第24話 辰巳9

 私が内島を刺したあの夜から数ヶ月が経った。その間、悠くんと直樹おじさんの葬儀はひっそりと行われた。


 定期的にマスコミがやってくる為、おばさんは別に部屋を借りた。桜沢が協力してくれて、おばさんの情報が漏洩しない物件をいくつか提案してくれたのだ。


 その中からおばさんは古いアパートに越すことになった。引っ越しの際に初めて見たのだが、あまりに古い外観に戸惑った。しかし、おばさんは1Kのそのアパートが今の自分にはちょうど良いと言って笑っていた。


 桜沢の話ではこのアパートはものすごく怖い大家が常駐しており、外から不審者が入って来ようものなら、その大家の逆鱗に触れて恐ろしい目に会うのだそうだ。


 その他の住民も、訳ありながら良い人ばかりだそうで、見た目の割に安全な物件らしい。おばさんの様子もその大家が気にかけてくれているようだ。


 話だけ聞くとすごく良い人のような気がするのだが、白瀧に大家の話を聞くと何故か言葉に詰まっていた。彼と大家の間に何かあったのだろうか?


 私は久々におばさんに会いに来た。今まで何度も足を運ぼうとした。その度に、私に会うことで彼女が事件のことを思い出してしまうかもしれない……そんな迷いが出てしまって決心がつかなかった。でも、悩んだ末会いに行くことを決めた。


 桜沢は言った。悠くんの携帯を持って何をするかは私が決めるべきだと。


 いつか、おばさんに悠くんの携帯を渡す時が来る。


 彼の生きた証。


 彼の想いそのもの。


 彼女がその事実を受け止められる状態になったと見極めるのは私の役目であり、義務だと思う。


「おばさん。辰巳です」


 インターホンを鳴らして、扉が開くのを待つ。


「ひなたちゃん。いらっしゃい」


 おばさんはすぐ扉を開けてくれた。料理をしている所だったのか、おばさんに続いて美味しそうな良い匂いが溢れてくる。


 彼女はまだやつれてはいるが、以前の明るさを取り戻してきているように見えた。


 おばさんの部屋は綺麗に整頓されており、引っ越しの日に見た殺風景な部屋にはすっかり生活感が漂っていた。テレビが無いという以外は至って普通の部屋だ。桜沢花から提案されたのだ。落ち着くまでは情報を入れない方が良いと。


「その後どうですか?」


「みんな同じことを聞くのね」

 おばさんはお茶の用意をしながらふふっと笑う。


「みんな? 他にも誰か来たんですか?」


「今週は来客が多いわね。あの刑事さんと桜沢さん、それに白瀧さんが来たわ」


 刑事という単語を聞いてドキリとした。恐らく鷹鳥刑事だろう。あれほど協力してくれた彼を私達は裏切った。私も彼から連絡を貰う度に胸が痛む。この気持ちは今後生きて行く中で永遠に負っていくものだと思う。


「刑事さんは何か言っていましたか?」


「私の容態を心配して来て下さったのよ。それと、謝られたわ。犯人をまだ捕まえられず申し訳ないって」


 謝っていた……か。桜沢の考えは今の所、正しいようだ。


「桜沢と白瀧も来たんですよね。二人が来るのは初めてですか?」


「そうね。桜沢さんとは何度か電話で話したことはあるけど、直接会うのは初めてね。白瀧さんも初めて会う子だったわ」


 元々人と話すのが好きな人だったな。楽しそうに話す彼女の様子を見て思い出した。


「桜沢さんはとても良い人ね。仕事を探すのにも協力してくれるとおっしゃっていたわ。白瀧くんも面白い子ね。優しそうな子で、少し悠に似ている気がしたわ」


 白瀧が悠くんに似ているなんて考えたことも無かった。


 でも、そうなのかもしれない。


 内島を思う彼の姿に、私を救ってくれた悠くんの面影をみていた……のかな?


 白瀧と水族館に言ったあの日、彼を騙していたとはいえ、私は随分饒舌だったと思う。無意識の内にそれを感じていたのかも。



「アキラ君の行方はまだわからないのよね?」



 お茶を口に運ぼうとしていた手が止まる。


 私はなんと声をかければ良いのだろう。前の私ならおばさんにもっと寄り添って話を聞けただろう。でも、私は内島アキラの真意、新川家の人々への思いを知ってしまった。だからこそ桜沢花にアイデアを話し、共犯者となった。でもそれはおばさんを騙し続けることでもある。いつか、彼女が真実を思い出すまで。


「恨んでいますか? 内島アキラのこと」


 苦し紛れに馬鹿な質問をしてしまう。恨んでいるか? なんて答えは決まりきっているじゃないか。


「正直言うとね。わからないの」


 不思議な回答だった。


 彼女が記憶を取り戻した様子はない。家族への愛情が深ければ深いほどそれを奪った相手への憎しみは強くなるだろう。家族を奪われた彼女のそれは私の比ではない筈だ。


「私ね。この頃夢を見るのよ。」


 おばさんはポツリポツリと話し始める。


「まだ悠が死んでいなくてね。家族三人で暮らしているのよ。でも、悠の代わりにアキラ君がいるの。普通なら殺人犯が悠と入れ替わっているなんて悪夢になると思うけど、なぜか穏やかな気持ちだった……最初は悩んだわ。なぜこんな夢を見るのか。夫と子を殺されたのに、なんて私は酷い母親、酷い妻なんだって」


 この話は内島アキラが悠くんと入れ替わっていた時期の記憶かもしれない。その頃、おばさんは精神的に不安定だったと聞く。完全ではなくともその頃の記憶がうっすらと戻って来ているのだろうか?


「でもね」


 彼女は何かを言おうとして、上手く言葉にできない様子だった。


 私は彼女が発する言葉を聞き逃してはいけない気がして、その時を待った。


「夢の続きを見たの。直樹さんに縋り付いて泣いているあの子の姿を……その日から悩むことはやめたわ」



 彼女が私を見据える。その瞳は深い茶色をしていた。数ヶ月前、久しぶりに彼女を見た時とは違う真っ直ぐな瞳。


「ごめんなさい。何を言っているのかしらね」

 おばさんは苦笑しながら席を立つ。


 台所に立つおばさんの背中を見て急に胸騒ぎを覚えた。


「あの、おばさん」


 おばさんが振り返る。声をかけたものの、私は何を言おうとしていたのだろう。


「これからどうされるんですか?」


 自分の持つ選択肢の中からなるべく無難な言葉を選ぶ。


「そうねぇ。まずは仕事を探さないとね。ここでずっと一人でいるわけにも行かないし。桜沢さんに頼みたい所だけど、新しい環境は自分で選びたい気持ちもあるの」


 そう言いながらお茶のおかわりを入れてくれた。


「でも、心配しないで。貴方達に迷惑をかけるようなことはしないから」


 それは一体何を指した言葉なのだろうか。


 その意味を問おうとして発した言葉は、外から聞こえた声に遮られた。


 学校からの帰りだろうか。小学生ほどの子供達が遊ぶ声がする。



「本当にひどい親ね」



 おばさんは窓を見ながらつぶやいた。


 夕焼けに照らされたその表情を、私は生涯忘れないだろう。

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