食の秋、色恋の秋。
よっちい
第1話 ベンチに来たあの子
秋。それは芸術の秋。食欲の秋。運動の秋。
色々な秋があるが、俺の中での秋は食欲の秋だ。尤も、今絶賛空腹中ということも大きい。
大学入学を機に一人暮らしを始めた。
男子大学生の一人暮らしともなれば、冷蔵庫の中が寂しいこともしばしば。空腹なのに冷蔵庫には調味料と缶ビールにチューハイ。そういえば昨日は久しぶりに一人おつまみパーティをして冷蔵庫の中の余り物を消化していた。
翌日の分くらいは残しておけよ、昨日の俺。
昨日の俺に届くわけでもないが、飲んだ後に律儀に水で濯いでひっくり返した空き缶を睨む。
少し睨んだところで溜め息を付いた。大人しく何か食べに行こう。
× × × × ×
大学近くに大きい公園がある。繁華街に向かうために通り抜ける場所だ。
この公園はとても大きく、散歩するだけでもいい運動になる。食べる前のウォーミングアップということにしよう。
散歩道を抜けると、大きな運動スペースがある。ベンチも多く、今日はやけに座っている人が多い。
座っている人の半分は、皆手元にクレープを持っていた。そのまま歩くと甘い香りが漂ってきてどんどん香りが強くなった。
どうやらキッチンカーでクレープを移動販売していたらしい。
味のバリエーションもかなり多く、甘いものからしょっぱいものまで揃っていた。
お腹も空いてるし、しょっぱいものもある。しょっぱいクレープは、意外と食べ応えがあると聞いたこともある。
食べたことないし、試しに買ってみようか。
キッチンカーに向かうと二組ほど並んでいた。五分くらい待ったところで、自分の番となった。
「いらっしゃいませー」
「チキンマヨを一つ下さい」
「チキンマヨですね。ありがとうございます」
オーダーしてからすぐにクレープの入った包みを渡された。ミールクレープとかフードメニューとかいうくらいだから普通のクレープと違うのかと思ったが、見た目はよくある甘いクレープと同じだった。
クレープを受け取った後は、どこか座って食べられる所があるか、辺りを見渡す。ここのクレープが余程美味いのだろうか。大体の席が埋まっていた。少し離れたベンチだけ座られていなかったので、そこに腰かけることにした。
さて、いただきます。
初めて食べるミールクレープ。なるほど、チキンマヨは照りマヨだな。照りマヨを包む優しい甘さのクレープが照りマヨのしょっぱさを軽減させてくれつつ、クレープ自身の香りも少しだけ漂わせてきた。これはいいマッチングかもしれない。何なら、今後も食べに来たいと素直に思ってしまった。キッチンカーの周りの椅子が埋まっていることも納得が行ったし、商店街に食べに出かける必要は無さそうだ。
そんなミールクレープに舌鼓を打っていると、俺の座っていたベンチに一人の女性が近づいてきた。
「あの。隣座っていいですか。ここしか空いてないみたいで。でもクレープ買っちゃったから食べたくて」
「ああ、どうぞ」
「ありがとう」
そうか、この人もクレープを買ったのか。あのキッチンカーでクレープを買った人は空いている席を探して座るという一連の流れがあるようだ。当然、俺もその例の中にいたわけだが。
それにしてもやけに砕けた喋り方だな。野郎の座ってる椅子に座っていいか聞くくらいだし、肉食系女子なんだろうか。少し気になるので、食べるついでに横目で隣の様子を伺う。
食べているのは、いちごとチョコのクレープのようだ。甘いものが好きなんだろうか。クレープを頬張って少し表情を緩ませていた。やっぱり美味しいよなここのクレープ。
しかし、その緩ませた表情に見覚えがあった。大学の中で見たことがある。何なら同じ講義を取っている子だ。休みの日に大学の近くまで来るってことはサークルか何かだろうか。
「あの。この近くの大学ですよね。多分同じ講義取ってます」
「やっぱりそうだったんだ。見たことあるような顔だったから、ベンチ借りようと思ったんだよね。あたし、村上 小萌。よろしく」
「こちらこそ。酒田 大輔です。よろしく」
自己紹介をしたものの、村上さんはまだクレープが残っているので、残りをガンガン食べていた。そんなに甘いものを一気に食べて喉に詰まったり、胃がもたれたりはしないんだろうか。
そんなどうでもいいような心配をよそにあっという間にクレープを食べ終えて、バッグから市販の紅茶のペットボトルを取り出し、喉を潤していた。
「酒田君はなんで休みの日に大学の近くにいるの?」
「俺この近くに住んでるんだ。朝起きてご飯食べようとして冷蔵庫開けたらすっからかんでさ。仕方ないから商店街の方でなんか食べようかなって」
「朝ってかもう昼じゃん。そんなに遅くまで起きてたの?」
「一人で晩酌してたんだけど、思いのほか食って飲んでってしてた」
「へぇ、お酒好きなんだ。あたしも結構飲むんだよね」
村上さんのさっきの食べてる姿を考えると、甘いお酒をガンガン飲んでそう。意外にもケロッとしていて酒に強いというイメージが勝手に構築された。
「てか思ったんだけど、一人で晩酌って寂しくない?」
「そうでもないよ? 自分のペースで飲めるし、何より自分の家だから寛げる」
もちろん友達と飲むのも楽しい。でも一人の方が気を遣わなくて済むという点においてアドバンテージが大きい。それもあって、今朝のように冷蔵庫の食材が空になってしまうこともしばしば。
「あたしあんまり家で一人で飲むって経験ないなあ。結構ガッツリやってるって感じするし、おつまみとかも作ったりするの?」
「するする。その方が一人分だと安いし何より余った食材は普通にご飯に使えるし」
「確かにそう考えると意外と安上がりかも。なんか手軽でおすすめなのとかある?」
手軽なおつまみ。簡単ナムル、味付たまご、チーズの盛り合わせ。色々出てくるけど、おすすめとなると甲乙付け難い。色々とメニューを思い出し、うんうんと唸っていると、村上さんの目がジトーっとしてきた。
「考えてくれるのは嬉しいけど考え過ぎじゃない? そんなに悩むくらいあるの?」
「あるね。パッと十品くらい考えたし」
「そんなにあるならチャットで聞いた方が早そうだね。ついでにレシピも教えて貰ってさ。ってことで、連絡先交換してよ」
捲し立てられるように村上さんに連絡先を聞かれて、手早く交換を済ませた。これから毎日聞いてきたりするんだろうか。なんか家でつまみ作るの興味ありそうな雰囲気だもんなぁ。
「せっかくレシピ教えて貰うし、なんかお礼出来ないかなぁ?」
「あ、もう教えて貰うの確定なんだ。お礼ねぇ。大学生のできるお礼ってなんだろ。講義のアレコレとか?」
「全然おっけーだよ。こう見えて結構ノートとか取るタイプだから」
ダメ元で言ってみるものだな。正直、たまに寝落ちてノートを取れていない講義があったりする。思わぬところで良い収穫となったかもしれない。そういう時は前日に飲みに誘われて飲むから、周りの連中も一緒に夢の中に誘われていて皆ノートが取れていなかったりする。
「じゃあ、テスト前とかに少しコピー貰ったりしようかな。そん時はお願いしてもいい?」
「おっけー! 喜んでやるよー!」
「鶴岡先生の授業とかマジ眠くなるじゃん? 俺あの先生の説明聞いてるうちに気付いたら落ちてるときあるんだよね」
「あーわかる。あたしそれ対策でしれっとミント味のタブレットとかめっちゃ食べるわ。食べ過ぎて水飲んだらめっちゃ冷たく感じてびっくりして咽たりするんだよね」
「それは食べ過ぎじゃない?」
「分かってるけどそんくらいしないと酒田君みたいに落ちちゃうし」
意外と真面目な村上さんでさえ眠くなる鶴岡先生の講義には睡眠魔法でも付与されているんだろうか。絶対そうだということにして、寝てしまうことを正当化したい自分がいる。
「まぁでも、内容も憲法だし余計に眠くなるんじゃない? なんかこうお堅いイメージ的なね。あたし的な感想だけど」
「それはめっちゃわかる。俺的には会社法とか民法とか社会出ても実用的な科目の方が聞いておきたいから、憲法はなかなか頭に入ってこないんだよね」
「あたしもそう。一般企業就職する人は憲法正直意味ない感じあるよね。法学部にいる以上、やっておいた方がいい科目ってのもわかるけどさ」
俺達が法学部の学生である以上、憲法民法刑法はどの法律よりも切っても切れない縁で結ばれている。一般企業に行く上では、とりあえず民法と会社法。常識的な意味で刑法を抑えれば、正直なところ憲法はさほど重要視する科目ではない。
だが、内容はお堅い上に難しいと来た。当然、眠くなるしテストも苦労する。だからこそ、村上さんと意見が一致するというわけだ。
「うぅ、さむ」
「大丈夫? 話し込んだらすっかり夕方だ。村上さん冷えてない?」
「うーん。ちょっと冷えたかなー。ただ今日は普通に楽しかった! 思わぬ知り合い方だったね」
「確かに。たまにはこうやってフラッと知らないお店に立ち寄るってのもいいもんだね」
秋になり、日の入りの時間も早くなってきた。日中はあちこちから聞こえていた喧騒も静寂へと向かいつつある。そろそろ俺も飲みに行かなきゃいけない。
「良い時間だし、どっか寄ってく? あたし今日外で済まそうと思ってたから」
「あー、ごめん。これから飲みなんだよね。野郎だけだから入り辛いだろうし」
「そっかー。じゃあ仕方ないね」
「ほんとごめんね? 次は絶対いこ! 何なら予定決めちゃおうぜ」
「じゃあ、大学帰りに行こっかー! 楽しみにしておくね。今日はほんとありがとう」
「こちらこそ! 気を付けて帰ってね」
すっかり話し込み、普段飲む連中との待ち時間に遅れそうになる。村上さんを見送った後、俺も公園を後にした。普段より足取りが軽かった気がするのは気のせいだろうか。
それからは何ということも無く、野郎だけでむさ苦しくそして騒がしく、深夜まで飲んでいた。野郎が集まると会話の内容なんてのは高が知れている。況してやそれが大学生ともなれば女子の何がどうとか、友達と行ったパチンコがどうだったとか、最近やってるゲームがどうとか。そうやって夜が更けていった。
皆と別れた後、帰路に就く。飲んだ後の外の空気はなぜこんなに美味しいのか。飲みの〆にラーメンを食べたり、アイス食べたりというのはよくあり、それはそれは美味しいものだが、飲んだ後の外の空気も〆に食べたいデザートにランクインしそうである。
長い時間同じ空間に居て、鼻がその環境に慣れてしまったこと。皆が話すからお店の酸素濃度が薄いかもしれないこと。タバコや酒の匂いが充満していること。様々な要因があるだろうが、それらから解放された今が一番すっきりしていて嗅覚的に美味しいという結果になっているのだ。
そんなすっきりした空気を吸うと、心まで開放的になる。ただでさえ、フラッと立ち寄って連絡先を交換した珍しいイベントがあった日だ。余計に開放的になっているように感じる。フワフワしている感があるあたり、ほろ酔いなのだろう。
もう少しで家に着くが、時間を確認しようとケータイを開く。すると、チャットがいくつか来ていることに気付いた。
『今日はありがとう。改めて村上 小萌です。よろしくね☆ 今日の飲みは楽しかったー? あたしは一人でサクッと女子向け定食食べてたよー。あたしも早く飲みに行きたい!』
ご丁寧に、村上さんから連絡を貰っていたようだった。
『こちらこそありがとう。改めて 酒田 大輔です。よろしく。飲みはいつも通りだったよ。女子向け定食なんてあるんだ! 飲みはいつ行こっかー?』
定食屋さんもSNS映えを狙う時代か。おじさんがランチに食べるイメージがあったけど、意外と今時の女の子も行くんだな。挨拶と返信に併せて、飲みに行くスケジュールも立てる。今日の村上さんの話を聞いた感じだと、今すぐにでも飲みに生きたそうだった。たまにある、社交辞令でとりあえず飲みに行こ―! と、言ったものの一回も行かずに疎遠になるパターンではなさそうだった。
『あるあるー! なんかヘルシーな定食なんだよー! あ、飲みは来週末とかどうー? 講義終わって時間早いようなら少し時間潰してから行くとか』
『それ採用! 俺3限までだから、お店開くのと村上さんを待つついでに次の週の小テストの準備しておくわ~』
『小テストの準備とかえらくないー? あたしもしなきゃだー。何ならその日あたしも3限までだから、一緒にやらない?』
『いいよ! やろやろ!』
こうして、村上さんとの勉強会と飲みが決まった。せっかくのサシ飲みだし、おしゃれをしていこう。チャットを打っていたケータイをベッドに放り投げて、クローゼットを開ける。ついでに衣装ケースも開けて、ハンガーにかけてある服と衣装ケースの中身に目を通して、来週末着る服を考える。どんな服が良いんだろうか。
ああじゃない、こうじゃないと服の組み合わせを考えていたものの、今決めても仕方ないという意思が勝ち、大人しくベッドに入ることにした。
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