第13話 電子書籍
早朝、ロンドンにある家の部屋には無地のカーテンの隙間から朝の光が差し込む。空中にゆらゆらと浮かんでいる小さなホコリ達は太陽からの光によって姿を表し、それらが光の軌道を露わにしていた。部屋を明るくするには不十分な光であったが、一人の少女を夢の世界から引き戻すのには十分な明るさであった。
寝ている体を両手を使って持ち上げると、あくびにより大きく開いた口を隠すようにパーに開いた右手を前に出す。
「はぁ…ぁ…」
そのまま放置していれば、再び閉じてしまいそうなくらい細く開いたまぶたのまま、近くに置いてあるスマホを洗練された動きで手に取る。寝起きのぽわぽわした脳内であるため充電コードがあることを忘れており、予備バッテリーごと引っ張ってしまう。
「忘れてた」
ポリポリと寝癖のついた頭を掻いてケーブルを外す。電源を付けると当然最初にあの場所を確認する。
「圏が…ん?そんなことあるー?」
ナギのスマホに一件のメッセージが届いていた。姉の咲からである。
寝起きのためにあまり大きなリアクションを取れなかったが本人は驚いていた。
咲からのメッセージを開くとこう書かれていた。
【歴史を変えるんだ。じゃないと戻れないよん。詳細は後日】
古くなったスマホはメッセージが届くのが遅くなり、一日遅れで来る。という話は昨今珍しいものではないが、電波がない状況ではそれもありえないだろう。それにこのスマホはまだ新しい。物持ちが良いナギにとっては一年前と同じ綺麗なままである。
それにしても、なんともヘンテコなメッセージである。ナギは徐々に冴えてきた頭で考える。
「わけわかめ。普通タイムトラベラーは歴史を変えちゃダメでしょ。未来が変わっちゃう―ってなるのがセオリーなのでは…? 狙って戻ったなら違うけど、私狙ってないし…」
さらに、注目すべきは詳細は後日などとこっちを舐め腐っていることである。圏外であることに変わりは無いのにどうメッセージを送って来たのかは不明だが…
「口調が既にムカつく」
とても大事に遭遇している人に対して使う口調ではない。ナギは千切れそうになる心を抑えて準備に取り掛かる。
「はぁ…今怒っても無駄だわ。着替えよ」
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ドイルの眼科に三人で足を揃えてやって来きて、現状の確認を改めてしている三人であったが、ナギにとってはとてもめんどくさい事態に発展していた。
「うげー。私がやるんですか?」
ナギの表情が歪み、スマホと二人を交互に見る。
「仕方ないだろう。ナギちゃんしか読めんのだから」
「僕からもお願いするよ」
二人の目的はナギの持つ電子書籍であった。ホームズに未来人である証拠の一つ、スマホを見せて、未来人であることを改めて証明しようとしたのである。そして機能を見せるうちに前回ドイルに見せるのを忘れていた機能。電子書籍の存在を教えてしまったのである。二人に自分で読んでと言う訳にもいかない。なんと言っても日本語で書かれているのだから。
(ちくしょーさっきの私。なんでこうなることを予想しなかったんだ…)
「最後の事件、だったかな? 昨晩は僕が死ぬ理由の詳細が気になって夜しか寝れていなかったところだよ」
「ガッツリ寝てるやんけ」
「いやー何度見てもスゴイもんだな。これが未来の機械かぁ。まさかそのちっちゃいのに本も入ってるとは思わんかった」
ドイルは昨日スマホを見せたときにあれほど驚き倒したのにまだ驚く余地が残っているようだった。
「うーめんどくせー。翻訳とか二倍疲れるんよねー」
仕事探し以外にこれといって特にやることもないナギであるが、面倒臭いものは面倒臭いのである。目標もないのに休日に暇だからと言って勉強する人は少数派であるように。
どうしたものかと、チラチラとホームズの方を見て「必死に代わりにやって」とアピールをする。
「残念だけど僕も日本語は殆ど知らないんだ」
「むー!何でも解決してくれるホームズさんじゃないのー!?」
当然そんな存在は居ない。いくら天才ホームズでも万能ではないのだ。頭ではわかっているが口に出す。
「めんどくさーい」
ただの駄々である。日本で大人に分類されている女性が駄々をこねているのだ。二人の呆れたような冷たい視線がナギに向けられた。
「…」
ようやく自分の姿が周りにどう映っているのかナギは気づいた。頬と耳先をやんわり赤く染めて心の中でこの記憶を黒歴史フォルダに収納した。
(あー記憶消してぇ…)
「ごほん…わかりました。やりますよ」
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ナギはホームズとドイルに 電子書籍に書かれたシャーロック・ホームズを音読している途中であった。
「んで、そこでホームズが…」
チャリンチャリン
入り口の扉が開く音だった。
扉の先には異常なほど顔が整っていて、黒く深海のような髪を持つ女性が立っていた。髪は腰まである長さで、美しい艶がある。肌はきめ細やかでこちらも同様に艶とハリがある。シャンプーのコマーシャルに出ていても不思議ではないほどである。普段からよほど手入れに時間を割いている証である。
メイド服らしきものを着用しているが、袖に黒色のフリルが結び付けられており、何かと言えばゴスロリに近い。頭にはフリル付きのカチューシャ、後頭部には左右から持ってきた髪が水色のリボンの髪留めで止められている。
彼女の下まつ毛は長く、目つきは普通である。しかし、視線は驚くほど鋭く冷たい。まるでこちらを見ていないようにも感じる瞳である。
(綺麗な人…お姉ちゃんみたい…)
黒髪の女性は一瞬ナギの方を見て眉をピクリと動かして、さっと横に避けて入り口を空ける。その後ろからは小学生ぐらいであろう小さな少女が姿を見せた。
老人のように真っ白な髪。横髪の一部は縦に巻かれているが後ろの髪は真っ直ぐに伸びている。幼いながらも華麗である。
目は、ぱっちりと開いており、血液のように赤い瞳がよく見える。白、黒、黒い赤色からなるドレスを着用しており、白く美しい髪が映えている。
「うげ…」
小さい少女が現れた瞬間にドイルから漏れた言葉であった。ドイルは条件付きではあるが、その日に初めて会った人間二人を居候にしてくれるほど懐が広い人物である。誰からもマイナスに聞こえる言葉を言うのはちょっと意外であった。しかし、ドイルのこの反応にナギは心当たりがあった。
入り口に現れた小さな少女が口を開く。
「なにしてるんですの! あなたたち! その男は危険ですわよ!」
少女の表情は自信に満ち溢れ、指先は真っ直ぐとドイルへ向いていた。
状況が掴めないホームズはドイルに問いかける。
「知り合いですか?」
「前に、ここに来たことがあってな」
何故かドイルの返事の歯切れが悪いため、ホームズは続けて質問を投げかける。
「患者はまだ一人も来てないのではなかったのですか?」
ホームズが昨日の話との食い違いの原因を探していると少女自ら名乗りを上げる。
「患者ではありませんわ! 私は、メア・カシミア。カシミア家の娘ですわ!」
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