刺客(3)
「サキ様、今お助けしますぞ。しばしお待ちくだされ」
普段のように少しおどけた声で老兵は語り掛ける。しかし、その表情には笑みはなかった。
「小娘一人に、護衛の多いことだ」
黒い外套の男は言いながら油断なく剣を下段に構える。
「このリュードッグ、貴様のような若造に後れを取るほど耄碌してはおらぬ。覚悟することだ」
リュードッグはその巨大な右腕を大きく前に突き出して半身になり、左手一本で器用に腰の剣を引き抜いてそちらは天を突く様に大きく上段に構えた。
その一風変わった構えのまま、すり足で音もなく距離を詰める。
男の間合いの半歩外で足を止めると、腰を僅かに落とした。
互いの間合いは同程度。
外套の男の方が手足も剣も長いが、リュードッグの巨大な右腕はその差を埋めていた。
互いに互いの隙を窺いあう。
外套の男がゆっくりと右に体を滑らせると、リュードッグも同じように右に足を送った。
両者が距離を保ったま、地面に円が描かれる。
半回転して互いの位置が入れ替わると、その動きが止まった。
リュードッグがサキ達に背を向けた形になった。
二人は無言のまま、微動だにしない。
静寂を保ったまま時が過ぎる。
数分もそうしていただろうか。
しびれを切らせたように、外套の男が大きく身を沈めた。
低い姿勢で地を滑るようにリュードッグの巨大な腕の下に潜り込もうとする。
だが、大上段に構えられていたリュードッグの剣が、流星の様に打ち下ろされると、男は潜り込もうとした足を止めて素早く飛び退った。
男が飛び退るのと同じ速度で、老兵は踏み込んで間合いを空けずに追いすがる。
切り下げた剣の切っ先を返して、切り上げる。
巨大な右腕を引きながら腰の回転を使って繰り出された左の切り返しは、鋭く伸びて男の首元を襲う。
男は飛び退るのをあきらめて体を傾けてその一撃を避けたが、体勢が崩れた。リュードッグは間髪入れずに腰を逆回転させながらさらに踏み込み、その長い右腕から掌底を放つ。体勢が崩れていた男はその掌底を避けきれず、吹き飛ばされた。
受け身を取る間もなく、男は背後の楢の木に背を痛烈に叩きつけられる。
木の幹が大きく揺れると、青葉が数枚、ひらひらと宙に舞った。
「くそっ、厄介な右腕だ」
血痰を吐き捨てながら、男は忌々し気に言った。
「命乞いなら貴様の背骨をへし折った後で聞く」
語気鋭く言い放ちながら、リュードッグは油断なく距離を詰める。
「そいつは勘弁願おう」
男は外套の内側から短刀を引き抜くと素早く投擲した。
暗闇を滑るように飛来する短刀を、リュードッグは右腕をふるって叩き落す。だが、視線を男のいた場所へ戻した時には、男は闇に溶けるように木立の間に姿を消していた。
リュードッグはその場で構えたまま数分ほど辺りの様子を窺っていたが、男の気配が無いと知るとゆっくりと構えを解いた。
「どうやら去ったようですな。まあ、あの様子ではしばらくはまともに動けますまい。魔術師でもないというのに恐ろしく手強い男でしたな」
そう言ってサキを振り返るリュードッグの額には玉のような汗が浮かんでいて、先ほどまでの戦闘が決して楽なものではなかった事を物語っていた。汗を拭いながらリュードッグは大地に刺さったサキの剣を拾い、二人の少女に歩み寄る。
サキは倒れていた場所で上半身を起こして座り込んでいた。座っているのさえ億劫そうに見えるが、顔には笑みを浮かべようとしている。
左手にはマリーのハンカチが包帯代わりに巻かれていた。
「怪我の具合はどうですかな?」
「どうってことない。このぐらいかすり傷さ」
リュードッグに答えるサキの横で、マリーは小声でぶつぶつとつぶやいた。
「かすり傷にしては傷口がパックリと開いてるけどね」
サキは聞こえないふりをして話をつづける。
「助かったよ、ドグ。良く来てくれたね」
「東の森の方は人が立ち入った気配がありませぬでしたゆえ、急いでこちらへ参りましたが間に合ってよろしゅうござった。危ういところで、サキ様の首と胴が泣き別れしているところ拝むところでございましたな」
「笑い事じゃないよ。アタシ一人じゃ危なかった」
「いやはや、それがしも
「そうなのか? 気づかなかったな……」
「腕の立つ者ほど、苦境を隠すのが上手いものでございますからな。そこへ行くとサキ様は心根が素直にできていて、思うことがなんでも顔に出てしまう
ニヤニヤと笑う老兵に、サキはため息を一つ吐く。
「分かってるなら、見てくれよ」
「ならば失礼して」
リュードッグはサキの差し出す左手を取って、血でしとどになったマリーのハンカチを解くと、傷を改める。
「ほほう、これをかすり傷と呼ぶのはなかなか豪胆でござるな。人の上に立つ者はそうでなければなりませぬぞ。善哉、善哉」
「アタシは人の上に立つつもりなんかないよ」
「サキ様がどうおっしゃろうと、傑出した人物の周りには自然と人が集まるものでござる。今に、サキ様にお仕えしたいという者が列をなして許しを請いに来るかもしれませぬぞ」
「冗談を言ってないで、傷の具合はどうなんだ?」
「ふむ、この傷ならば縫った方が良いでしょうな。この場では用意がありませぬから、何はともあれ村長殿の屋敷まで帰りましょう」
リュードッグはそう言ってハンカチを縛り直すと、サキに背を向けてかがみこむ。
「負ぶったほうがよろしいですかな?」
「馬鹿言ってないで、肩を貸して」
よろよろと立ち上がったサキをリュードッグとマリーが両側から支えると三人は歩き出した。
「ね、サキ、左手以外は大丈夫なの?」
マリーが心配そうにサキの顔を覗き込みながら尋ねる。
「ああ、大丈夫。一晩寝れば元通りになるよ」
「でも、頬から血が出てる。痕が残ったりしたら大変だよ」
「別にちょっとくらい傷がついたって問題ないよ」
そんなわけないでしょ、と呟いた後でマリーはリュードッグの様子を伺うと、サキの耳元に顔を近づけて囁いた。
「ね、明日もここで会えないかな? もちろん、日があるうちに」
サキはマリーを横目に見ると小声で、良いよ、と言って頷いた。
少女たちのささやき声が聞こえたのか聞こえないのかは分からないが、リュードッグは明後日の方向を見ていた。
そのリュードッグが、出し抜けにサキの方を向いた。
「ところで、サキ様。腕輪のことでお話ししたいことがありまするが、よろしいですかな?」
「……その件ならアタシの手を治療した後で聞く」
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