第25話 白瀧11
人混みの中、桜沢さんのオフィスへと向かう。
商店街の小さな電気屋を通る時、ガラス越しにテレビが見えた。画面にはワイドショーが映り込んでいる。内容は、あの事件の特集だった。
「このような凶悪犯が未だに捕まっていないとは、市民の不安は募るばかりです。一刻も早く解決することを願います」司会のタレントが無難なコメントでコーナーを締め括っている。
あの事件から一年近くが経った。新川家で起こった事件の犯人、内島アキラは未だ逮捕されていない。しかし、その事件内容は、人々の記憶から消えることはなく、大小様々なメディアの糧となった。
人にぶつかりそうになり、慌てて避ける。どうやらその人はスマートフォンに集中していたようで、僕のことが全く視界に入っていないようだ。
僕達の情報収集の仕方もだいぶと変化が訪れた。昨年まで少数派だったスマホが躍進し、今や二人に一人がスマホを使っているようだ。パソコンで情報を得ていた時代からスマホへ。
情報は、一気に手軽になった。
だけど、それと同時に、圧倒的に早くうわさは広まるようになった。より早く、より広く。消えることなく。ネットというもう一つの社会に残り続ける。
そして、こんなうわさが囁かれるようになった。
内島アキラは今も誰かと入れ替わっている。
自分のすぐ近くにも潜んでいるかもしれない。
その話は、今では半ば都市伝説として扱われている。
桜沢さんが話した通りに進んでいた。先輩と真由美さん二人を救う方法。
内島アキラという絶対に捕まらない凶悪犯を作り上げる。
それが彼女の出した答えだった。
あの夜、先輩は桜沢さんに連れられて行った。今は別の戸籍を得て別の顔、名前で生きていると聞かされている。
内島アキラという人物はこの世から抹消されたのだ。丸橋さんのアパートで桜沢さんがしたこと、あの時のツテを使ったのだと分かった。僕はあの時、彼女達のやっていることを知ったのだから。
さらに、目撃談が一定間隔で広まる。あの事件のことが繰り返しネットで話題になる。
それは全て桜沢さんの情報網から投下されるものだ。内島アキラの事件は風化されず、繰り返し人々の記憶に刷り込まれていく。
あの事件を思い出せと。恐ろしい殺人鬼、内島アキラはお前達のすぐ近くに潜んでいると。
そして残された内島アキラの抜け殻だけが化け物として語り継がれていく。
僕はあれからずっと桜沢さんの所でアルバイトをしている。近頃は仕事にも慣れてきてうわさ話以外に情報屋らしいネタも任されることが増えてきたように思う。
商店街を抜け、路地に入る。先ほどまで溢れていた観光客は嘘のようにいなくなり、人通りが少なくなっていく。路地を歩いていくと目的のビルが見えてくる。
エレベーターはずっと故障したままだ。階段を登って七階まで上がる。この階段にも随分慣れた。だけどやっぱり一気に登るにはキツイな。
オフィスのドアを開け挨拶をするが、部屋には佐久間さん一人だけだった。
「皆さんもう出ちゃったんですか? せっかくお土産買ってきたのに」
「今日はもう誰も戻ってこねぇよ」
ソファーで横になっていた佐久間さんが土産という単語を聞いて起き上がってきた。
「手土産見せてくれよ。……なんだよドーナツか」
佐久間さんが箱を開け、もしゃもしゃとドーナツを食べ始める。文句を言うくせにずいぶん食べるなこの人。
「桜沢さんはいるんですよね? 桜沢さんの分は残しておいて下さいよ!」
「わかったわかった。所長なら屋上にいるぞ。また定期報告が届いたって言ってたな」
定期報告……そう聞いて僕はすぐに部屋を出た。階段を駆け上がる。屋上まではさらに三階登らなければいけない。キツイと思っていた階段も苦にならなかった。
屋上に到達すると、桜沢さんの背中が見えた。屋上の隅の一画で手紙に火をつけていた。
「定期報告、来たんですか?」
「ええ、ちょうど読み終えて処理していた所です」
「内容、教えてもらえませんか?」
なんとか呼吸を整えながら伝える。この動悸は階段を駆け上がってきたものだけじゃない。
「前回の話を覚えていますか? あれから職場を斡旋してもらって、この三ヶ月はずっと研修中だそうですよ」
先輩は状況を報告する為、数ヶ月に一度定期報告という名の手紙を送ってくる。桜沢さんはそれを読んだ後、必ず燃やして処理する。
手紙の文面には名詞や地名が出ないような取り決めとなっているらしい。また、桜沢さんの知り合いを取り次いで手紙は出されていて、本来の差し出し人の名前が出ないようになっている。
手紙というものはアナログに見えて、非常にプライバシーが保たれている連絡方法だそうだ。差出人を表記しなければ、メールよりもずっと身元が判明し難いという。
「大好きな先輩と会えず寂しいですか?」
桜沢さんが少し意地悪そうに言った。この一年の中で、随分彼女の心情を読み取ることができるようになったと思う。
「いえ、そんなことはありません。僕は先輩と会って本音を聞けた。今は元気に生きていてくれるだけで嬉しいです」
本心からの言葉だった。
あの日、桜沢さんの問いに答えてから、僕達は別れの挨拶すら交わさなかった。僕達があの日、あの時間に一緒にいたという事実を徹底的に消す為、桜沢さんの指示通り行動した。僕も辰巳さんも別の時間、別の場所で、別の行動をしていたというシナリオを作った。
小宮さん達にもかなり奔走してもらった。当日の偽のアリバイ、証人を作り上げて貰った。相当桜沢さんは信頼されているのだろう。彼女達は事情を知らず、聞こうともせず、ただ桜沢さんの指示通り動いてくれた。
桜沢さんに連れられた先輩も何人もの人を渡り歩いて去っていったのだと聞いている。だから先輩は落ち着ついて職に着くまで一年近くの時間がかかったのだけど。
「ただ、今の現状はある意味噂通りだなって」
内島アキラは誰かと入れ替わって今もどこかに潜んでいる。
内島アキラという人物はこれからずっと、犯人として語られていくのだろうか。
新川家で起きたことも。
悠さんと直樹さん、そして先輩。みんな誰かを想って行動しただけだ。
それが悪意として残り、伝わっていく。そう思うと少しだけ悲しくなる。
「しかし、それが真由美さんを守る盾になります。悪いことばかりではありませんよ。それに、真実を伝えた所で彼は罰せられたでしょう。あれだけ色々な人に迷惑をかけたのですから」
「そう……ですね」
確かに、先輩のやったことは世間一般として許されないだろう。
「ただ、私は思うのです。あの時、彼は辰巳さんに刺されて重症を負った。それで罰は十分ではないかと。彼の善意が負の歪みを生んだ。その歪みから辰巳さんの復讐心が生まれた。それだけで……」
罰か。僕達の世界は罪を犯すと先人の決めたルールに則り裁かれる。でも、そのルールに歪みは生まれないのだろうか? もし、歪みが生まれたとしたら、それによって悲劇が起きたら、一体誰が、誰に罰を与えられるのだろう?
「桜沢さんは僕に推理するように言いましたよね? 先輩の犯行の仮説を立てる時も真相を推理した時も。本当は桜沢さんは全て見通していたんじゃないですか?」
「私にもある程度の予想をすることはできました。でもダメなんですよ。私を含めたどんな人間でも真実に辿り着くことは無理なんです。あなたでなければ」
桜沢さんは手すりに寄りかかり街を見下ろした。
「あの推理はアキラさんの人となりに依存しています。そこにアキラさんの人間性に疑いの余地が生まれた場合、その時点で論拠が崩れ去ります」
だからあの夜、桜沢さんは僕にあんなことを言ったのか。
僕が先輩を信じることができなくなりそうだったから。
「あなたが伝えたからこそアキラさんも真実を受け入れたのだと思いますよ。絶対的な信頼を寄せていた、あなただからこそ」
「絶対的な信頼?」
「アキラさんのシナリオもあなたを信頼していないと成立しないのです。あなたがアキラさんと悠さんを繋ぐ前に諦めていたらどうなりますか? あなたが仮説を立てられなかったらどうなっていましたか?」
桜沢さんが僕を見つめる。
「あの夜、なぜアキラさんは危険を冒してまであなたと会ったのか……。自分の目的の達成目前に。このまま出頭すれば、白瀧くんは死ぬまで内島アキラに捕らわれる。それが気がかりだったのでしょうね」
あの夜、先輩が現れなければ真実は分からなかった。それを考えると、彼女の話も納得できるものだと思った。
「先輩が僕を……」
言葉に詰まる。途中何度も思った。僕が先輩を思うほどに、僕は彼からどう思われているのだろうかと。
同じだった。
言葉では言い表すことはできないけど、僕達の間には確かに繋がりがあったんだ……。そして、それは今でも。
なんだろう? 嬉しいのか悲しいのか、なんと表現していいかわからない感情が込み上げ、気がつくと視界がボヤけていた。
「また泣いてる」
桜沢さんに指摘されて顔を拭う。今回の事件から僕はずっと泣いてばかりだ。いや、ずっと前からそうだったのかもしれない。感情が溢れるのと一緒に涙も出てしまう。
「でも、それが白瀧くんの良さだと思いますよ」
そう言うと、彼女は僕に背を向けて階段の方へと歩いていく。
「桜沢さん」
「なんでしょう?」
彼女は振り返らない。
「桜沢さんは僕達を利用したんですか?」
彼女はすぐに答えなかった。
辰巳さんから聞いた。あの夜のことを。今のこの状況は、桜沢さんが望んだものかもしれないということを。
「なぜ、そう思うのですか?」
「桜沢さんのおかげで先輩は逃げられました。内島アキラという存在は消され、あなたの言っていた通り、絶対に捕まらない凶悪犯という存在が生まれました。でも、不思議だったんです。なぜ、そんなことをしてくれたのか。先輩の罪を一緒に背負ってくれたのか。桜沢さんは事件とは何の関係もないのに」
春の冷たい風が頬を伝う。
「桜沢さんの昔話を聞いた時言っていましたよね? まだ許せないものがあるって。その復讐に先輩の事件を使ったんじゃないですか?」
恐ろしい存在を作り出すという復讐。それはつまり、不特定多数に恐怖心を植え付けたかったのではないだろうか。
友人を傷つけた人々、姿の見えない存在。大衆。民衆。野次馬。そんな人々に。
彼女にはそれだけの力があった。しかし、その種が無かった。そこに先輩の事件が舞い込んだ。だから僕達を手助けしてくれたのだと思う。先輩が現れる一か月もの間、警察から逃げ延びることができたのも、桜沢さんの関与があったのではないだろうか?
そう思う反面、あの夜、屋上で僕に語ったことも嘘だとは思えなかった。
あの時の悲しそうな顔が嘘だとはとても……。
だから、どうしても混乱してしまう。桜沢花という人が抱えた矛盾が、どうしても思考を先に進めさせてくれない。
「そうだとしたらどうします?」
その表情を見ることはできない。
彼女の関与があったと分かったところで僕はどうしたいのだろうか?
考えた。
いや、ずっと考えていた。
それでも、いつも出す答えは一つだった。
「そうだとしても……僕達が桜沢さんに救われたことに間違いはありません」
彼女の後ろ姿を見つめる。
彼女は今、どんな顔をしているのだろう?
僕は今、どんな顔をしているのだろう?
僕は、桜沢さんと初めて会った日の……桜沢さんの瞳を見つめた時と同じ顔をしているだろうか?
桜沢さんは、あの夜に屋上で見せた顔をしてくれているだろうか?
「僕は、これからもあなたについていきます」
彼女の肩が震えた気がした。でもほんの一瞬のことで、実際はどうなのか分からない。
「……なんと言えば良いか。私も感謝しているのです。あなた達には」
そう言うと桜沢さんは振り返って恥ずかしそうに笑った。
はぐらかされたような気がしたが、初めて見る彼女の笑顔は、僕の中から疑問を拭い去った。
よく分からない人だ。
いつか彼女の本音が聞ける日が来ると良い。そんな風に思う。
この人の近くにいることで、たとえ日常に戻れなくなったとしても。
桜沢さんの長い髪が風に揺られている。髪を目で追っていくとビルの屋上から街が見下ろせた。桜のシーズンということもあって、いつにもまして人が多い。
僕達がやったことは許されないことだろう。だけど僕は、大切なものを多く失った先輩の、唯一の望みを叶えてあげたかった。
その上で先輩が生きていてくれるなら最高だ。それでいいじゃないか。
他人に彼がなんと言われても。
〝内島アキラ〟がどんな存在に成り果てたとしても。
僕はもう悩まない。
だって僕は、本当の姿を知っているのだから。
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