第16話 白瀧7

 辰巳さんと会った日からさらに数日が立った。今日は池袋でうわさ〝立ち尽くす老婆〟の調査をした後、オフィスへと向かっていた。


 今回の話はうわさというより、怪談のようなものだった。渋谷区のとある裏路地に一定の日にち間隔で老婆が現れるという。

 その老婆は話しかけても一切こちらの質問に答える事なく、ただ何時間も立ち尽くすだけらしい。


 ネット上にも話題になっており、複数の掲示板の住人がスレッドを立てて調査したりブロガーが解明しようとしたが、不思議なことに誰も目撃することはなかった。それなのに目撃情報は後を絶たず、噂だけが独り歩きして、その老婆に色々な尾ひれを付けていった。出会うと不幸になるだとか、逆に幸運が訪れるとか、証明しようの無いものばかりだ。


 事務所の情報網を使って確認した所、目撃したことがあると言う高校生カップルに接触できた。

 人前でイチャつくカップルにはイライラしたが、面白い情報が聞けた。その老婆は一ヶ月の日数をその月の数字で割った日時に現れるというのだ。例えば四月であれば三十日。それを四で割ると七・五となり、四月七日午前五時に現れるとのことだった。彼氏の方がこの法則に気づいて三ヶ月ほど試してみた所、その三ヵ月は全て法則通りに現れたという。


 なぜネットにその情報を流さないか聞いたが、彼氏によれば不思議とその情報が出せないそうだ。掲示板に書き込もうとすれば携帯が壊れ、ブログに載せようとすれば水没させてしまう。今月だけで携帯を三度替えたと言っていた。


 話は段々とオカルトの方に向かっている気がするが、老婆の存在自体は非常に気になる。本当に存在するとすれば一体何の為に現れるのか。


 次に現れるのは五月六日の午前二時か。一度桜沢さんへ相談してみよう。信じている訳ではないが、メールで報告しようとして携帯が壊れたら目も当てられないので、直接オフィスへ向かうことにした。


 本来は週に一度オフィスへ報告に行けば良いのだが、アキラ先輩に関する情報が入っていないか確認する為と、先日辰巳さんのことで注意されたことを引きずっていたのもあって近頃は毎日顔を出していた。


 オフィスに戻ると誰もいなかった。皆、情報を得る為出かけることが多い。サーバー室からチカチカと点滅する光が漏れている。それを頼りにスイッチを探して電気をつけた。


 彼らが吸い上げた情報はオフィスのサーバーに保存され、検索システムでいつでも引き出せるようになっている。その為、オフィス内の至る所に監視カメラが設置されている。少しでも不審な動きを取ると支給された携帯にすぐ連絡が入るようになっている。僕もアルバイトとして入って最初の三日間は電話責めにあった。


 オフィス内で外部とのネット回線に繋がっているのは一台だけだ。それ以外のPCは回線が分けられ、完全にローカルネットワークのみで運用されている。これはサーバーを物理的にネットへ接触させない為らしい。ハッキング対策ということだろうか? 確かに情報屋にとって情報は商品だ。何よりも盗難に警戒するのは当然だろう。なんだかアナログなのかデジタルなのかいまいちわからない職場だなと思う。


「やっぱり。白瀧くんでしたか」


 電気をつけると桜沢さんが所長室から出てきた。


「今日はまだ見かけていませんでしたから、来ると思っていましたよ」


 まずは口頭で調査報告を済ませる。発見した法則に彼女は興味を示した。

「なかなか面白いですね。呪いだのそう言ったものはわかりませんが」

「そうですよね? 次現れる時に間に合わせるには前乗りしないといけないんですよ!」

「ホテル代は経費にしませんよ」

「そんなぁ」


 まぁ、ただのうわさ話の調査に経費を増やしていたら経営が成り立たないか。

「次までまだ時間はありますから、私が経費にしても良いと判断できる追加情報を探して来なさい。それに、渋谷区なら他の同僚達に相談してみるといいですよ」

「わかりました!」


 こうやってアドバイスをくれるということは、可能性はまだ残されているな。僕は前向きに考えることにした。


「今日はもう帰りなさい。調査報告なら今週分の情報まとめての入力で良いですから、明日も早いのでしょう?」

「やっておかないと気持ち悪くて。今日の内容だったらすぐ済みますから」

「仕方ないですね……。でも、残業はほどほどにして下さいよ」


 自分のデスクに座る。PCを起動し、ファイルを呼び出す。調査内容、関連タグ、検索キーワードを入力していく。時間を置くと忘れてしまいそうだから、できれば早く済ませておきたい。一ヶ月経ってやっと身についた習慣だった。


 ふと所長室の方を見ると、開放された扉の奥で桜沢さんが本を読んでいるのが見えた。僕のせいで帰れないのか。早く終わらせないと。




 一通りデータベースへの入力を終え、後は保存するだけだ。保存ボタンをクリックすると、砂時計のマークが出る。珍しく時間がかかっているな。そこからさらに数分待ったがPCに変化は無い。やきもきしていると所長室から声をかけられた。


「白瀧くん。そろそろ電話をかける時間ではないですか?」


 桜沢さんに促され携帯の画面を見る。辰巳さんに教えてもらった悠さんの携帯番号。ここ一ヶ月、毎日決まった時間に電話をしている。


 電話はずっと電源が切れているが、ほんの僅かでも先輩に繋がる可能性があるならそれに賭けたかった。


 通話ボタンを押す。


いつもなら電源が入っていないというアナウンスが流れるが、今日はメッセージが再生されず、コール音が響いた。



 途端に周囲の空気が張り詰めた気がする。



 コールが鳴る度に鼓動が速くなっていく。




そして、ついにその時はやってきた。



「よぉ。しつこいねぇ白瀧は」



 声を聞いて一瞬で分かった。ふてぶてしい挨拶に名乗らない癖、まさに僕の追い求めていた人そのものだった。


「アキラ先輩ですか! 今どこに……」


「テレビの報道見たよ。予想よりずいぶん早かったな。お前一人で調べたのか? それとも警察に協力したか?」


 僕の話を遮るように質問を被せられる。人の話を聞かない所もそのままだ。


「僕は先輩を売るようなことはしていませんよ。……でも、桜沢さんという情報屋の方には協力してもらいました」


「桜沢ねぇ……。白瀧、俺と一緒にいた時よく行った場所覚えているか? 名前は言わなくていい。盗聴されてるかもしれないしな」


 時折、風の音が聞こえ先輩の声が遮られる。どうやら先輩は屋外にいるようだった。


一言一句聞き逃してはいけないと思い、必死に自分の耳に集中した。


「覚えています。忘れるわけないじゃないですか」

「そっか。じゃあ今日の深夜一時にそこに来い。不安だったらその桜沢さんを連れて来てもいいぞ。ただし、警察には連絡するな」


「……わかりました」


 僕が答えると同時に電話が切れた。



「アキラさんと連絡が取れたのですね?」


 僕の電話の態度が異様だったからか、桜沢さんは所長室から出てきていた。


「はい。今夜一時に会う約束をしました。あの、一緒に来てもらうことはできますか? 先輩が桜沢さんを連れてきても良いと言っていたので……」


 桜沢さんは何かを思案しているようだった。


「あの、無理なら僕一人で」

「いえ、行きましょう。一緒に。いずれにせよあなた一人に行かせる訳にはいきませんから」

 彼女は僕の言葉を遮って答えた。正直な所、一人で行くのは不安だった。自分一人だと冷静でいられる自信が無かったから。


 先輩から指定された場所を伝える。一度自宅に帰るよりもここからの方が目的地に近いということで、出発の時間までオフィスで待機することになった。


 今は午後六時三十分を過ぎた所だ。終電が終わる前に移動するにしても、今のうちに食事は取っておいた方がいいだろう。桜沢さんに希望を聞き、近くのコンビニへと向かった。




 長い階段を降りて路地に出る。時間的な余裕はあるのに気持ちが焦ってしまう。少しずつ歩く速度が速くなっていき、いつの間にか走っていた。



 角を曲がり、コンビニ目前という所で人とぶつかった。女性がバランスを崩して、道路に座り込む。


「ごめんなさい! ……辰巳さん?」


 ぶつかった相手は辰巳さんだった。なぜ彼女がここにいるんだ?


「ああ、白瀧か」

 彼女は服を払いながら立ち上がる。


「どうしたんですかこんなところで」

「いや、桜沢に用事があってアイツの事務所に行こうと思ってたんだ」


 彼女が桜沢さんのオフィスに行くのはDNA鑑定の結果が出る前が最後だったはずだ。


「白瀧こそこんな時間まで手伝いをしていたの?」


 どうする? 先輩のことを話すか? でも、彼女に話せば警察を呼ばれるかもしれない。そうなったらこの機会を永遠に失ってしまう。


「特に大した用事はないんだけど、桜沢さんの残業に付き合っているんだ」


 先輩の件を伏せて伝えた。しかし、焦る気持ちを抑えていたせいで立場を逆に伝えてしまった。僕の残業に付き合わせていたのに……でも、ここで言い換えると怪しまれるかもしれない。


「桜沢って残業するタイプだった?」

「今日は、僕の持ってきた情報のせいでね」

「ふーん。まぁいいや。あんまり遅くならないようにね」


 辰巳さんはオフィスビルに向かって歩いていった。彼女を見送りながらふーっと息が漏れた。手を見ると汗がすごい。僕は嘘をつくのが下手だなとつくづく思う。



 店内に入ってパスタと弁当、飲み物を二本手に取る。店員へ温めをお願いして待っていると、入口付近の雑誌コーナーが目に入った。

 週刊誌の表紙には毒々しい色合いで文字が書かれている。その中に、「一家殺害事件。犯人が持つその異常性」そんな文面が目に入り、一気に食欲が無くなった。


 あのブロガー学生の言葉が蘇る。ヤバイ奴。本当の両親も殺害した。異常者……ふざけるな。誰も本人を見たことも話したこともないのになぜ一方的にそんな話を信じられる? 大勢で社会の異端者だと決めつけてひどい言葉を浴びせられる?

 そんなの絶対嘘なのに。どんどん先輩が化け物にされていく。考えるほどに体が熱くなり、今にでも暴れ出したい衝動に駆られた。


 電子レンジの音が響く。


 いつの間にか物思いにふけっていたらしい。店員が怪訝そうな顔でこちらを見ている

た。僕は目を合わせないよう商品を受け取った。




 帰り道は憂鬱だった。辰巳さんにオフィスに長居されると支障が出るかもしれない。

この状況をどう切り抜けるか考えながら歩いた。


しかし、オフィスに戻ると、待っていたのは桜沢さんだけだ。


「あれ? 辰巳さんはもう帰ったんですか?」

「来ていませんよ」

 桜沢さんは読んでいた本を閉じてこちらを見つめた。


「おかしいな。コンビニの所でぶつかったんですよ。桜沢さんに用があるって言っていました」

「……白瀧くん。アキラさんの電話のこと辰巳さんに言っていませんよね?」


桜沢さんの目が鋭くなる。電話で咎められた時もこんな顔をしていたのだろうか。


「言っていませんよ。下手なことをしてこのチャンスを逃したくないですから」

「ならいいです」


 なぜ彼女があそこにいたのか。不思議に思ったが、考えてもその答えを出すことはできなかった。





 食事を終えると仮眠を取るよう進められ、仮眠室で横になった。しかし、緊張で寝付くことができない。


 終電が終わる前には移動することになっているが、このまま何時間も待機することを考えると気が変になりそうだった。一時間ほど粘ってみたが、結局寝付くことはできず起き上がった。


 仮眠室を出ると、桜沢さんは応接用のソファーに座って本を読んでいた。


「寝ておいた方がいいと思いますが」

「無理矢理寝ようと思いましたけど、緊張しちゃって」

「こちらに来ますか?」


 桜沢さんの向かいのソファーに座る。彼女の瞳が文字を追うのを見ていると、この一ヶ月のことが蘇ってきた。彼女がいなければ、こうやって先輩ともう一度会うことはなかったかもしれない。


「桜沢さん。なぜ僕のことをここまで手伝ってくれるんですか? あの時、頑なに拒んだ割には僕に色々教えてくれるじゃないですか」

「なぜって、契約したでしょう?」

「そうじゃなくて、あなたが受けた警察の依頼もずっと前に完了していますよね?」


 佐久間さんが言っていた。桜沢さんと警察の契約はDNA鑑定の結果が出た段階で既に終結していたと。依頼主側の意向らしい。

僕との約束もそのタイミングで終わらせることはできたはずだ。僕はあくまでもついでだったのだから。


 ずっと疑問だった。彼女は考え方、ヒントの見つけ方、色々なことを教えてくれた。先輩の事件のことも僕に解決させようとさせている節もある。でも、それは彼女にとってどんな意味があるのだろうかと。


 答えを待ったが、彼女は答えをくれない。本を読み進めるだけだ。



 諦めかけたころ、彼女は静かに話し始めた。本で顔を覆いながら。



 それは僕と彼女を隔てる壁のようだった。



「昔、友人がいました。彼女と私は少し特殊な家に生まれました。立場は違いますけれど私は彼女のことを大切に思っていました。しかし、大人になった彼女は自らの命を絶ったのです。私は……彼女の死が信じられず、何年にも渡って真相を調べました。そして、突き止めたのは、彼女が自分の生まれを呪いながら死んだという事実です」



 彼女の声がかすかに震えていく。それは悲しみによるものかと思ったが、すぐに違う意味のものだと感じた。本の向こう側に一瞬彼女の瞳が見えた。そこには明らかに怒りと憎しみが映っていた。



「あの子はずっと外部の人間から向けられる疎外感、偏見……そう言ったものを感じながら生きていた。私はその苦しみを理解しておらず、ずっと自分の生きてきた世界を信じていました。けれど事実を知った時、私は周囲から守られていただけだと思い知らされました。周囲との違いに苦しまないよう。彼女の死の真相すら遠ざけられていました」



 彼女の感情が徐々に高まっていく。その怒りは誰に向けられているのだろう。友人を苦しめた人々、真実を隠した彼女の周囲の人達、それとも、何も知らなかった彼女自身なのか。


「そのことを知って、桜沢さんはどうしたんですか?」


 本に遮られ、彼女の顔を見ることはできない。端々に見える瞳、言葉……それだけだ。


 明らかにいつもの彼女ではない。でも、それを目にすることができない。それが……辛かった。


「何もかも、全て壊しました。私の生きていた世界、家族、知り合いも全て。合理的な判断などありません。ただの個人的な復讐です。未だに許せないものもありますが」



 桜沢さんは話を止め、本を閉じた。


 僕たちを隔てていた壁が消える。


 そこに先ほど垣間見えた彼女はおらず、僕の知っている桜沢花が座っていた。



「質問に答えていませんでしたね。私があなたを初めて訪ねた日。あなたの覚悟を伝えられた時、私は昔の自分を重ねたのかも知れません」


 昔の自分……?



「今のようになってしまう前の、私」



 彼女は遠くを見つめるように呟いた。


 その表情は変わっていないのに、その声色に変化はないのに、なぜかその姿が哀しかった。


 その出来事で彼女は大きく変わってしまったのか。彼女の過去に一体何があったのか。僕には分からない。


 一つだけ分かるのは、桜沢さんは大切な物を失ってしまったということだ。そんな経験をした彼女だからこそ、僕を助けてくれたということだろうか。


「この話はこれで終わりにしましょう。今日は長い夜になりますから」


 桜沢さんはソファーに深く腰掛け、そっと目を閉じた。しばらくすると整った顔から微かに寝息が聞こえ始める。


大切な人を失った時、彼女はどんな顔をしていたのだろう? 


  

 人形のような顔をしていたのだろうか。


 僕の知っている彼女のように。

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