第2話 あの子と一緒に

 約束の日。俺は朝からウキウキして大学に行った。


 今日は二限からだったのであっという間にお昼となった。いつものメンバー略していつメンで学食に行き昼ご飯を食べる。いつもはがっつりで安く、野菜もある程度付いてきて腹持ちの良い米が食べられる定食系だが、今日に限ってはお腹を空かせておきたいので麺にした。俺が麺を注文するのが珍しいのか、いつメンに具合が悪いのかと心配された。すまない友人よ。俺は体調が悪いどころかすこぶる良いくらいなんだ。


 俺達がいつも座っている席は、学食の出入り口近くだ。村上さんが友達と一緒に学食に入ってくる姿を何度か見たことがある。今日も来るだろうか。


 いつメンの会話は話半分に麺を啜りつつ、時折自動ドアを見る。何度か見たところで、ウィーンと開いたドアを村上さん達が通った。そこで一旦食べるのをやめ、村上さんを見る。向こうは席を探していたようだが、俺と目が合い、ニコッと笑っていた。俺も周りにバレない程度に頷くような素振りで会釈した。いつメンにバレると、絶対に「合コンにしよう」などと騒ぎ出すから、周りにバレないように気を付けた。村上さんもそれを察したのか、村上さんの周りに揶揄われたくないのかはわからないが、視線をすぐに外していた。俺もそれに合わせて見るのをやめた。


「それでさー。あの先生ってばマジでひでぇんだよ。ゼミ生なのを良いことにそこまで頼むかって。なぁ? 聞いてるか、大輔」

「え? ああ、聞いてる。お前が良いように使われてるって話だろ」

「ちょ、ひどくない? それは言いすぎっしょー。いや事実かもだけどさぁ~」


 村上さんを見ていても、話は半分聞いていたのでバレずに済んだ。こいつらには悪いが、今日に関してはさっさと時間が経って欲しい。


「ほれ。次の講義出たら帰れるんだし、そろそろ行くぞ」

「はいよー」


 食堂のテーブルから立ち上がり、皆で講義の教室へ向かった。俺達は誰が休んでも大丈夫なように出来るだけ、講義を合わせていた。もちろん、誰か1人にが休み過ぎるとそいつだけが楽をしてしまうのでその辺りは事前に示し合わせている。これは大学生あるあるだろう。


 教室に入ると村上さんの姿があった。食堂で見た村上さんの友達と一緒に中央辺りに固まって座っていた。この時間は同じ講義を履修しているようだ。俺達はいつも通りの後ろの席へ行く。


 講義が始まると暇になる。この先生はプリントを配った後が本当に暇だ。プリントは穴埋めもなく、先生も内容を読んでいるなので、プリントを貰うと退出していく人も結構居る。俺は講義の資料にざっと目を通した後、他の講義の課題消化をした。それも済むといよいよ本当の暇の到来となる。話半分にケータイで今夜行く居酒屋のメニューを眺める。ある程度は見られるようになっているので、自分が食べたいものとか、村上さんが好きそうなものを吟味する。


「はい。ということで少し早いですが、キリが良いのでここまでとします」


 今日はラッキーな日で、通常の時間より早く講義が終わった。


「俺この後用があるから先帰るわ」

「用ってなんだ? 珍しくない?」

「ヤボ用ってやつだな」

「ふーん。そっか。じゃあまた! お疲れ!」

「お疲れ~」


 俺はそれとなく用があることを皆に伝えた。皆もこういう言い方をした時は無理に聞いてくるような人間ではないので、それ以上突っ込んでくることはなく、俺もあっさりと教室を後にすることが出来た。


 教室を出て、上の階のフリースペースに移動する。講義が終わって残る人は一限分講義が空いているとか、ゼミの先生に用がある人ばかりだ。俺のようにわざわざ好き好んで残って待つ人はあまりいないだろう。


 丸テーブルに椅子が付いているスペースが空いているので、そこに座ることにした。腰かけてまもなく、コツコツと子気味良いヒールの音がこちらへ近づいてきた。その音の方に目をやると柱の陰から女の人が出てきた。


 音の正体は残念ながら村上さんではなかった。リクルートスーツを着ているから、恐らく四年生だろう。リクルートスーツの人はゼミ室の方へと歩いて行った。


 それからしばらく、俺の周りは静寂に包まれている。四限目の講義が始まったこともあるだろうが、静かすぎて逆に不安になるくらいだ。


 その静寂の中を突き抜けるかのように、後ろからカツカツと足音が聞こえ始めた。音はやがて大きくなり、こちらに近づいてきていることは分かった。この静けさの中でわざわざ後ろに振り返るのは、いちいち物音に反応している人みたいで嫌なので、近づいてくる音の正体を待つだけになった。


 音の正体は俺の横を通った辺りで止まった。座っているので、目線を下から上へと上げる。タイトスカートでヒールの高い靴を履いた女の人だ。顔まで目が行くと、見知った顔だった。


「ごめん! お待たせしちゃったかな?」

「いやいや! 全然待ってないよ」

「そっか。じゃあ、あたしも失礼してっと。来週の準備サクッとやっちゃおうか」


 俺の前に座った村上さんは鞄から教材とプリント、ペンケースを出して勉強する準備をしていた。俺も来てからは待っているだけだったので、同じく勉強する準備をした。こうして、勉強が始まった。


「酒田君。ここの解釈ってどんなのだっけ」

「ここはノートにこうやってメモってた。教科書のこの辺を見るといいみたい。俺も分からないから一緒に見てみよう」

「うん!」


 そう言って、対面で座っていた村上さんは椅子を持って俺の左隣へ来た。


「こうすれば一緒に見れるから、隣失礼するね」


 少しの間、理解して教えられるように教材を読むことに没頭した。しかし、遠くの窓から吹いてくる風に乗って、いい香りが鼻孔をくすぐる。あまりにいい香りで思わずドキッとした。香りの方向を見ると、村上さんから香っていることがわかった。甘い花の香りが入る度にドキドキして教材に没頭することが出来なくなってしまった。


 香りの発生源の村上さんは一緒に読んでいた教材に没頭中だった。右耳に髪を掛けているため、顔がはっきりと見えた。その集中している目が綺麗で思わず見惚れてしまった。視線に気づいたのか、村上さんがこちらに目を向けた。


「どしたの? あたしの顔に何か付いてる?」

「いやいや。 あんまり集中してるから、理解できたのかなーって」

「それがあんまり。判例の解説ってすっごい長い文章で書くじゃん? 読んでるうちにこれ誰の事言ってるんだっけとか結構あって……」

「それわかる! 甲と乙しか出てなかったのに突然丙が出てきたりすると良く分からなくなるよね」


 じっと見ていたのは、どうやら誤魔化せたようだった。とはいえ、風が吹く度にこの香りが香ってくるのはあまり精神的に良くない。ただ、いきなり席を離れたら失礼な人になってしまう。一旦は、このまま勉強することにしよう。


「あー。やっとわかった」

「ほんと? じゃああたしにも説明してみて貰っていい?」

「いいよー。まず、こっちに債権が発生して、こっちに債務が発生して……」


 俺が教材と講義のノートを照らし合わせながら、一枚のプリントに図を書いて説明をした。村上さんは、「ふむふむ」「なるほど」と、小まめに相槌を打ちながら俺の説明を聞いてくれた。


「そゆことか! やっとわかったー! 酒田君すごいね!」

「分かって貰えてよかった。俺も俺自身が理解出来てるって分かったしよかった!」

「人に教えられるってことは定着してる証ってよく言うもんね」


 そう言いながら、村上さんは俺が教えた内容をノートにまとめていた。見かけはギャルっぽさがあるからチャラチャラしていると思ってしまうが、かなりまめな性格だと思った。村上さんは真剣な目でノートに向き合い、テスト範囲をまとめていた。


 まとめ終わったところで、ふぅと一息付いてやり切った感を出していた。気づけば夜も近くなってきたし、そろそろ頃合いだろうか。そんな俺の意図を察したのか、村上さんは話を振ってきた。


「そういえば酒田君大丈夫だった?」


 大丈夫とは何のことだろうか。昼の目配せを誰かに見られたんだろうか。あまり思い当たる節が無い。


「何が大丈夫だったって?」

「ほら、あたしとサシ飲みな訳じゃん? 彼女とか居たらまずいなって。まぁ、それなら連絡先もほいほい聞くなって話ではあるんだけどさ」

「あーいや! 全然! 俺フリーだし。フリーだし……。残念ながら……」

「あ……。なんかごめん」

「いやいや! とりあえず大丈夫なんだよ! むしろ今日が楽しみだったくらいで……。ってなんでもない!」


 村上さんの気を悪くさせたくないので、咄嗟にフォローする。もちろん楽しみだったことは全く嘘ではない。俺の回答に何かを感じたのか村上さんはニヤァっと悪い顔をして下から覗き込む様に俺を見る。


「ふーん。あたしと飲むのが楽しみだったんだ?」

「まぁ、そりゃね? 彼女居ない身としてはなかなかサシ飲みなんてないし」

「じゃ、楽しまなきゃだね! あたしも楽しみにしてたし」


 ニシシとはにかみながら照れ笑いをしている村上さん。さりげなくあざとさがあり、俺は不覚にもドキッとしていた。


「むしろ大丈夫なの? 村上さんこそ、彼氏居そうじゃん。俺後でお相手さんに絶対怒られちゃうじゃん」

「ははは! 何それー。あたしもフリーだよ。全然出来ないんだよね」

「うそ!? 絶対いると思ってたわ」


 正直、意外だった。いつものメンバーの中でも村上さんは人気だという話を聞いていた。それもあって、村上さんがフリーという情報はすごく驚きだった。


「ま、この辺りの話はお酒入ってからにしようよ! せっかくだし!」


 確かに。こういう話は酔っていた方が盛り上がったりする。飲みの席での恋愛トークは男女共通の話題だろう。村上さんの恋愛トークがとても気になるので、早く飲みたい。とはいえ、そそくさと歩くわけにもいかないので、落ち着いて歩幅を合わせる。


 繁華街に入り、人の往来を見ながらお店に向かって進む。提灯や看板にライトが付いていて、繁華街をカラフルに染めていた。飲み屋の入り口ではサラリーマンや大学生が、指で人数を示しながらお店に吸い込まれている姿を見かけた。飲みが始まるなぁと思わず感慨に耽ってしまった。


「何見てるの?」

「飲み屋に入っていく人達を見てた。これから飲み会が始まるんだなぁーって」

「あたしたちももうすぐだよ? どんだけ楽しみなの」

「一人で飲むのもいいけど、繁華街とか飲み屋のこういう雰囲気も結構好きなんだよね。なんか元気になるっていうか」

「分かる! こういう雰囲気良いよね。みんな楽しそうだし」


 村上さんも好きなようだ。今日が嫌々で付き合わせてしまうような形にならなくてよかった。後は、お店を気に入って貰えるかが肝心なところだ。


 ある程度歩いたところで、歩みを止める。


『居酒屋 串』


 今夜飲むお店だ。ここには数回来たことがあるが、かなり美味しい。うちの学生なら目の前は何度も通っているので、もしかしたら村上さんも既に来ているかもしれない。


「さて、お待たせしました。今日はここのお店にします」

「お! ここ前から目の前通って気になってたところだ!」

「そういうお店あるよね。今日がお店に入る機会になってよかった。気に入って貰えるといいんだけど」

「きっと大丈夫! 酒田君の紹介してくれるお店だもん。間違いないよ。さ、行こ?」


 村上さんはこの店に来たことが無かったようだ。紹介出来てよかった。そして俺達も、他のお客さんよろしく飲み屋の入り口へと吸い込まれていった。

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