奇妙な旅人(7)
翌日、サキは朝食をとった後で村長の屋敷を出て村の道を歩いていた。
本来ならばリュードッグと共に村の中を見回るつもりだったのだが、昨晩村人相手に魔物対策を熱弁したリュードッグはすっかり専門家扱いをされて、今日も朝から村の男達に取り囲まれて質問攻めにされてしまっていた。
詰めかけた村の男達に閉口した様子のリュードッグを横目に見ながら、サキは涼しい顔で隣を通り過ぎて屋敷を後にした。通り過ぎるサキにリュードッグは珍しく助けを求めるような視線を寄せて来た様にも見えたが、務めて気のせいだと思うことにした。
外に出ると空は良く晴れていていて、南方の空を見ると重厚な積乱雲が湧きたち始めていた。北国の短い夏が終わろうとしていたが、朝の清涼な空気は寧ろこれから気温が上がり暑くなることを予感させた。
早くもじっとりと汗をかき始めた額を手で拭ってから、サキはとりあえず村の中央を南北に走る道の先を見ようと踵を返すと北へ向かって歩いた。
朝日を右頬に受けながら黙々と歩いたが、村の北側には烏麦などの雑穀の畑が広がるだけで特に真新しいものは無かった。
しばらく行くと道が途絶え、前方には鬱蒼と茂った針葉樹の森が立ちふさがった。どうやら村の北端にたどり着いたらしい。
「何もなし、か」
一人ごちたサキは、もう一度額の汗を拭った。歩いている間に日が高くなりはじめ、気温もだいぶ上がってきたようだった。
――水筒を持ってくれば良かった。
喉の渇きを覚えたサキは周りに水が無いか見渡したが、近くには飲用できるような水場は見当たらなかった。
仕方なく来た道を引き返しながら、サキは何気なくにこの村がどうやって作られたのかを考えていた。もちろん、農耕や牧畜にちょうど良い平地があったから人が移り住んで来たのだろう。だが、この山脈に挟まれた土地に何故平地が形成されたのだろうか? サキには地質学の素養は無かったが、川が流れていると堆積物で周囲に平地が作られることを知っていた。しかし、この山間の寒村を流れる川は平地を形成するにはあまりにもか細く、しかもそれは村の西側から流れ込んで来て南へ抜けていくのだ。村の北側まで堆積物を運ぶことが出来るとは思えなかった。あるいは昔は川の流れが違っていたのかも知れない。そんなことを考えているうちに、サキは村の中央部の村長の屋敷が見える位置まで帰ってきていた。
村長の屋敷の塀の傍には村の女たちが数人集まって何事か話し合っていた。サキより七、八歳くらい年上の若い女たちだ。女たちはサキに気づくとそそくさと村長の屋敷の傍から離れたが、少し離れた場所からサキの方をチラチラと伺っている。表情を見る限りは、辺境の村特有の余所者への嫌悪感からそうしているわけでは無い様だ。
――何か用でもあるのだろうか?
サキとしても村人に聞きたいことがあったので、向こうが話をしたいなら都合が良い。だが、長話に付き合う羽目になるのは避けたかった。
サキは若い女が三人以上集まって、話が短時間で済む可能性はどれほどかと考えたが、あまり高くは無さそうだという結論を得ると、ひとまず屋敷の中に入ることにした。聞きたいことはマリーに聞けば良いのだから。女たちはサキの後姿を見送っていたが、声をかけてくることは無かった。
屋敷の中に入って食堂を覗くと、屋敷を出た時と同じようにまだ質問攻めにされているリュードッグと目が合った。リュードッグは先ほどの無言の救援要請に応じなかったサキに向けて、今度は恨めしそうな視線を向けて来ていた。
サキはその視線を受けながら、食堂を素通りして厨房に入ると水瓶から水を掬って飲んで喉の渇きを潤した。そうしてから、リュードッグの恨めしそうな視線が正確に自分を追尾していることを確認して、ため息をつきながら食堂に入った。
「はいはい皆、もう日は高いよ。油を売ってて良いのかな?」
手をパンパンと叩いて声を張り上げると、村の男たちは初めて時間の経過に気づいた様子で、おざなりにリュードッグへの礼を言うと三々五々に屋敷を出て行った。
「やれやれ、助かりましたぞサキ様。とはいえ、もっと早く助けて下されてもよろしかろうに」
「そう言うなよ。昨晩はだいぶ乗り気だったじゃないか」
「いやま、それはその通りでござるが……。流石に二日続けて村人共に取り囲まれるのはウンザリしておりました」
リュードッグはそう言うと座っていた椅子から立ち上がって伸びをした。
「それで、サキ様はどちらへ行かれておられたのですかな?」
「村の北の方を見て来たよ。特に珍しいものは無かったね」
「ふむ。とするとやはり、西の山に見えた奇妙な建造物が怪しいですな」
「ああ。誰か村の人を捕まえてて聞いてみよう」
「それでは手分けして……」
何か言いかけて、リュードッグは何かに気づいたような表情をした。その後、彼の口から出てきた言葉は、おそらく元々言おうとした言葉とは別物なのだろう。
「聞き込みはそれがしに任せて、サキ様は少し休まれてはいかがかな?」
リュードッグの言葉にサキは首を横に振る。
「アタシ一人遊んでいるわけには行かないよ」
「そうですか? 本当に、それでよろしいですかな?」
リュードッグは何度も念を押すように確認しながら、サキの背後へチラチラと視線を送った。訝しんだサキが振り返ると、食堂の入り口の向こうからこちらを覗き込んでいる杏色の髪の少女と目があった。
「マリー? どうしたの?」
声をかけられてマリーはビクリと背を震わせた。
「あのね、もし暇だったらで良いんだけど……ちょっとお話できないかなって思って……」
「あー」
サキは声を発しながら、視線を戻した。今度はこれ以上ないほどの笑みを満面に浮かべた老兵と目が合った。
「ドグ、さっきの話だけど……」
「何も言われますな! 何も言われますな‼ このリュードッグ、サキ様がおっしゃりたいことなど聞かずとも分かりまする!」
そう言うとリュードッグは本当に何も聞かずにカッカと哄笑しながら食堂を出て行った。二人の少女はその場に居たまま少々呆気にとられた表情で去って行く老兵の背中を見送った。
「ごめんね、邪魔しちゃったかな?」
声をかけながら傍へ寄って来たマリーに、サキは「いいや」と応じた。
「少し外を歩いてきて、ちょうど休もうと思ったところだったから」
実際はサキは喉が乾いているだけで疲れを覚えているわけではない。そのことは会話を途中から聞いていたマリーも知っているはずだったが、サキのついた小さな嘘を追求しようとはしなかった。
「じゃあ、サキ達の部屋に行こうか? 客室の方が私の部屋より広いから」
マリーは先に食堂を出ていき、後から付いて来るサキを階段の前で足踏みをしながら待っている。階段を上り、昨晩サキとリュードッグが泊まった客室に入ると、二人は並んで寝台に腰かけた。
換気のために窓は開け放たれていて、眩しい光が部屋の中に差し込んでいた。
「ね、早速だけど、昨日の話の続きを聞かせて貰えないかな?」
寝台に腰かけるとすぐに、マリーは待ちきれないといった様子で話をせがんだ。
「昨日の話?」
「色々な所を旅して来たって話。昨日は父さん達が盛り上がっちゃって、あまり聞けなかったから」
昨晩は外でサキの散髪をした時にも二人きりになったのだが、マリーは会話の流れから旅の話を聞きたいと切り出しそびれたのだろう。
「わかった……じゃあ、ちょっと待って」
サキはそう言うと、部屋の片隅に置いた荷物に向かった。旅の荷物の中に一つ、肩から掛ける小さな鞄が置いてあり、サキはそこから油紙の包みを取り出すと戻って来た。
「それは……?」
興味津々に問いかけるマリーに、サキは顔を少し赤らめて「笑わないでよ」と言うとその包みを手渡した。
「開けて良いの?」
サキの無言の頷きを確認して、マリーは包みを紐解いた。中からは何枚もの紙の束が出てきて、そこには黒い線で絵が描かれていた。
「これは? サキが書いたの!?」
「うん。あまり上手には書けてないと思うけど」
「そんなことはないよ」
マリーはそう言って丹念にサキの絵を見始めた。
技巧的な所は一切ない朴訥な絵である。だがその素朴な絵柄は、かえって見る者を引き込む不思議な力を持っていた。
南国の港町の風景と思われる絵には、坂の上から一望された港湾の中に大小の船がひしめき合っている様子が描かれている。黒い線だけで書かれた陰影から、強い日差しが降り注いでいるのが分かる。
市場の風景。市には様々な品物が並び多くの人が詰めかけている。物を売る人たちは表情までは書き込まれていないが、その躍動感のある身振り手振りからは市場の活気が伝わってくる。
森林の中の風景。青々と茂った木々と苔むした岩。小さな花とその周りを飛び交う蝶たち。木漏れ日。先ほどの絵からは一転して、そこには静寂が描かれていた。
長閑な田園風景。灼熱の砂漠。美しい滝。雄大な大海原。山の稜線から差し込む朝日。壮大な宮殿。
マリーは熱病に浮かされたように「あー」とか「おー」とか意味のない言葉を唸りながら紙をめくった。絵が描かれた最後の一枚をめくって、その下からまだ使われていないまっさらな紙が現れる、深いため息をついた。
サキは、笑わないでと言いながらも、マリーの口から感想を聞きたかったのだろう。無言のままのマリーの様子を暫く見ていたが、我慢できなくなったように問いかけた。
「どうだった?」
マリーはサキの声を聞いて夢から冷めたような顔をしてぽつりと言う。
「すごい……」
「そんなに凄くはないよ」
謙遜しながらもサキは表情に喜色を浮かべた。だが、すぐにマリーの表情が何処か落ち込んでいる様に見えることに気付いた。
「どうしたの?」
「これは、全部サキが実際に見て書いたものなの?」
サキの問いかけに、マリーは顔を伏せたまま問い返す。
「そうだけど……」
マリーは顔を上げた。その時になって初めて、サキが心配そうに自分の顔を見ているのに気付いたらしい。
「何でもないよ。あんまり絵が上手だからびっくりしちゃった!」
マリーはぎこちなく笑うと明るい声色でそう言った。マリーの言葉に含まれるのが小さな嘘なのか、大きな嘘なのかサキには判断がつかなかったが、追求しようとはしなかった。
「そっか……ありがとう」
「どういたしまして! 色がついてたらきっともっと綺麗なんだろうなぁ」
「絵具は高価だし、道具がかさばるからなかなかね」
「そうなんだ……いつか……」
「うん?」
「ううん、何でもない。絵を見せてくれてありがとね! 良かったら、一枚ずつ何処の風景か教えてくれないかな?」
マリーはそう言うと優しく微笑んだ。その表情には先ほどまでの暗さは無くなっていた。
サキは自分の絵を指さしながら、何処で描いたものなのかを説明し始めた。マリーもまた絵を指さしながら、絵に書かれた場所の文化や風俗など様々なことをサキに尋ねた。時には冗談を言って二人で手を叩いて笑った。
サキがすべての絵を説明し終わるころには、太陽はとっくに中天を過ぎていた。
この時代、農村に暮らす農民たちは朝夕の二度しか食事を口にしない。力仕事をするときは昼間に軽い間食を挟むだけで、一日に三食、朝昼晩と食事をとる習慣を持っていなかった。それは自家製の蝋燭が貴重品で、特別な用時でもなければ日が沈むと寝てしまう事も関係があるのだろう。とはいえ、昼食をとる必要がなくともマリーもいつまでも油を売っているわけにはいかないのだろう。
「いけない、もうお昼過ぎ!? わたしもう行かないと。じゃあ、また夕食でね」
そう言ってマリーがちょうど立ち上がった時だった。地面が小刻みに震えていることにサキは気づいた。あまりに小さな振動なので気のせいだろうかと思いかけたところで、ぐらりと大きく地面が揺れた。
ギシギシと家鳴りが響いて、寝台に腰かけた上半身が大きく揺らいだ。窓の外からは鶏がけたたましく鳴き声を上げるのが聞こえ、屋敷の中の何処かからは陶器が割れるような音も聞えて来た。
小さく悲鳴を上げたマリーを抱き寄せて、サキは揺れが収まるのを待った。幸い、数秒もすると揺れは収まった。
「びっくりした。こんなに大きな地震は久しぶりね」
肩をサキに抱かれながら、地震が止んだことにマリーは安堵のため息を吐く。
「この辺じゃ地震が多いの?」
「そうだね。年に何度かあるよ。近頃はちょっと増えてるかな? でもこんなに大きいのは滅多にないよ」
マリーはようやく落ち着いた、という様子でもう一度立ち上がった。
「さてさて、一体何が割れたんだろうね。片づけなきゃ」
「手伝うよ」
サキはマリーに続いて部屋の外へ出ようとしたが、足を止めると窓の外を見やって独り言を口にした。
「ドグは首尾よくやってくれてるかな?」
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