第4話 白瀧2

 僕と桜沢さんは母校である鐘馬しょうま高等学校へ向かっていた。


 新居から学校まではバスと電車で一時間と少しの道のりだった。途中、高校の時によく乗っていた線へ乗り継ぐ。しばらくすると街並が遠ざかっていき、田園地帯へと景色が変わっていく。


 大都市東京と目と鼻の先だと言うのにこんなにも景色が違うので当時は恨めしく思ったものだ。


 そんな事を考えているうちに目的の駅が近づいてくる。思っていたよりもずっと早く到着したな。今の家へ引っ越した時は一人暮らしに浮かれて距離感を気にしていなかったが、こうして到着してみると新天地はすぐ近くだったわけか。


 さらに駅から出て十五分ほどの道を歩いていく。あきるほど通った道のりを、今日知り合ったばかりの異性と歩くなんて不思議な感じだ。


 歩道橋を渡って左手に進んでいくと正門が見えた。懐かしいという感情が浮かぶほど卒業式から時間は経っていなかった。つい先週まで通っていた学校だ。目を瞑っても職員室まで行ける気がする。


「お、白瀧じゃないか」

 社会科の青木先生が校門の前に立っていた。青木先生は剣道部の顧問教師だ。彼は日焼けした肌に真っ白な歯を光らせながらニカッと笑った。


 彼がここにいるということは、恐らく部員達は体力トレーニングのための走り込みを行っている最中だろう。


「今日は真田先生に用があって来ました」

「真田先生なら職員室だ。それにしても」

 青木先生が顔を近づけて小声で話しかけてくる。

「なんだあの美人さんは? 彼女か? お前も隅に置けないなぁ」


 お決まりの台詞すぎる……。僕なら恥ずかしくてとても言えないことをさらりと言う姿に世代間のギャップを感じた。


「やめて下さいよ。あの人が真田先生に用があるから僕は案内してるだけですよ」

「そうなのか? じゃあ後で俺のことを紹介しておいてくれよな!」


 青木先生は僕の背中をばんばんと叩いて去っていった。彼の行く先には道着を着た学生達がへたりこんでいた。在学していた時から思っていたが、剣道部なのになぜ外で走っている時間の方が長いのだろう。


「ずいぶん元気な方ですね」

「ああ見えて勤務十年目なんですよ。体育会系はテンション高いですよね」


 校門を通り、校舎に向かう。野球、サッカー、陸上と春休みのグラウンドには運動部の学生達が溢れていた。


 職員室を訪ねると初老の男性が出迎えてくれた。真田先生だ。春休み中だからか、職員室はまばらに教師が座っているだけだった。


「訪ねて頂いて申し訳ない。この後どうしても外せない予定が入っていてね」

 真田先生は白髪混じりの頭を掻きながら言った。理由をつけてはいるが、生真面目な彼は自分の元生徒の話を電話で済ませたくなかったのだと思う。先生は応接室へと案内してくれた。


「真田さん。事情は事前にご説明した通りになります。今の私達では情報が少なすぎるのですが、内島アキラさんの身辺情報を頂けませんか?」


 真田先生は一瞬僕の方を見ると低い唸り声を上げ、髭をさすった。何か言いにくいことでもあるのだろうか。


「……内島君はね。在学中にお母様が事故で亡くなったのだよ。そして唯一の肉親は母親の再婚相手だけになった」



「え?」



 思わず間の抜けた声が出てしまった。そんな話は先輩から一切聞いたことがなかった。



「そのことが学校を辞める要因になったのは間違いない。内島君に今後の進路を訪ねてみたが、義理の父とは暮らさず、働きながら一人暮らしをすると言っていたよ。その後、三者面談したのだが彼の決心も固く、父親も支援するということだった。働きながらでも通える学校はあるし、今は通信制の教育機関もあると伝えたが……それ以上の事はこちらからは言えなかったよ」


「支援するって……そんなの体のいい厄介払いじゃないですか!」


「落ち着いて下さい白瀧くん。この場合だと必ずしも一緒に暮らすことがお互いの為になるとは限りません。真田さん、事故は再婚されてからすぐだったのですか?」


「そうだね。彼の義理の父親の話では再婚から一年ほどで亡くなったそうだよ」


「その男性の気持ちも理解はできます。アキラさんとその方を繋いでいたものが無くなってしまったわけですから……。小さな子供ならともかく、自発的に行動できる年頃ですし。まぁ本人ではないので真意は分かりませんが」



 じゃあ、あの時先輩は頼れる人も、場所も全て失い、一人で生きることを選んだのか?

誰にも相談せずに。



「白瀧君に今日電話を貰った時、あの時止められていればと悔やんだよ」


「その男性のお住まいはわかりますか?」

「いや、そこまで把握していないね。あくまでも会ったのは最後の一度きりだったから」


「内島姓は母親の姓になりますか?」

「いや、再婚相手の姓だと聞いているよ」


 再婚相手の苗字。ということは僕の入学前に既に苗字が変わっていたということか。先輩と同じ学年の人達は当然知っていただろう。自分では親しくしていた気になっていたのに、僕は全然先輩のことを知らなかったんだな……。


「ご協力ありがとうございました。そろそろ行きましょう」

「え、もういいんですか?」

 僕の質問には答えず、桜沢さんは席を立つ。




 お礼を言いって扉を閉めようとした時、真田先生に声をかけられた。


「白瀧君。君が必死になるのも分かる。君と彼との間にはあんなこともあったからね……。でも、この件に関わることで君が深く傷着くことになるかもしれない。心配だよ」


 ふいに光景が浮かぶ。階段に滴る血。動揺した先輩の顔……苦しくなって胸を押さえた。


「わかっています。でも、僕は何があったのか知りたいんです」

頭を下げて桜沢さんの後を追った。


 再び校内を進んでいく。窓から外を覗くと部活中の後輩達がふざけ合っている。しかし先ほどとは随分印象が異なって見えた。彼らの中にも人に言えない問題を抱えている子がいるのだろうか。


「浮かない顔をしていますね」

「いや、自分の知らなかったことが多くて……」

「落ち込む必要は無いですよ。ネガティブな面というのは友人と言えど話したくないものですし、アキラさんの友人や先生方も知っていたとして、敢えてあなたに教えることはないでしょう」


「でも、僕は先輩が悩んでいたのならそれを助けてあげたかった」

「それは思い上がりです。あなたが知った所で彼にしてあげられることは何もない。それに、人の深みに入るということは、その相手に嫌われる覚悟、傷付ける覚悟があって初めて成せることです」


 その言葉を真っ直ぐ受け入れられる程余裕は無かった。何も言うことができず、ただ彼女から目を背けた。


 彼女は少しバツが悪そうに僕から距離を取ると、携帯で連絡を取りはじめた。挨拶を交わしているあたり、どうやら自分の会社の人ではなさそうだ。彼女は校舎を出ると、立ち止まって話に集中し始める。別の依頼の話だろうか?


 電話を終えても彼女はこちらに戻ってこない。続けざまにどこかへ電話をしているようだった。今度は親し気な様子だったが、会話の内容までは聞き取ることはできなかった。

電話を終えてこちらに戻ってくると、彼女の口から意外な言葉が出た。



「内島アキラさんが借りていた住まいがわかりましたよ」



 真田先生は手がかりは無いと言っていたはずだ。


「どうやって調べたんですか?」

「電話の相手はこの辺り一帯の物件を管理している業者の方です」


 何故、業者に電話しようと思ったのか? そこの連絡先をどうやって知ったのか? その業者の人は何故桜沢さんに情報を渡したのか? 次々疑問が湧き上がる。立て続けに質問してしまい、桜沢さんにため息をつかれてしまった。


「疑問を持つことは非常に良いことですが、全て説明するのも手間ですね……。一つだけ答えましょう。いいですか? 貴方の家を訪れた経緯を思い出して下さい」


 僕の家に辿り着いた経緯? それが何か関係あるのだろうか。


「僕の母から住所を聞いたと言っていましたよね」

「あなたの実家にはどのように辿り着いたのか。そもそもあなたの存在をどのように見つけ出したのか、から考えた方が良いかもしれません」

「それは先輩の携帯に入っていた番号から……」


 山中で見つかった携帯には僕の電話番号だけが残されていた。先輩の携帯ならおそらく白瀧という苗字で登録してあったはずだ。以前、一度だけ先輩の携帯画面が見えたことがあったが、親以外は全て苗字登録だった。ということは、桜沢さんは僕の電話番号と苗字のみを知った状態からスタートしたわけか。


「番号を元に契約会社を特定します。今は電話番号そのままに契約会社を変える方もいますし、その場合はもう一手間かかりますが、そのケースは割愛しましょう。契約会社を掴めれば、後は内部の人間に白瀧という契約者について情報提供してもらうだけです」


「いや、簡単に言いますけど、個人情報の取扱いって相当厳しいですよね? そんな状態で情報を渡してくれる人なんているんですか?」


「それを可能にするのが私達の仕事です。とまぁ、今回の件はこの応用ですね。あなたの家という答えに対する手がかりが電話番号。今回の手がかりは内島という苗字が父方姓だということです。全く手がかりが無い訳ではありません」


 彼女がどのような手段で情報を聞き出したか気になったが質問を飲み込んだ。そもそも彼女が教えてくれるはずないだろう。それにしても電話番号と苗字か。苗字なんて疑問にすら思ったことが無い。初めて先輩と会った時から内島という苗字を当たり前として受け止めていた。


「アキラさんは未成年でひとり立ちする為、家を出たかった。そして義理の父はどういう意図があったにせよ、彼を手伝うという意思を示しています。であれば、賃貸契約を調べれば分かるでしょう。未成年というのは何をするにも親の同意が必要なものですから」


「それでも膨大な数の会社を当たらないといけないですよね? 先輩が遠方に越して行った可能性もあるじゃないですか」

「まずは近場から、が定石ですよ。一度で引き当てられたのは運が良かったですが」


「真田先生に内島姓が父方の苗字だと聞いた時、僕はそんなことまで考えられていませんでした。ただその事実だけが重くのしかかってきたような、そんな感じがして……」



 先輩はなぜ僕に教えてくれなかったのか。どうしてもそればかりが頭を回ってしまう。



「白瀧くん。どんな状況でも考えることを放棄してはいけません。それを止めてしまった時点で、私達は情報や他人の意思に飲み込まれてしまいます。それが正しいかどうかの判断がつかない。ただ〝そういうものだ〟と認識してしまう。受け手に成り下がってしまう。介入者には成り得ません。あなたが真実を求めるのなら、常に思考を止めてはいけませんよ」


 いつ何時でも冷静に思考する。桜沢さんの言っていることは正しいのかも知れない。でも、なんだか納得できないとも思ってしまう。そこに感情は無いのだろうか? どうしてもそこには言語化できない思いが入ってしまう。それは僕が当事者のことを知っているからなのか。それとも僕が未熟だからなのか……分からない。



「上からものを言い過ぎましたね。ごめんなさい。アキラさんのことを大切に思っているのならショックも大きかったでしょう」



 僕が不満気にしていたからか、桜沢さんが謝ってくる。冷たい人だと思っていたが意外と優しい人なのかもしれない。


「謝らないで下さい。言っていることは正しいと思います。目的を見失ってしまいそうだったから……その、ありがとうございます」


 そうだ。感傷に浸っていては先になんて進めない。


 ふと振り返ると校舎の窓に自分が写っていた。その顔は、心中とは裏腹に平然とした顔をしている。それを見るとなんだか不思議と前に進めそうな気がした。

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