第22話 辰巳8

 携帯を持つ手の震えが、大きくなっていく。内島アキラへのメッセージ。ここから先に悠くんはいない。もう、存在しない。


 あの日の彼の姿が蘇る。私に救いの手を差し伸べてくれた。自分を頼ってくれと言った悠くんの恥ずかしそうな顔。でも、心強いと思ったあの日の姿。


 彼はあの時、私の苦しみに気付いてくれた。だから助けてくれたのだ。


 彼の日記に記されていた。


 誰かを救えたと思った。その結果が今の自分だ。と。


 私だ。


 悠くんが外の世界に出られなくなったのは、私を助けたからだ。


 私が元凶。私が全ての原因。


 私があの時、悠くんに助けを求めなければ、彼が死ぬことも、おじさんが死ぬことも、おばさんが辛い思いをすることもなかった。


 そして、内島が自分を犠牲にすることも。


 視界がグニャリと歪む。少しずつ、少しずつ心臓の音が早くなっていく。吐き気が止まらない思考が徐々に早くなっていく後悔が自分の中に溢れていく悠くんの笑顔が崩れていくなぜ私は気付かなかったなぜなぜなぜ



「一つ、質問なのですが」



 桜沢花の言葉で意識が引き戻された。


「悠さんの記録にあなたはどう記されていましたか?」


悠くんの中の……私?


「彼は、あなたのことを恨んでいましたか? 最後に、あなたのことを何と記していましたか?」


 最後に、書いてあったのは……。


 そうか。


 だから内島は私に連絡を取り続けていたのか。


 だから、内島は新川悠になったのか。


 私だけじゃない。悠くんが本当になりたかった新川悠に。



 桜沢花の様子はいつもと違っていた。どこか悲しげで、遠くを見つめているようで……でもその瞳は真っ直ぐ私を見つめていた。


 彼女の瞳の中に私がいた。


 瞳の中の私は泣いていた。


 そこで初めて気づいた。自分が涙を流していることに。この事件が起こってから、悠くんの死を知ってから初めて。 


 自分の内側で感情が爆発的に膨らんでいく。


 溢れ出た涙はやがて大粒になっていき、私は声を上げて泣いた。







「あなたが部屋を出た後アキラさんは言っていました。その携帯はあなたに持っていて欲しいと」

 私が落ち着きを取り戻し始めた頃、桜沢にそう言われた。


「私が持っていていいの?」


「あなたにしかできないことです。悠さんの事を想い続けたあなたにしか。これをどうするのかはあなたが決めて下さい」


 自分の涙を拭う。私は内島の思いを知らずに傷つけてしまった。殺そうとしてしまった。


 だめだ。自分のことで悩むな。後悔なんて後から気がすむまですればいい。償いならこれから一生をかけてすればいい。


 今考えるべきことは内島の今後だ。彼がこれ以上犠牲になることは悠くんも望んでいないはず。 


 私がやるべきことは、これ以上誰も傷付かないようにすること……それがきっと、私が悠くんの為にできる最初で最後の仕事だ。


 内島の為にできることはなんだ? 彼の望みを叶えながら、彼自身も守れる方法はなんだ? 考えろ。


 白瀧の推理を思い返す。


 別人に入れ替わった内島。本人へと回帰させた白瀧と私。


 内島の無実を証明すればおばさんが容疑者になってしまう……考えろ。


 今までの出来事が走馬灯のように頭を巡る。その光景をビデオテープのように何度も再生と停止、巻き戻しを繰り返し、答えを探し求める。


 なぜかあのワイドショーを思い出した。


 コメンテーターが内島アキラについて私見を語っていく場面。今思えばなんて適当なことを言っていたのだろう。ありもしないうわさを並べ立てて凶悪犯だと連想させる。白瀧も気にしていたな……。


 人々の間でうわさがうわさを呼び、なんでもないただの青年が未知の化け物として語り継がれ、変貌していく。人の防衛本能が生み出すものなのだろうか。それとも攻撃性によるものなのか。


 子供の頃、何かで聞いたことがあった。人は理解できないものに対して恐怖を感じ、だからこそ、精霊や妖怪と言った超自然的な存在の物語を作り出し、説明をつけようとしていたと。だが、今はどうだ。反対に理解できない存在を生み出そうとしているように思える。


 その存在が自分達の世界から生まれた歪みであっても、自分達の完璧な世界に歪みなどありえないと。その異物を理解できない存在、完全な悪、敵を生み出し、憎み、恐れ、攻撃することで自分達の世界を、自分を守ろうとしているように思えてならない。


 まるで怒りに取り憑かれた私のように。


 想像すれば理解できたかもしれない悲劇を、理解の及ばない醜悪な事件と定義してしまう。恐ろしい仕組みが作り上げられている。そして、その中にいた自分もまた恐ろしいと思う。


 再び襲ってくる後悔の念に押し潰されそうになり、自分の腕を強く握る。


 余計な思考を振り払おうと被りを振った。



 その時、急に頭に閃光が走る。


 まだ輪郭がぼんやりとした非現実的なアイデア。


 この場所はなんだ? 思い出せ。


 なぜ、この場所に警察は来ない? 街中に目を光らせているにも関わらず。


 なぜ、ここの医者は内島のことを問おうとしない? 


 警察にも知られることは無く、患者が誰かも問わずに治療する施設。


 こんな場所に出入りできる情報事務所の面々……。


 現実離れしているアイデアでもこの桜沢花達がいれば実現できるのではないか?


「ねぇ桜沢。アンタって人を消したことってある?」

「人を消す……ですか。それは存在を抹消するという意味でしょうか?」


 桜沢の答えから、私の言わんとしていることを察していると分かる。この女はいつもそうだ。察しが良い。というよりも良すぎる。まるで人の心を読んでいるようだ。しかし時折見せる無神経とも取れる物言いは、それと矛盾しているように感じる。それともわざとやっているのか。


 桜沢に私のアイデアを伝える。


 彼女は俯いて何かを思案していた。


 その長い髪で顔が隠れ、隙間からかすかに口元だけが覗いている。


 独り言を数度呟くと、彼女の口元が徐々に笑みを含んでいった。



 再び顔を上げた彼女は、笑っていた。



 微笑みではなく、笑顔だった。



 桜沢の笑顔など初めて見たが、それは想像を絶するほど嫌らしい笑みだった。


 悪意の固まりのような。


 その笑みを見ただけで分かった。この女は私達に寄り添う聖人などではなく、きっと……。



「できると思います。ただ、みなさんの意思を確認しても良いですか? 誰か一人でも半端な覚悟の人間がいるのであれば、全員が道連れになります」


 桜沢の提案に思考が掻き消される。この女がどんな人間だろうと、私達はこの女に頼らざるを得ない。私は彼女の瞳を見て頷いた。


 桜沢は満足そうに数度頷く。


 その顔は、普段の丹精な顔立ちに戻っていた。

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