第20話 辰巳7
私の目の前にいる内島アキラはただの青年じゃないか。
新川家の人々を苦しめ、世間を騒がせた犯人像とはかけ離れている。そして、白瀧の推理に納得してしまっている自分がいた。
否定したい。悠くんの自殺やおばさんの犯行……信じたくない。
でも、目の前の青年が異常者とはとても思えない。なら、私のこの気持ちはどうすればいいのか。
この悲惨な現実を前に、異常者が起こしたものであれば、その犯人を憎めばいい。
でも誰も悪い奴などいないではないか。誰もが誰かを想っていただけじゃないか。
こんな……こんなのは酷すぎる。私が想像していた事件の全貌よりもずっと酷い。
私は逃げるように扉を出た。しかし、あの場から逃げ出した所で行く宛も無く、待合室に戻るしかない。何も考えられず廊下を歩く。
待合室の扉に手をかけたところで桜沢花に声をかけられた。
「辰巳さんはどうするのですか?」
「どうするって何を?」
「あなたの当初の目的通り、アキラさんを犯人だと証明し、報いを受けさせるのですか?それならそれで彼の望みは果たされますが」
この女は今更何を言っているんだ? 白瀧の推理に何も反論できない私を見ていたじゃないか。それとも、私に敗北の宣言をさせたいのだろうか。
「会った時から思ってたけど、あんたホントに性格悪いよね」
「あら、そう感じていたのならもっと早く言ってくれれば良かったのに」
桜沢は長い髪を手で払った。妙に様になったその動きがやけに腹立たしく感じる。
「白瀧が言った通りなら、結局私が何かしなくても内島アキラは捕まる気だったんでしょ? だとしたら私がやってきたことに意味なんてないよ」
この気持ちはなんなのだろう?
敗北感とは違う、そんな感情じゃない。
ただ胸の奥がずっと重い。
苦しい。
悲しみが体の中で溢れている。
でも、私は何が悲しいのだろう?
「この状況でもあなたがアキラさんに復讐する方法がありますよ」
「復讐……」
桜沢から出た言葉を意外だと感じた。意外だと思うほどに、自分の中で内島アキラへの敵対心が薄れているのが分かった。
復讐か。アイツに復讐する事が目的だった。しかし、今となってはその言葉に心が動くことは無い。
「白瀧くんの話した内容を警察に全て伝える。そうすればアキラさんの計画は失敗に終わり、真犯人である新川真由美さんが逮捕されるでしょう。貴方やアキラさんの話を聞いた限り、真由美さんは通常の精神状態ではなかった。運が良ければ罪には問われないかもしれませんよ? その結末に真由美さんが耐えられるかは分かりませんが」
「それって何の為にやるの? 内島アキラが誰も殺してないなら、誰の為の復讐なの?」
「それをあなたは考えるべきです。貴方は悠さんの為に犯人を追い続けてきた。今、貴方は誰の為に、何をするのですか?」
桜沢はそう言うと携帯を差し出してきた。
黒いボディに赤いラインの入った折り畳み携帯。随分と使い込まれたそれは、赤いラインが所々剥げ、角にいくつも傷が着いている。
「アキラさんから預かってきました。あなたに渡して欲しいと」
悠くんの携帯。先ほど白瀧が言っていた。内島アキラはこれを手放すことができなかったと。
この中に私の知りたかった真実がある。この中に残されている内容を知った後、私は何と向かい合うことになるのだろうか。
そう考えた途端、真実を受け入れることが急に怖くなった。あれほど求めていたものだと言うのに。
震える自分の手を押さえ、渡された携帯を開く。
携帯のメモアプリには膨大なデータが納められており、読み進めるとすぐに理解できた。白瀧が言っていた通り、悠くんの日記だった。そこには数年に渡る彼の思いが記されていた。
日記というよりも独白と言った内容。時折挟まれる彼の口調。それは決して他人では模倣できない。新川悠の心そのものだと思った。
そして、気付いてしまう。ここに記してある内島アキラ像は、私が想像していたものと違うのだ。日記の人物の延長にこそ、先ほど目にした青年がいる気がした。涙を流しながら語っていた哀れな青年……。
それが彼の本来の姿。
白瀧は彼を知っていたのだ。だから白瀧は信じられたのだろう。
周囲が内島アキラのことを何と言おうと。
内島アキラ本人が嘘をつこうと。
本来の彼を知っているからこそ諦めなかった。
それと引き換え私は何を信じていたのか。
初めは悠くんを助けたいという純粋な思いしかなかった。しかし、内島アキラへの復讐に取り憑かれた私の行動は、本当に悠くん達の為にやろうとしていたのだろうか?
ただ、私が浮かばれたかっただけなのではなかったのか。自分の行き場の無くなった想いを、怒りを、目の前に内島アキラという悪人を作り上げ、ぶつけようとしていたのではないのか。
内島を知るという白瀧の話には耳を貸さず、ただ世間の人々が噂する、自分にとって都合の良い犯人像を安直に信じていたのではないのか。
自分の手を見つめる。
あれから数時間経ったが、今でも内島を刺した時の感触が鮮明に思い出せる。刺した直後は怒りに支配されていた。でも、今はどうだろう。感触を思い出す度に背中にじんわりと嫌な感覚が這っていく。
既に亡くなっていたとはいえ、慕っていた人に対して内島はこんな思いをしながらナイフを突き立てたのか。私ならきっと耐えられない。それでもなお、狂人を演じる必要があったというのだろうか。
「ねぇ、桜沢。内島アキラはなぜ、こんなに自分を傷つけるようなことをしたのかな」
「親友との約束、無意識に感じていた寂しさが生んだ親を慕う想い。彼にとってこれが何より重要な要素なのでしょう。彼の幼少期に形成されたものだと思います」
彼女の言葉は分析だった。問いかけに対しての妙にズレのある返答。それに加えて桜沢が人の気持ちを語るのが可笑しく感じて、少しだけ笑いが込み上げた。でも、ずっと張り詰めていた空気の中で、それが、私の心を軽くしてくれた気がする。
「笑うなんて失礼ですね」
桜沢は少し戸惑った顔をした。この女もこんな普通の顔をするんだなと思った。
彼女は咳払いをすると、再び真剣な顔に戻った。
「でも、あなたなら想像できるのではないですか? アキラさんの気持ちが」
内島がここに運び込まれた時、白瀧が言った。私への怒りはそのまま、私の抱いた感情だと。だから私のことを憎まないと。
内島アキラの想い。形は違うけれど、私と同じだったのではないか? 彼も近しい人を救いたかっただけなのかもしれない。
その方法は間違っていたとしても、他にどんな選択肢があったというのだろう。
「すみません。邪魔してしまって」
桜沢はそう言うと私から離れて待合室へと入っていく。椅子に座り、本を読み始めた。
一人にして欲しいと思うが、彼女なりに私を心配してくれているのか。さっきは私を責め立てる為に来たのかと思ったが、意外に寄り添ってくれている気もする。
この女は、一体何を考えているのだろう?
私は再びフォルダの続きへと意識を向けた。内島アキラとの再会。二人で大学を目指した記録。その中で、一つのファイルで手が止まる。大学入試。その日の記録。
明らかに、悠くんが動揺しているのが分かる。
悠くんの心が壊れていくのが分かる。
それは、かつて私が経験したものだった。自分の存在が世界には不要なものだと思い知らされる時、消えてしまいたいと願ってしまう。
私は、悠くんが助けてくれた。でも、悠くんに救いの手は届かなかった。内島の手が。それが救いの手だと気付けないほど、悠くんは追い詰められていた。
そして今、その死の意味を知る。
メモアプリの中に「アキラへ」と書かれたファイルが残されていた。
それは新川悠から内島アキラへのメッセージだった。
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