第5話 辰巳2

 階段を登ると、二階にはほとんど人がいなかった。


「おばさんが発見された時はどんな状態だったんですか?」

「両手が結束バンドで固定され、その上、ガムテープで両腕、両足が固定されていました。口も防がれていましたし、助けを呼ぶこともできなかったでしょう」


「結束バンド?」


 鷹取刑事がポケットから白いプラスチック製のヒモを取り出す。


「電源コードなんかを固定する白っぽいプラスチックですよ。辰巳さんも見たことありますよね?」


「……はい」


 そんなものを使ったのか。


「犯人はこの家にある物を使っておばさんを拘束したんでしょうか? 強盗にしては頼りないものを使っているような……計画的な犯行ならロープやダクトテープとかそういったものを準備するものじゃないんですか?」

「結束バンドで拘束されていた腕は背後で縛られていました。その上、腕を布製のガムテープで固定されれば、私でも解けるかわかりませんよ」


 鷹鳥刑事は後ろで手を組んで見せた。確かにその状態なら力が入らないかもしれない。


「それに、ドラマで見るようなロープやダクトテープを一緒に買った所を想像してみて下さい。私が犯人ですと言っているようなものですよ。今は防犯カメラで検証もできるわけですから」


 そんなものなのだろうか。なんとなく犯人の計画性に疑問を感じた。


 案内されたドアの前に立つ。そこは悠くんの部屋だった。この家を訪ねていた時の記憶が不意に脳裏に流れる。そして、彼に拒絶されたあの日のことも。私は自分の記憶を振り払うように被りを振るとドアを開けた。



 おばさんはベッドに座っていた。女性警官がおばさんへ声かけをしているが、放心状態と言った様子だった。


「我々が到着した時からずっとこの調子ですよ」

 鷹鳥刑事は額の汗を拭きながら言う。私はおばさんのいるベッドの前にしゃがみ込み、彼女の手を取った。


「おばさん。辰巳です」

「ひなたちゃん……久しぶりね」

 おばさんがこちらに顔を向ける。微笑みかけてはくれるが、顔はやつれ、何処となく焦点の合っていない虚ろな目をしていた。


「あなたが警察を呼んでくれたのよね? ありがとう」

 〝ありがとう〟という言葉に唇を噛み締める。私には感謝される資格など無い。もっと早く異変に気付けていれば……。


「悠くんから連絡を貰いました」

「悠から?」

 おばさんはがゆっくりとこちらを見た。弱り切ったその様子に胸が痛む。


「はい。メールでずっと連絡を取り合っています。今はどこかに閉じ込められているようですが、無事です。必ず見つけ出しますから」

「そう……」

 何とも言えない表情だった。その様子になんとなく違和感を覚えたが、思い直す。夫が殺されたのだ。子供が生きていると聞いても素直に喜べないだろう。


「辰巳さん。もうすぐ真由美さんを病院へ移動させます。そろそろ行きましょう」


 おばさんを残して行くのは心苦しかったが、私が彼女にしてあげられることは一つしかない。


 最後に部屋を見渡す。私が知っている頃から何一つ変わっていない部屋を。彼を必ず見つけ出すと心に誓い、部屋を出た。



「真由美さんについてどう思いました?」

 階段を降りようとした所で鷹鳥刑事に質問される。


「気が動転しているというか、放心状態というか。なぜそんなことを聞くんですか?」

「いえ、特に変わった所が無ければ良いんですよ」

 鷹鳥刑事は髭をさする。貫禄が出るような動きも彼がやるとチグハグな印象だ。




 家を出る頃には辺りは暗くなっていた。先程はあんなに人集りができていたというのに今ではまばらに人がいるだけだ。近隣の住民がチラチラと様子を伺っており、警官が近寄らないよう注意していた。


 家まで送ってくれると言われ、車の後部座席へ乗り込んだ。振り返るとパトカーのランプが周囲を赤く染め上げていた。


「辰巳さん。遅くまでご協力ありがとうございました」

車が発進してからしばらくして、鷹鳥刑事が口を開く。

「いいえ、私は対したことはしていません。それより、鷹鳥さんにお願いがあります」

 鷹鳥刑事は何も答えず車を走らせる。


「悠くんの居場所がわかったらすぐに連絡します。だから、その時は私も連れていって下さい」

 頭を下げた。強がった所で私一人力で悠くんを助けるのは無理だ。


「辰巳さん。それはお願いではなく脅しですよ。脅しにしてもなっちゃいないですけどね。あなたが私達に協力するのは義務です。要求の材料じゃない」   

 鷹鳥刑事に言い放たれる。反論しようとしても言葉に詰まって上手く言い返せない。自分の甘い考えに嫌気がした。いくら人が良さそうな鷹鳥刑事だって一般人のわがままを聞くことはできないだろう。このまま私は何もできないのか。



「……と、私の上司なら言うでしょうけどね」

 困惑して前を向くと、バックミラー越しに彼が微笑んでいるのが見えた。


「不思議なことに新川家には悠さんの近況が分かる写真がありませんでした。会っても子供の頃の写真が数枚ある程度でね。そんな状態で捜索なんてできませんよ。誰か悠さんのことが分かる人間がいなければいけません。ただ、真由美さんはあの状態ですから他の人物が必要だなぁ」

 鷹鳥刑事はとぼけたような口調で言った。


「ありがとうございます!」

「ただし、現場では私の指示に必ず従って下さい」  

 今度は真剣な表情で条件を出される。


「わかりました」

 少し希望が見えてきた気がした。

程なくして私の家に到着し、悠くんからの連絡があった時の手順を確認して別れた。




 翌日、埼玉県で新川家の車が発見された。しかし、依然として新川悠は行方不明のままだ。むしろ、唯一の手がかりであった車を発見したことにより、悠くんへの道筋が私とのメールだけとなってしまった。


 私も彼の行方を追っているが、一向に糸口を掴むことができない。

 警察に同行できることになり希望が見えてきたと思っていたが、再び私は現実を思い知らされた。焦りだけが募り、日々精神を消耗していった。




 そして事件から数日経ったある日、悠くんから連絡があった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る