第10話 辰巳4

 あのメモに書いてあった電話番号。


 犯人に繋がると考えていた私と鷹鳥刑事だったが、電話の主は平凡そうな少年と桜沢と名乗る女性だった。


 彼らは遺体の身元を追っているという。身元の有力候補の名前を聞いても、私には心当たりがなかった。本当に彼らが新川家の事件に関係があるのだろうか。でも、今はこれより他に頼れるものがない。私達は桜沢の提案を受けることにした。


 待ち合わせ場所へは鷹鳥刑事の車で行くことになり、約束の時間まで余裕があったので先に真由美おばさんの病院へ向かうことにした。おばさんの容態も気になったが、二人に会う前に確かめておきたいことがあったからだ。


 受付を済ませて、おばさんの病室のある三階へと向かう。彼女の病室は個室だった。こういう時、警察からどのような措置が下されるのかは分からないが、事件絡みで今後も来客は続くだろうし個室に入るのは妥当だと思った。


「おばさん。体の調子はいかがですか?」

「ひなたちゃん……刑事さんもわざわざありがとうございます」

 おばさんが頭を下げる。彼女の様子はあの日から変わっていないようだった。


「いえ、自分は仕事ですから。その後、何か思い出せましたか?」

「それが思い出せないんです……。どうにもあの時のことを思い出そうとすると頭が痛くなってしまって」

 おばさんが頭を押さえる。


「何度か他の者が訪ねていますが、無理に思い出そうとして取り乱してしまう時もあるようです」

 鷹鳥刑事が耳打ちしてきた。警察関係者が訪ねるのは当然だが、被害者である彼女をそっとしておいて欲しいとも思う。いや、今の自分も彼女に頼っているのだから他の人と同じか。


「ごめんなさいおばさん。今日はおばさんに見てほしいものがあって来ました」



 新川悠の学生証を差し出す。



 おばさんはその写真をしげしげと見つめた。



「この写真……おかしいわ。なぜこの子が写っているの? なぜ名前が悠になっているの?」

 彼女は写真を見て戸惑っている様子だった。やはり写真の人物は悠くんでは無かった。しかし、私はおばさんの口ぶりが気になった。写真の人物を知っているかのようなその口ぶりが。


 そのことについておばさんに確かめようとしたその時、おばさんは頭を押さえて呻き声を上げた。


「新川さん! だ、大丈夫ですか?」

 鷹鳥刑事はおばさんの背中を摩った。


「嫌……っ! そんなの嘘よ!」


 おばさんは鷹鳥刑事の腕を払いのけ、錯乱した様子でベッドから出ようともがき出す。私と鷹鳥刑事は突然のことに怯んだが、なんとかおばさんを押さえ込んだ。


「悠! ……悠!」


 暴れる彼女から学生証を取り上げようと手を伸ばす。このまま彼女に待たせておくのは危険な気がした。

 抵抗する彼女が私の腕を握る。その力は物凄く、私は痛みのあまり声を上げてしまう。




 私の声に反応したのか、彼女が手を離した。そして、両手で体を抱えて丸くなる。

彼女の顔は青白く、ひたすらに謝罪の言葉を繰り返していた。


 来なければ良かった。彼女はまだ事件の影響を強く残している。この写真を見せてしまったことで刺激してしまったから、こんなに……。




 私と鷹鳥刑事は彼女をなだめ続けた。そうしているうちに彼女は少しずつ落ち着きを取り戻していった。そして、最後にもう一度謝罪すると彼女は学生証を指差した。


「この子が、直樹さんを……何度も……」

 そこまで言っておばさんは口を押さえた。


「名前は? 名前はわからないですか?」


 恐る恐る質問する。再び錯乱させてしまうのを警戒しながら。


「この子の名前……。ごめんなさい……名前が出てこないわ」


 おばさんは頭を押さえてまた小さな呻き声をあげる。



 一瞬私の頭に名前がよぎる。



 私達は知っているじゃないか。




 一人だけ、何の心当たりもない人物を。




 電話越しに桜沢花から聞いた名前。




 内島アキラ。




「もしかして……その写真の男性は、内島アキラという人物ではないですか?」


 鷹鳥刑事が横からあの名前を出した。電話の二人が追っている遺体。その名前を。


「アキラ? そう、アキラ君よ」



 アキラ君? 



 おじさんを殺した犯人を呼ぶにしては随分親しげな呼び方だ。



「その子が、夫を何度も刺した後私に言ったの……その、〝自分がやった。何も言うな〟って」

「自らですか? そんな主張をする意味がどこに……」

 鷹鳥刑事は呟きながら髭を摩った。しかし、私にはもう一つ気になることがあった。


「悠くんについて何か言っていましたけど、何か心当たりはありませんか?」


 おばさんは錯乱しながら悠くんの名前を叫んでいた。彼が連れ去られた時の記憶だろうか? 彼女は何かを否定していた。


「え……私、何か言っていたかしら」

 おばさんはきょとんとした顔で聞き返してきた。


 先程まで取り乱していたことを一切分からないというような様子だった。その光景を見て少し恐怖を覚える。何か、先程までとは別人のような。そんな雰囲気すら感じた。


「ほら、辰巳さん。まだ混乱しているようですし、今日の所はもう行きましょう」


 鷹鳥刑事に促され、病室を後にする。


 犯人の情報も手に入った。後はあの二人に会って確認を取ればさらに前に進めるだろう。でもなぜだろう? 何かが胸に引っかかる。私は言葉にできない気持ち悪さを感じた。


 病室の扉を閉める前に一瞬おばさんが視界に入る。彼女は出て行く私達を見つめていた。




「鷹鳥刑事。どう思いました?」

 車へ戻る途中、モヤモヤした気持ちに耐え切れず声をかけた。


「内島アキラは新川家と親交があった人物ですかね? だとすれば、私怨による犯行の可能性が高い。そうなると攫われた悠さんも……彼にも危険が及んでいるかもしれません」

 途中まで言いかけて鷹鳥刑事は言葉を変えた。私を気遣ったのだろう。ただ、私が感じた違和感は持っていないようだった。




 病院の出口に差し掛かったところで車椅子の老婆が立ち上がろうとしているのが目に入った。ふらふらと身体が揺れており、いかにも危なかっしい。このままいけばバランスを崩して倒れそうだ。


 急いで駆け寄ろうとした時、その老婆の配偶者であろう老人と、壮年の男性が駆け寄り、二人で老婆を支えた。それを見てほっと胸を撫で下ろす。 


 老婆は私の視線に気づくと恥ずかしそうに頭を下げ、二人に支えられながら歩いていった。


 私は去っていく三人を見送りながら車に乗り込んだ。

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