第9話 白瀧4

 車が進むに連れ、人通りが多くなっていく。途中見かけた看板で車が雲ヶ淵くもがふち方面へ向かっていることがわかった。雲ヶ淵は都内でも屈指の桜の名所だ。歴史のある商店街は年中人で溢れているが、桜の季節は一段と多い。先日もテレビで桜の名所特集が放送されていたが、その人の量を紹介していた。


 大通りを走っていた車は途中で路地に入り、細い道を縫うように走った。反対方面の車が通る度に接触するのではないかとヒヤヒヤしたが、佐久間さんは鼻歌混じりにハンドルを切っていく。その速度は細い道を走るものとはとても思えなかった。




 しばらく進むと目的地と思わしきビルに到着した。近隣は年季の入ったビルや民家が集中しており、先ほどの丸橋さんのアパートとは違う意味で周囲との空気感が違っている。 


 ビル一階の駐車場に車を止め、桜沢さん達が七階のオフィスへと案内してくれる。エレベーターが故障していると説明され、階段で向かうことになった。


 七階まで階段で上がるシチュエーションは、この科学の発達した現代では中々遭遇することはないだろう。


 四階に差し掛かった所で息が苦しくなってくる。それに、二人の登る速度が異様に早い。先程から二人のスピードについて行こうと必死になっている為か余計に体力を使っている。


 六階も目前という所でとうとう体力が限界を迎え、しゃがみ込んでしまった。身体は汗だくで脚には重しがついているようだ。


「なんだ。若いんだからそんな所でへばってちゃいけねぇな」


 佐久間さんが太い右手を差し出してくる。手を掴むと一気に身体を起こされた。すごい力だ。運転中は太めの体格の男性かと思ったが、太っているように見えていただけで相当鍛え上げられた肉体だ。なんだか昔見ていたアクション映画の俳優に似ている気もする。


 助けて貰いながら、なんとか僕は七階まで到着することができた。それにしても二人ともなんて体力だ……。佐久間さんはともかく、桜沢さんのあの細い体で良くこの階段地獄を越えられるな。



「あ、所長! おかえりなさい」


 扉を開けると女性が駆け寄ってきた。スクエア型のメガネフレームに短い髪、ショートパンツの活発そうな人だ。


「ただいま小宮さん。お願いしていた件はどうです?」

「バッチリです。後で所長室に資料をお持ちしますね。ところで、その子が会いに行かれた子ですか?」

 小宮さんという女性が近づいてくる。挨拶でもしてくれるのかと思ったが、僕の想像を遥かに超えて顔を近づけてきた。


「な、なんですか?」


 ニヤニヤと嫌らしい笑みを浮かべながら見回される。品定めされているようですごく居心地が悪い。初対面の相手によくこの距離感で接せられるな。この人。


「君、所長のお気に入りなんでしょ? あの人にどうやって取り入ったの?」

 小宮さんが耳打ちしてきた。車中の話をなんで知っているんだ?


「こら小宮! ボサっとしてねぇで早く資料用意しろや」

「へーい」


 佐久間さんが焦ったように割って入ると、彼女は適当な返事をして僕から離れ、今度は佐久間さんに耳打ちする。すると、彼の表情がどんどん青白く、情けない表情になっていった。階段では随分頼もしく見えたが、今は見る影もない。


 年齢的に上司と部下という関係かと思ったが二人の様子を見るとどうにも違うようだ。小宮さんがすごいのか、それとも佐久間さんが意外に優しい人なのかどっちなんだろう。


「じゃあよろしくね!」

彼女はそう言うとスリッパのパタパタという音を響かせながら自分のデスクに戻って行く。

「あいつに弱み握られるなんてなぁ……」

佐久間さんは深くため息をついた。


「白瀧くんはこちらへ」

 桜沢さんに連れられ所長室へと入る。中は壁一面が本棚に囲まれており、小さな図書館みたいだ。研究書や新書、論文らしきものが並んでいる。

「ここにあるものは全てデータベース化してありますけれど、バックアップ代わりに所長室に置いてあるのです」

 僕が部屋の本の量に呆気に取られていると桜沢さんが教えてくれた。


「こんな大量の書籍、お目当ての物を発見できるんですか?」

「そう言った問題に悩んだ事はないですね。私は手に取って調べる方が好きなので」

 桜沢さんが何を言っているのか分からないといった様子で答える。好きとか嫌いとかそういう問題では無いと思うけど。


「所長はすげぇぞ。この本棚だけじゃなくPCに入ってるデータまで全て記憶してんだよ」佐久間さんが興奮気味に言う。


 それほど大量の情報を覚えておくことなんてできるんだろうか? 受験勉強中、散々自分の記憶力の無さを思い知らされた僕からすると、とても信じられないな。


「部外者の白瀧に証明することができねぇのが残念だけどな。この人にとって本当は俺らなんて必要ないのさ。だけど、俺達が勝手に所長の近くに集まって、この組織ができた。データベース化も所長がいなくなった後も機能する為のものだ。所長の優しさだよ」

「私を持ち上げても何も出ませんよ」

「いやいや、俺は単純に所長のことを尊敬してるだけですって」


 個人運営している事務所なのかと思ったけど、想像していたよりもずっと組織化されているんだな。二人の会話を聞く限りだと他にもメンバーが所属していそうだ。




 しばらくしてノックの音が聞こえた。扉が開くと複数の資料を持った小宮さんが入ってくる。

「所長の指示通り、内島氏へ接触しました」


 小宮さんが発した言葉に思考が置いていかれる。内島氏。先輩の義理の父親。てっきりアキラ先輩の父親の居場所は分からないと思っていたのに……。


「私達がアパートの情報を掴んだ時には当然契約者情報も判明していましたからね」

 僕の様子を見た小宮さんが得意げに言った。しかし、そのことよりも僕は別のことが気になってしまう。


「なぜ僕達で向かわなかったんですか?」

 先輩の父親と話をするのなら僕が直接話したかった。そもそも、今回の元凶はその人じゃないのか?


「あなたを連れていけば必ずトラブルになったでしょう? それに情報自体も数年前のものでしたから、無駄足になる可能性もありましたし」

 桜沢さんに言われて何も言えなくなる。自分の考えが予測されていたようで悔しかった。


 それにしても、僕達が真田先生の元を去った時には既に小宮さんへ指示が出ていたのか。そういえば学校で彼女は電話していたな。


「やはりアキラさんの行方は知らない様子でした。ただ、興味深いことを言っていましたよ」

 小宮さんが持っていた資料を机に広げる。どうやって集めたのか、各種新聞記事や地図、週刊誌のようなものまで様々だ。


「彼の本当の父親は逮捕歴があります」


 彼女は資料の中から地元紙の記事を差し出した。そこには小さく事件の概要が記載されていた。


 勤めていた会社の金庫から数百万円を窃盗か……。


「名前は月岡創平。以前は別の会社に勤めていましたが独立に失敗。借金があったようです。被害に遭った会社の社長とは古くからの知り合いでした。拾われた恩を仇で返したというところですかね」


 月岡。それが先輩の昔の苗字か。


「会社側と示談が成立したようで執行猶予が付いたようですが、逮捕から数ヶ月後に父親が自殺。そして残された母子はこちらの地区に転居していますね」

 彼女は話しながら地図を指した。指し示された場所は僕達が通っていた高校の近くだった。


「アキラさんが以前住んでいた地域はわかりますか?」

「内島氏の話では青梅市辺りのようです」

「父親が逮捕となれば地元では相当窮屈な思いしてそうだな。その親子」

 佐久間さんは組んでいた腕を解くと、神妙な面持ちで当時の新聞記事に目を通した。


「実際、しばらくしてから引越したそうですよ。その後二人は内島氏と出会い、アキラさんの母親は再婚しました。ただ、それがアキラさんと母親の関係悪化に拍車をかけ、母親と口を聞かなくなったと」

「内島氏とアキラさんの関係はどうでした?」

「所長の言った通り、良好な関係とは思えませんでした」


 想像していたよりもずっと複雑な家庭だ。父親の逮捕、自殺、家庭の不和……でも、それを知った上で考えると、あの時の言葉が分かる気がする。


「どうかしましたか?」

 桜沢さんが僕の顔を覗き込んできた。

「昔、先輩の演技について聞いたことがあるんですよ」

 配役ごとに全く違う顔を見せる先輩。それが不思議で質問したことがあった。どうすればあんなことができるのか。それについての彼の答えは〝登場人物の思考を真似る〟というものだった。


「思考を真似る……ですか」

「不思議ですよね。そんなことをするには登場人物の背景や好み、生い立ちなんかも全て調べ上げなきゃいけない。それって大変な労力じゃないですか。それに、どうしても自分を出したくなってしまう。それを押し殺してまで演じ切るなんて……そんな風に思っていた僕に先輩は言ったんです。〝お前は消えたいと思ったことはあるか?〟って。当時は何を言っているのか分かりませんでした」


 先輩はこんな状況の中でずっと思い悩んでいたんだ。その結果があの舞台での姿だった。僕はそんなことを考えもせず、ただうわべだけを見て憧れていた。


「ですが、あなたはもう知っているでしょう? 彼が何を抱えていたのか」

 そうだ。知ったからこそできることがあるはずだ。今からでも。手がかりについて考えろと自分に言い聞かせる。すると、自分の持っている情報と妙なズレがあることに気がついた。


「小宮さんの話だと先輩は地元に良い思い出はなかったことになりますよね? でも丸橋さんの話では知り合いの家に行くと言っていました。それに先輩には親戚もいない。高校生にとって、生活を頼れる知り合いなんて相当限られると思うんですよ」


 自分に置き換えて考えてみる。僕の交友関係なんて、親戚、友達、隣人、その程度だ。母親の知り合いにしたって、親子関係が悪かったのなら頼れるものではないだろう。


「そうですね。それにお母様と不仲になったきっかけとして実の父親の逮捕、自死が関係しているのであれば、不仲になる前からの知り合い……家族ぐるみで親交があった家庭という可能性はないでしょうか。小宮さん。彼の父親が逮捕されたのはいつ頃ですか?」


 小宮さんが目を細めて地元紙の発行日を凝視する。眼鏡が当たるほど新聞を近づける姿はひどい近眼のように見えた。

「待って下さい。ええと、新聞の年数から逆算すると……逮捕されたのはアキラさんが十歳の頃ですね」


 次に桜沢さんは先輩が通っていた可能性がある小学校を探すよう指示する。小宮さんが青梅市全体をマーカーで囲み、その中から小学校に印をつけていく。

 

「ありました。該当地域に学校が四つ」


連絡先はすぐに見つかり、僕たち四人でそれぞれ連絡することになった。




 僕が掛けた学校は協力的に調べてくれたが、残念ながら先輩が在籍していた痕跡は無いとの返答だった。時間をかけた割に収穫がなく、僕は落胆した。

 一早く電話を終えてしまった僕はやることが無くなってしまう。所長室を見回すと他の三人はまだ電話をしていた。このまま所長室にいても邪魔になってしまうと思い部屋を出た。


 事務所の壁にはホワイトボードがあり連絡用のプリントが貼ってある。見てみると何のことはない曜日別のゴミ出し当番表だった。そこには僕の会った三人以外にも数名の名前も記載されていた。しかし、明らかに佐久間さんの名前が多い。それを見ていると彼の事務所での立場が何となく分かった。


「何してるの?」

 気が付くと小宮さんがすぐ近くまで来ていた。彼女の方も収穫は無いようだ。

「なんだか落ち着かなくて。何か事件について調べ物したいんですけど、勝手に動き回るのも良くないかなと」

「だったら私のデスク使わせてあげようか? 年代別にニュース記事をスクラップしてるんだ」

「いいんですか?」

「私の趣味みたいなもんだし大丈夫。でも新しい情報あるかなぁ。粗方調べたと思うけど」

「でも、何もしないよりはマシですから」


 小宮さんのデスクに移動する。彼女のPCを使わせてもらい、〝スクラップ〟と記されたフォルダを開く。すると西暦が表示されたフォルダがズラリと並ぶ。その中から該当の年が書かれたフォルダを開く。その中はさらに月別にフォルダ分けされている。趣味と言っていたがそれにしては随分な労力がかかっていた。



 三十分ほどかけて記事を読み進めてみたが、やはり先程の資料以外には関係するものと思われる記事は無かった。

 ファイルを閉じると再び西暦毎にファイルが並んだ。その中に一つだけ書体の異なる名前のファイルがあった。ファイル名の西暦を見ると今から六年前……。気になってファイルを開く。


 流し見して行くと、一際大きなニュース記事が目に入った。地方議員の贈収賄事件だ。これは僕も良く覚えている。当時、結構な規模を誇っていた新興宗教の幹部から政治家が賄賂を受け取っていたということで、かなり話題になった事件だった。


「ああ、これ? この事件で情報屋界隈に知れ渡ったんだよ。桜沢花っていう名前が。私も憧れたなぁ。なんか悪事を暴く正義の味方みたいでさ。これがきっかけでこの業界に入ったからね、私。思い入れ深いからファイル名を変えているの」


 記事を見ていると後ろにいた小宮さんがのぞき込んできた。小宮さんの髪が僕の頬に触れ、恥ずかしさのあまり顔がひどく熱くなる。動揺していることを悟られないようそっと距離を取った。


「有名って…この事件を解決したのが桜沢さんなんですか?」

「解決っていうか情報提供だよね。私らの場合。警察に調査依頼されていたらしいよ」


 ということはもう六年も前から桜沢さんは警察の依頼を受けていたのか。それにしても、僕でも知っているような事件に関わっていたなんて。なんだか彼女が急に遠い存在になった気がした。


「それだけじゃないんだよなぁ。この事件、まだ裏があってさ」

 ずり落ちた眼鏡を直しながら彼女が言った。この話をしている時の彼女はすごく楽しそうだ。それだけ彼女に強く影響を与えた出来事なんだろう。


「裏、ですか」

「贈収賄事件が大きく取りざたされたから認知されてないんだけど、この宗教団体内で若い女性が自殺していたらしいの。でも、一部の信者が隠蔽していたんだよね。その自殺者の遺書も全てもみ消してさ」

「え、贈収賄事件よりそっちの方がやばくないですか?」

「でしょ? 贈収賄で逮捕された幹部ってのが関わっているみたいなんだけど、掴めている情報はそこまで。調べても全然情報が出て来ないの。情報が漏れないよう金でも配ったんじゃないの。もしくは報道関係者に熱心な信者がいたのか……」


 でも、なぜ自殺の隠蔽なんてしたんだろう? 殺人ならまだしも、自殺なら事件性なんてないじゃないか。


「お前らなに油売ってんだ! 見つけたぞ」

 考えていると所長室のドアが開き、佐久間さんの声が響き渡った。


 小宮さんは「また今度ね」と言うと、小走りで所長室へ戻って行った。



 部屋に戻ると先程広げていた地図のうち、目的の小学校に赤のインクで丸が付けられていた。

「運が良かったぜ。当時のことを知っている教師がいたよ。月岡アキラという生徒が在籍していたようでな。小宮の話と状況も合致する」


 わずかだが手がかりが掴めた。後はそこから先輩の知り合いを見つけられれば、新たな情報が掴めそうだ。細い糸だけど、手繰り寄せれば先輩に辿り着けるかもしれない。



 今後の調査について桜沢さんと話していると携帯に着信が入った。ディスプレイを確認すると知らない番号からだ。僕は恐る恐る電話に出た。電話の向こうから女性の声がするがイマイチ状況が掴めない。間違い電話だろうか? その割にはただならぬ緊張感が伝わってくる。

 桜沢さんから電話を代わるよう促された。桜沢さんが相手の話を聞きながら情報を聞き出していく。話を聞き終えると今度は僕達の状況説明を始めた。


 電話を切った後、彼女は僕の目を見据えて言った。


「今からこの電話の主と会うことになりました」


 突然の話に困惑した。桜沢さんの表情から察するに先輩の件と関係する予感があるが、電話の相手に心当たりが無い。

「事情は待ち合わせ場所に向かう途中で説明しますから少し待っていて下さい」


 その後、彼女は事務所を開ける為、後の業務を小宮さんに指示していく。

 僕はそんな姿を眺めながら考える。電話をかけてきた女性は一体何のために接触してきたのだろうか。


 もどかしさを抱えながら出発の時を待った。

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