刺客(2)
がさりと下草を鳴らして、黒い外套に身を包んだ人物が木の陰から姿を現す。フードを目深にかぶっていて顔は良く見えないが、背が高いところを見ると男のようだ。
「やれやれ、お嬢さん方の中身のないお喋りを聞かされるってのは楽しいもんじゃないってのに、罪にまで問われるじゃ割にあわないな」
発せられた声はやはり男の物だった。どうやら若い男らしい。この男が村の中で噂になっていた謎の旅人ではないか、とサキは検討をつけた。
「回れ右してアタシ達の視界から消えるなら、初犯だってことで許してあげるけど?」
男はサキの言葉に沈黙で答えて、外套の中に隠し持っていた剣の鞘をぬらりと払った。
細身だが、柄の長い両手持ちの剣である。
白刃が月光を反射してギラリと光った。
「サキ!」
刃が放つ悪意の塊のような輝きに驚いて、マリーが鋭い声を上げる。
「大丈夫だよ。そこで大人しくしてい……」
サキがマリーに気を取られたほんの一瞬のスキをついて、男は地を這うように駆けて間合いを詰めて来る。
瞬き程の僅かな時間で彼我の距離が埋まった。
十歩以上は離れていた男はすでにサキの目の前に迫っていた。
地を駆けながら男が横薙ぎを繰り出す。
奔流の様な殺気と鋭さを伴って凶刃がサキを襲った。
刃がサキの胴を両断するかに見えた刹那、抜き打ちに放ったサキの剣が寸でのところで相手の剣をはじき返した。
一度間合いを取った男は、構えを右下段に転じる。
――強い。
背筋を凍らせながら、サキは半身に構え、右手の剣を突き出して相手を牽制する。
それをあざ笑うかのように、男はサキの剣の下を搔い潜って再度肉薄する。
白刃のきらめきが、地を這う蛇のような軌跡を描いて迫りくる。
下段からの切り上げを、サキは身体を開いて紙一重で避ける。
上へ流れた男の剣の切っ先は、生き物のような滑らかさで、切り下げに転じる。
力のこもった鋭い一撃だ。
サキは、片手剣の短い柄を両手で握ってそれを受ける。
一合、二合。
男の攻撃は、変幻自在に四方八方からサキに襲い掛かる。
それをサキはぎりぎりのところで受けて、凌ぐ。
刃同士がぶつかり合い、鋼鉄の火花が闇に散った。
一歩、二歩。
相手の膂力に押されて、サキはじりじりと後退する。
もうこれ以上は下がれない。
すぐ背後には、蛇に睨まれた蛙のように体をすくませたマリーが居るのだ。
男の剣の切っ先が左頬をかすめ、切り落とされた黒髪がハラリと宙に舞う。
それでもサキはそこに踏みとどまって、男の攻撃を真っ向から受け止め続ける。
だがついに、男の渾身の一撃を受けきれずにサキは剣を取り落とした。
無手のサキの喉元を鋭い刺突が襲う。
絶体絶命に思えた瞬間、暗闇の中でサキの青い瞳がキラリと光った。彼女は迫りくる真剣を左手の甲で払いのけながら地を蹴って、右ひじを相手の水月に叩きこんだ。
男は吹き飛ばされながら、空中で猫のようにしなやかに身をひるがえし、手をついて着地すると飛び退って間合いを空けた。
サキの左手からは血が垂れていたが、抜身の刃を素手で払ったにしては軽傷だ。
「身体強化か。無粋な術だ」
男は軽蔑を込めた様に言う。
「無粋で結構。苦情ならお前の心臓に刃を突き立てた後で聞く」
サキは剣を拾って構え直した。
「そもそも、突然切りかかってくる方がよっぽど無粋じゃないか」
男はくっくと笑った。
「違いない。次からは殺しても良いかお伺いを立ててから殺すことにしよう」
言いながら男は、剣を持った右腕をだらりと垂らし、ゆらゆらと体を揺らしながら近づいてくる。
先ほどまでとは一転して緩慢な動きだ。
サキはそれを迎え撃つように、地を蹴って駆けた。
一直線に相手に襲い掛かる。
刺突。
袈裟切り。
切り上げ。
横薙ぎ。
蹴り。
再び刺突。
鋭く多彩な攻撃が男に襲いかかるが、男は危なげもなくそれを避る。
逆に大振りになったサキの隙を見て反撃する余裕すらある。
決定打にかける攻防が数分も続いたあと、サキは小さく舌打ちをして間合いを空けた。
「言っただろう? 無粋な術だと。頭の足りない魔物を相手にするなら役に立つのだろうが、人間様に使うものじゃない。いくら力が強くなったところで、自分自身の力に振り回されて直線的で精度の低い雑な攻撃ばかり。避けてくれと言っているようなものだ。そして何より……」
それまでの寡黙さから一転したように男は饒舌に話した。話しながら、男はまたゆらゆらと体を揺らして近づいてくる。
サキは肩で息をしながら両手で剣を構える。その腕は小刻みに震えていた。
「体への負担が大きすぎる。華奢な女の体で全力で術を使うとすぐに限界がくる。そういう出来損ないの術さ。それは」
話しながら、男はゆっくりと近づいて来る。
その時、雲が双子の月を覆い隠して地上には闇が満ちた。
突然、男は暗闇の中で倒れこむように体を前方に倒した。大地に接吻するかに見えた次の瞬間には、驚くほど低い姿勢で疾走していた。
無造作にサキの間合いに入った男は、自分の剣をサキの剣に蛇のように絡みつかせると、それを巻き上げた。サキの剣は宙に舞ったあと、離れた地面に突き刺さった。
再び素手となったサキに、男が放った鋭い唐竹割が襲い掛かる。
サキは身体を開いて斬撃を交わすと、相手の懐に入り込もうとした。
だが、男は迎え撃つように間合いを詰め、左腕でサキの首をつかむと、片腕でサキを吊り上げた。
サキの足が地面から離れる。
暗いフードの奥から彼女を見上げる顔が覗いた。
骨ばっているが精悍な顔は、鋭い眼光をたたえた瞳と鉤鼻が目を引く。瞳は黒く、フードに隠れた髪も黒に近い色のようだ。
唇を青くしてサキが両手で男の左手を掻き毟ると、男は痛がる素振りもなく無造作に彼女を地面に投げつける。地面に当たってサキの体が跳ねたところへ男は近寄ると、右のつま先で彼女の鳩尾を蹴り上げた。
「サキ!」
今まで体をこわばらせ居たマリーが、呪縛から解かれたように体を折って喘ぐサキに駆け寄る。
「馬鹿、早く逃げて。アタシは大丈夫だから……」
サキは掠れた声でマリーにそう告げるが、マリーはサキの傍を離れようとせず、むしろ倒れるサキを庇うように地に膝を着いてサキの上半身を抱き上げた。
「大丈夫なわけないじゃない!」
マリーは顔を上げて男をキッと睨んだ。
不意に風が渦巻いた。その渦の中心は二人の少女、いやマリーであった。その風に木々がざわめき、泉の水面にも無数の波紋が広がった。
サキは己を胸に抱くマリーの顔を見上げて息を飲んだ。
マリーの灰色の双眸が闇の中で爛々と輝いていた。
男は鼻を鳴らして笑った。
「やっぱりな。お嬢さん、そこをどいてもらおうか? できれば手荒なことはしたくないものでね」
「いや……いやよ」
マリーは唇を震わせながら言葉を吐き出す。そして、空気が足りないかのように大きく喘いだ。
「やれやれ、痛い目に会わないとわからないようだな」
口元をゆがめて吐き捨てる男の背後から、氷のように冷たい声が森閑とした夜気の中に響く。
「痛い目に会う必要があるのは貴様の方だ」
男はビクリと身を震わせて振り返る。
雲が切れて双子の月が南天に再び輝いていた。
月下に老兵の姿があった。
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