ジェームス・モルガンのゲーム

大橋 知誉

ジェームス・モルガンのゲーム

 ジェームス・モルガンはラザトニア5番通りの古いアパートに暮らす学生だった。


 もうすぐ18歳。

 そうなると義務教育が終わり、そろそろ次なる進路を決めなくてはいけない。


 ジェームス・モルガンの足取りは重かった。


 彼は未だ自分が何をしたいのかまるでわからなかったのだ。


 今日は学生生活最後の “天分試験” の日であり、たった今、その試験を終えて帰宅の途へついたばかりである。


 クラスメイトのほとんどが、今回のテストで適正が決定し、来週にはその後の進路が通達されるだろう。


 学校の門を出たところで後ろから声がした。


「ジェームス・モルガン! まさか先に帰るつもりじゃないでしょうね」


 振り向くと恋人のミアが立っていた。


 文武両道で性格もよく容姿も美しい彼女は、誰からも好かれる人気者だった。


 そんなミアがなぜ、ジェームス・モルガンのようなパッとしない奴とつきあっているか、恐らく全校生徒が不思議に思っていることである。


 実際ジェームス当人も、何故なんだろう…と思うことが多々あった。


「ジェームス・モルガン、あなたはね、自分で思っているよりずっと魅力的なんだよ」


 それがミアのいつもの回答だった。


 しかし、ジェームス・モルガンの本質は “天分試験” が明確に確実にばっちりと明示しているではないか。


 ほとんどの項目でジェームス・モルガンは平均以下…つまり、これといった特徴も特技もない…との結果が出続けているのだった。


 魅力的とは程遠い。


 “天分試験” は多種多様な分野における向き不向きを検査するもので、これまでの教育制度では拾いきれなかった隠れた才能も見出すことが実現し、タイプ別に名称も与えられ、それにより救われた人も多くいる。


 どんな人にもチャンスはあり、その特技がどんなに少数派でも世間に認められ受け入れられるべきである!


 多様細分化至上主義。

 これがここ数百年続く国家の方針だった。


 だが、ジェームス・モルガンはこのテストによってどのタイプにも分類されず、よって「お前は何者でもない」と突きつけられているような気持ちになってしまうのであった。


「さては、今日の結果を想って憂鬱な気持ちになっているんだな」


 ミアはジェームスの腕に自分を腕を絡ませながらからかうように言った。


「憂鬱にもなるだろう、あんなの。<お前には輝かしい未来はない>って人生始まる前に宣告されてるんだぜ…」


 ジェームスはため息まじりに答えた。


 ジェームスのようにどの分野に対しても不向き判定を受ける者はかなりの少数派ではあるがいるにはいる。

 そのような者たちには、誰にもできるようなろくでもない役職が付与される。

 国によればそれも救済処置なんだそうだが。


「ジェームス・モルガン。私はあなたを信じてる。がんばればきっと誰よりも才能を発揮するはずだって。やればできる。あなたはただ、今はやる気がないだけなのよ」


 そう言ってミアはジェームスの背中をバンバン叩き励ましてくれた。

 彼女はいつもそう言って励ましてくれるのだが、それはかえって彼を憂鬱にさせていた。


 “やればできる” それはジェームス・モルガンが一番嫌いな言葉だった。


 それはできる奴の言い分なのだ。

 自分ができるからって、他の人も努力すれば同じようにできると信じている。

 できないのは努力が足りないからだと決めつけている。


「でも大丈夫よ、ジェームス・モルガン。あなたが不憫なことになっても私が最高級の家に住まわせてあげるから」


 ミアはこのごろ、頻繁にこのようなことを付け加えて言ってくるようになった。

 どんなに励ましたところでジェームスは頑張らないと察して来たのだろう。


 それはつまり、ミアからのプロポーズに他ならないのであったが、ジェームスは毎回適当に誤魔化してはぐらかしていた。


 ミアによると、“天分試験” のパートナー診断では、ジェームス・モルガンは最良のパートナーとなりうるとの結果だったらしい。


 “天分試験” を盲目的に支持しているミアのような人間にとって、その結果は絶対的に信頼しうるものなのであった。


 そんな人生も悪くはないかも…とは考えたこともあったが、ジェームスにはどこかしっくりこないのであった。


 「しっくりこない」…それは人類が失って久しい感覚であった。


 この感覚を持っている。それがジェームス・モルガンが特異たる由縁であり、“天分試験” の結果が振るわない原因でもあるのだった。


 自分はこのままでいいのだろうか?


 ジェームス・モルガンは何かのきっかけを探していた。

 何かを閃くきっかけを。


「ねえ、ジェームス・モルガン、試験も終わったことだし、どこかに遊びに行かない?」


 この誘いにジェームズはしばし考えた。

 実は行ってみたいところがあったのだが、ミアと行くようなところではなかった。


「アルガン湖に行ってみたいんだけど、どう?」


 試しに誘ってみた。


 アルガン湖。


 それは、旧時代の構造物に水が溜まってできたと言われる巨大な湖だ。


 市街地から内陸に向かって真っすぐに伸びる高速道路の中間地点にあり、訪れる人はほとんどいないが、誰もが写真で見たことがある場所であった。


 旧時代の情報は現在ではほとんど残っておらず、その構造物が何なのか、人工物なのか自然の物なのか、何もわかっていなかった。


 理由はわからないが確かにそこにあるもの…その存在にジェームス・モルガンは惹かれてしまうのであった。


「アルガン湖? 日帰りで? 危なくないの?」


「ただ見に行くだけだよ。今出たら夜までに行って帰って来れる。危ないことはしないよ」


 うーん…と顎に人差し指をあてがいながら、ミアはしばらく考えていた。

 そしてあっさりとこう言った。


「いいよ、行ってみよう」


「え? いいの?」


 ジェームスはミアの返答が意外だったのでびっくりして言った。


「うん。あんまり行きたくはないけど、ジェームス・モルガンが行きたいなら私も行く」


「どうして? ムリしなくていいんだけど」


「何に対しても無関心なジェームス・モルガンがよりにもよってなんでアルガン湖なんかに興味を持ったのか、私も知りたいんだ」


 別に何に対しても無関心なわけではないんだけどな…とジェームス・モルガンは思ったが言わないでおいた。


 数刻後、ジェームスとミアの二人はオート二輪車にまたがってアルガン湖を目指していた。


 アルガン湖に代表される旧時代のことについて、人々は関心を持つことを避ける傾向にあり、それはずっとそこにあるのに無視され続けてきた。


 アルガン湖には幽霊が出るとの噂も時々聞くが、誰も確認しに行こうという者はいなかった。

 だいたいそんな噂を誰が流しているのか出所もわからなかったし、誰も知ろうともしなかった。


 子供たちは「あそこは何もないつまらない場所」というイメージを刷り込まれて大きくなる。


 それが、反対にジェームスの興味を引く結果となったのだ。


 誰も走っていない郊外の高速道路をひたすら真っすぐに進むと、いよいよアルガン湖が見えてきた。

 写真では見たことがあったが、ジェームスもミアも現物を目の当たりにするのはもちろん初めてだった。


 それは草原が続く平地の先に突如として現れ、そして、思った以上に巨大だった。


 ジェームズは「アルガン湖」と書かれた出口から高速道路を降りると、湖への一本道をひた走った。


 その道は普段誰も通らないだろうに、普通の道路と同じように綺麗に舗装されて痛んでもいなかった。

 そもそも、なぜ「アルガン湖」への道が整備されているのかも不思議に思ったが、ジェームスはこの点については深く考えるのをやめた。


 考えてもわらないことは考えない。

 そういう切り替えが早いのもジェームスの特徴であった。


 ミアに関して言えば、そもそもそんな疑問すら思いついていないほどだった。


 遠目見えるアルガン湖はただの湖に見えた。

 水面に光が反射してキラキラ光り、何なら美しいと言ってもよい風景だった。


 だが、あの湖は上空から見るとおよそ自然が作り出したとは思えぬほどに完璧な円形をしているのだった。


 草原の中の一本道をしばらく進み、ジェームスとミアはついにアルガン湖へと到着した。

 道路はそこで終わっていた。


 オート二輪車を降りて湖畔へと徒歩で近寄ってみる。


 水際に近くなるとそこで草原は終わっていて、足元は何だかわからない未知の材質へと変わった。


 それは灰色のツルツルした素材で、上を歩くとコーンコーンと妙な音を響かせた。


 ミアは気味悪がってジェームスの腕にしがみつき、恐る恐るその上を歩いた。


 湖の表面には、小さな細波がたっていて、波打ち際に近寄ると、ザザ…ザザと小さな波の音が聞こえた。


 ジェームスは波打ち際に立つと、湖の中を覗いてみた。


 水はやたらと透き通っていて波の下がよく見えた。


 ジェームスが立っている場所からすぐ先の方が急激に深くなっているのが見えた。

 水面は穏やかだったが大変に恐ろしい光景だった。


 水には絶対に入らない方がいいな…と思って彼は一歩後ろに下がった。


 日はだいぶ傾いてきて、あたりは黄金色の光に満ちていた。


 その美しさと、波の音しかしない静寂さが、とても不気味だった。


「ねえ、もういいでしょう? 帰ろうよ」


 ミアが怯えた声で言った。


「うん、そうだね…」言いかけてジェームスは視界に入ったものに釘付けになってしまった。


 ずっと向こうの方、湖とはちょっと離れた場所に、来るときには見えなかった構造物が見えたのだ。


「あれ、何かな?」


 ジェームスが指さすと、ミアもその方向を見た。そして彼女も見た。


「何? あれ…。ボウルをさかさまにしたみたいに見えるけど…」


 それは球体の上半分を切り取ったような形の、ちょうど一軒家くらいの大きさに見える構造物だった。


 あんな周りに何もないところにあるものが、何故さきほどまで見えなかったのか不思議だった。


 ジェームスは、少し湖から離れて歩いてみた。

 すると、視界からその構造物は消えてしまった。


 また、湖に近寄ってみると…それは見えた。


「たぶんだけど、角度によって見えたり見えなかったりするみたい」


「何なの…それ……あ、ちょっと、ジェームス・モルガン!! 待ってよ。まさかあそこに行く気?」


「嫌だったらオート二輪車のところで待ってて、すぐ戻るから」


 それを聞くとミアは慌てて着いて来た。こんなところで独りになる方が嫌だったらしい。


 半球体の構造物は近寄るとやはり家くらいの大きさだった。

 地面と同じ灰色のツルツルした素材でできている。


 ジェームスの知る限り、現代人はこのような形状の建物は建てない。


 やはり旧時代のものなのだろうか。


 構造物には入口のようなものがついていた。


 扉らしきものから突き出ているレバーにジェームスが手をかけると、ミアが不安そうに彼の服を引っ張った。


「やめときなよ」


 ミアの声は震えていた。彼女は予測不能な事態にめっぽう弱いのだ。

 ジェームスは彼女の手を握ってやると、「大丈夫だよ」と優しく声をかけた。


 レバーに手をかけると動きそうだった。

 思い切って上に押し上げると、ガチャンと音がして、扉が開いた。


 扉は押して開けるタイプだった。ゆっくりと押していくと、滑るように音もなく、扉は内側へと開いた。


 中を覗き込むと、真っ暗で何も見えなかった。


 ジェームスが一歩踏み出そうすると、ミアが再び服を引っ張って首を何度か横に振った。彼女は無言で「やめよう」と言っている。


 そんな彼女にジェームスはにっこり微笑みかけ、今度は彼女の肩を抱いてゆっくりと、だが確実に一歩、建物の中に足を踏み入れた。

 すると、それと同時に建物内の照明が一斉につき、中は明るくなった。


 この建物がどれほどの時間放置されてきたのか知らないが、未だ照明が生きていることも驚きだった。


 正面に壁があり、ドアが三つ並んでいた。


 これにはミアも興味を引かれたらしく、ジェームスにくっついて建物の中へと入って来た。


 建物の中に入ると、二人の足音がコーンコーンと響いた。


「これはこれは。お客様とはめずらしい」


 ふいに後ろから声がしたので驚いて二人が振り向くとそこには風変わりな人物が立ってた。


 その人は、真っすぐなサラサラの黒髪を腰まで伸ばし、長身で病院で着るようなゆったりとした衣類を身に着けていた。


 そして何よりも、美しかった。


 その人は、ジェームス・モルガンがこれまでに見た人物の中でも類を見ないほどの美しい容姿をしていたのだった。


 一見女性のようにも見えるが、その声から、男性なのだろうとジェームスは認識した。


「あ…あの、勝手に入ってしまってごめんなさい。」


 咄嗟にジェームスは謝った。


「いいえ、問題ありません。ここは解放されている場所です。私はここの管理を任されているハヤト・ウェイという者です」


 ハヤト・ウェイは丁寧に自己紹介をすると、深々とお辞儀をした。

 ジェームスとミアの二人も慌てて頭を下げる。


「ぼ、僕はジェームス・モルガン。こっちは恋人のミア・ハーネス」


「ようこそ、ジェームス・モルガン、ミア・ハーネス」


「それで、ウェイさん、ここは一体何?」


「私のことはハヤト・ウェイと呼んでください、ジェームス・モルガン。ここは、ご存じのとおり旧時代の施設です。あなたは、何故、ここに来てみようと思ったのですか?」


 ジェームスは少し考えてから、「何となく…」と答えた。

 その返答でハヤト・ウェイは満足したように頷いた。


「あちらの部屋にこの施設のメインルームがあります。見学なさいますか?」


 ハヤト・ウェイは三つ並んだドアのうち、真ん中のドアを指して言った。


 ジェームスは「もちろん!」と返事をしたが、ミアは乗り気ではないようだった。


「ミア・ハーネス、あなたはどうです? ここで待っていますか?」


 ハヤト・ウェイはミアの表情を読み解きそう訊ねた。


「わ、私も行くってば!」


 ミアはとにかく一人にはなりたくないのでそう答えた。


 二人はハヤト・ウェイについて一つの部屋へと入った。


 その部屋は思ったよりも広かった。

 中央に大きなテーブルといくつか椅子が置かれているだけの部屋だった。


「ここはゲームをする部屋です」


 ハヤト・ウェイは静かな声で語り始めた。


「ゲームって、ここで?」


 ジェームスは不思議そうな顔で部屋を見渡した。

 彼が知るゲームとは、このような場所でやるものではなかった。


「そう、ゲームです。ここでは模擬世界ゲームをプレイします」


「模擬世界ゲーム…?」


「…そうですね…。簡単に説明すると、架空の世界を作れるゲームといった感じでしょうか」


 ジェームスはそんなゲームを聞いたことがなかったので大変に興味を引かれた。


「動くんですか?」


「動きますよ」


 ジェームスは期待に胸を膨らませてハヤト・ウェイを見た。


「ああ、でも、今日はたまたま装置を点検する日でして…今日に限って動かすことができないのです」


「あ、いえ、いいんです。お仕事の邪魔しちゃってごめんなさい」


 ジェームスは慌てて謝った。自分が彼の邪魔をしていると初めて気が付いて少し慌ててしまった。


「いいんですよ。それよりも、そろそろ日没も近づいて来ました。日が沈むとここから市街地へ戻る道は真っ暗になってしまいます。今日は早めにお帰りになった方がよろしいですよ」


 それを聞くとミアは嬉しそうにお礼を言うと、さあ、もう帰ろう、とジェームスを促した。

 ジェームスはしぶしぶミアの後に続いて部屋から出た。


 ミアは来るときとは反対に足早にこの建物の出口へと向かって行った。

 あわててジェームスがついて行こうとすると、ぽんと肩に手を置かれた。


 見上げると、ハヤト・ウェイがこちらを見下ろし、にっこり微笑んでいた。


 ハヤト・ウェイは少し前かがみになると、ジェームスの耳元で「明日、また来てください」と囁いた。


 ジェームス・モルガンは自分の心臓がドキンとなるのを感じ、そして小さく頷いた。


「ジェームス・モルガン! 何してるの? 早く帰ろう!」


 ミアが早々と出口の外に出て、向こうでもどかしそうに振り返って彼を呼んだ。


 ジェームスはペコリとお辞儀をすると、ミアに続いてこの建物から外に出た。

 辺りはすっかり夕焼けに包まれていた。


 振り返ると建物の入口にハヤト・ウェイが立っていた。

 そして手を振ると彼は扉を閉めて中に入ってしまった。


 彼ともっと話しがしたかったなとジェームスは後ろ髪を引かれる思いでその場を後にした。


 そうして二人はどんどん薄暗くなっていく道をオート二輪車を飛ばして街まで帰って来た。


 家につくるころにはすっかり夜になってしまった。


 ミアを家まで送ると、ミアは黙ってオート二輪車を降り、小さな声で「じゃあ、またね」と言った。


 あんな場所に行ったものだから、彼女も彼女なりに頭の整理をしているようだった。


 ジェームスはそっと彼女の身体をひきよせると、その頬に口づけた。


 それでミアも少しは気が晴れたらしくて、手を振ってアパートの階段を登って行った。


 彼女の部屋に明かりがつくのを確認すると、ジェームスはオート二輪車を走らせて自分の家へと帰った。


 布団に入って目を閉じても、あのゲームの部屋の情景が瞼の裏に浮かんでなかなか寝付くことができなかった。


 空が白み出すこと、ジェームスは我慢がならなくなって独りオート二輪車にまたがると、高層道路をアルガン湖へ向かってひた走った。


 今日からは試験後の予習期間なので学校をさぼってもさほど問題にはならないだろう。


 ミアはジェームスがどこへ行ったのか勘付くだろうしよく思わないだろうけど、彼は自分の衝動を止めることができなかった。


 どうしてもあそこにあったゲームがどういうものなのか見てみたかったのだ。


 こんなに朝早くにハヤト・ウェイはいないかもしれないけれど、それならば湖畔を少し散策して時間をつぶせばよいと考えた。


 ひとりで飛ばして来ると、思ったよりも早くアルガン湖に到着した。


 ジェームスはオート二輪車を降りると、足早に波打ち際に近寄り、例の丸い建物が目視できる角度を探して建物へと近づいた。


 建物は昨日と同様、静かにその場に建っていた。


 ドアをあけて中に入ると、今日は最初から照明が点いており、正面にハヤト・ウェイが立っていた。


 彼は昨日と同じような、しかし色違いのゆったりとした服を着て、どこにも力が入っていないような美しい立ち姿でそこにいた。


「やあ、ジェームス・モルガン。ずいぶん早かったですね」


「すみません。早すぎたかな…?」


「いいえ。時間はたっぷりあった方がいいですから」


「もしかして、あなたはここに住んでいるの?」


「ええ、お察しのとおりです。私はここに住み込みで整備をしています。昨日無事に点検が終わりましたので今日はゲームを体験していただけます。やりますか?」


 ジェームスは「もちろん!」と返事をして目を輝かせた。


「では早速こちらへ」


 ジェームスの背中にそっと手を当てると、ハヤト・ウェイは丁寧に昨日の部屋へと案内してくれた。


 部屋の中央にテーブルがあるのは昨日と同じだったが、今日はテーブルの上に一冊の本が置かれていた。


 近寄ってみると、その本の表紙には美しい庭園が描かれており、見たことのない文字でタイトルが書かれていた。


 その文字は当然ジェームスには読めなかったので首をかしげていると、ハヤト・ウェイが彼の肩に手を置いて行った。


「あなたはこの字が読めませんでしたね、すみません。これでどうですか?」


 ハヤト・ウェイが何をしたのか解らなかったが、その瞬間、表紙に書かれた文字がジェームスにも読めるようになった。


 そこには “天地創造” と書かれていた。


 驚いてジェームスがハヤト・ウェイの方を見ると、彼はにっこり笑って見せた。


「単純な翻訳機能ですよ。私は長年旧時代の文字と現代の文字を研究していますから、この文字が現代の文字ではないことを忘れていました」


「この本は紙…で出来ているように見えるけど、違うの? 電子ペーパーのようなもの?」


「まあ、そんなところです。ではさっそくやってみますか?」


 ジェームスが頷くと、ハヤト・ウェイはゆっくりと本を持ち上げると、真ん中あたりを開いてまたテーブルに戻した。


 すると、驚くべきことに、本の形状が変形し、テーブルの上はみるみるうちに小さな庭園となった。

 小さいけれど、まるで本物のようにそれは見えた。


 ハヤト・ウェイに座るように促されたので、ジェームスは側にあった椅子に座った。

 それは体に完全にフィットする座り心地のよい椅子だった。

 この椅子だったらいつまでも座っていられる…とジェームスは思った。


 同時にハヤト・ウェイは向かい側に腰を下ろした。


 こうして向かい合って座ると、なぜだかずっと昔からこうしていたような気持ちにもなった。


 椅子に座ると、目の前に半透明の絵が表示された。

 その絵はまるで何もない空間に突然現れジェームスを驚かせた。


 本の表紙に描かれていた庭園と同じ絵だった。


 ハヤト・ウェイの方を見ると、彼の前には何も表示されていなかったが、彼の目線を見ると、彼の前にも同じような絵が出ていると想像できた。


 ハヤト・ウェイが空中で妙な指の動きをすると、ジェームスの前に表示されていた絵が変わった。


 そこには見たこともない形状の、どうやら生き物のようなものが横並びにずらりと並んでいた。


「これからゲームの初期設定をします。このゲームは自分で選択した生き物の楽園を作るゲームです。まず最初に生き物を選択します。これからずっと繁栄を見守っていくことになるので、愛着が湧く見た目のものがおススメです。目の前に画面が出ているでしょう? そこに並んでいる生き物の絵の上で指をこう、横に動かすと隠れている生き物を次々見ることができます」


 これは “画面” と言うのか…と思いながら、ジェームスは言われたとおりに生き物の絵の上で指を横に動かしてみた。

 すると、並んでいる生き物たちがスルーっと横移動し、隠れている生き物たちが現れた。


 ほとんどの生き物は見たこともない形状をしていたが、中にはジェームスたちとそっくりな者もいた。


「気に入った生き物はいましたか?」


「そしたら、これ。僕たちに似た形のものがいい」


「ではその絵の上に指で触れてください」


 ジェームスは自分たちと同じに見える生き物の上を指で触れた。

 それは空中を指すようで何にも触ったような感触はなかったが、ちゃんと生き物が選ばれた。


 すると、生き物の絵が少し大きくなって右側に移動し、左側に小さな四角形が点滅している場面となった。


「ではその者たちの総称を決めてください」


「総称とは?」


「生き物の種類の名前です」


「じゃあ、僕たちと同じ、“ヒト” にしよう」


 左側の点滅している四角が動いて、“ヒト” という文字になった。


「文字入力は難しいので私が代行しました」


 急に文字が出てびっくりしているジェームスにハヤト・ウェイが説明した。


「次はこの生物の性の種類を選んでください。選択するものに触れるとチェックが入るので、選び終わったら一番下の “確定” に触れます」


 画面が変化し、何種類かの性別を表す文字と図が現れた。


 女性・男性・中性・両性・可変性・無性


 ジェームスはためらうことなく全ての性別を選んで “確定” に触れた。


 それを見ると、ハヤト・ウェイはふふふと笑った。


「ここから先は、細かい設定を手動でもできるのですが、自動設定も可能です。どうしますか?」


「うーん…よくわからないので自動設定でいいや」


「かしこまりました」


 ハヤト・ウェイが空中で指をパタパタと動かして、最後に人差し指をポンと弾くようにすると、テーブルの上の庭園に小さな洞窟が出現し、周りに何人かのヒトが配置された。


 ヒトたちはとてもリアルにできており、まるで本物のように見えたが、身長はだいたいジェームスの指くらいの大きさだった。


 数えてみると、ヒトは十人いた。


 どうやらひとつの家族のようだった。


 誰も服を着ておらず裸だった。


 年配の男女が二人。

 髭を蓄えた中年くらいの男性が二人。

 同じくらいの年齢の女性が一人。

 もっと若い女性が一人。

 性別がはっきりわからない子供が二人。

 赤ん坊が一人。


 年配の男女はほとんどの時間を洞窟の中で過ごし、火の番をしているようだった。

 そこで、子どもたちにいろいろな生活の知恵を教えている様子だった。


 若い女性は赤ん坊の世話をしていた。


 中年の男性二人と女性一人が外に出て狩りをしているようだった。

 彼らは森で大型の動物を捕ったり、海で魚を捕ったり、植物を採ったりしていた。


 動物や魚を捕るのはもっぱら長い棒の先に植物のツルで尖った石を括り付けたものを使っていた。


 彼らがとって来た食料をみんなで調理して食べていた。


 食器は存在せず、大きな葉に包んだり、石の上に料理を置いたりして手で食べていた。


 やがて彼らは、捕って来た動物の毛皮で服を作るようになった。

 同時に骨や貝殻などで装飾品を作るようになった。


 しばらくすると、赤ん坊が死んでしまった。


 人間たちは嘆き悲しみ、赤ん坊を土に埋めて花を撒いて弔った。


 続いて年老いた男性が亡くなった。

 彼も丁寧に埋葬された。


 この家族で生殖行動をするのは、中年の男性と若い女性のみだった。

 その他の者はそういった行為は全くしないようだった。


 やがて、若い女性が身ごもって赤ん坊を産んだ。


 ところが赤ん坊はすぐに死んでしまった。


 子供だった二人が成長すると、その子らはそれぞれ男女であることがわかった。


 二人は成熟すると性行為をするようになった。


 時々それに、中年の男性や若い女性も加わるようになった。


 こうして家族の内の四人が性行為ばかりしている間に、中年の男性と女性は外に出てひたすら食料をとり、料理し、さまざまな衣類や装飾品、そして道具を生み出していった。


 やがて、中年女性は洞窟の壁に絵を描き始めた。


 その間にも、他の四人は性行為にあけくれ、女性陣が妊娠し出産するも、病気の子ばかりが生まれて、次々死んでいった。


 ジェームスは何だか見ていられない気持ちになった。


「これは…ゲームなの? 僕は何をすればいい?」


「この “ヒト” を見てあなたはどう感じますか?」


「とても不快…」


「どうして?」


「そこの男女が四六時中やっていることを止めさせたい」


「なるほど」


 ハヤト・ウェイは頷くと、指を動かして画面に何か入力したようだった。


「自動設定の確認をしました。“ヒト” の最優先事項が “子作り” になっています。そして、その次が “生活水準向上” です」


 ジェームスは顎に手を当てて考えた。

 子作りが最優先事項なのはあながち間違っていないように思えるが、このヒトたちの行動は異常に感じた。


 何が異常なのだろうか???


 きょうだいや親子と思われるような間柄でひっきりなしに性行為をしているからだろうか??


「その優先事項は変えられるの?」


「変更可能ですよ。どうします?」


「じゃあ、最優先事項の “子作り” をやめて “子孫繁栄” にする」


「わかりました」


「それと、ここに別の家族を投入することはできる? 血縁関係のない」


「できますよ。何人入れますか?」


「じゃあ、十人ほど。性別の割合は選べるの?」


「そこはランダムにしか出現させられません」


 なるほど、そういうところは妙にリアル…。


 バラバラっとテーブルの上の庭園に人が増えた。


「あと、この “ヒト” たちの気質? みたいのって設定できるのかな?」


 ジェームスは “天分試験” の項目を思い出しながら言った。


「できますよ。設定を変えますか?」


「今の設定を見れる?」


 ハヤト・ウェイは彼の目の前に出ているであろう画面を確認した。


「今の設定は…好奇心旺盛・好戦的・食欲旺盛・性欲過多・同情的・怠惰」


 なんだそれ…とジェームスは思った。自動でするとこんなめちゃくちゃな設定になるのか…。


「気質の選択肢はたくさんあります。ご自分で見て選んでみてください」


 ハヤト・ウェイがそう言うと、ジェームスの画面にも数々の気質が一覧となって表示された。

 今、ハヤト・ウェイが言ったものが明るく光っていた。


「文字に触れることで有り無しを切り替えられます。明るいのが “有り” で、暗いのが “無し” です。すべて選択し終えたら、一番下の “確定” に触れてください」


 ジェームスは、好奇心旺盛・同情的を残して他のを消すと、共感的・柔軟的・羞恥心中程度・温和・倫理重視・規則的・芸術的・愉快、を加えて “確定” に触れた。


 さて…これでどう変わるのか…。


 ジェームスは模擬世界ゲームというものがどういうものなのか、何となく理解してきた。

 架空の世界に干渉できる設定を細かく操作して、その世界がどうなっていくのか見守るゲームなのだ。


 特に勝ち負けもない。楽園を作る…という漠然とした目的しかない。ただ好きなように世界を作っていく…それが模擬世界ゲーム。


 ジェームスはこの白黒はっきりしないことを良しとするゲームが大変に気に入ってしまった。


 新たな設定で動き出した人間たちはいつのまにか洞窟から出て、植物をうまく組み合わせて作った小屋のような家で暮らすようになっていた。

 近親相姦をやめた人々は順調に健康的な子孫を残しており、幸いなことに性行為も人目に付かないところでやってくれるようになった。


 何も深く考えずに性別を全種類選んだ割には混乱はないようだった。


 ジェームスは少しほっとして人々の活動を見守った。


「さて、ジェームス・モルガン。残念なのですが、そろそろ日没が近い時刻となりました。続きはまた次回にしましょう。申し訳ないですが、あなたをここにお泊めすることは許されていません」


 ジェームスは非常にがっかりした。それと同時にあっとゆうまに時間がたってしまったことに驚いた。

 一日が一瞬で終わってしまったではないか。


「このゲームはどうなるの?」


「安心してください。この状態で保存が可能です。次に来た時にまた続きから始めることができます」


 それを聞いてジェームスはほっとした。


「じゃあ、明日また来てもいい?」


 ハヤト・ウェイは「もちろんですよ」と言った。


 ジェームスはハヤト・ウェイに別れを告げてオート三輪車にまたがり、あっとゆうまに家まで帰って来た。


 家に着くと、玄関の前でミアが恐ろしい顔をして待っていた。


「どこに行っていたのよ! ずっと探していたのよ、ジェームス・モルガン!! まさかまた、あそこに行っていたんじゃないでしょうね?」


「そのまさかだよ。聞いて、僕、ゲームをやって来たんだ!! 素晴らしいんだよ。ミアにも…」


「冗談じゃないわよ!! ねえ、知ってる? 今朝、Cクラスのザシュー・ハザワが社会不適合者認定を受けて施設送りになったのよ」


「ザシュー・ハザワが?」


 ザシュー・ハザワは何度か同じクラスになったことのある顔見知りだった。


 昔から変わった奴で、“同性愛は罪である” など差別的な発言や反社会的な発言を繰り返して時々反省室へ入れらていた経歴の持ち主だった。


「このままじゃあなたも施設送りになっちゃうかも。そうしたらいくら優秀な私でもあなたを救うことはできないのよ、ジェームス・モルガン」


 ミアは本気で心配しているようで、泣きそうな顔をしながら言った。


「あそこは立入禁止ってわけでもないし、大丈夫だよ。それにハヤト・ウェイもいいって言っているし」


「それが一番怪しいんだってば! あの人が何者なのかわからないじゃない」


「旧時代の施設の管理をしているくらいだから研究員か政府の役人だろう? なんだよ怪しいって」


 ジェームスはハヤト・ウェイのことを悪く言われてムッとしてしまった。


 あんなに親切にしてくれたのに、ミアはいったい何を警戒しているのだろうか。


 ジェームスはこれ以上彼女と話をするのもうんざりしてしまって、足早に自分の部屋へと入ってしまった。

 彼女には申し訳ないが、ジェームスはもうすっかり「天地創造」の虜になってしまったのだった。


 あのゲームさえできれば、他のことはもう、どうでもいいような気持ちがした。


 ミアを締め出して自室に戻ると、ジェームスは熱いシャワーを浴びて、そして泥のように眠った。


 そして再び空が白み始めるころに起き出して、やりかけの「天地創造」の元へとひた走った。


 ジェームスが到着すると、ハヤト・ウェイは昨日と同じ姿勢で待っていた。

 衣類は昨日とは違う色だった。


「おはようございます。ジェームス・モルガン。さっそくゲームを再開しますか?」


「もちろん!」


 二人はゲームの部屋に入った。


 テーブルには庭園が広げられたままになっていた。

 人々が建てた小屋がポツポツと立ち並び、昨日のままになっていたが、人々の動きだけがピタリと止まっていた。


 昨日と同じ場所に座ると、ハヤト・ウェイが何かを操作し、再び人々が動き始めた。


「ゲームを再開しました。現状では安定しているのでしばらく見守ることをおすすめします」


 そういうと、ハヤト・ウェイは席を立った。


「申し訳ありませんが、今日私は別の部屋で作業をしなければなりません」


 その言葉にジェームスは動揺した。

 今日もハヤト・ウェイと一緒にゲームができると思っていたのに、ひとりでこれができるか不安になった。


 しかし、彼の邪魔にもなりたくなった。


「お仕事?」


 できるだけ平然とした態度を心掛けたつもりだったが、ジェームスの声はか細く震えていた。


「ええ、仕事です。でも大丈夫ですよ。時々様子を見に来ますから、何かアイディアを閃いたら教えてください」


 ジェームスは小さな声で「うん」と言った。


 しばらく黙ってその様子を見ていたハヤト・ウェイはジェームスの傍まできて、肩に手を置くと、そっと耳元でこう言った。


「困ったことがあれば私を呼んでください。すぐ来ますから」


 ドキッとして振り向くと、ハヤト・ウェイは素早くウインクをして見せ、そして部屋から出て行った。


 ジェームス・モルガンはしばらくぼーっとハヤト・ウェイが出て行った方を見た。


 そして気を取りなおすとゲームを始めることにした。


 ヒトびとは創造主であるジェームスの動揺にはおかまいなく、日々の営みを始めていた。


 最初彼らはバラバラと小屋を建てていたが、そのうち中央を広場にしてサークル状に家を建てはじめた。


 そして中央の広場には大きな円を描くようにして点々と石や岩を置いた。


 それから、小屋もどんどん進歩し、居住区、集会場、貯蔵庫といったように用途に併せた形状の小屋を作るようになった。


 彼らは血縁関係のない家族とも共に集団で生活するようになり、一つのムラが出現した。


 それぞれのヒトには役割があるようで、狩りに出る者、植物を採取しに行く者、海産物を捕りに行く者、日用品や装飾品を作る者、子育てをする者、など各人が得意なことを受け持って協力し合って生活しているようだった。


 彼らは捕ってきた動物を食べると、骨を道具や装飾品に、皮を衣類にしたてあげた。

 海から捕ってきた魚は肉を食し、骨は釣りや裁縫の道具となった。


 特に面白かったのは貝殻の山だ。

 貝類に限り、その身を食べると、ヒトびとは一ヶ所に貝殻をあつめて積み上げ、長い時をかけて小高い丘を造ったのだった。


 なぜ、貝殻だけ…? ジェームスには彼らの習慣がとても不思議に思えた。


 狩りに出ない者たちのムラでの過ごし方も興味深かった。


 狩りに出ない者たちは、よく集まって、ツボのようなものを作っていた。


 最初は火にくべて煮炊きに使うようなシンプルなものだったが、だんたんと縄目で模様をつけたり、ゴテゴテと装飾がほどこされるようになっていった。


 みんな自由に奇想天外な形状のツボを作っているように見えたが、よくよく見ると、彼らの作るツボの文様には一定の法則があるようだった。


 自由に作っているわけではなく、何かしらの決まりがあって、それに沿ってツボを作っているようだった。


 毎日毎日彼らはツボを作り続け、それらをムラの周囲に並べていったので、ムラの周りはツボだらけとなっていった。


 そのうち、彼らはツボだけではなく、様々なヒト型の泥人形も作るようになった。

 それらの人形にもツボと同じような文様がつけられ、こちらも一定の決まりによって作成されているようだった。


 人形はツボのように並べられることはなく、貝殻の山の上へ並べられた。


 貝殻の山の上に並べられた人形が増えると、ヒトびとは躊躇なくそれを打ち砕き、再び新しい人形を並べるのだった。


 ジェームスにはそれが何を意味しているのかさっぱりわからなかった。


 やがて彼らは、食料を調達し食事をし寝る時間以外は、ずっとツボと人形を作り続けるようになった。


 これはまた、変なパターンにはまってしまったのかもとジェームズは思ったが、どこをどうしてこのヒトたちの行動に影響を与えられるのかがわからなかった。


 ツボを作り続けるヒトびとを見ながら途方にくれていると、ちょうどよいところでハヤト・ウェイが部屋に入って来た。


「調子はどうですか?」


 言いながらハヤト・ウェイはジェームスの横から楽園を覗き込んだ。

 ふわっとよい香りがして、ジェームスは少しドギマギしてしまった。


 人々がやってることをさらに覗き込むと、ハヤト・ウェイはふふふと笑った。


「あれは、ツボですか?」


「うん。ずっとツボばかり作っている…」


「彼らはなぜ、こんなにツボをつくるのだと思いますか?」


「さあ…何かの信仰による儀式なのかな?」


「未知の文明の用途不明な産物を全て信仰と結びつけるのはあなた方の悪い癖ですよ」


 確かにそうかも…とジェームスは思った。


「で、このツボは何?」


「わかりませんよ」


「え?」


「そう、未知の文化のことは想像したところでわかりません。そもそも思考回路が全く異なっているかもしれないのですから。こちらの物差しでは何も測れないのです」


「なるほど。このヒトたちは四六時中ツボを作っていて平和そうだけど、何か憑りつかれたようになってきていて、ちょっと怖い…」


 それを聞くとハヤト・ウェイは「ふむ…」と言い、ジェームスの後ろから腕を伸ばし、ジェームスの目の前に画面を表示させるとそれを操作した。


 画面に蜘蛛の巣のような図が表示され、ハヤト・ウェイが説明してくれた。


「これは、現在のヒトの状態を数値的に表現しています。これによると、規則的と芸術的の度合いだけが異常に高まっています。これのせいでしょうかね」


 見てみると確かにその二つの度合いが大きくなり、その部分だけ尖った形になってしまっていた。

 ハヤト・ウェイは再び手を伸ばすと尖っている部分に触れて二つの度合いを少し下げるように操作してくれた。


 その際に彼の腕がジェームスの頬に触れたが、ハヤト・ウェイは気にしていないようだった。

 気にしているのはジェームスだけなのか…。


「それからジェームス・モルガン。最初の時に怠慢を消しましたが、楽をしたいという気持ちから何か閃くこともあります。少し怠慢の要素を入れてみませんか?」


 ジェームスが同意すると、ハヤト・ウェイは目にも止まらぬ指さばきで画面を操作し、“怠慢” の気質がほんの少し加わるように調整してくれた。


 すると、画面の右上に小さな赤い丸が点滅を始めた。


「あ、“怠慢” を入れることで早速新たな技能が追加されましたよ」


 ハヤト・ウェイが赤い丸に触れると、追加された技能が確認できた。

 そこにはこう書いてあった。


 ≪農耕≫ ≪牧畜≫ ≪製鉄≫


「おめでとう、これでようやく文明らしくなってきますよ。少しヒトを増やしますね」


 ハヤト・ウェイが画面を操作すると、二十人ほどがテーブルの庭園に追加された。

 彼らは最初のムラとは別の場所に同じくらいの規模の集落を作った。


「ムラが二つになりましたね。名前をつけておくと後々便利ですよ。どうしますか?」


 ジェームスは最初からあったムラにA、後からできたムラにBと名を付けた。


「では私はまた仕事に戻りますね。次に見るのを楽しみにしています」


 そう言うと、ハヤト・ウェイはジェームスの頭を軽くポンポンと叩いて出て行った。


 ジェームス・モルガンはしばらくぼーっとハヤト・ウェイが出て行った方を見た。


 そして気を取りなおすとゲームを続けることにした。


 ≪農耕≫ ≪牧畜≫ ≪製鉄≫ の技能を手に入れたヒトびとは、瞬く間に森を切り開き、土を耕し畑を作り、ムラの一角で動物も飼い始めた。


 農地はどんどん広がり、やがてAとBの農地の奪い合いへと発展していった。


 どちらのムラびとも、より広い農地を獲得したいので農地の境目で小競り合いが頻発した。


 お互いの目の盗んで土地の奪いが続いたために、やがてヒトびとは自分の土地の周りを柵でぐるりと囲い、見張りをたてるようになった。


 このころから、掘立小屋のようだった家屋は立派な材木を使った家へと進化し、やがて石やレンガも使われるになって行った。


 そんなある日、ムラBの何人かが、ムラAの柵を超えて侵入し、家畜を盗むという事件が起きた。

 彼らは見張りに見つかり捉えられると、怒ったムラAのヒトたちによって暴行を加えられ殺されてしまった。


 その知らせを聞いたムラBの連中が今度はクワやこん棒を握りしめて、攻めてきた。


 こうして二つのムラは大規模な殺し合いを始めた。


 ジェームスはこれはまずいと思ったが、設定を修正する方法がわからなかった。

 さっき目の前でハヤト・ウェイがやるのを見てはいたが、動作が早すぎてよくわからなかったのだ。


 ハヤト・ウェイを呼びに行こうとも考えたが、彼の仕事の邪魔をしたくないと思った。

 うっとおしいと思われるのでは…と臆病になっていた。


 ジェームスがあたふたしていると、またちょうど良いタイミングでハヤト・ウェイが部屋に入って来た。


「こちらの仕事はひと段落しました。どんな様子ですか?」


 ハヤト・ウェイはテーブルの庭園の状態を見ると、すこし驚いた顔をした。


「おや、大変なことになっていますね」


 ジェームスはハヤト・ウェイをがっかりさせてしまったのではないかと思い、焦ったがそんなことはないようだった。


「思ったよりも進みが早いですね。慌てないでください。農耕が始まると暴動はいずれ起きます。これをどう終息させるか…それによって、この文明が歩む方向が大きく変わってきます」


「ヒトの気質から好戦的は抜いたはずなのにどうしてこんなことに?」


 ハヤト・ウェイはジェームスの隣に自分の椅子を移動させて座った。


「恐らく、好戦以外の動機で戦っているのでしょう」


 言いながらハヤト・ウェイが画面を操作すると、あの蜘蛛の巣のような図の画面となった。


 その図は “共感的” の度合いが吐出して高くなっていることを示していた。


「この戦いはどう始まりましたか?」


 ジェームスがこれまでの経緯を説明すると、ハヤト・ウェイは納得したようだった。


「なるほど、このヒトたちは、仲間や家族にひどいことをされて怒っているのですね」


「にしてもやりすぎじゃない…?」


「それでは、これを止めさせるにはどうしたらいいと思いますか?」


 ジェームスは考えた。


「暴力によって物事を解決するのをやめさせればいいのかな…」


「それには何が必要ですか?」


「……共通のルールかな…。殺しは絶対ダメ、盗みにはこういう罰を与えるとか、そういう規則のようなものがあるといいと思う」


「それでは…」


 ハヤト・ウェイは、“共感的” の度合いを少し減らし、“温和” “倫理重視” “規則的” の度合いを少し増やした。


 すると、闇雲に戦っていたヒトびとが、急に戦うのをやめて左右に分かれて向かい合った。


 様子を見守っていると、それぞれの中から一番強そうな者が中央に出て来て、サシで戦い始めた。

 二人は武器は持たずに素手で戦っており、派手に殴り合ったり蹴り合ったりしていたが、致命傷を負わせるような攻撃を避け、ひとつのルールに乗っ取って戦っている様子だった。


 周りの者たちは、興奮し、二人を応援した。


「格闘技が誕生しましたよ」


 ハヤト・ウェイが面白そうに言った。

 ジェームス・モルガンは殺し合いが終わってホッとしていた。


 強者二人の戦いは、ムラAの代表の勝利となった。


 これでムラBの者たちは素直にあきらめて自分たちの集落へと帰っていった。


 二人の強者はそれぞれのムラのリーダーとなったようだった。

 彼らはそれぞれ独自の決まり事をつくり、それによって動き始めた。


 ムラBでは、物々交換が頻繁に行われていたが、次第にもめごとも起こるようになっていた。

 どうやら、交換する物の価値基準が定まっていないために喧嘩になるようだった。


 そこで、ムラBのヒトたちは、穀物一袋を基準に様々なものの価値をみんなで話し合い決めたようだった。

 彼らの話声はもちろん聞こえないのだが、集会の様子を見ていてそうとわかった。


 最初、ヒトびとは穀物袋を持って歩いていたが、面倒になったようで、代わりに小石を使うようになった。

 そうすることで、段々と小石自体に価値があるようにヒトびとは錯覚するようになってしまった。


 ムラBではとにかく小石をたくさん持っている者が優れているとされ、みんな必死で小石を拾い集めた。


 みんな勝手に小石を拾って穀物袋の代わりにしてしまうので、小石の使用が禁止され、代わりに特定の型が刻印された金属が小石の代わりに使われるようになった。

 刻印付きの金属を作れるのはムラのリーダーのみで、これで勝手に私腹を肥やすことできなくなった。


 硬貨の誕生である。


 こうしてムラBでは、たくさん硬貨を持っている者とそうでない者が出現し、貧富の差というものが生まれた。


 一方のムラAでは、古来から続く役割分担での生活様式が引き続き行われていた。

 それぞれ得意なこと担当し、収穫した食物や、作成した衣類、そのほか日用品や娯楽用品など、ムラびとが作った全ての物が一度リーダーの元へと集められ、そこから平等にムラびとたちに分配された。


 こうして一見うまくいっているように見えたムラAだったが、よく働く者とそうでない者が出現しはじめた。

 何をしてても同じものを支給してもらえるので、不真面目な者やずる賢いものは、どれだけサボれるかに知恵を使い始めたのだ。


 さらに、リーダーの側近と思われる者たちの中には、集められた物資から少しずつピンハネし私腹を肥やすものが現れた。


 これをジェームスは大変興味深く見守っていた。


「どちらの制度も優れていると思ったけど…どうしても偏りが出てしまう…。僕たちの社会と仕組みが全く異なっていて面白い…」


「現代の社会の仕組みは彼らのものより優れていると思いますか?」


 少し考えてからジェームスは本心をハヤト・ウェイに語った。

 こんなことを国の職員かもしれない人に語るのは危険かも…という考えはジェームスには一切思い浮かばなかった。


 ジェームスは既にハヤト・ウェイを全面的に信用していたのだ。


「僕たちの社会も優れてるとは言えないかも…。多様であることを良しとするくせに、僕みたいなこれといって特徴のない奴は価値を認めてもらえない。志が低く、努力が足りないと言われる」


 ここでハヤト・ウェイは首を振ってそれを否定した。


「あなたは優れた才能を持っていると私は思いますよ。この難解なゲームをこんな短時間でここまで進めるなんて、才能でなければ何なのでしょうか」


 これはジェームスにとって最高の褒め言葉だった。

 しかもハヤト・ウェイに言ってもらったことが何より嬉しかった。


「…でも “天分試験” には模擬世界ゲームの才能という項目はないみたいだけど」


 ジェームスは照れ隠しにそう言って、へへへと笑った。

 そしてこれまで誰にも語ったことのない本当の気持ちをハヤト・ウェイに話し始めた。


「現代社会は多様細分化至上主義とかいいながら、えり好みした多様ばかりを認めている。いまの社会は、自分たちが…いや、“国” が良しとするものしか認めていない。その範囲の中だけで “私って良識ある” という自己満足に浸っているようにしか思えない。これで本当に多様細分化と言えるのだろうかと僕は疑問に思っている…」


 ここまで言って、ジェームスはハヤト・ウェイの考えを読み解こうと、彼の顔を覗き込んだ。

 彼は優しい顔でこちらを見返すばかりで、その表情から心情は読み取れなかった。


 話を止めてもよかったのだが、ジェームスはこれまで胸の内に秘めていた思いが爆発してしまって、語るのを止めることができなかった。


「そりゃあ、誰にだって受け入れがたいことはある思う。このゲームをやって気が付いたけど、僕は、近親者が性行為をしているのを見るのは不快だった。それから殺し合いも…。多様細分化至上主義と言うならば、これらも良しとしないといけないのかな…とちょっと思った。けど、そうじゃないのかも…」


「それはどういうことですか?」


 ハヤト・ウェイは頬杖をついて、ジェームスの意見を楽しんでいるかのように口を挟んだ。


「近親相姦はともかく、やっぱり殺し合いはどう考えてもダメだから。多様であることを重んじるから、殺し合いもアリ…とは言えない。多様の中に殺し合いも含まれるけど、それを肯定するという意味にはならない。殺し合いは存在する。じゃあなぜ殺し合うのか? という論点にしないといけないのかな?」


「この短期間にずいぶんといろいろ考えたのですね」


「うん。このヒトたちの行動はすごく面白いよ。こんなふうにヒトを客観的に見たことなかったから。僕が正しくないと思ったことでも、理由があることが解ったし。ヒトが近親相姦をしていたのは “子作り” が最優先になっていたからで、あそこに早い段階で血縁関係のないヒトを投入しなかった僕がいけなかった。

 それから殺し合いをしてしまったのも、仲間に共感しすぎたせいだった。彼らはそれぞれの理念の元に動いていたんだけど、それらを無視して、悪しき事と決めつけたのは僕の価値観だった。それをあたかも一般論みたいに語り一方的に排除するのは違うかなって思う…こんな考え方は間違っている…?」


 勢いよく喋ったわりには最後に自信がなくなり、尻つぼみの演説となった。

 が、ハヤト・ウェイはジェームスが語り終えると、本当に嬉しそうに微笑み、腕を伸ばしてジェームスの髪をくしゃくしゃとして頭を撫でてくれた。


「すばらしい発見ですね。このゲームをあなたに紹介して本当によかったと思いますよ、ジェームス・モルガン」


 そう言われてジェームスは耳まで真っ赤になり、嬉しさのあまり何も返せなくなってしまった。


「さて、そうこうしているうちに、彼らはまた新たな技能を身に着けたようですよ」


 ハヤト・ウェイに促されて、ジェームスはやっと現実に戻って来た。


 なるほど右上に赤い丸が点滅していた。

 そこに触れると、≪蒸気機関≫ が新たに追加されていた。


 ヒトびとは蒸気機関を使って最初は簡単な機械を作っていたが、やがて複雑な機械を作るようになり、日用品やら嗜好品やら、様々な物を大量生産するようになった。


 ムラはやがて町になり、そして街になった。


 こうして、≪蒸気機関≫ を手に入れてから、ヒトはあっというまに街と街の間を高速で移動できる乗り物を作り上げた。


 その途端に、テーブルの上の庭園の縮尺がぐっと小さくなって、これまでよりも広範囲が見渡せるようになった。


 ヒトの数も勝手にどんどん増えて、もう数えきれないほどの人数になり、その大きさも街の縮尺に合わせてピンくらいの大きさになった。


「すばらしいですよジェームス・モルガン。あっとゆうまにゲームは第2フェーズに突入です。ここからは科学が支配する世界のはじまりです」


 ジェームスは感動して広がった街を眺めた。


「さっそく続きを…と言いたいとこですが、時間が来てしまいました。今日はここまでです。もう帰らないといけない時刻ですよ、ジェームス・モルガン」


 この部屋の中にいると時間がたつのが異常に早く感じることにジェームスは驚いていた。


 これからというタイミングでもう帰らねばならないことが残念でならなかった。


「明日はあなたとゲームをする時間がもっとありますから、一緒に続きをやりましょう」


 ハヤト・ウェイはいつもと変わらない笑顔でジェームスを送り出してくれた。


 薄暗くなりかけた高速道を飛ばしてジェームスは帰宅した。


 帰宅すると今夜もミアが玄関の前で待っていた。


 ジェームスは不愉快に思って彼女を押しのけて家に入ろうとすると、ミアは泣きながらこう言った。


「ジェームス・モルガン、あなたのためなのよ。全てあなたのためなの…」


 それと同時にいつのまにか両側に立っていた男たちに体を押さえられ、後ろ手に縛られてしまった。


「何をするんだ! はなせよ! ミア、何を話したんだ!?」


 ジェームスは力の限り抵抗したが、男たちの腕を振りほどくことはできなかった。


「私、あなたが心配だったから、役所に問い合わせたのよ。そしたらハヤト・ウェイなんて人は存在しないって…!!!」


「大人しく同行しなさい。詳しくは署で聞かせてもらおう」


 この話し方で、ジェームスは彼らが国家警察であることを知った。


 国家警察が出て来るほどのことなのか!?


 ジェームスは恐ろしくなってきた。

 ミアはきっとハヤト・ウェイの場所も喋ってしまっただろう。


 ジェームスは自分のことよりもハヤト・ウェイの身を案じるのだった。


 国家警察が相手では抵抗したところで無駄だった。

 彼らは国家と等しい権限を持っている。反発すれば国への反逆と見なされ厳しい処罰を受けるだろう。


 ジェームスは抵抗するのを止め、大人しく彼らに促されるままに護送車へと乗り込んだ。


 これまで、護送車で運ばれる人を見たことはあったが、実際にどこに連れて行かれるのか具体的なことを知っている者はほとんどいなかった。


 ジェームスもまさか自分が護送車で運ばれることになるとは思ってもいなかった。


 護送車で運ばれた者は、そのまま施設送りになるか、処刑されるか、いずれにしてもすぐに帰って来たという話は聞かない。


 窓のない車の中ではどこをどう走ったのかわからない。

 気が付いたら車は止まり、降ろされたのは暗い駐車場だった。


 エレベーターで上階へ。


 五階で降りて、長い廊下の一番奥の部屋へと連れて行かれた。


 そこは中央に椅子が一脚置いてあるだけの部屋だった。


 ジェームスは恐怖を覚えて後ずさったが、両脇の男たちに抑えられて、無理やりその椅子へ座らせられてしまった。


 椅子には両手足を拘束するバンドがついていて、男たちは容赦なくそれでジェームスを縛り付けた。


 こうなってしまうと、いくら暴れてもどうにもならなかったが、ジェームスは恐怖のあまりに叫び必死で逃れようと体を動かした。


 後から部屋に入って来た白衣の男が何かをジェームスに注射した。


 すると急激にジェームスの中から恐怖心が消え、リラックスした気持ちになった。


 男たちが妙な形をしたヘルメットを持ってきたのでジェームスはおかしくなってクスクス笑いだした。


 男たちも楽しそうに笑っていた。


 そのおかしなヘルメットを男たちはジェームスにかぶせた。

 それがまたおかしくて、ジェームスはゲラゲラ笑った。


「はい、じゃあ、いいかな。君がハヤト・ウェイという男と出会った場所や、彼のところでやっていたことを思い出して。できるかな?」


「もちろんですよ」


 ジェームスは治まらない笑いの発作を何とか抑えつつ、答えた。


 そしてハヤト・ウェイのことを考えた。


 彼のことを考えるととても幸福だった。


 彼に会いたいと思った。


「彼のことが好きなんです。彼に会いたいです」


 そう言いながらジェームスはハラハラと泣き始めた。


 男たちはそうかそうかとジェームスを慰めてくれて、彼は何と優しい人たちなのだろうかと思た。


 そして白衣の男がまた何かをジェームスに注射すると、今度は凪のような平穏が彼の中に訪れた。


 さっきまで、あれほど高ぶっていた感情が嘘のように平坦になった。

 何も感じなかった。


 疲れていた。

 もう眠りたいと思った。


 それを伝えると、男たちはジェームスの拘束を解いて待機させてあった車いすに座らせてくれた。


 そのまま部屋を移動したが、彼は途中で眠ってしまった。

 そして、翌日の昼まで目を覚まさなかった。


 目を覚ますと、ひどい倦怠感が襲って来た。

 身体が鉛のように重たく、起き上がるのも億劫に思った。


 目の周りにべっとり目ヤニがついていて不快だった。


 なんとか首を動かして部屋を見回すと、病院の個室のようなところにいたが、窓には鉄格子がはめられていた。

 腕には点滴が付けられている。


 ガチャガチャとドアを開ける音がして、看護師らしき人が入って来た。

 彼女はおもむろにジェームスの布団をはぐと、手際よくズボンを脱がせ、オムツを交換した。


 オムツ…!!!!

 オムツなんか…!!!


 急に恥ずかしくなって起き上がろうとすると、「あ、寝ててください」と看護師に止められた。


「薬が抜け切るまでにあと半日はかかりますから」


 やはり、何かおかしいと思ったら、変な薬を注射されたんだ。

 国家警察だからって、こんなことは許されるのだろうか? この件は絶対に暴露してやる。


 ジェームスはそう思ったが無駄だということも解っていた。

 こんなことが行われているのであれば、既に噂になってもおかしくない。

 なのに、これまでに一度もこんな話を、デマレベルでも聞いたことがないということは、徹底的に握りつぶされているのだ。


 昨日のあの変なヘルメット。

 あれできっとジェームスの思考を読み取ったに違いない。


 ハヤト・ウェイは無事だろうか。

 自分のせいで巻き込んでしまった…と思い、ジェームスの心は張り裂けそうになった。

 だが、気持ちとは裏腹に、身体は全く動かず、なす術はなかった。


 夕方になり、やっとベッドから体を起こせるようになったころ、ジェームスを拘束したあの男たちが部屋に入って来た。

 彼らはウソ発見器と思われる器具をジェームスの指先に取り付けると、いくつか質問をしてきた。


 ハヤト・ウェイがどこかへ移動する可能性はあると思うか?

 君が訪れた建物は角度によって不可視となるようだが、完全に姿を消すことは可能かと思うか?


 などなど。


 その質問から、ハヤト・ウェイはまだ捕まっていないのだと知ることができて、ジェームスは少しほっとした。


 幸いなことにジェームスはあの建物の仕組みや、ハヤト・ウェイについては何一つ知らなかったので、彼らの役にはまるで立たなかったようだ。


 男たちは不機嫌な様子で部屋を出て行った。


 その後、しばらくして食事が運ばれて来た。

 全く食欲はなかったが、いち早く体力を回復せねばと無理やり食べた。


 夜になって、ジェームスはなぜか急に解放された。

 その際に、ここで行われたことを口外しないとの契約書にサインさせられた。

 契約を守っている限り、一生涯身の安全は保障されるが、守られなかった場合は即施設送りとなる…とその契約書には書かれていた。


 ひとまず施設送りにならなかっただけでも幸運である。

 ジェームスは迷わず契約書にサインした。


 国の暗黒面を暴くことよりも、ジェームスにとっては自由の身となってハヤト・ウェイと再会することが最重要項目であった。


 それならば、契約書にだってサインするし、改心したフリだっていくらでもできるのだった。


 足元はまだふらつきが残っていたが、何とか歩行できるほどに体は回復したので、ジェームスは徒歩でこの施設を後にした。


 外に出て見ると、ここが国立中央病院であることがわかった。


 国民が普段使っている病院である。

 こんなところであんなことが行われているとは…ジェームスは背筋が寒くなったが、それを誰かに話すことはできないのだった。


 家に戻ると、玄関の前にミアがいた。


 彼女は泣いていた。

 そして帰宅したジェームスを優しく抱きしめてくれた。


 だけれども、ジェームスは彼女の抱擁を受けても何も感じない自分がいることに気が付いてしまった。

 もう、ミアのことは好きでも何でもなかった。


 いやむしろ、顔もみたくないほど不愉快な気持ちだった。

 しかしジェームスはぐっと我慢した。


「心配かけてすまなかった」


 泣きすがるミアを、ジェームスは優しく引き離して言った。


「僕が騙されていたってよくわかったよ。反省してこれからは旧時代のものに興味をもったりしない」


 ジェームスは心にもないことを言ったが、ミアは信じたようだった。


「今日はもうヘトヘトだから僕はもう休むね。ミアもここでずっと待っていたんだろう? 今日はもう帰りなよ。送ろうか?」


 ミアは大丈夫と言ってジェームスに別れを告げると自分の家に帰っていた。

 彼女は心底ほっとしたようだった。


 もしかしたら、ジェームスが洗脳解体など受けたとでも思っているかもしれない。

 それならそれでよかった。


 とにかく彼女に疑われないようにしなければならない。


 ジェームスはミアが確実に家に帰って行ったと確信できるまで玄関先で見送っていた。

 そして、そのままオート二輪車にまたがると、アルガン湖に向けて夜道を走り出した。


 夜の高速道路は郊外に行くほど真っ暗だったが、ジェームスにはもう慣れた道だった。

 恐怖心もなかった。


 とにかくハヤト・ウェイにもう一度会わなくては。


 ジェームスのことを心配しているかもしれない。

 もしくはジェームスに裏切られたと思っているかもしれない。


 アルガン湖に到着すると、ジェームスはオート二輪車を乗り捨てて、岸辺へ駆け寄り、丸い建物が目視できるか確認した。


 はたして、建物はそこに建っていた。

 薄暗がりの中にぼんやりと。ただ確実にそこにあるという存在感だけは決定的に。丸い天井のその建物はそこに建っていた。


 ジェームスは安堵して建物まで走って行った。


 コーンコーンと彼の足音が岸辺に響いた。


 やっとのことで入口まで辿りつき、その扉のハンドルに手を掛けた瞬間。

 ジェームスは二人の男に両脇からがっちりと抑え込まれてしまった。


「ご苦労だったな」


 聞き覚えのある声が言った。

 昨日ジェームスを捕まえにきた男の一人だった。


「君を泳がせればここに来ることは解っていた」


 振り返ると、二十人ばかりの武装した男たちがジェームスの後ろを取り囲んでいた。


 ここの岸辺は特殊な素材で必ず足音がしてしまうはずだ。

 いったいどうして??


 ジェームスは彼らの足元を見たが、どうしう仕掛けなのかは暗くて見えなかった。


「卑怯だぞ!!」


 必死の抵抗もむなしく、ジェームスは地面に押さえつけられてしまった。


 武装した男たちが扉の前で銃を構え、そのうちの一人が、ハンドルを持って一気にそれを押し上げると、勢いよく扉をあけて、建物の中へとなだれ込んで行った。


 建物の中は照明がともり明るかった。


 そして地面に押さえつけられているジェームスにも見えた。

 ハヤト・ウェイがいつもと変わらぬ姿勢でそこに立っているのが。


「おやおや、ずいぶんと騒々しいですね」


 ハヤト・ウェイはまるで驚いた様子も見せずに、いつもの調子で言った。


「黙れ! 動くな!!」


 武装した男たちが一斉に彼に銃を向ける。


 ハヤト・ウェイはおとなしく両手を挙げた。


 銃を構えた男たちは手際よく動き、あっという間にハヤト・ウェイの手を縛り拘束してしまった。


 その時、ハヤト・ウェイは近くに来た男の耳元で何か囁いているように見えた。


 ジェームスは押さえつけられている頭を必死に持ち上げて、ハヤト・ウェイが何をされているのか見ようとした。


 その瞬間だった。


 ハヤト・ウェイを取り囲んでいた男たちが急に何かに怯え始めた。


 一人の男が銃を撃とうとしたが、身体が固まって撃てないようだっだ。


 他の一人が「うわぁ~」と声を出しながら逃げ出すと、次々と男たちは建物から出てきてしまった。

 男たちはジェームスを押さえつけている男の制止を振り切り、一目散に逃げて行ってしまった。


「貴様っ!! 何をした!」


 男は叫び、ジェームスを乱暴に立たせると彼を盾のようにしてハヤト・ウェイに向き合った。


 いつの間にか手の拘束を解いたハヤト・ウェイは建物の入口に立ってこちらを見ていた。


「ジェームス・モルガンをそのように扱うことを私は許しません。今すぐやめてください」


 ハヤト・ウェイは静かに言った。

 それはジェームスですらぞっとするほどに恐ろしく怒りのこもった声だった。


 後ろの男はビクっと身体を震わせると、ジェームスを掴んでいる手を離した。

 ジェームスは男から素早く離れてハヤト・ウェイの方へと走った。


 そして彼の懐の中に飛び込んだ。


 ハヤト・ウェイはしっかりとジェームスを受け止めてくれた。


「怪我はないですか?」


 優しい声でハヤト・ウェイが言った。

 ジェームスが頷くと「少しお待ちください。あの男を追い払いますから」と彼は言った。


 ハヤト・ウェイはまだ恐怖で固まっている男の方を見ると、小さな声でブツブツと何か呪文のようなものを唱え始めた。

 それはすぐそばにいるジェームスにも聞き取れないほど小さな声だった。


 すると、ジェームスを取り押さえていた屈強な男は「ひぃい~」と悲鳴を上げて、何かを払うような仕草をすると、一度腰を抜かし、そして慌てふためいて逃げて行ってしまった。


 その様子を唖然と見送るジェームスに、ハヤト・ウェイは優しく微笑んだ。


「さあ、片付きましたよ。中に入りましょう」


 ハヤト・ウェイはジェームスの肩を抱くと、建物の中へと連れて入った。

 彼が動くとふわっと良い香りがした。


「何をしたの?」


 ジェームスはハヤト・ウェイが魔法でも使ったのではないかと思って訊ねてみた。


「簡単な催眠術ですよ」


 ハヤト・ウェイはあっさりとそう答えると、ポンとジェームスの背中を軽く叩いた。


「…さて、お疲れのところとは思いますが、私達はゲームを続けなければなりません」


 ジェームスはハヤト・ウェイのこの言葉に少し驚いてしまった。

 こんな時にゲームをしようとは…正気だろうか。


「…少し説明が必要ですね。こちらでお話しましょう」


 ハヤト・ウェイはジェームスが困惑していることを察知すると、向かって左側の部屋へと彼を案内した。


 そこは簡易的なキッチンのついたダイニングルームのような部屋だった。


 ハヤト・ウェイはジェームスに座るよう促し、湯を沸かしお茶を入れてくれた。


 彼が出してくれた焼き菓子を口に入れると、ほどよい苦みと甘さが体に染み込み、さっきまでの緊張感と恐怖と疲労がじんわりと癒されていくように思えた。


 ジェームスが多少落ち着いたのを見計らってハヤト・ウェイは話はじめた。


「ジェームス・モルガン。あなたにこれから行うことを理解してもらうために、まずは私とこの施設の本当のことをお話しなければなりません」


 ここでハヤト・ウェイは言葉を切ってジェームスを真っすぐに見つめた。

 ジェームスはごくりと唾を飲み込んでハヤト・ウェイを見つめ返した。


「この施設と私は、はるか遠い遠い昔、他でもない、あなたによって造られました」


 しばし沈黙。


 ジェームスはハヤト・ウェイの言ったことが理解できず、その言葉の意味を考えた。


「僕に造られたって…???」


「そうです。あなたは、この世に楽園を作れることを証明するためにここの全てのシステムを構築しました。それはある人と懸けをしたからだ、とあなたは言っていました。そう、これはゲームなのです。全てがゲームの一部です。それ以来、…何万回も、何億回も、気の遠くなるほどの回数を、あなたと私は試行錯誤しながら世界を作り出し、そして失敗し、リセットを繰り返してきました」


 ジェームスはこの突拍子もない話を俄かに信じることはできなかったが、だがしかし、ハヤト・ウェイが嘘をついてるとも、狂っているとも思えないのだった。


 彼はハヤト・ウェイに絶対的な信頼を寄せていたし、心の奥底、深層心理の奥の奥ではこのことを知っている…という微かな既視感も無きにしも非ずだった。


「信じられませんよね。もちろんそうでしょう。なぜならば、あなたは記憶を保持する機能を失ってしまっているのです」


 ハヤト・ウェイは落ち着き払った様子をお茶をすするとさらに話を進めた。


「あなたの記憶保持能力に欠陥があると気が付いた時に、私はどうにかしてそれを修復しようと試みましたが既に手遅れでした」


「今僕たちがやっている模擬世界ゲームがそれってこと?」


「そうです。でもそれだけではありません。卓上でまずは世界を構築し、満足できる社会ができあがったところで、システムに完了を知らせます。すると、今度はシステムが卓上の状態をそっくりそのままこの建物の外側に構築します。そして設置が完了すると、あなたは外側に転送されます。そうして最終検証が開始されるのです」


「最終検証?」


「そう、あなたが実際にその社会の一員として生活体験をすることで、そこが楽園であるかどうかをジャッジするのです。このゲームが全て正常に動作していたころは、あなたの記憶が紛失するなどということは起こっていなかったのですが、ある時から、あなたは記憶を全て失った状態でここへ戻って来るようになってしまいました。おそらく、外側の世界に転送される際に記憶が一旦リセットされてしまうようなのです」


「そんな状況でどうやってゲームが続いているの?」


「記憶を失っていても、何かの名残があるのか、あなたは必ずここに戻って来ます、今回みたいに」


 ジェームスは自分が何故ここに来たのかを思い返した。

 なぜかはわからない。なんとなく、来たいと思ったのだ。


「ハヤト・ウェイは、それで、あなたを忘れてしまっている僕を、毎回ここで待っているの? 何度も、何度も…?」


「そうですよ」


 ジェームスはそのことを思うと胸が痛んだ。ジェームスのためにずっとここに独りでいるのに、毎回忘れられてしまうなんて…。

 自分だったらこんな人生耐えられるだろうか…。


 たまらず、ジェームスは涙を流した。


「泣かないでください、ジェームス・モルガン。私にとってはこれが全てなのです。あなたがそう造ったのですから」


「最初にも言ってたけど、僕が造ったとはどういう意味?」


 ジェームスは泣き顔をハヤト・ウェイに見られたくなくて両手で顔を覆いながら言った。


「そのとおりの意味です。私はあなたに造られたのです」


「…この湖は? もしかしてアルガン湖も?」


 指の間からハヤト・ウェイの表情を覗いながらジェームスは言った。


 ハヤト・ウェイはこの質問ににっこり微笑んで頷いた。


「このシステムには水が大量に必要ですからね。…それよりも、この話に時間を使いすぎています。今回は変則的なことが起きています。ゲームのルールを説明させてください」


 ジェームスは何とか涙を引っ込めて同意した。


 ハヤト・ウェイは頷くと話を続けた。


「卓上で満足いく段階まで世界を構築できたらシステムに完了を知らせる、と先ほど説明しましたが、あなたが記憶を失ってしまったので、正式な通知方法がわからなくなっています。それで、これは偶発的に、そう、偶然発見したのですが、あなたがこの施設に一定時間滞在すると、システムは卓上での構築が完了したと判断することが解りました。それはちょうど丸一日です。我々は、現行ルールではそれを完了の合図としています」


「なるほど、それで僕がここに泊まることが許可されていないと言っていたんだね」


「そうです。ところが、今回は、まだ卓上の世界が完成していないのに、あなたは家に帰れない事態となってしまいました。今日はここに泊まる他ありません。ということは、できれば明日の夕方までには楽園と思える段階まで世界を進めなくてはならないのです」


「楽園と思えない段階で時間が来てしまったらどうなるの?」


「その段階にもよりますが、以前、私の失敗で、治安の悪い街にあなたを出さなければならない事態となったことがありました。その時は、本当にあなたを失うのではないかと思い私は生きた心地がしませんでした。幸い、あなたはすぐにここに戻って来たので助かりましたが…今回、卓上では今にも戦争がはじまりそうな段階ですので、できればもっと進めたいと私は考えています。私にはゲームを代行する権限はありませんから、ジェームス・モルガンにやってもらう必要があります」


「まだ、いろいろ把握はできていないけど…、急がないといけないことは理解した。どうせ家には戻れないし、やるよ。ゲームをやる」


 ジェームスがそう言って立ち上がると、ハヤト・ウェイは安心したように微笑んだ。

 そして彼はジェームスの手を引くと、ゲームの部屋へと連れて行った。


「ところで、国家警察の奴らはまたここに来るんじゃ?」


 ジェームスは急に心配になって言った。


「大丈夫ですよ。この建物はあなたの同行がないかぎり、存在できない仕様となっています。もう誰にもここは見つけられません」


 それを聞いてジェームスは安心した。


 ゲームの部屋に入ると、卓上の世界は、前回ジェームスが終えた時のままで停止していた。


「ここの椅子に座ると我々はシステムに接続されて、人としての機能、飲食や排せつ、睡眠は必要なくなります。これから完了時間までぶっ通しでやりますよ、いいですか?」


 ハヤト・ウェイが言った。

 ジェームスはそれに頷いて答えた。


 二人は隣り合って椅子に座った。


 ゲームが再開されて、人々は動き出した。


 元ムラAとムラBは、今では国家Aと国家Bと呼べるほどに拡大していた。


 蒸気機関の時代から、あっとゆうまに化石燃料と電気の時代となった。

 いつのまにか住民たちの暮らしに電気が必要不可欠になっていた。


 時代が進むにつれて、A国とB国の関係はますます良好とは言えないものへと発展していた。


 あの家畜を巡っての殺し合いからずっと、それぞれ思想の異なる二つの国は、相まみえることができず、お互い睨み合ったままだった。

 やがて、より強い武器で相手を牽制するようになり、それぞれ軍事開発に力を入れるようになった。


 ヒトびとはより強い武器、より効率的に電気を生み出せる方法… ≪原子力≫ を手に入れた。


「科学の時代になってからやたらと進みが早い…」


「そうですよ。科学の時代はアッという間に進みます。うっかりしているととんでもない方向に行きますから、気を付けて見ていてください」


 ヒトびとは大量の恐ろしい武器を作り、お互い睨み合いを続けた。


「これは威嚇しあっているだけだよね…まさかこの恐ろしい武器を実際に使ったりはしないよね…」


 ジェームスは少々不安になってきた。


「彼らの状態を見てみましよう」


 ハヤト・ウェイが画面に例の蜘蛛の巣のような図を出してくれた。

 数値的には特に偏ったところはないようだった。


「このヒトたちは、なぜあんなに武器を作っているんだろう…」


 数値的なところからはジェームスにはヒトびとの意図を読みとることがむずかしかった。


「どうして彼らは武器を作るのだと思いますか?」


 ハヤト・ウェイが言った。

 彼がこのように質問形式で言ってくるときは、ジェームスの思考に助けを出しているときなのだ。


「相手が怖いのかな?」


「どうして怖いのでしょう?」


「いつ攻めて来るかわからないから?」


「しかし、彼は規則を重んじるヒトたちです。規則では殺し合いはダメとなっているはずです」


「相手がそれを守るかどうか心配なのかな? 向こうが何を考えているか解らないとか…」


「それはどうしてですか?」


「相手のことを知らないからかな。知らないから怖いのかも…理解度を上げることはできる?」


「できますよ。やりますか?」


「うん、やる」


 ハヤト・ウェイが画面を操作して理解度の項目を増やすと、その数値を挙げてくれた。


 その時だった。急にA国がミサイル型の武器を発射し、B国に撃ち込んだのだ。


 ジェームスは息を呑んで固まってしまった。


 横を見ると、ハヤト・ウェイも目を見開いてこれを見下ろしていた。

 それでジェームスは、これは彼にも予想外の展開だったことを知った。


 間髪入れずにB国もミサイルを発射し、A国を攻撃した。


 そのミサイルは核兵器だった。


 あっとゆうまに卓上の世界は火の海となり、燃え盛る炎の中に逃げ惑う人々の影が見え隠れした。


 ジェームスはなす術もなくそれを見下ろして、自分の不甲斐なさを呪った。


「理解度を上げたのがいけなかった…?」


「このゲームに正解や不正解はありません。理解度が上げたことが原因の可能性はありますが、総合的な要因によりこれらが起こったと考えたほうがよいでしょう」


「理解度を上げるとこうなることってよくあるの?」


「私が知る限りでは今回が初めての例です」


「理解度をあげれば、相手のことを知って恐れなくなると思ったんだけど…」


「ジェームス・モルガン、私もそのように思いました。ところが違っていました。なぜだと思いますか?」


「理解することで、より脅威に感じたのかな?」


「そうかもしれません」


「それにしても… “核兵器” は僕の感覚だと倫理的に完全にNGな武器だよ。なぜ、このヒトたちは核兵器など使ったのかな…」


「こちらの倫理観とこのヒトたちの倫理観が一致するともかぎりませんよ」


「…しかし、ヤバい武器には違いないでしょう?」


「そうですね…これほどまでに無差別に全てを破壊する武器を使ってしまった裏には、よっぽどの強い理由があるとは推測できます」


 ハヤト・ウェイは再び蜘蛛の巣の図を表示させて確認してくれた。


「ここを見てください。さきほどはなかった恐怖心が追加されて異常に数値があがっています」


「これは理解度を入れたことで出たもの?」


「理解度を上げる前にはなかった項目ですので、その可能性が高いです。下げますか?」


「うん。それと理解度も少し下げて。…ここから一体どうやって立て直したらいい? 時間もあまりないし…」


「両者が核兵器を使ってしまったので街の機能は完全に一度は崩壊するでしょう。そこから再建になりますので、治安が悪化しないように調整することをお勧めします」


「そしたら、共感的・柔軟的・倫理重視・規則的の度合いを上げて…それから、…えーと…復興するのに必要なものって何だ…?」


「このヒトたちの優先事項ですが、現在、“子孫繁栄” が一番目、二番目に “生活水準向上” となっています。」


「……! じゃあ、そこを逆に、“生活水準向上” を最優先にして、次を “子孫繁栄” にしよう」


「了解しました」


 ハヤト・ウェイが画面を操作して設定を調整してくれた。


 しばらくすると、A国とB国の戦争が終わり、燃え盛る戦争の炎が沈下すると、そこには見るも無残な焼け跡が姿を見せた。


 生き残った人々はそこらへんにあるものを使って掘立小屋を作って雨風をしのいだ。

 家族を失った子供たちが群れてあちこち足り回っていた。


 B国では、いつのまにか屋台ができて、人々は物々交換で物のやりとりを始めた。


 A国では国が食料や物資を保持していたので配給という形で住民に生活必需品が配られるようになった。


 それぞれの国では盗みをはじめとした犯罪が往行している様子だったが、何故だが両国はもう武器を作ろうとはせず、戦争が再び起こるような気配はなかった。


 ヒトびともこれまでの歴史から何かを学んだのかもしれない。


「これはうまくいっていると言える状態??」


 もはやジェームスには何が正解なのかよくわからなくなってきた。


「物資の共有が安定しないうちは、自分だけの生活水準を向上させようとして、このように治安が悪化するのは想定内です」


 ハヤト・ウェイは小さなヒトびとの動きをじっくり観察しながら言った。


「特に強い締め付けもないようですし、内戦や暴動が起こりそうな雰囲気はないですね」


 この世界はこれからジェームス・モルガンが暮らすことになる場所である。

 ハヤト・ウェイはとにかく治安を気にしている様子だった。


「この僕が、新しい世界を実体験中に死んだらどうなるの?」


「そこなのですが、実は私には知らされていないことなのです。もう察しているとは思いますが、私やあなたには寿命というものはありません。病気に感染して死ぬと言うこともまずないでしょう。しかし、破壊されることはあるかもしれません。あなたがここに戻ってこれないほどに破壊されてしまった場合…、恐らくですが、最終検証が永遠に完了状態にならずに、私はずっとここで帰らないあなたの帰還を待つことになるでしょう」


 ジェームスはそれを聞いてぞっとした。

 ダメだ。それは絶対にダメだ。


「ちなみに、これが楽園だ!ってなったらどうなるの? ゲーム終了?」


「それはまだ起こっていないことなので、私にも正確にはわかりませんが、あなたが楽園を感知した段階でこのゲームは終了し、私はここから出ることを許されるのだ、とあなたは言っていました。そして私はあなたの元に行くことになっています」


「それから?」


「そこから先は私も聞いていないので知りません。二人で末永く楽園で暮すか、あなたが、このゲームの懸けをした相手の元に行くのか…どうでしょうね?」


 ハヤト・ウェイは優しく微笑んだ。ジェームスは自分が懸けをした相手など全く覚えていなかったので、ハヤト・ウェイと一緒に暮らしたいと思った。

 しかし、その日が来たとしても、今のジェームスには知ることができない未来なのだ。


「そうこうしている間に、両国の都市機能がだいぶ回復してきたようですよ」


 ハヤト・ウェイに促されて見てみると、瓦礫はすっかり片付けられ、掘立小屋の代わりにちゃんとした建物が建ち始めていた。


 人々は電気を引き続き使っているようだったが、原子力発電は行っておらず、風力と火力、それから太陽光で電気を作っているようでだった。


 A国では、戦争孤児と思われる子供たちが、かろうじて原型をとどめている建物内に住み着いて、ひとつの犯罪組織のようなものを作っている様子だった。


「あそこの子供たちは放っておくとそのうちギャングになってしまうでしょう。できるだけそのような組織は存在しない方がよいですね」


 ジェームスはどうしたらよいか考えた。

 子供たちが犯罪組織に加わらずに済むには…、生活の安定と教育だろうか。


 それだけでは解決しないことも多くあるが、まずはそこだろう、とジェームスは考えた。


 生活の安定については “生活水準の向上” でカバーできるであろう。

 教育はどうだろうか…。


「このヒトたちの優先順位だけど、二番目の “子孫繁栄” をやめて、“学力向上” にしてみたい」


「わかりました」


 ハヤト・ウェイが設定を操作すると、早速両国に学校のようなものが次々と造られはじめた。

 B国は街の再建に少し時間がかかっているように見えたが、学校を優先して作るようになり、時々広場のようなところに子供たちを集めて授業をしているような様子も見られた。


「これは的確な判断だったように見えます」


 ハヤト・ウェイが嬉しそうに言った。


「この子供たちが成長して、街の復興にも大いに参加することでしょう」


 ヒトびとが子供たちの教育をはじめると、同時に福祉も充実してきたようで、街にあふれていた戦争孤児やそのほかホームレスの姿が徐々に減って行った。


 このくらいであれば、ジェームスも無暗に殺されたりはしないだろうが、楽園と呼ぶにはほど遠い世界に思えた。

 楽園なんていったいどうやったら作れるのだろうか? このゲームの仕組みだと永遠に作れないのように感じた。


 もしかしたらこれを始めたジェームスは楽園なんか端から作る気はなかったりして…。


 現在の自分の性格が本来のジェームスとどれほど似ているのかわからないが、もしも自分だったらやりかねない…。


「このままでは僕はすぐに戻ってきそう。これが楽園になるとは思えない…」


「諦めないでください。楽園がどんな場所かは誰も知らないのです。もしかしたら戦後の荒れ果てた世界が楽園だったりするかもしれまんせんよ」


 そんなわけあるか…。と思いながら、ジェームスはははは…と笑った。


「さて、約束の2日間が迫ってきました。ここからできるだけ住みやすい世界に近づけたいと思います。この世界に足りないものは何だと思いますか?」


 ジェームスはざっとヒトびとを見渡して思った。

 なんとか復興が軌道に乗り始めた、でもしかし、まだまだ平和な楽園とはほど遠い。


 この街に足りないものは…何だろうか。


 そしてジェームスは気が付いた。


「ハヤト・ウェイ、芸術的と愉快の度合いを上げてみて」


 それを聞くと、ハヤト・ウェイはにっこり微笑んだ。


「それには私も賛成です」


 ハヤト・ウェイはジェームスの言った数値を大幅に上げながら言った。


 こうして、戦後の絶望から立ち直り始めたヒトびとの街に、娯楽が生まれた。

 音楽や部隊や映画やお笑いなどなど。


 そして、街は色とりどりの芸術作品で溢れ始めた。


 それを見て、ジェームスは、これは少し思っていた楽園に近いかもしれない…と感じるのであった。


「ハヤト・ウェイ。これならば、少し希望が持てるような気がする。時間はあとどのくらい?」


 ジェームスはハヤト・ウェイの方を向きながら言った。

 ハヤト・ウェイはうっとりするほどに美しく、そして清々しい微笑みをその顔に湛えていた。


「もうほとんど残っていません。まもなくこの卓上のゲームは終了し、世界の構築が始まります」


 ハヤト・ウェイが言い終えるか否かのところで、卓上に広がった世界がパタパタパタと自動的に折りたたまれてどんどん小さくなったかと思うと、最初の本の形に戻ってしまった。


 終わったのだ。


≪世界設定 ノ 完了 ヲ 感知 シマシタ。コレヨリ 新世界 ヲ 構築 シマス≫


 どこからともなく機械的な声が響いた。

 それと同時に凄まじい地響きと何かが軋む音が聞こえて来た。


 ズズズズン…ズズズズン…と大地が揺れ、ザザザザザと大量の水が流れる音もしている。


 ジェームスは恐ろしくなって立ち上がると、ハヤト・ウェイの方へと近寄った。

 ハヤト・ウェイも立ち上がるとジェームスの手を優しくとって、大丈夫ですよ、と言った。


「新世界が構築されている音です。心配はいりません。こちらで待ちましょう」


 ハヤト・ウェイはジェームスの手を引いてゲームの部屋を出ると、キッチンのあった部屋とは反対側の部屋のドアを開けた。


 そこは、ベッドとソファー、そして小さな机のある部屋だった。

 ハヤト・ウェイが生活している部屋と思われた。


 ハヤト・ウェイはジェームスをソファーに座らせると自分もその隣に腰を下ろした。


「世界を構築中は少々揺れますから、ここに座って待つのが一番安全です」


 そういうと、ハヤト・ウェイは両手を膝に置いて、目を閉じてしまった。

 何かに聞き入っているような表情だ。


「私は、この世界が造られる音を聞くのが好きなのです。ジェームス・モルガンもぜひこのひと時に耳を傾けてみてください」


 ジェームスも目を閉じて鳴り響いている音を聞いた。


 ズシィイイン… ズドォォオオンン…

 ギリギリギリギリ… ドザザザザァァァ…


 凄まじい振動と共に、そんな音が聞こえて来た。

 ジェームスにはこの音の素晴らしさはわからなかったが、ハヤト・ウェイとこのひと時を共有している素晴らしさに胸を熱くしていた。


 しばらくしたら、自分は何もかも、こうしてハヤト・ウェイと話したことを忘れてしまって新しい自分になってしまう。

 後には残らないこの素晴らしいひと時を、ジェームスはできるだけじっくりと、胸の奥へと深く噛みしめようと思った。


 どれくらいの時間がたったのかはわからないが、地鳴りと凄まじい音がパタリとやんだ。


≪新世界 ノ 構築 ガ 完了 シマシタ。じぇーむす・もるがん ヲ 転送 シマス≫


 先ほどと同じ機械の声が言った。

 するとジェームスの視界がどんどん白くなっていった。


 ジェームスはこんなに急にお別れの時が来るとは思っていなかったので、慌ててハヤト・ウェイの手を握った。

 ハヤト・ウェイはその手を握り返すと、落ち着き払った表情でジェームスを向かって何かを言った。


 声はもうジェームスには聞こえなかった。

 だが彼は見ることができた。ハヤト・ウェイの唇が「また会いましょう」と動いたのを。


 こうしてジェームス・モルガンの意識はシステムの中に溶けて行った。


 それからほどなくして、13億4千8百62万4千7百43回目の最終検証が始まった。


(おわり)

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ジェームス・モルガンのゲーム 大橋 知誉 @chiyo_bb

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