刺客(1)
二人の少女は、泉のほとりにあった手頃な高さの倒木に腰かけた。倒木の表面は樹皮が剥がれかかっていたが、思いの外綺麗だった。普段から誰かが長椅子代わりにしている様だ。
「ね、どうしてここが分かったの? 北に行くのではなかったの?」
サキの左に腰かけて、マリーが質問をする。サキがリュードッグにした指示は、暗がりに身を潜めていた彼女にも聞こえていたのだ。
「こっちの声を聞いてるって思ってたから、わざとああ言ったの。ああ言っておけば、必ず東か西に逃げると思ったからね」
「何それ? まるで私がすることをお見通しみたい」
「本当にお見通しだったら、扉の傍で聞き耳を立てている人にも気づいたはずだけどね」
悪戯っぽく笑うサキに、マリーは口をとがらせる。
「聞き耳なんて立ててないよ。ただ、ちょっと……たまたま、ね?」
「ごめんごめん、冗談だよ。でもマリー、君が聞いたことだけどさ……」
言いかけたサキに、マリーは小さく頷いて見せる。
「わかってるよ。誰にも言わない」
「ありがとう、恩に着るよ」
「でも、サキが王女様だって聞いて、納得しちゃった。いくら女性だと旅が危ないからって、性別を偽ったり、あんな立派な護衛がついているのは不自然だものね」
「立派な護衛ね。酒にだらしがないのと、時々腕をどこかになくしちゃうのが困りものだけどね」
サキが芝居がかった仕草で肩を落とすとマリーはくすりと笑って言葉をつづけた。
「それだけじゃないよ。なんていうか、あなたの仕草には気品があるの。表面上は荒っぽくてぶっきらぼうだけどね」
「ドグには品がないって、しょっちゅう怒られてるけどね。でも、嬉しい。ありがとう」
マリーはサキの言葉を聞きながら、倒木の上でそっと左の片膝を抱えて座った。彼女の長いまつげの隙間から、濡れた瞳に月明かりが宿っているのが見えた。
「ね、サキ。私、父さんが隣村に用事があったりすると、率先してお使いを頼まれるようにしているの。なぜだか分かるかな?」
マリーの問いかけに、サキは腕を組んでしばらく空を見つめていたが、やがて諦めて首を小さく降った。
「うーん、誰か会いたい人でもいるのかな?」
「正解。隣の村にはね、私と同じ年頃の女の子が何人かいるの。向こうも私のことを覚えているから、ちょっと立ち話をしたりするのよ。それが楽しみで、毎回足を棒にしてるの。だから、せっかく向こうに行ったのに、誰もいなかったりするとがっかりしちゃう」
「分からないな。どうしてわざわざ隣の村まで行かないといけないの?」
首をかしげるサキに、マリーは小さく微笑んで答える。
「それはね、この村には同じ年頃の女の子がいないのよ。なぜか歳が近い子は男の子ばかり。一番年が近い女の子は今年十歳の子ね」
なるほどね、とサキは納得して頷く。大人になってしまえば五、六歳程度の差は気にならないのだろうが、十六歳になる少女にしてみればその差は大きい。十歳の女の子が相手だと、したい話も出来ないのだろう。
「あなたと同じように、私も同世代の友達って言うのを持ったことがないの。だから、私もあなたと話せて嬉しかった。あなたが女の子だって知ってるのが、この村では私だけだって言うのも心地良かった」
マリーはサキに向けていた視線を自分の足元に移すと、小声でつづけた。
「だからかな、あなたが高貴な血を引く人だって聞いて、なんだか裏切られたような気がしたの。おかしいよね? あなたが悪いわけじゃないのに」
サキは左手を持ち上げると、その左手で何をしようとしたのか忘れたかのように自分自身の仕草に少し戸惑ってから、そっとその手をマリーの背中に置いた。
「関係ないよ。そんなの」
そのまましばらく二人は黙って、水面にキラキラと月の光が踊るのを眺めていた。
時折、魚でも跳ねるのか、水音を響かせて何かが煌めいて水面に波紋が広がる。ただその水音だけが二人の間にあった。
しばらくして、サキはポツリポツリと自分の過去の話を始めた。廃城での生活。リュードッグから体術や剣術を教えられたこと。旅に出て巡った国々について。
マリーもまた、サキに自分の過去や村の生活について話した。冬が来る前に行われる村の祭りごと。母親の思い出。男手一つで自分を育ててくれたバドの事。
その後も少女たちは打ち解けた様子で他愛もない会話をつづけた。時には手を叩いて笑いあい、夜の森に少女たちの声がこだました。
少女たちの深夜の交流は、マリーが冷気に肩を震わせて小さくくしゃみをしたのをきっかけに解散することになった。サキは、リュードッグの外套をマリーに羽織らせると、倒木から腰を上げる。
「そろそろ帰ろうか? 皆をあんまり待たせるのも良くない」
サキはそう言ったが、その直後に何かに気づいた様子を見せると急に緊迫した表情でマリーの耳元に顔を寄せた。
「黙って動かないでいて」
「一体どう……」
囁きかけるサキにマリーは何事か訊き返そうとするが、サキはマリーの唇に人差し指を当てて閉ざした。
マリーを黙らせたまま、サキは周りを見渡す。やがて、木々の茂みの中の一点に狙いを定めると、数歩そちらに近寄り虚空に語りかけた。
「誰? そこにいるのは? 女の子の会話を盗み聞きするのは重罪だって知らないのかな?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます