奇妙な旅人(8)
マリーは厨房で夕食の後片付けをしながら口をとがらせていた。
――サキともっと話がしたかったのに。
昨日と同じように今日も二人の客人を招いて夕食会が行われた。前日に比べると料理はだいぶ質素になったが、提供された琥珀色の液体の量だけは前日に引けを取らなかった。今日はヨナが同席していなかったが、それは彼が口で言ったように遠慮をしたわけでは無く、二日酔いで懲りたためだとマリーは思っていた。
最終的には酔っぱらったバドとリュードッグが前日と同じように大声であれこれ話すのを、マリーとサキはこれまた前日と同じように飽きれて見ていたのだ。
――昼間はちょっと失敗しちゃったしね。
マリーは昼間にサキに絵を見せてもらった時のことを思いだした。美しく興味深い数々の風景にマリーは感動したのだが、自分が実際のその風景を見ることが出来ない事を考えると無性に寂しく思えてしまったのだった。
――でも、せっかく絵を見せてくれたのに態度が悪かったわ。
マリーはそう反省した。そして、その事を謝りたいとも思っていた。
出来るだけ自然な態度でサキの部屋を訪ねる為の方便として、彼女は頼まれてもいない水差しを運ぶことを思いついた。水差しを部屋に届けたついでに、勢いで謝ってしまおうという魂胆である。
いそいそと水差しとコップを乗せた盆を持って、足音を忍ばせながら階段を上った。
マリーが足音を忍ばせたのには、深い意味はなかった。ほんの些細ないたずら心で、突然現れて驚かせてやろうか、などと考えていたのである。
扉の前まで近づくと、声が漏れ聞こえてくるのに彼女は気づいた。声の調子からして何やら大事なことを話しているらしい。会話の邪魔をしては悪いと思い、会話が途切れるのを扉の前で待つことにした。
「まさか、村人に話を聞きに行ったのかと思えば、女の人たちに捕まって聞きたいことは何一つ聞けてないなんてね」
サキが非難めいた声でそう言う。リュードッグはサキに何かの話を村人から聞き出してくるように言われていたらしい。だが、魔物の噂を聞きつけた村の若い女性たちによって、寧ろリュードッグが根掘り葉掘りと魔物の話を聞き出される始末となったようである。
「いやいや、か弱きご婦人方の不安を解消して差し上げるというのも必要なことでござりまするぞ」
「それはそうかもしれないけど……」
「それに、ご婦人方が怖がるのも無理からぬことですぞ。男どもの中にはハーケンへの出征で魔物を見たことがある者もおりまするが、女どもは一度も見たことはありませぬから。目に見えぬ脅威というものというのは、得てして実際の脅威よりも大きく見積もられがちですゆえ。そのうえ、見知らぬ旅人の姿を見たという噂があるようでござりまするな」
「それってアタシ達のことじゃないの?」
「どうやら違うようですぞ。顔は分かりませぬが黒い外套を羽織った背の高い男が村の中をうろついていたとか」
「ふーん、一体誰だろうね? この村は街道のどん詰まりだから、通り過ぎるだけってことは無いだろうし……」
「分かりませぬな。しかし昨日の今日ですから、村人たちはだいぶ神経質になっておりまする。明日にも村と首都キリクの中間にある城塞都市キノハへ、兵を派遣してくれるよう嘆願するためにポロ殿が出発するとか」
サキ達ではない不審な旅人の噂ならばマリーも聞いていた。本当ならば今日にでもポロかヨナが――実際には今日のヨナは二日酔いで使い物にならなかっただろうが――多くの兵士が駐留しているキノハへ向けて出発するという話だったのだが、謎の旅人の噂を受けて再びどうするか話し合ったため出発は明日にずれ込んだらしい。
「なるほどね。まぁ、それは良いとしても、夕食のときにでも村長殿なりマリーなりに尋ねれば良かったんだ。すぐに酒を飲み始めて関係のない話ばかりしたのはいただけないよ」
「これは相すみませぬ。とはいえ、遺跡には足が生えてはおりませぬぞ。逃げる物ではありませぬ故、慌てる必要はござりませぬ」
サキの声に比べると、リュードッグの声は大きい。まだ酔いが抜けきっていないのだろうか。
「まあね」
「サキ様が不満なのは、夕餉のおりにあの娘御と話が出来なかったからではござりませぬか? 同じ年頃の娘と話す機会は今までありませんでしたからなぁ」
「そんなんじゃ、ないさ」
ぶっきらぼうに否定するサキの声だが、歯切れは悪い。
「あまり親しくしておりますとぼろが出ますぞ。性別が露見するくらいでしたら、小さな問題ですが……」
数秒の間を空けて続けられたリュードッグの言葉に、マリーは息をのんだ。
「サキ様が亡きハーケン国王陛下の忘れ形見だということ、知られるといささか厄介ですからな」
マリーの聞いた話では、ハーケン王国は十六年前の戦いで王が戦死し、跡継ぎもなく滅んだ国だという。現在は、大陸全土に絶大な影響力を誇り十六年前の戦役では古き盟約の盟主として連合軍を組織した聖王が統治していると聞く。
――サキは、ハーケンの王家の血筋ということなのかしら? ということは、つまり……
つまりはサキは、世が世なら王女として傅かれている存在だということだ。そう考えれば、リュードッグのような護衛役が付くというのも、理解ができる。
そう考えるマリーの胸には、少しずつ言葉にできない寂寥感が押し寄せてきた。
――どうして、こんな気持ちになるのかしら?
部屋の中ではまだ何やら話が続いているが、マリーの耳にはもはや届いてはいなかった。足音を立てずに後ずさろうとしたマリーの腕の中で、盆にのせたコップと水差しが当たって高い音を立てた。
部屋の中の会話が途切れたのが分かった。
もはや音が鳴るのも構わず盆を床に投げ出すと、マリーは脱兎のごとく逃げ出した。
逃げ出したマリーの後ろで扉が開くと、白髪の頭が外を覗き見た。
足元に水差しやコップが転がっているのに気づくと、首を引っ込めて部屋の中へ振り返った。彼の主人と目が合う。
「腹、掻っ捌くって、言ったよね?」
黒髪の少女は小首を傾げてそう言った。
「さぁて、どうでしたかなぁ」
白髪の老兵も小首を傾げてそう言った。
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