからこうしてエリスさんに声を掛けたのです。もちろん、貴女が獣人を毛嫌いしなさそうな善き人間だと思ったからではありますが」
なんという偶然だろうか。いや、ある意味必然だったのかもしれない。
「イエラさん。私がなぜ聖水を必要としているか、分かりますか?」
「……? 何か、錬金術に使うのですよね? 我々が扱う一部の祭具は錬金術師にしか生成できない材料を使っています。それには聖水が必要だと聞いていますが」
「本来の用途はその通りです。ですけど、今回は違うんですよ」
「違う?」
イエラさんが不思議そうにするので、私は笑顔を浮かべ、こう言ったのだった。
「まさに……その毒を治す万能薬を作るために聖水が必要だったんですよ」
「そうなんですか?」
「正直、聖水については諦めていました。でも、イエラさんがこうして作ってくれたのなら……万能薬が出来るかもしれません!」
「本当ですか!? でしたら、ほんの少しでいいので、私達に……」
「もちろんです! 出来たらすぐに分けますよ! でも聖水がもっと必要かもしれません」
「分かりました。すぐに用意します!」
こうして――私はイエラさんによって、大量の聖水を手に入れたのだった。
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