第18話 辰巳6
白瀧と桜沢花がオフィスを出た時に確信した。こんな夜更けに出かける予定なんて内島アキラに関することに違いないと。
夕方に白瀧と会った時、彼が何かを隠していると感じた。それから私は桜沢のオフィスを監視した。
白瀧と会ったあの水族館以来、ずっと彼をストーキングしていたのだが、それがやっと実を結んだのだ。
私が内島アキラへと接触する方法は一つしかない。奴が白瀧に会う可能性に賭けること、それだけだ。可能性がどれだけあるかは分からなかったが、時間をかけるだけの価値はあると思った。
奴の立てたシナリオにとって白瀧は大事な探偵役のはずだ。そんな彼をそのまま放置しておくとは考えにくい。
早めに動きがあって良かった。長期戦になるようであれば白瀧と関係を持つことも視野に入れていたからだ。
先日、彼を誘い出してみて分かったが、彼は明らかに女性経験が少ない。押せば関係も発展できると感じた……でも、それは最終手段にしておきたかった。
彼に対する罪悪感もあるが、目的の為とはいえ、内島アキラの関係者と深く関係を持ちたくなかったからだ。とはいえ、白瀧との関係が近づいたおかげで情報を聞き出すことができたし、尾行できたのだが……。
彼らと距離を取りながら、終電間近の電車へと乗り込み、着いた先は白瀧が通っていたという高校の近くだった。
そのまま二人の後をつけると廃病院に辿り着いた。
二人に近づきすぎないように同じ道を辿る。廃病院の階段を登り、屋上を除き込むとそこには内島アキラが待っていた。
学生証に載っていた通りの顔。忘れたくても忘れられない顔。やはり私の予想通りだったようだ。
彼らの会話に耳を澄ませる。所々聞こえずもどかしさを感じたが、それでも遂に聞くことができた。
奴の声で「悠を殺した」と。
体中が熱くなる。今すぐにでも飛び出したくなるが、衝動を抑えた。
まだその時じゃない。ここでは邪魔が入る。
ここにいては見つかる恐れがあるのでその場を離れた。
階段を降り、敷地内を見回す。どうやら先ほど通ったルートでしかこの敷地には入れないようだ。
崩れた壁の手前、茂みの中に隠れた。ここなら階段から降りてきた人物を把握できる。奴は必ずこのルートを通るだろう。
持っていたカバンからバタフライナイフを取り出した。人を殺すには小さな刃物だが、私の目的には十分だった。
私は奴から全ての犯行を聞き出さなければならない。そして、全ての話を聞き終えた時、私の手で罰を与えてやる。ただ、女の私の力では正面から襲っても返り討ちに合うだけだろう。場所はどこでもいい、不意打ちさえできれば私に有利な状況が作れるはずだ。
呼吸を整えその時を待つ。
緊張で全身が強張っていくのを感じた。
どれくらいの時間そこで待っていただろうか。
その時は急に訪れた。
階段から降りる内島アキラが見えた。しかし、なぜか階段付近に佇み、こちらへ来る様子が無い。奴は両手で顔を覆っていた。
しばらくして、やっと奴はこちらに向かって歩き出した。私は気付かれないよう少しずつ距離を詰めていった。
奴が目前に迫った時、追いかけてきた白瀧が内島アキラを呼び止めた。
白瀧が掴みかかり、二人は揉み合いとなった。白瀧から手を出すことはなく、ただ内島アキラが逃げられないように両手を掴み、訴えていた。
内島アキラそんな人間ではないと。
頭突きをされて血が出ようがお構いなく言葉を続けている。
馬鹿だな。と思った。
これだけ奴が犯人だという状況が揃っていて、当の本人が犯行を自白までしているのに、なぜそんなことを言えるのか。
しかし、その姿になぜか胸が苦しくなる。
自分でも不思議だった。
白瀧と言葉を交わす内に彼に情が湧いたのだろうか?
自分の中にある得体の知れない感情に戸惑ったが、それを消し去るように被りを振る。
今の私には関係無い。ただ目的だけに集中すればいい。
邪魔は入るが、白瀧一人なら何とかなるはずだ。
今この瞬間しかない。
タイミングを計る。
内島アキラが怒り出し、白瀧の腹部へと蹴りを入れる。
奴の意識が完全に白瀧へと向けられているその瞬間、私は飛び出した。
後ろから奴の脇腹にナイフを刺す。嫌な感触が右手に伝わる。
ナイフを持つ手が熱い。
奴は呻き声を上げてその場に座り込んだ。構わず奴の顔を殴りつける。馬乗りになって何度も何度も殴りつける。自分の声と思えないような雄叫びをあげながら。
当初の計画は頭から吹き飛び、こめかみあたりが脈打つ感覚と拳の痛みだけを感じる。一度ついた火は消えない。
理性は侵食されていき、自分でも止められなくなっていた。殴る度に悠くんやおじさん、おばさんの顔が浮かんでいく。
ふと手を見ると握っていたはずのナイフが無い。焦って辺りを見回すと奴を刺したナイフが地面に転がっているのに気がついた。
急いでナイフを両手で掴み、振り上げる。
コイツが全て壊した。何もかも。
コイツがみんな不幸にした。
こんな奴さえいなければ。
真っ赤に染まったシャツに腫れ上がった顔。全て私がやったのだ。
内島アキラと目が合う。その目に怯えは無かった。
自分の死など恐れていない。ただ、私を哀れむ目。
それを見て一瞬我に返ってしまう。躊躇ってしまった。
「辰巳さん!」
その一瞬の隙に白瀧が飛びかかってきた。内島アキラから引きずり降ろされる。地面に打ち付けられ、一瞬吐き気に襲われた。両手を白瀧に掴まれ、身動きが取れなくなる。
「先輩! 動かないで下さい!」
奴は白瀧の言葉が聞こえないのか、地面を這いずって逃げようとした。しかし、力が入らないのか思ったように進めないようだった。
「離せ!」
白瀧との顔が近い。初めて会った時とも、先日とも全く違う。強い意志を持った瞳。
振り解こうと暴れるが、白瀧の力はさらに込められ、握っていたナイフを奪われそうになる。このナイフを奪われたら大事なものまで取られてしまうような気がして、必死に抵抗する。
「ここで先輩が死んだら何も分からなくなりますよ! 絶対に後悔します」
白瀧の声が頭に響く。その声が、僅かに残っていた私の理性に語りかける。
なぜ悠くんは死ななければならなかったのか。
なぜ、おじさんもおばさんも不幸にならなければいけなかったのか。
疑問符が次々に頭に浮かんでいく。
そうだ。私はアイツを殺す目的以上に真実を知りたかったのだ。それがわかっていたはずだ……はずだった。
私の中で燃え盛っていた火は止み、徐々に冷静になっていく。
残ったのは内島アキラを刺した感触と拳の痛み、そして自分がしてしまったことへの僅かな後悔だった。
このまま内島アキラが死ぬことになれば、私もアイツと同じ殺人犯になるのか……。
握り締めていた手をゆっくりと開く。ほんの少しの間のはずなのに、指を開くのに痛みを伴った。爪が掌に食い込み、血が滲んでいる。
白瀧はナイフを取り上げ、絶対に動かないよう私に言った。もう、ナイフを取り戻す気力すら無い。
頭は回らなくなり、周りの様子をただ見つめていた。
地面を這っていた内島アキラは動かなくなっていた。
白瀧は携帯を取り出し連絡をとると、桜沢がやって来た。
二人の会話が薄っすらと聞こえる。どうやら、桜沢が知り合いを呼んだらしい。
白瀧は至って冷静だった。追い求め続けた存在が目の前にいるのに。その存在が目の前で傷付き、倒れているというのに、なぜそこまで冷静でいられるのだろう?
彼の目を見た時、強い意志を感じた。
それは彼が本来持っていたものなのだろうか?
私はその姿をぼんやりと眺めた。
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