第10話 真夜中のメール
ナギとホームズはドイルに連れられてしばらく歩くと、ドイルが住んでいるという家までやって来ていた。豪邸とはいえないが庭がある立派な家であった。今いるロンドンはイギリスの首都、もしも現代日本の東京にこのような一軒家があれば、誰もが金持ちだと思うだろう。しかし、ここは19世紀で日本ではないためナギがこの家を公平に比較することは出来なかった。
「ここが、ドイルさんのお家。一軒家なんですねー!」
(イギリスの一軒家にお泊り…というか居候? ホームステイに来たみたいな気分になってきちゃったな)
ドイルは「そうだ」と答えたが弱々しい返事であり、ナギとホームズが不思議そうにドイルに視線をやると、こう続けた。
「今から妻に言うのがちょっと心苦しくてな…7」
「安心して下さい! 仕事はそのうち見つけます!」
ナギは手グーの形にして親指を立てウィンクした。
「違う。確かにそれも重要だが、私が気にしているのは妻に相談せず君たち2人を連れて来たことだ」
ドイルが家の玄関の前でウジウジと今更悩んでいると扉の方から開いた。
「ドイルさん、お帰りなさい。帰って来ていたのですね」
女性が出迎えた。その女性は女性としては身長が高く、すこぶる身長が高いドイルと並んでも頭半分程度の差しかない。髪はある程度の長さがあるが頭の頂上でまとめられている。ひと目見た感想は、おしとやかな女性である。
「ああ、今帰ってきたところだ」
ドイルが返事をすると女性はドイルの後ろにある違和感に気づく。
「そちらの方々は?」
「お客様だ。急に言って悪いな」
ドイルはいきなり「片方は居候だ」などと言う勇気を出せなかったため言葉に詰まる。
「ずいぶん若いお客様達ですね。いらっしゃい。私はアーサーの妻のルイーズです」
ナギに向かって優しく手を伸ばす。握手を求めているようだった。
「私は桂川 凪、今日からしばらくお世話になります」
ナギとの握手を終えると次にホームズへ握手を求めた。
「僕はシャーロック・ホームズ、本日お世話になる」
ホームズの言葉を聞くとルイーズは眉をピクリと動かし、不思議そうな顔でドイルへ問いかける。
「こちらのお客様達は患者さんなのでしょうか?」
「いや、違う…コイツらは…最近無一文でロンドンに来たみたいでな…家がないから貸すことにしたんだ」
ドイルのぎこちない回答を聞くとルイーズはホームズへと体を向ける。
「ホームズさんは他にあてはあるのですか?」
「ありません」
きっぱりと答える。
「でしたらドイルさん。あなたの決めたことに口を挟むことはしたくないのですが、ホームズさんもしばらくの間泊めてあげてはどうでしょう? あなたが連れて来たのです。最低限の信用はあるのでしょう?」
ルイーズの言葉に「うーん」と頭を悩ますドイルであったが最終的に「わかった」と許可を下ろした。
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ナギはランプで灯された食卓でご飯を食べた後に、客用のベッドに案内されていた。
ナギは髪を解き帽子を外して、可愛いペンギンイラストが上下に入ったパジャマ姿になってベッドへ顔面からダイブしていた。昼にいたナギとはまた違った雰囲気を漂わせている。
「ぐへー…」
ふにゃふにゃの嘆きのような勢いを奪った悲鳴のような声を出して、うつ伏せになった状態で顔だけ横に倒す。
視線の先には手に持ったスマホがあり、電源を付けるとナギの瞳を青白い光が照らす。手に持つスマホは未だに電波を受信しておらず、圏外から回復する様子も見せず、ただ内部時計が分刻みで時間を進めて残り50%の充電を着々と削るだけであった。
「10時…」
幸いイギリス用に変更した時計は、部屋にあった時計と比べて殆どズレていないようだったためそのまま使用していた。
スマホに入っている要の機能は使えなくなっていることは理解しているが、特に何の理由もなく山のようにあるアプリを眺める。
ナギのスマホは姉のサキから1年程度前にプレゼントしてもらった物でかなりの高性能大容量。一緒に端末に入っている外部メモリに至ってはハッキリ言って過剰である。そこまで大きいサイズの容量の小型メモリがあるのかと驚いて、思わずネットで調べてしまったぐらいだ。因みに値段は2万円を超えていた。スマホではなくメモリが。
ナギはスマホを買い替えたいと思っていた時期に貰ったためかなり喜んだが、圧倒的なまでのオーバースペックに少し気が引けていた。この頃、中学生が過剰なスペックのスマホを持つということをよく耳にするが、ナギはその比ではなかった。そのためせっかくある容量を活かすべく、沢山のアプリを入れては入れてを繰り返していた。しかし、結局よく使うアプリなど10個を超えないというのがナギの身をもって検証した体感統計データであった。
「まさかここに来てこの大量のアプリ達が生きる可能性が出てきたとは…」
何も無いとわかっているがホーム画面を見るとつい手癖でSNSに手が伸びる。現代の若者ならもはや誰もがかかる病気である。当然そこには何も…
「あー確かにこーゆーの残るヤツは残るよね」
何も無いはずのSNSには投稿がある。しかし更新がされない。直前に使っていたデータは残っているのである。
「こーゆーのって一回ダウンロードして残ってるからまだ見れんのかなぁ~? キャッシュ的な?」
そう考えていると、ある存在のことを思い出す。
「あっ! お姉ちゃんの資料あるじゃん!」
ベットに横たわってスマホをいじっていたナギであるが体を起こして、正面にプリントしてある大きなペンギンちゃんが姿を現す。しかし、暗さ故かペンギンちゃんは誰からも視認されない。
サキとのトーク履歴から資料を見返そうとするがやはり開いていない資料は開かなかった。結局、開けたのは5つくらいある資料の一つだけであった。
「あーだめだこりゃ。これ、現地の観光ガイドだわ。くっそー昔の私め。ぶん殴ってやりてーわ」
たいした収穫がなかったためアプリを閉じる。するとある別のアプリの存在に気づく。
「あ」
食べていたアイスを落としたときのように口から出たそれは、電子書籍の存在を思い出した時に出た物であった。ナギは家族で共有しているアカウントを使っており、それにはサキが読みきれない程の本を購入していたためにそこからダウンロードして使用していた。勿論ナギが購入することもあったが、基本言う前にサキが既に買っているというケースが殆どであった。
「よかったー私は『暇』がもうストレスになる領域まで来てるから娯楽がないと苦しくなっちゃうんだなー。暇つぶし自体がストレスの種になるというジレンマ…」
ナギはそう誰に話かけているわけでもない話を口にしていると、ふとシャーロック・ホームズのことが頭をよぎる。
「そういえば、シャーロック・ホームズって電子で読んだんだっけ?」
アプリ内の検索バーにシャーロック・ホームズと入れると数件ヒットする
「緋色の研究、四つの署名、冒険(上)、思い出(下)。うーん思ったより読んでないな私」
ナギは自分で思っていたよりシャーロック・ホームズを読んでいなかった。ことに多少のショックを覚えて、目を細めて唇を尖らせる。
「もういいや、今日は寝よ」
嫌気がさしたナギはスマホを閉じて再びベッドへとダイブする。
「ぐへー」
今度はすぐにうつ伏せ担った体を仰向けにしてみると普段の睡眠時とは環境が違うことをしみじみ思う。
「暗い…」
案内された部屋は窓があり、弱々しい月明かりが部屋の中に届いているが暗さは健在している。
(この部屋だけじゃなくて、きっとロンドン中がこの暗さに襲われている。けど、彼らはここが暗いことに気づいていないだろう。これが当たり前なんだから)
「いや違うかな…明るいのが当たり前になってる私の方がよっぽどおかしいんだろうなぁー」
既に暗くなっている外を今一度見つめてからナギは黙って眠りにつくのであった。
そして翌日になるとナギは気づくことになった。来るはずのない新しい通知に。
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