第4話 昔のあの子と今のあの子
「すみませーん! ハイボール2つくださーい!」
「ありがとうございます!」
小萌は、俺のドリンクもオーダーしてくれた。頼んだドリンクはすぐにテーブルへと運び込まれた。
「じゃあ、乾杯ね? 二人の運の無さに!」
「なんだそれ。でも、まぁ、乾杯」
当たったジョッキ同士は、小気味良い音を奏でた。今までの乾杯の中で一番気持ちの良い乾杯だった気がする。そして口へと流し込んだハイボールはさっきよりもずっと美味しい気がした。
「大輔君もしかしてなんだけどさ。高校の頃の彼女の一件で、女の子が怖かったりする?」
口にジョッキを当てていた手が止まる。思わずビクッとしてしまい、口の端から少しハイボールが垂れた。そして、これ以上零れないようにとゆっくり口からジョッキを離して、テーブルの上に置いた。
「半分正解かな。大学で野郎だけのグループに居るのも今思えばそうかもしれない。大学に入ってから彼女を作ってないのもそのせいかもしれない」
「今、あたしと飲むのも緊張する?」
「少しだけ。でも、怖いっていう緊張ではない気がする。上手く言葉には出来ないけど」
「そっか。だったら嬉しいな」
「嬉しい?」
「うん。今日のこの時間が実は嫌々でしたって話なら、大輔君にすごい申し訳ないことしてるじゃん? 女性恐怖症気味になってるのにサシ飲みだし、好きでもない人に付き合わされてるわけだし。あたしだけ楽しんでたとしたら、あたしってばめっちゃ最低な人じゃん」
小萌は不安だったのか、今思っていることを話し終えるとジョッキを手にしていい勢いでお酒を口に流していた。この人はどこまでも他人に優しいと素直に思った。
「全然嫌なんかじゃないよ。むしろ楽しいくらいだよ。小萌のおかげで恐怖心は削れたかもしれない」
「そっか! だったらほんとよかった! これで新たなトラウマなんか芽生えた日には、夜も眠れないよあたし」
小萌は、ほんとよかったー。と言いながらハイボールを飲み、ホッと肩を下ろしていた。
「二人のトラウマで暗くなっちゃったし、明るい話にしよ! 今はどう? 気になってる人とかいる?」
「んー。いる、かも?」
「かも? それが誰かは教えてはくれない感じなんだ」
「三年もブランクがあると良く分からないんだよね。これが好きなのかそうじゃないのか」
実際のところ、本当に分からない。目の前に居る彼女が、実はただの優しい人で俺のトラウマ話を聞いて同情してくれているだけなんだろうと思っているのが正直なところだ。これが優しいという感情だけでなく、特別な感情を持って接してくれているのであれば、素直に嬉しい。こんなに可愛い子がそんな感情を持ってくれるとは思わないし、それを理由に好きになったとしたらそれは本当に好きなのかさえ分からない。
「じゃあ、どんな気持ちか教えてみてよ。ここはあたしが恋愛感情かどうか判定しようじゃないか!」
えっへん! と構えた小萌は自信満々で俺の感情チェックをすると言い出した。小萌の男運の無さを考えると果たして小萌に判定させるのは正しいのか、正直怪しいところではある。しかしこの場においての俺を俯瞰出来る人間は小萌しか居ないので判定するには小萌の頼りない判定機能に頼らざるを得ない。
「くしゅん!」
俺の心の声が聞こえたのか、小萌はくしゃみをして、鼻を擦っていた。俺はきっと悪くない。俺の心の声は聞かれていないだろうと祈りつつ、小萌に判定をして貰うことにした。
「まず、そうだな……。一緒に居て楽しい。会話も楽しいし、表情を見ているだけで飽きない」
「わぁぁぁぁぁ! もうそれ恋してるじゃん! やば、なんか可愛い!」
まだあまり伝えたわけではないけど、既に大興奮の小萌。やはりこういう話は大好物なようだ。
「それからそれから? ドキドキしたりする瞬間とかないの?」
「そうだな。ニコッと笑うところとか、幸せそうな顔をするところとかかな」
「幸せそうな顔って何したらそんなになるんだろう」
「それはまぁ、色々だね。大体そんなもんかな。小萌先生。判定はどうでしょうか」
「ふむ。これは間違いなく恋ですねぇ。もうしっかりどっぷり落ちてますよ、はい」
小萌先生曰く、俺にも恋愛感情があるらしい。どうやら、俺は目の前に居る小萌に恋をしているらしい。
「小萌はどうなんだ? 誰かに恋してるとか」
「うーん。内緒!」
「そこは教えてくれないんだ」
「内緒がある方が、女の子は可愛く見えるんだよ」
「よくドラマとかでもいうよな、それ。ミステリアスなところに惹かれるとか」
小萌は恋愛感情があると認識しているのか、恋しているかどうかにノーとは答えなかった。こんな可愛い人に好かれる奴が羨ましい。俺の恋は実らないと思うと、ちょっと元気が無くなる。
「ちょっとお手洗い行ってくる」
「りょうかーい!」
離席しながら、店員さんに声を掛けて、テーブルを指で示して会計をして貰う。そのままトイレに行って用を足す。トイレでふと冷静になる。俺はちょっと悔しかったのかもしれない。小萌の好きな人は俺でないと分かったことが、気に入らなかったようだ。でも、一緒に飲めて楽しかったのも事実。気持ちをリセットして見送るようにしよう。
「ただいまー」
「おかえりー! いい時間だけどどうする?」
「そろそろ出よっか」
「了解! じゃあお会計してもらおっか」
「もう済ませてあるから大丈夫だよ」
「え!? いくらだった? 半分出す出す!」
「いやいや、今日は紹介したの俺だしいいよ」
「ほんと? ありがとうね! じゃあ、次はあたしが絶対払うから!」
次があるということでいいんだろうか。誘われても好きな男が居ると思うと遠慮してしまう気がしている。
「ありがとうございましたー! またお待ちしてます!」
店員さんの元気のいい声に見送られて外に出た。大きく息を吸って吐く。毎度思うことだが、飲んだ後の外の空気はなんでこんなに美味しいんだろうか。この空気の味を商品化したら、飛ぶように売れそうな気がするけど誰も作ってないよな。これは酒を飲んだ人だけが味わうことのできるプレミア商品ということなんだろうか。いっそ俺が商品化してしまおうか。などと考えていると、小萌が俺の顔をのぞき込んできた。のぞき込んできた小萌はニコニコと笑っていた。
「今日はご馳走様。ほんとありがとうね」
「いやいや。こちらこそありがとうだよ」
「そういえば、深呼吸してどうしたの?」
「ああ、飲んだ後の空気が大好きでね。空気吸ってた」
「わかる。美味しいよね!」
小萌にも空気の美味しさを分かって貰えたようだ。そんな空気の美味しさの話をしながら、二人で駅へ向かうために繁華街を歩く。終電が迫ってきていることもあり、既に閉店しているお店もちょこちょこあるので、店に入る前に元気に光っていた看板の一部は眠りに付いていた。
「なんかいいよね。程よい静けさで」
隣を歩く小萌は、この静けさを楽しんでいた。俺もこの程よい静けさは好きだ。飲んだ余韻ということもあり、何となくセンチメンタルな気分になる。もう少し飲みたかったという想いなのか、飲んだ飲んだと満足した想いなのか。
「ねぇ。少し寄ってかない?」
小萌は、繁華街の片隅にある小さな公園を指さした。公園には誰もおらず、ベンチが三個ほど点在していた。俺はもちろんと頷いて、小萌の後に付いて行った。
公園に入る前に自販機でお茶を二本買って、一本を小萌に上げた。ベンチに座ってキャップを開けたボトルを小萌の方に向けて、二人で乾杯した。
ざざざと木の葉を揺さぶりながら吹く風は、秋の夜空に相応しい少し肌寒さを感じる風だった。秋の風と自販機のお茶が、飲んだ後の少し火照った体を冷やしてくれた。
「今日、ほんとありがとうね。すっごい楽しかった」
「どうしたの? 改まって」
「なんか伝えたくなっちゃって」
「そっか。こちらこそありがとうだよ。楽しかったし」
お互いに感謝を伝え合うと何だか小恥ずかしくなり、揃って無言になってしまった。気まずくなり耳を周りに向けると鈴虫の鳴き声が聞こえる。少し遠くで鳴く鈴虫の声はやけに大きく感じた。
「大輔君は今日なんでサシ飲みしてくれたの?」
「周りの奴らに飲みがあることを言ったら絶対合コン組めって言われるからかな。そうなると幹事やらなきゃだし、楽しめなくなっちゃうじゃん?」
「じゃあ、今日は楽しむ気で来てくれたんだ」
「それは、まあ、ね?」
実際のところ、楽しみだった。まるで乙女のように何を着ようかとクローゼットと引き出しを開けて服を眺めてみたりした。当日は何を食べて何を飲もうかと、想像を膨らませていた。今日の講義では、今夜はどんな感じになるかと色々な出来事を考えた。半分はどうしようもない男子大学生の妄想だが。一緒に勉強した時間はいつもより捗った。一緒に飲んだお酒はいつにもなく美味しく、こんなに美味しく楽しいお酒は初めてだった。
「今の顔、いいね。よっぽど楽しんでもらえたみたいであたしも嬉しい」
どうやら思い出しているうちに顔に出てしまっていたようだった。当然、嘘ではないので顔を見られても困ることはない。恥ずかしいけども。
嬉しいと言った小萌は、ベンチから立ち上がり一歩進んで俺の方に振り返った。俺は自然と目でその動きを追っていた。小萌がニコッと笑う。笑う小萌の後ろには、月が強く光っている。月の光が小萌を輝かそうとするかのように綺麗に小萌を縁取っていた。その光景はまるで絵画のようで、俺は小萌から目が離せずにいた。
「綺麗だ……」
「大輔君?」
「月が……。綺麗ですね」
「それって……」
自然とかの有名な御仁の言葉が脳裏に出て来て、そのまま口から言葉を発していた。意味が分かった小萌は目を見開いて驚いていた。こんな男から突然告白されたのだから無理も無い。酒の勢いというのは良くないな。やってしまった感が急に押し寄せてきた。驚いた表情を見せた小萌から目線を逸らし、半ば反省と言わんばかりに無意識に右手で額を抑えていた。
「大輔君」
小萌が俺を呼ぶ。その声は低く冷たいものではなく、俺の知る限り普段の小萌の声だった。普段の声だからこそ、反射的に見上げて小萌の顔を見た。
見上げた小萌の目から一筋の光が見えた。実際には月明りで反射した光が見えたのだ。小萌を泣かせてしまった。やはり俺みたいな人間からの告白は嫌だったんだろう。
「その、ごめん。変なこと言って。シンプルに気持ち悪かったよな」
「ううん! 違くて。嬉しいんだ。あたしも自分でびっくりしてるんだよね。泣くほど嬉しかったのかって。やだなー。お酒で涙もろくなったかなー? 泣き上戸じゃないと思うんだけどねぇ」
「それって……」
「うん。大輔君が迷惑じゃなきゃ、お付き合いして欲しい、かな」
まさかの告白成功。正直なところ、気持ち悪がられて大学生活終了のお知らせを迎えるとばかり思っていたので、告白した本人なのにも関わらず、思わず口がぽかんと開いてしまった。
「大輔君! 口開きっぱなしだよー。そんなにびっくりした?」
「びっくりするよ。まさか俺なんかと付き合ってくれるなんて」
「そう? 大輔君結構人気高いよ? ただ周りの男の子達が賑やかだから近づきにくいって子ちょこちょこ聞いたし、あたしも否定はできないかなー」
なるほど。大学生活で彼女が出来なかった最大の理由を今日知った。あいつらに俺の2年半を返して欲しい。少しだけ。とはいえ、あいつらが居なかったら1人で取れていた単位はどれくらいになるかを考えるとそっちの方がゾッとするので、今回はお咎めなしとしてやろう、うん。
「あ! でも、人気だって情報知ってあたしから他の人に目移りするのは、やめて欲しいかな……」
「それはさすがにしないよ! 小萌が良い!」
「ちょっと恥ずかしいけど……。嬉しい。ありがとう」
お礼を言ってくれた小萌は少し俯きながらふふふと笑っていた。正直、照れた小萌がめっっっっっっちゃ可愛い。俺も思わずにやりとしてしまった。
「2人でにやけてバカップルみたいじゃんー」
「確かに。でも楽しいからオッケーでしょ」
「そだね。って、こんな時間!」
会話に一段落着いたこともあり、小萌がスマホの画面を点けて時間を確認して驚いた。俺も釣られて自分の腕時計を見ると、既にシンデレラの馬車がお迎えに来て城を後にしていた。そうなると当然終電も駅を発車している。
「あはは……。付き合った初日からやっちゃったね。こういう時はあれかな? こほん……。終電無くなっちゃったぁ~。あたし帰れな~い」
咳払いをした小萌はとんでもない猫撫で声で、ご丁寧に終電が無くなった時のイケイケ女子のテンプレを披露した。演技だと分かっているのにどうしてこんなにグッとくるんだろうか。
「どうだった? いい感じだった?」
俺の感情は顔に出ていたんだろうか。ニヤニヤとした小萌が詰め寄ってくる。ここで嘘を言っても仕方ない。
「正直めっちゃ可愛かった。危うくお持ち帰りだよ。度胸無いけど」
「別にいいんじゃない? カップルなわけだし」
「初日からって……」
「えー? 大輔君の家行って飲むだけでしょー? 何を想像してたのー? やっらしー」
小萌がわざとらしく揶揄ってくる。いや、まあ男子たるもの、こんな時間に女の子と二人きりで家に招けるチャンスならそういうことを考えないことも無いよね。小萌はめちゃくちゃ可愛いわけだし。俺が悪いんじゃない、うん。きっとそうだ。
「まぁ、大輔君そんながっつく感じでは無いよね。むっつりそうだけど」
「おい。失礼じゃんか」
「あははー! ごめんごめん。それでどうする? 大輔君の家で飲み直す? あたし的にはネカフェとかで終電待つとかは避けたいかなぁと。急でごめんだけど」
「いやいや! 小萌さえ良ければ、全然上がって貰って大丈夫だよ」
「ほんと!? じゃあ早速行こうか」
俺より先に1歩を踏み出した彼女。前に出たと思ったら振り返ってこちらに手を出して来た。
「ほら、早く早く」
俺は差し出された手をしっかりと握った。俺より少し暖かく柔らかい手を大事に大事に握って、俺達は公園の出口に向かう。出口からとても甘い良い香りがする。香りの元を見上げると金木犀の木が花を満開にしていた。金木犀の木が月の光を通して輝き、俺達のカップル成立を盛大に祝ってくれていた。
「これから、よろしくね」
「こちらこそ」
2人で歩く夜道は、1人の時の肌寒さを忘れるくらい暖かい夜となり、俺の人生の大事な1シーンとなった。
Fin
食の秋、色恋の秋。 よっちい @sea258xyz
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