第18話 探偵の存在意義
ドイルとナギからも叱られたホームズは無気力感に苛まれているようで、ぐったりしている。ドイルは机に座り、アイデアをまとめており、ナギはスマホを触りながら足を組んで椅子に座っている。
気分を切り替えて仲良くシャーロック・ホームズの音読の続きを聞く、という気持ちには流石になれないようだった。
そして通常ナギが寝転がっているソファにはホームズが横になっていた。
ちょっとそこ私の場所だから交換して欲しいという思いがあるが、あのキモイ死体を間近で見たのだ。気持ちはわかる。だから言わない。ただ、次からは部屋に入ったら最速でソファにダイブしようと考えていた。取られないように。
叱られて落ち込んでいるホームズだが、死体を詳しく見ることさえできれば、きっと事件解決の糸口を掴むことだってできた筈だ。若いといえども、あの名探偵シャーロック・ホームズなのだから。
一見完全犯罪のようでもホームズにかかれば解決できるものはある。犯罪界のナポレオンと言われたモリアーティ教授であってもホームズの手からは逃れられなかったことがその証だ。
けれども今のホームズは…
「ドイルさーん。あれ、ほっといていーんですかー? だいぶダメージ来てるみたいですけど…」
ナギが転がっているホームズを指差しながらドイルへ視線を送る。
この問いかけは単純な心配もあるが、医者なんだからちょっとは面倒見てあげたらどうなんだ? という皮肉を込めたものであった。
「私は精神科医じゃない。自分で言うのもあれだが、ホームズは頭が良い。自分はできると思ってる奴こそ、何もできなかったときのダメージはデカいもんだ。だから今はそっとしておくのが最善だろうさ」
(流石はパパなだけある。理解が有りすぎる対応だわー)
「そういえば、ホームズであんな状態なのにナギちゃんはあの現場を見ても平気だったな?」
まあ確かに、言われて見ればそうだ。アニメとか漫画で耐性が付いているのだろうか。いや、違う。それとリアルではまた話が変わってくる。となれば何故だろうか。
今回の事件のようなグロテスクなものには意外と昔から耐性がある。ドキドキする系の奴は苦手だが。
ナギは「う~ん」と指先を顎に当てて考える。
すると一つの記憶にたどり着いた。
「あ、そういえば、なんかちっちゃい頃にお姉ちゃんからめっちゃ怖い物見せられた気がする。たぶんそれ基準で怖いかどうか判断してるとかじゃないかなー?」
その怖さは覚えている。体が震え上がり、体が動かなくなるほど怖かった。しかし、とても怖かったという記憶はあるが、具体的になにがどう怖かったのかはよく覚えていない。そんな曖昧なもので耐性がついているかは正直なところ疑問である。
「曖昧だな。どんな物見たかとか覚えてないのか?」
「正直あんまり覚えてないんだよねーだからホントにそれかどうかは分かんない」
「そうか…」
疑問は残ったままだが。当の本人である私自身がわからないのである。仕方がない。
「あの事件結局どうなったんだろうねー」
ナギ達が現場を離れてからかなりの時間が経過している。スマホの時計だと四時間が経っている。そろそろ事件の手がかりとか見つかったんだろうか。
「どうだろうな。目撃証言とかも調べているだろうし、なにかしら進展はあるだろうさ。あそこは人気店だ。人の出入りも多い。すぐに証拠が上っているだろうさ」
間違いない。いくら無能に描かれがちの警察といえど現実は有能である場合が殆どだ。犯罪が多くいくつもの難事件を解決してきた大都市の警察が無能である訳がない。
だいたい、『探偵』というのは犯人探しや原因究明の手助けをする一つのツールに過ぎないのだ。
時間さえあれば大抵のことは警察が解決してくれるし、探偵など出る幕はない。あくまで時短の手段の一つ。それ以上でもそれ以下でもない。
勿論、彼らでも解決できない事件はある。切り裂きジャックがいい例だ。
しかし、そんな多方面から大人数の人があらゆる角度で調べ尽くして解決できない事件にたった一人の探偵ができることは果たして本当にあるのだろうか。
あるのであれば、現代の探偵という職業は衰退していない。現代では事件解決などではなく、ただの浮気調査や人探しを生業としている。現代でも解決できていない事件は山ほどあるのに、だ。
そう、言ってしまえば彼らは情報屋なのだ。手がかりから事件を解決するような探偵ではない。
頭の良さや新しい視点、突飛な発想だけでやっていけるのなら現代でも証拠から事件を推理して事件解決をやってのけるに違いない。いつの時代にも天才はいくらでもいるわけだから。その時代の彼らがすればいい。
シャーロック・ホームズの小説だってそうだ。天才はホームズだけじゃない。モリアーティ教授に、ホームズのお兄さんも一級の頭脳を持っていた筈だ。天才は世の中にあまりにも多い。
それなのに現代には探偵という職業は無いに等しい。これは大人数の力に対して一人や二人の力などたかが知れているという証明に近い。
(シャーロック・ホームズなんていなくても解決しちゃうのが普通…なんだよね…)
少なくともシャーロック・ホームズという人物はナギの知る歴史に存在していなかった。彼がいなくても殆どの事件は解決し、世の中は回っていたのだ。
シャーロック・ホームズという名前に絶対的な信頼があったナギだが今、後ろを向いてソファに寝転ぶホームズの背中はどうしても、小さくて無力でちっぽけなものに見えてしまう。彼もただの一人の人間なのだとそう示しているようでなんだか寂しい気持ちになる。
「わたし達には結局、何の力も無くてただ見ることしかできないのかな?」
ナギはだんだんと日が落ち始めた空を窓から眺めていた。
太陽の陰りを邪魔することができないように、わたし達はどうすることもできない。落ちる太陽にはそう言われているような気がした。
「さあ、どうだろうな。無力だったかどうかは精一杯やった後にわかることだからな。現状では判断できないな」
ふと、ドイルが手帳に書いている内容が気になった。
「あ、ドイルさん。それ何書いてるんですか?」
「ん? これか? ここに着いたときに言っただろ? 小説のアイデアをまとめるって」
なるほど、小説のアイデアだったのか――いや、それだと聞いた話と違う気がする。
「あれ? ドイルさんホームズの話はリアルな夢を見てそれをそのまま書いてるんじゃなかったんですか?」
今日、外出したときにそんな話をホームズとしていた覚えがある。じゃあなんでアイデアなんて書き留めているのだろうか。
「夢ってもんはその日起こったこととか、印象深い思い出とかの内容がよく出るだろ? だったらアイデアをまとめておいた方がより質の高い夢を見れそうじゃないか?」
「まあ確かに…違う世界がなんだとか言ってたけど、それも結局わからないしねー」
「ああ。それに、もし夢に出てこなくても私は歴史小説を書いてるんだ。そのときに使えるものがあるかも知れないだろ? だからまとめおくことに越したことはないんだよ」
「ほへー」
我ながら適当過ぎる返事だ。疑問に思った自分がバカだった。アイデアは何かに書いて置かなければ忘れてしまう。考えてみれば当たり前だ。もしかしたらシャーロック・ホームズもけっこう脚色して作られているのかもしれない。
適当な返事で返してしまった為に部屋から会話が無くなった。スマホのバッテリーも、もう少ない。予備バッテリーを家に置いて来てしまったために今は充電できない。
ナギの持つ予備バッテリーは太陽光と手回しの両方で発電できる災害用のものだ。家に帰ればまた充電できる。
なぜもっているかと言われれば、海外のコンセントは日本の物とは規格が違う。使うには専用のケーブルが必要になるからである。海外行くならあると便利だよと姉のサキから教えてもらったからだ。
適当な姉であるがこういう要所要所で非常に役に立つというありがたい存在である。その逆も然りだが。
一日が経過しようとしている今もサキのメッセージの真意は不明だ。何をどうすればいいのか検討もつかない。人でも殺せばいいのだろうか。だが、そんなことはしたくない。詳細は後日とか書かれていたが本当にくる保証はあるのだろうか。そんなものはない、わかっている。
(一生ここで過ごすのは流石に嫌だなー。現代のほうが楽だし)
平和という単語で荒れていた今朝のことを思い出す。
「あ、そうだ。あのメスガキ令嬢、昼は来ませんでしたね。普段は昼も来たりするんですか?」
一度途切れた会話を別の話題でまた始める。しかし、普段から二回訪問するタイプならあのメスガキが今から来る可能性だってあるわけだ。心の準備をするに越したことはない。
「メスガキ令嬢? ああ、朝来てたカシミア家のお嬢様のことか…そうだな、基本的に朝来たときは昼も来る…かな。あいつはここの眼科を開いたすぐの頃に来てな、その時からずっと文句を言われっぱなしなんだ。全く迷惑な奴だ」
「げぇ…今から来るかもってこと?」
ナギの口から低めの声が出て顔が歪む。
あのメスガキがまた来る可能性がでてきた。なんとも面倒な事態になった。権力があるメスガキとはなんと面倒くさいことか、大人パワー(暴力)で分からせる訳にもいかない。誰か代わりに分からせてやってくれないだろうか。
それに、何よりお付きのメイドがちょっと怖い。朝の短い時間だったが彼女が時折放つ雰囲気はサキが機嫌が悪い時にそっくりなのである。その状態になったサキは何を言っても言う事を聞いてくれなかった。
だからナギにとってはメイドが来ることでかなり気まずい空間が出来上がってしまうのである。思わずごめんなさいと謝罪をしたくなるような。
ドイルと話していると外から足音が聞こえて来る。
「うっわ…いや、違う?」
一瞬メスガキ令嬢かと思ったが瞬時に違うことがわかる。明らかに人数が多い。足音からするに、10人近くいるのではないだろうか。メスガキ令嬢が一度に沢山の護衛を付けて来たとも考えられる。しかし、あのような事件があった後だ。まともな親であれば子供を外に出したがらない。しかし、こんな眼科に一度にそんな人数が来るはずもない。
なにやら不穏な空気を感じ取ったナギはいち早く立ち上がり、身構える。
チャリンチャリン
入り口から黒いヘルメットを被った人たちがぞろぞろと現れる。彼らはスコットランド・ヤードだ。
突然現れた彼らにドイルは驚いたようで。手を止めて目を丸くしていた。
ホームズはソファで倒れていた体を起こし、眼科に入って来た彼らを見ていた。
「貴様がアーサー・コナン・ドイルだな?」
警察が直々に来たということはやはりドイルの無資格眼科はダメだったということなのだろうか彼らの表情も冷たいものだ。しかし、ホームズの話では別に無資格がダメという訳では無さそうだったが…。やはり、30年近くも時間が経っていると違いが出てきているのだろうか。
「そ、そうだが」
ドイルはあまりのことに硬直しており、返事がかなり遅れていた。
「貴様をメア・カシミア行方不明事件の容疑者として連行する!」
ドイルの持っていたペンが床に落ちる。
「そ...そうきたかぁ…」
ドイルは両手で頭を抱えて今日一番深い溜め息をついた。
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