第17話 白瀧8

 深夜零時五十分。僕達は約束の場所へと到着した。


 アキラ先輩が指定した場所は僕達の高校近くの廃病院だった。

あれから数年経っているが、当時のままの姿でそれは残っていた。


 敷地に入る裏門には崩れた壁があった。柵に足をかけて登る。塀の上から桜沢さんへ手を伸ばして持ち上げた。茂みを超え、広い駐車場を通り過ぎると本棟まであと少しだ。


 本棟の屋上は人が来ることがなく、当時の僕達には居心地が良い場所だった。学校の帰り道によくここで先輩と過ごした。


 建物内へは入れないようになっているが、外の階段から屋上に上がることはできる。三階分の階段を登り、屋上に辿り着くと、奥の鉄柵の所に人影が見えた。


「先輩」


 声を掛けると人影はゆっくりとこちらを振り返った。


「廃墟の鉄柵って以外に頑丈なんだな。久々に来たからさ、体重かけると折れるかと思ったけどびくともしなかったよ」

「はは、なんですかそれ。そういうところ、全然変わってないですね」


 高校の頃と変わらない様子に少しだけ安心する。しかし、先輩は僕の後ろに目を向けた途端、顔付きが険しくなった。


「そっちの人が桜沢さんか」


「初めまして。桜沢花と申します。白瀧くんと一緒に〝あなたと思われる素性の遺体〟を調べていた者です」


「周りくどい言い方するね、アンタ。……俺の報道が予想よりもずいぶん早く流れてさ、気になったんだよ。白瀧や辰巳がこんなに頭がキレるハズないって。こりゃ有能な協力者がいるなと思ってさ。会ってみたくなった」



 先輩の口から辰巳さんの名前が出たことで証明された気がした。悠さんへの入れ替わりも、僕らを誘導したことも事実だと。



「教えて下さい。なぜこんなことをしたんですか?」


 動揺しないように自分に言い聞かせた。何よりもまず聞かなければならないのはその動機だ。それを聞かなければ。


 本当に先輩が殺人を犯したとしても……きっと何か事情があるはずだ。


「その前にちょっとテストさせてくれよ。桜沢花」


 先輩は僕の質問を受け流して桜沢さんの方を向く。その顔に笑みは一切無い。そんな先輩の顔を見たのは初めてだった。桜沢さんもいつもと少し雰囲気が違う気がした。


 辺りに緊張感が漂う。僕はそんな二人を見ていることしかできなかった。


「事件から今日までの俺の行動を教えてよ。どの程度お前らが把握しているのか知りたい」


 桜沢さんは一瞬僕の方を見た後、ゆっくりと話し出した。


「……新川真由美を拘束した後、あなたは新川直樹を滅多刺しにした。その後、新川家の車で埼玉県山中の新川悠の遺体遺棄現場まで向かい、白瀧くんへ連絡。これは白瀧くんの携帯番号が今も有効かという確認の為でしょう。確認を終えたあなたは新川悠の遺体を掘り返し、白瀧くんの番号のみを残した内島アキラの携帯電話と一緒に再度遺体を埋めた」


 桜沢さんが状況を説明していく。この一ヶ月の間に彼女と共に推理した内容だ。


 僕と辰巳さんの持っている情報をまとめ、時系列に矛盾が生じないよう並べるとこのようになるはずだ。それでもなお、疑問点が生じるが。矛盾が無いよう気を付けるほど〝犯人がなぜそうしたのか〟を説明できない。


「ちょっと待て、なんで俺の携帯を〝後で埋めた〟と断定できる?」

「新川悠死亡時に埋めたのであればもっと携帯に劣化が見られたはずです。それと、遺棄された状況を考えればあの携帯だけ不自然だと思われるからです」


「不自然?」


「携帯を除いた遺体の状況を見れば分かります、あなたの身分証にあなたの服。それらが用意され、わざわざ遺体に身に付けさせている。これは新川悠の遺体を内島アキラだと誤認させる為のものと考えられます。しかし、そこにあの〝内島アキラの携帯〟を入れるとその工作が一気に崩れます。あなたの最大の強みは身寄りが無いことでしょう? 身内からの身元確認ができなければ、見につけているもので身元を判断する他ありません。そこに白瀧くんという関係者との繋がりを残すという行為は明らかに矛盾しています」


「なるほど。話の腰を折って悪かった。その後の行動はどう考えている?」


「白瀧くんへの連絡の後、あなたはまず公衆電話から警察へ遺体の場所を通報。その後車を適当な場所へ捨て、辰巳さんへ通報を指示した。大学へ行くよう指示したことや学生証の件は辰巳さんと白瀧くんを繋ぐためでしょう。そして二人に新川悠とあなたが入れ替わっていたことを証明させた」


「もし白瀧が手間取るようなら調整するつもりだったけどな。アンタの言った通りだ。報道だと白瀧達の動きは出ないから、どうしても断片的な情報になっているんだよな」


 先輩は腕を組むと首を傾げながら言う。昔何度も見た仕草だった。


「もうよろしいですか? 白瀧くんの質問に答えてあげて下さい」


「ああ。なぜ、今回の事件を起こしたのか……だったよな? 直樹さんを殺したのは、あの人が俺のことを警察に相談しようとしていたからだよ。せっかく人生を謳歌していたっていうのに、それを壊そうとするから」


 先輩は悪びれることも無く、昔と同じような笑顔、普段の口調で自分の罪を告白していく。


 先輩が声を発する度に視界が狭くなっていく。


 彼の顔を直視できなくなっていく。



 自分の信じていたものが崩れ去っていく。




 先輩は異常者なはずがない。僕の知っている内島アキラがそんなことをするはずがない。その思いだけでこれまでやってきた。


 DNA鑑定結果が出た時も、先輩のニュースが毎日流れ続けても、それだけが支えだった。それさえも崩れてしまったら……僕は……。



「嘘はやめて下さいよ。先輩はそんな人じゃないでしょう?」


 先輩がため息をつく。広い屋上で僕の言葉がむなしく響いた。


「白瀧、お前は分かってないだけだよ。俺はそんないい奴じゃない。悠のことを殺したのも、あいつと入れ替わっていたのも、全部あいつが羨ましかったからだ。俺が家族も何もかも無くして途方にくれていた時、あいつと再会した。あいつは俺の持っていないものを全て持っていた癖に、人生に絶望していやがった。……それが許せなかった」


「新川夫妻は共犯ではないのですか?」


 桜沢さんが疑問を口にする。その質問にどんな意味があるのか。たとえそうだとして先輩が人殺しだという事実に何の影響もないじゃないか。


「違うね。悠を自殺に見せかけて殺してさ。追いつめたのは両親のせいだと詰めよった。あの人達の落ち込み方はすごくてね。その後、俺がちょっと悠の真似をして、提案してやったんだ。〝僕が悠として生活すれば、お父さん達は捕まらないよ〟ってね。あの人達はすぐに俺の話に乗ったよ。しかも、徐々に俺のことを悠だと信じこむようになった。きっと悠の死から目を逸らしたかったんだろうな。それからは俺の言う事はなんでも聞いてくれるようになった」


 アキラ先輩の呼吸は荒くなり、その目はギラギラと光っていた。今まで見たこともない笑みを浮かべるその姿に僕は戸惑った。


 僕の視線に気づいた先輩は咳払いをして続けた。


「でもあの日、直樹さんが罪悪感に潰されてしまったんだよ。俺に出て行けとまで言ったんだ」


「……それが理由で殺したんですか?」


「ああ。でも殺した後に気付いたんだ。これから直樹さんの死体を隠しながら生きていくのは無理だってな。だったら新川悠として世間を欺いてきた俺の実績を大々的に公表してしまおうと思ってさ。俺を蔑んできた奴らへの復讐だよ。多少なりともあいつらに罪悪感を持たせられれば御の字だ」


 息が苦しい。


 めまいがする。


 立っていられない。


「俺はこんな人間なんだよ。な? だから、もう俺のことは忘れろ。今回の件で俺の予想以上に働いてくれたことは感謝してる。最後にそれだけ言いたかったからお前を呼び出したんだよ」



 アキラ先輩が僕の横を通り過ぎていく。



 止めようと彼の腕を掴もうとするが、力が入らず捕まえられない。



 階段へと先輩が歩いていく。そして、そこに辿り着くと先輩は振り返った。



 先輩と目が合う。



 一瞬、戻ってきてくれると期待した。しかし、彼の顔を見て、そんな可能性は無いと悟る。


「じゃあな」


それだけ言うと彼は階段を下りていった。






 先輩の姿が見えなくなると同時にその場に座り込んだ。とにかく身体中に力が入らなかった。


 辺りを見回すと先輩と過ごした日々が蘇る。あれは嘘だったのか。僕はずっと内島アキラという人物に騙されていたのか。


 憧れた舞台の上の先輩。僕をかばってくれた先輩。ちょっと話が噛み合わないところもあるけど、無邪気な笑顔で笑う先輩。


 あれは全て嘘だったのか。


 もう何も信じられない。何も考えたくない。




「もうよろしいのですか?」



 桜沢さんが話かけてくるが、何も答えることができない。


 僕は最初からありもしない幻想を求めていたのか。


「諦めるのですか?」


 桜沢さんがもう一度声をかけてくる。今は誰かと話をしていたくない。


僕のことは放っておいてほしい。


「あんな、ずるいですよ。僕の知っている顔で、声で、はっきりと肯定されたら……すみません。桜沢さんにも色々と迷惑をかけてしまって」


 彼女の顔を直視することができず、地面に顔を伏せたまま答えた。自分が情けない。覚悟だなんだと言っておきながら、結局、不都合な真実を目の当たりしてうなだれている自分が。


「あなたの意思はその程度だったのですね」


 冷たい言葉にカッとなり、反論しようとした。だが、こちらを見下ろしている彼女の目を見るとすぐに怒りも冷めてしまう。


 その目は僕を軽蔑しているように見えた。


どうにもやり切れない思いがして僕は顔を背けた。


「すみません。一人にしてもらえませんか」 



 立ち上がろうとすると、桜沢さんに胸倉を掴まれた。



今までの彼女からは想像できない行動に息が止まる。



「あなたが〝後悔したくない〟と言ったから私は協力しました。本当に今、後悔していませんか? これが、あなたの求めた真実だと思いますか?」


 目の前にある顔。その、全てがお見通しだとでも言いたげな顔に腹が立った。初めからこの人はずっとそうだった。人を誘導して、肝心な所は僕に考えさせる。


 一度消えた感情が再び僕の中で渦巻いていく。やるせなさやみじめさといった感情も混ざり、彼女への怒りへと変わっていく。


「僕だって信じたくない! でも、今聞いたでしょ! 先輩の口から直接!」


 桜沢さんの腕を振り解こうとする。彼女の力は想像以上に強かった。それでもなんとか彼女から逃れようともがく。だが、全く振りほどけない。


 自分の中でぐちゃぐちゃになった感情が暴れる。現状をどうすることもできない自分に腹が立って涙がこぼれた。


「あなたには少しの疑問点もありませんか? 矛盾は? 完全に納得できる話でしたか?」


 話の内容は疑問ばかりだ。矛盾? そんなこと考える余裕なんて無かった。ただ先輩の言葉を受け止めるだけで精一杯だった。


「考えなさい。考えて、あなたなりの答えを出して、友達に伝えなさい。あなたにしかできないことです。今、今しかないのです。あなたが彼の為にできることは今、この瞬間しかありません。私の」




 言葉を飲み込んで彼女は俯く。一瞬見えた彼女の顔は歪んでいた。


 今にも泣き出しそうなその顔が僕の脳裏に焼き付いて離れない。


 それが僕の頭を急速に冷静にさせていく。その言葉は彼女自身に語りかけているようだった。


 彼女は言っていた。大切な人を失くしたって……。


 桜沢さんがなぜ僕を助けてくれていたのか……今、本当の意味で分かった気がする。


 彼女はこのまま進んだ先にいる僕の姿なのだ。


 今、この瞬間を諦めた自分。後悔に後悔を重ね、どうしようもできなくなった自分。だから彼女は助けてくれた。彼女自身が後悔していたからこそ。


 不意に桜沢さんの手の力が弱まる。顔を背けながら彼女は言った。


「ずっと疑問に思っていました。なぜ、アキラさんは携帯を持ち続けていたのか」


「携帯?」


「悠さんの携帯です。それによって居場所が判明するリスクを追いながら……です」


 この一ヶ月ずっと、あの携帯は電源が切られていた。しかし、今日電話が繋がったのは先輩が電源を入れたからだ。なぜそんなことをしたのか。


 ある考えが浮かぶ。もしそうなら、今回の件の核心に迫れるかもしれない。その考えを中心に見つめなおすと、先ほどの先輩の話に疑問点が次々湧き上がった。そして、一つ疑問が浮かぶ度に体中に血が巡っていく感覚がした。


「桜沢さん……ありがとうございます。僕、先輩を追いかけます!」



 ゆっくりだけど、何とか自分の足で立ち上がる。


「がんばって」

 

いつもの彼女とは違う優しい口調。なぜだか分からないけど胸が熱くなった。


その声に背中を押されるように、僕は走り出した。




 急いで階段を降り、辺りを見回す。いない。この敷地への出入り口は一つだけだ。広い駐車場を超え、崩れた壁へと走る。


 悩んでなんていられない。先輩にどう思われようと絶対に食らいついてやる。本当に納得するまで絶対にあきらめない。

茂みの手前まで来ると人影が見えた。


「先輩!」


 近づくに連れて人影が先輩の形になっていく。

 振り向いた先輩からは僕に対しての拒絶の念だけを感じた。


「まだ納得していません! 僕は、僕は信じない。あなたは人を恨んで殺したり、ましてや愉快犯みたいなことをできる人じゃない!」


 咄嗟に先輩の腕を掴んだ。振り払おうとされても絶対に離さない。今ここで離してしまったらもう二度と先輩と会えない気がした。


「諦めろよ。さすがに。さっき話したことで俺の言いたいことは全部だ」


 先輩が鼻で笑う。もう僕のことになんて興味が無いと言いたげだ。だけど、こんなことで怯んではいられない。


「先輩の言ってたことはおかしいよ」

「……なぜそう思う」


先輩の言葉に苛立ちがこもる。


「直樹さんを殺す必要があるなら、滅多刺しにする必要なんてない。それに、真由美さんが拘束されていただけというのも変だ。なぜ、彼女を殺さなかったのか? 彼女が生きている限り、自分が犯人だと証明されているようなものじゃないか!」


「当たり前だ。俺がやったことを証明する人間が必要だったからな」


 身を捩って逃れようとする先輩を渾身の力で押さえる。


「じゃあなぜ逃げたんですか? 新川悠を攫った演技までして。その場に留まれば良いだけじゃないか。わざわざ僕達を誘導する必要だってない!」


 考えろ。話しながらあの時の感覚を思い出せ。喫茶店で先輩と悠さんを繋いだ感覚を。

 可能性が浮かんでいく。それは内島アキラのことを知っている僕にしか分からない可能性。僕は矢継ぎ早に自分の推理を並べていく


「まるで、そう、〝新川悠〟を犯人にしたくないみたいだ」


「違う!」


 怒りに満ちた先輩の表情が一瞬拡大される。


 次の瞬間、額に衝撃が走り、視界がチカチカと明滅した。生暖かい液体が鼻筋を伝う。だけど、そんな事が気にもならないほど自分の思考に集中していた。


 僕の推理が正しいかはわからないが、先輩の反応が僕に確信を与えていく。


「そうだ……あなたは、自分では新川悠だと証明する術が無かった。というよりも、自分で証明するには〝警察に捕まった後に証言する〟必要がある」


 先輩の膝が僕の鳩尾に入る。吐きそうになるが堪えた。推理をやめない。やめてはいけない。そんな使命感だけが僕を動かしていた。


「そして、それは新川悠が容疑者だと報道する期間を招いてしまう。あなたはそれが許せなかった」


 パズルが組み上がっていく。僕の知っているアキラ先輩。その人は心を許した相手は絶対に、どんな手を使っても守ってくれる。そんな人だった。そこに、今日まで聞いてきた先輩の話、僕の知らなかった姿が混ざっていく。そして、それらの要素が混ざり合ってピースとなり、穴あきだった箇所を埋めていく。


 パズルが完成に近づくに連れて、最後の可能性が浮かび上がる。



本当の目的。本当の犯人。



「あなたの、本当の目的は……」



 言いかけた時、茂みから人影が飛び出し、先輩に飛びかかった。



 次の瞬間、先輩が目の前から消えた。


 混乱しながら下を見ると、そこには先輩と人影がいた。先輩の脇腹は赤く染まり、人影が握り締めたナイフは血が滴っていた。



 人影が地面にうずくまる先輩を馬乗りになって殴りつける。



 月明かりに照らされる小柄な身体。



 真っ赤に染まる腕。



 それは僕のよく知る人物、辰巳ひなただった。

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