第16話 魚の頭1
再び三人が足を揃えて歩きだすとドイルが再び足を止める。
「あれ?」
ドイルから気の抜けた声が聞こえてくる。
「おっかしいなぁ。今日はやってる日の筈なんだけどな」
どうやらここが目的地であったようだ。しかし、店はどう見ても閉まっている。入り口にはCLOSEと書かれたプレートがぶら下がっていて、外から見ても人がいないのは明らかである。
そういった雰囲気の店と考えることもできるが、ドイルの口ぶり的にはそんなことは無いようだ。
「ドイルさん、どう見ても閉まってますけど…てかなんで、ここに?」
あまり買い物ができそうな雰囲気の店ではない。すこぶる高級感があるわけでもなく、何かと言えば庶民向けの飲食店のように見える。
「ここは友人がやっている店でな…ナギちゃんとホームズに仕事をあげようと思った訳だ」
「うぅ…し、仕事」
確かにお金は必要だ。
現在、ナギ手持ちはゼロ。
ドイルのお世話になって紐生活をしたいところであるがそうもいかない。
「アイツなら、多少変わっているお前たちでも雇ってくれると思ったんだがな…」
「この建物で合ってるんですか? ここら辺似た建物ばっかりだし」
この付近は似た建物が多く外観もあまり変化がない。だからドイルが間違えるのも別におかしく無いと思うのでその説を推す。でも初見である私の感想だ。ここに住んでいるドイルからすればそんなこと無いのかも知れない。
「いや、合っているぞ。反対側にある。チョコレート屋があるだろう? 目印なんだ。」
ドイルは体を縦にして奥にある建物の一階にある赤い店へ指を差す。
「おぉーチョコレイト!」
(19世紀にはもうチョコレートあるんだ。ちょっと食べたい)
向かい側には確かにチョコレート屋さんがある。その人気は異常なようで、人が祭りのように溢れかえっており、入り口が人で見えない。上にある看板は見えるが。といったレベルである。
「へぇーあれチョコ買いに来てる人たちだったんだーすっごい人気」
「私もあそこまで人が居るのは初めて見た。去年来たときも人気はあったが、あそこまでじゃ無かったんだがな…」
「めっちゃ前じゃん。一年も来てなかったんですかー?」
「すまない、チョコレートというのはどんなものなんだ?」
ホームズがナギとドイルに問いかける。
「うわ、ホームズ知らないの! ってそりゃあそうか…えーとね。チョコは甘くて美味しいお菓子のこと。お茶とかコーヒーと一緒に食べると美味しいよ」
ホームズは人差し指の腹を顎に当てて考える姿勢をとる。
「ほぉ。それは一度食べてみたいな。けど…今回は難しそうだ」
ホームズの声色が位置段階低くなる。よほど食べれないのが残念と見える。
ナギもチョコを食べてみたかったが、ホームズの言う通り、あの人混みでは入るのは難しそうである。
いつもあんな感じなのだろうか。いや、日本が綺麗に並び過ぎなだけなのかもしれないが。
「ざんねん…」
無理だとわかっていても食べたい気持ちは残っている。これは甘いもの好きの宿命みたいなものだ。誘惑に負けてついついたくさんコンビニスイーツを買ってしまうような私みたいな人は特に。
「それと、なにやら彼らはチョコレートを買いに来た客では無いようだね」
ホームズが急におかしなことを言い出した。
確かに列ができている訳でもなく、彼らは無造作に集まっている。不自然だ。しかし、その基準は現代日本、19世紀のイギリスとは違うのだと思っていて深くは考えていなかった。
やっぱり、ホームズから見てもあれはおかしいのだろう。
では、彼らは何のためにあそこに集まって何を見ているのだろうか。商品を買いに来た客では無いのなら。
「おかしいな…なんでロンドン市警がいるんだ?」
ドイルの声色と目つきが鋭くなる。
あれほどの人混みであれば、警備員の一人や二人がいてもおかしくは無いはずだと思ったが、ナギからもヘルメットのような帽子を被った人達が見えた。あれは、昨日お世話になったロンドン市警の格好である。
彼らは人混みをかき分けるように無理やり奥へと入って行く。警備や列の整理をするような様子ではない。群衆も楽しんでいる様子ではない。むしろ怯えているような雰囲気さえ感じさせる。
「本当だ。何があったんだろ…」
__________________________
三人が反対側のチョコレート屋の方へ来たが、人が多くてとても中に入れる状況ではない。なおかつ着々と人が集まりつつある。
「これは何の集まりなんだ?」
ドイルが前にいる若い男に話しかけた。
「ああ、俺もさっき聞いたんだが、殺人? があったらしいんだ。それもむごたらしい」
三人の表情が険しくなる。ゴクリと息を呑む。殺人と聞いてまともな顔をしていられる奴は少ない。医師のドイルや、あのホームズでさえ眉をひそめている。しかし、この男も正確に殺人かどうかはわかっていないようだ。
ドイルが真っ先に聞く。
「…どんな内容だったんだ」
「何でも、今日チョコレートを買いに来た客が発見したらしいんだ。
店に来たら店員はいないし、かといって店が閉まっていたわけでもないらしい。
それで声を出して店員を呼んだらしいんだ。だけど全く反応がない。
もしかしたら奥の方で寝てるんじゃないかと思って奥に入って行ったんだと。
ところが、奥に行っても人の気配が無かったらしいんだ。
机に飲みかけのコーヒーが置いてあったらしいんだが、上にホコリやらゴミが乗ってたらしくてな、入れてから結構な時間が放置されてる様子でな。
不気味に思った客が帰ろうとしたら
ガシャン!
二階から何かが割れたみたいな音が聞こえたらしいんだ。
それを聞いた客は二階にいるんだと思ったんだと。
それで階段を上って行ったんだ。
だけど今度も人はいなかったらしいんだ。
あるのは机の上に子供なら入れるぐらいの大きな箱と地面で割れてる瓶があったらしい。
それでいて箱からはところどころ赤い濁りと甘い匂いがする黄色いオイルみたいなものが垂れてたらしいんだ。
客はそれを恐る恐る開けたんだ。
そこには
関節がバラバラにされた人体と人間の頭の代わりに大きくて不気味な魚の頭が詰められてたんだ。
そう聞いたよ。今は色んな説が飛び交ってて中には魚人間だったんじゃないかと言われてる物もあるらしい。それで一目見ようと皆集まって来てるって訳だ」
「それは、なんとも不気味な話だな」
ドイルは怖気付くような様子でそっと言う。
「だけど、さっき警察が言ってた話だと被害者はこの店の店主らしいんだ」
ドイルはさらに顔を険しくして問いかける。
「どうしてそう判断したんだ?」
「警察が言ってたのが聞こえたんだが、今日はここの店主とその嫁の二人で店を回す日だったらしくてな。それでいて、バラバラになった体は結構大きくて男のガタイらしい。それで店主の嫁に話を聞こうとしたんだが、家には誰もいないし、家は荒れてたらしくてな。だから店主の嫁が犯人ってことで捜索してるらしい」
なんとも悲惨な話である。夫を殺すほど憎かったのだろうか。
「待ってくれ、家が荒らされてたなら盗みが入ったということも考えられるんじゃないか?」
ホームズからの質問である。
確かにあり得る話だ。ドイルが先程のドイルが一年前も人気があったと言っていたから、店自体は繁盛しているはずだ。だから犯人がお金目的で盗みを働いた。それを見られた犯人は店主を殺す。ついでに家を漁って逃げた。家が荒れているのは漁られたせい。十分にありえる筋書きだ。それだと嫁も殺されている可能性が高いな。
「俺も詳しいことはわからねーんだ。ごめんな。ただ…俺はこの事件ただの事件じゃないと思うぜ」
同感だ。こんなに気持ち悪い事件は並大抵の人間にはできない。よほど狂っているか、怪しい宗教に取り憑かれたのか、それとも別の何か、なのか。
「というと? 何か思い当たる物でもあるのか?」
ホームズが尋ねると男は胸を張って答える。
「俺は切り裂きジャックの再来なんじゃないかと思ってる。嫁が本当は切り裂きジャックだったんじゃないかってな」
「切り裂きジャックってあの!?」
ナギの口から言葉が飛び出る。思わず前のめりになって答えてしまう。
とてつもなくビッグネームが出てきたためだ。現代では様々な創作物に登場しており、知らない人が居ない程に有名な殺人鬼である。
「切り裂きジャック? それは何だ?」
ホームズだけがこの中で理解していないようだった。
しかし、ホームズが知らなのも無理はない。ホームズは過去の時代から来ているのだから。
「兄ちゃん、切り裂きジャック知らないのか!?」
若い男もこれには反応してしまう。
何と言っても劇場型犯罪のトップにいる殺人犯なのだから、知らなければ誰もが同じような反応を見せるだろう。
現代で知っていなくても驚くレベルであるのに、当時のロンドンで知らないとなればその驚きはより大きい筈だ。
「私が説明しよう」
ドイルが一歩前に出る。それにより若い男は身長差と威圧感で半歩足を後ろに引かせた。やはりどう見ても医者には見えない。
「切り裂きジャックって言うのはだな、数年前に連続殺人をして世間を騒がせた殺人鬼のことだ。そいつは殺した奴の首を切り、体をバラバラにするような常軌を逸するような殺人犯だ。今も捜索中ではあると思うがまだ捕まっていない。どうも証拠がないみたいでな」
ドイルの言う通り、切り裂きジャックには犯人に繋がる明確な証拠が無かった。そしてこの後も現代に至るまで真相は闇の中である。今や現代では人類史に爪痕を残した猟奇的犯罪者の一角となっていることは言うまでもない。
「これらの事件は普段もオイル漬けにしたり、魚の頭と人間の頭部を入れ替えたりするのか?」
ホームズからの質問だ。この異様な事件を更に不気味にさせている二つの事象である。こんなことが毎回のように起こされていたらたまったものではない。
「いや、そんなことはない。今回が異質過ぎるだけだ」
いくら切り裂きジャックと似ていると言えど今回の事件があまりに異質過ぎることには変わりなかった。
「確かにこの事件と切り裂きジャックって似てる箇所もあるよね…バラバラなところとか」
(だけど…切り裂きジャックって確か…)
「しかし、切り裂きジャックは女性を狙った殺人ではなかったか?」
ドイルが若い男に問いかけた。
そう、今回の殺人は男らしいのだ、切り裂きジャックの被害者は基本的に女性である。男が襲われる点も、魚の頭も入れられている点も解決しない。切り裂きジャックが起こす事件も不気味なことには変わりない。実際に切り裂きジャックの犯行である可能性もある。
しかし、似ているのはバラバラな点だけ――いや、それだけでも十分に切り裂きジャックだと言えるかもしれない。だがしかし、頭と尻尾を繋げただけのような話だ。あまり説得力がないように感じる。
「そう思うだろ? しかし、だ。こう考えてみるのはどうだ?」
男は自信を持って意気揚々と説明しだす。
「店主を殺した店主の嫁が切り裂きジャックだってさっき言ったろ? じゃあ嫁が店主の浮気相手を殺していたって考えたらどうだぁ?」
「なるほどな。最初は夫の浮気相手を殺していたが、ついに夫の浮気に耐えられなくなり今度は夫を殺してしまったというわけか。じゃあ魚の頭は自分にとって特別な存在だから立てたという訳か? 確かに魚の頭を使った料理が漁師の祭りで作られるという話は聞いたことがある」
なるほど。そう言われれば確かに一理ある。切り裂きジャックはゲームとかで女体化されてるだけではなくて、本当に女性の可能性もある訳だ。なんたって目撃者は居ないのだから。それにイギリスには魚の頭をぶっ挿して作る伝統料理があったはずだ。それに見立てていると考えると魚の頭にも妙な説得力があるように感じる。
「お!よくわかったな?」
若い男は驚いた様子だが、自分の推理が認められているのが嬉しいのか少し頬が上っていた。
一方でホームズはまだ顎に手を当てたままで考え込んでいて納得はしていないようだった。まだ、実物を見ていないため結論を急ぐことはよくないということなのだろうか。
しかし、若い男の仮説も妙に納得できるものであったのもまた事実であった。
「ギャァァァ!!」
男の推理を聞いていると突然悲鳴が聞こえて来た。
その声は金切り音のようで高い、だが男性のものだとわかる。
その悲鳴は大きく、離れているナギ達でさえハッキリと聞き取れ、辺りの群衆を一瞬で黙らせた。
その叫びは差し迫った者が出す特有の畏怖と恐怖を乗せたものであった。
発生源は店の入り口方面――というよりは、二階から放たれたもののように聞こえた。
ただ、確実なのは店の中で何かが起きた、ということだ。
「何の声?」
ナギが静まり返った群衆の中で真っ先に口を開く。
ナギの誰に対して言ったのかもわからない、だが言わずにはいられなかったであろう声をホームズが汲み取る。
「中にいる警察の悲鳴だ! 今の状況で中に入れるのは恐らく警察だけだ。現場を荒らされたくはないだろうし、当の死体が見れているならここまで人は集まっていない筈だからだ! だがそれが本当なら警察が叫ぶような事態が店の中で発生しているということだ!」
そう早口で言い残してホームズは一人群衆をかき分け進んでいく。
「ちょ、ちょっと! ホームズ!?」
「おい! 待て!」
ドイルとナギの叫びはホームズには届かない。群衆をかき分けて進むホームズには聞こえていないようで更に前へ前へと進んでいく。
「もー!」
ナギは声の届かないホームズの方へ慌てて走り出そうとしたが、一度立ち止まって走りゆくホームズと唖然として止まったドイルを交互に見る。そして最終的にドイルにこう伝える。
「ドイルさん! 行きますよ!」
「はぁー…仕方ないな」
今までで一番深い溜息をつく。しかし、表情な今までにないぐらい責任感と心強さを感じられるものだった。
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