奇妙な旅人(9)

「サキ様が必要だとおっしゃるならば、この老いぼれの腹を切るくらいわけのないことでござる」

「馬鹿、冗談だよ。そんなことよりマリーを追うよ」

 開き直って答えるリュードッグを一蹴して、サキは腕輪をはめて剣を引っ掴むと部屋を飛び出した。

「サキ様ー! 一人で先に行かれては困りまするー!」

 リュードッグはあたふたと右腕を装着すると外套と剣を引っ掴んでサキの後に続く。

「追いかけて、追いついたらば、どうなさる?」

「もちろん、口止めするのさ」

 後ろから追いついてきたリュードッグの質問に、サキは階段を駆け下りながら当然のことのように答える。

 リュードッグはその答えにくるりと目を回した。

「それはまた物騒な話ですな」

「馬鹿馬鹿、そういう意味じゃない。間違っても彼女に傷一つつけるなよ」

 二人は屋敷を出て周りを見渡したが、マリーの姿は見えない。

 地の利は逃げる側にあった。どこに身を潜めて、どこを通れば見つからずに逃げられるか、マリーは知り尽くしているのだ。

「ドグは道を南に、は北を見に行く」

 声を張り上げてリュードッグに支持を出すサキ。だが、右手では東を指さしていた。一人称が男性の物なのは、他の村人たちの耳に届いた場合の用心のためだった。

「承知‼」

 同じように声を張り上げるリュードッグだったが、視線はサキの指先と同じく東を向いている。

「サキ様、外は冷えてきましたゆえ、それがしの外套をお使いくだされ」

「ああ、すまない」

 サキが外套を羽織っていると、二人の後を追って屋敷の中からバドが姿を現した。

「どうかしましたか?」

 彼は、前日に引き続いて食事のあとポロやヨナと共に村の主だった男たちと会合をしていて、マリーが家の外に出たことには気づいていない様子だ。

「ご息女が外に出た様でしてな。魔獣は駆逐したとはいえ物騒ゆえ、サキ様と二人で探しに行こうと話をしていたところでござる」

「マリーが? 何故またこんな時間に? すぐに人を集めますので……」

 言いかけたバドの言葉を、リュードッグは手で制した。

「無用無用。サキ様とそれがしならば、たちどころに居場所を突き止められまする。大船に乗ったつもりで待たれよ」

 リュードッグが話している間にも、サキはリュードッグに小さく頷いて合図を送り道から離れた。向かう先は西の方角だ。

 街道の西には、大麦の畑が広がっていた。その間を縫うよう巡らされた小道を進んでいく。

 前日の夜と同じように、南の空には双子の月が浮かんでいた。

 青い月と白い月の光が入り混じり、青白い月光に照らされた大麦畑は、絵画の風景を切り出したかのように静寂に包まれていた。

 そのしじまの中にわずかに足跡を響かせながら、サキは小走りに駆ける。時折立ち止まって、大麦畑の中にマリーの姿を探しながら進んだが、見つけることは出来なかった。暫くそうしながら小道を走っていくと、樹木の生い茂りなだらかに傾斜する雑木林に突き当たった。村人が西の森と呼ぶ場所である。

 薪を拾うためにでも人が通るのか、木々の間に細い道があった。その道の上を、新しい足跡が森の奥へと続いている。

 サキは身をかがめて、その足跡が探し相手のものと同じくらいの大きさであることを確認してから、雑木林の闇の中に足を踏み入れた。

 足跡を追って、暗い小道を行く。

 かしくぬぎの木々が生えた雑木林は、日のあるうちならば青々と茂った葉の隙間を通って柔らかくも明るい木漏れ日が差すのだろうが、この時間に木の葉の間から地上に降り注ぐ月光の欠片は足元を照らすにはいかにも心もとない。

 それでもサキは淀みなく足を進める。まるで闇の中で、日中と変わらず周りが見えているかのように。

 歩を進めていくうちに、僅かに水音が聞こえて来るのにサキは気づいた。

 小道からそう離れていないところに小川が流れているようだ。村の中を流れる川の上流に行きついたのだろう。

 小川の音を左に聞きながらなおも進んでいくと、視界が明るくなった。

 そこには二つの月を映して微かに水面があった。泉である。湖というには小さいが、ちょっとした池くらいの広さはあった。小川はそこから流れ出ているようである。

 水を飲みに来る獣が通るためか、泉の周りには樹木の生えない空間があり、小さな広場のようになっている。

 水面の揺らぎによって反射してあたりに散りばめられた月光は、泉自体が青白く光っているかのように見せていた。

 その光の中に人影が一つ。泉を背にして佇む姿は華奢で儚げに見える。長い髪が質量を感じさせない軽やかさで夜風になびいては、月明かりの中で金糸のようにきらめいていた。

 そこに立っているのはサキが探している少女だった。

「見つかっちゃいましたね、サキ……様」

 マリーの言葉にサキは何か言いかけて、止めた。代わりに口から漏れたのは小さなため息だった。

 月明かりの下で二人は、言葉を忘れたように声もなく、しばらく互いを見つめあっていた。

「帰ろう。家族が心配してるよ」

「はい……」

 サキが子供に言い聞かせるように声をかけると、マリーは小さな声で答えて頷いたが、歩き出す気配はない。少し俯いて、上目遣いにサキを見ている。

 再び沈黙が二人を包む。

「あの、聞いてもよろしいでしょうか?」

 沈黙を破ってへりくだって尋ねるマリーに、サキは表情を変えることもなく、ただ頷いた。

「あなたは、本当に王女様なのですか?」

「ああ、本当だよ。もっとも、君からしたら異国の王女だし、アタシが生まれる前に国が滅んだから、王女だったのは母様の母胎にいる間だけだったらしいけどね」

 サキはそういって小さく自嘲気味に笑った。

「だから、『様』なんてつける必要はないんだ。……今のアタシはただの根無し草さ」

「でも……でも、私とは身分が……」

 三度の沈黙。だが、長くは続かなかった。

 サキがそっと左手の腕輪を外すと、月光の照らす中に、黒髪の少女の姿が現れた。憂いを帯びた表情で、彼女は口を開いた。

「アタシね、嬉しかったんだ」

 サキの言葉に、マリーは驚いて顔を上げた。そのマリーの瞳をまっすぐに見つめて、サキは言葉をつづける。

「物心がついてから旅に出るまでずっと、小さな廃城の跡に隠れ住んでいたんだ。アタシ達の周りにいたのは大人たちばかり。皆アタシの両親を慕って仕え続けてくれた、兵士や侍女たちさ。リュードッグもその中の一人。もともとは婚姻の際にお母様の故郷、クマシロからついてきた護衛らしい」

 サキは自身の出生の話をつづけた。

 ハーケンの王妃、つまりサキの母親は、十六年前の戦の最中に王都を脱した後、ハーケンの友邦であり彼女の故郷でもある東のクマシロへ向かった。しかし、国境を越えることはなく、国境沿いにあるその当時には使われなくなっていた廃城に身を隠した。何故そうしたのか、詳しい理由はサキも知らなかった。

 その後王妃は、その崩れかけた廃城の中で出産をした。出生後も、護衛の兵士たちの多くは変わらず母子に仕え続けた。

 最後のハーケン王であるサキの父親が戦死した後、王統は途絶えたと思われていた。戦後、ハーケン王国領は連合軍の首脳部が暫定的な統治を行ったが、連合軍が解散される際に統治権は聖王に引き継がれた。

 当時は赤子ながら、サキはハーケン王国の王位継承権を持っていた。だが、彼女達が名乗り出ることは無かった。

「仕えてくれた皆には感謝しかないけれど、周りには同じ年頃の女の子が居なくてね。だから、マリーが友達だって言ってくれて、本当に嬉しかった。初めての事で舞い上がってた。その友達に嘘を吐いていたのだから、自業自得かも知れないけれど、君の事を騙したかった訳じゃないんだ」

 そう言うと、サキは右手に握っていた腕輪を投げた。腕輪はキラキラと月光を弾きながら放物線を描いてマリーの背後へ飛んでいき、泉の中ほどで水音をたてた。

 腕輪を視線で追っていたマリーの口から、小さくアッと声が漏れた。マリーが視線をサキに戻すと、再び目があった。

 サキの青い瞳が青い月明かりを反射して、より濃い青で輝いていた。

 しかし同時に、彼女が抱えた寂しき諦観がその瞳の輝きを僅かに曇らせていた。

 マリーはそれに気づいたのかもしれない。青い瞳に見つめられた、灰色の瞳から涙が一粒零れた。

「私も。私もそう……」

 マリーは鼻声で呟く。わずかに俊巡した後、頬を拭うと決意のこもった声でつづけた。

「ごめん。本当にごめんね。私が馬鹿だった。本当に……馬鹿だったわ。もう一度、最初からやり直させて!」

 サキは目を丸くしたが、表情を緩ませて微笑んだ。

「ああ、もちろん」

 マリーは、大きく深呼吸をしてから、落ち着いて言葉を発した。

「見つかっちゃったね、サキ」

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