第3話 辰巳1

 時計を見ると午後八時だった。この一時間程で新川にいかわ家に多くの警官が出入りしていた。

門の付近には黄色いテープが貼られ、数人の警官が野次馬に帰るよう促している。私は入り口付近でその様子を眺めていた。


辰巳たつみひなたさん?」

スーツの男が私に話かけてくる。ふくよかな体格、人の良さそうな人相は私の想像した刑事像からかけ離れていた。


「中の様子は見ましたか?」

「いえ、通報しただけです。他の方から入らないように言われました」

「その方が良いでしょう。中では新川直樹さんが殺害されていました。刃物で何度も刺されています」

 気分が悪くなる。友人の家族が無残な亡くなり方をするなんて……今まで想像したこともない。


「おばさんは大丈夫なんですか?」

「新川真由美さんは拘束されていました。外傷はないですが、会話に支障がありますね。事件のショックによるものかもしれません」

「息子さん……悠さんの居場所に関して情報はありませんか?」

「すみません……車のトランクに閉じ込められているようで、本人もどこにいるかもわからないみたいです」


 メールでしかやり取りしていないので悠くんの周囲の状況もわからない。写真でも撮る隙があれば手掛かりが見つけられるかもしれないのに。今はとにかく彼からの返信を待つしかない。


「わかりました。引き続き彼と連絡を取って、居場所を聞き出して下さい」

 刑事は鷹鳥と名乗った。年齢は四十代半ばだろうか。名前の割に頼りない雰囲気を持っており、少し心配になった。この人達に任せてしまって大丈夫だろうか。


「正直な所、この状況はいまいち腑に落ちないですね。親を殺して子を攫っても人質の意味が無いでしょう。人質が携帯を扱えることも不自然ですよ」

 はっきりと言葉には出さないが暗に〝息子である新川悠が犯人だ〟と言いたいのだろう。


「悠くんは人を、ましてや実の両親を殺せるような人じゃありません!」


 体中が熱くなる。自分の友人を侮辱されているような気がして捲し立てた。誰が好き好んで自分の親を殺すというのか。


「わ、わかりました、わかりましたから」


 私が食って掛かると鷹鳥刑事は額の汗を拭いながら落ち着けと言わんばかりに両手を下に向けるジェスチャーをした。それが余計腹立たしく感じる。私がヒステリーでも起こしているような対応……自分がおかしいとでも言われているような扱い。


 自分は至って冷静でいるつもりだ。友人の安否について焦りは感じるが。


 一度深呼吸をし、声のトーンを落として続ける。

「それに、悠くんは引きこもり状態から脱して大学に通っていました。彼にとっても、彼の家族にとってもこれから明るい未来が見えていたはずです。そんな時に殺人なんかするはずないでしょう?」


 やはり警察だけに任せておくわけにはいかない。その為には、自分は協力者に値する人間だと思わせなければ。私は努めて論理的に聞こえるよう話した。


「た、確かにあなたの言う通りだと思います。そのような状況を自分から壊すような動機が見当たりませんね」

 鷹鳥刑事はバツが悪そうに視線を泳がせた。言葉では同意してくれたが、どうにも頼りなく思えた。上司の一声ですぐに意見を変えるのではないか? 自分より年上の刑事の様子を見て私はため息をついた。


「携帯のGPSから位置を探知したりできないんですか?」

「すみません。位置情報を取得するには手続きが複雑な上、本人通知が必要ですから。準備が整い次第、ご連絡します」

「ふぅん。一刻を争う時にずいぶん悠長なんですね」

「プライバシーに関わりますから、難しい問題なんですよ。昨年も海外の諜報機関が裏で個人情報を集めていたとか話題になりましてね。それが猛烈に批判されていましたから、私達も迂闊なことはできないんですよ」


 そういえばそんなニュースを見たことがあるかもしれない。


「私も定期的に連絡を入れますから進展があれば必ず教えて下さい」

 そういうと鷹鳥刑事は家の中へと入っていった。



 しばらくして近くの警察官に呼ばれた。事情聴取があると言われ、私は新川家へと入った。


 新川家に入るとリビングへ続く扉がビニールシートで覆われて見えないようになっていた。おじさんの死体が見えないよう配慮してくれたのだろうか。


 鷹鳥刑事はおじさんが滅多刺しにされていたと言っていた。おばさんはその様子を間近で見ていたのだろうか? おばさんの気持ちを考えると居た堪れない気持ちになる。あれほど仲睦まじい家族だったのに。


「大丈夫ですか。話、できそうですか?」

 近くにいた女性警官が声をかけてくれる。私は女性に頷いて見せた。

私にはまだやらなければならないことがある。必ず悠くんを助け出し、おばさんと再会させなければ。


 警察関係者がひっきりなしに行き来する廊下を通り、新川家の客間に通される。そこには鷹鳥刑事と初老の男性刑事が座っていた。


「本来なら近くの派出所にでも行くところだが、事が事だ。この家で話を聞かせてもらう。奥さんには先ほど許可をとった。彼女にはもうお会いしたかね?」


 男性は威圧感が強く、上手く言葉が出てこなくなる。私は首を横に振ることでなんとか自分の意思を伝えた。


「そうか。いや、すまないね。後で会ってあげて欲しい。かなり混乱しているようでね。簡単な受け答えしかしてくれないんだ。彼女の状態を考えれば当然だが」


 私の様子を察してか男性刑事は幾分か口調を柔らかくした。先ほどの威圧感は消え、途端に話しやすくなる。その対応の柔軟さからベテラン刑事の風格を感じた。


「わかりました。それで、私は何を話せば良いでしょうか」

「そうだね。まずは君と新川悠さんとの関係、それから今回の通報の経緯辺りを教えてもらおうか」

「私と悠くんは中学校卒業まで同じ学校でした」

「つい最近まで交流があったのかい? この家にも最近来たことはあるかな?」

「卒業後は直接彼とは会っていません」

「それは変だな。君は今回この事件について通報をしている。どうやって事件のことを知ったのかな?」


 男性刑事の眼光が鋭くなり、先程までの威圧感が復活する。背中に嫌な汗が流れていくのを感じた。


「高校になってからは彼と会うことは無くなりましたが、メールのやりとりは続けていたんです」

「中学まで同じということは家も近いだろう? なぜ直接会わなかったんだい?」

「悠くんは高校に入ってから引きこもっていました。彼に何があったのかは分かりませんが……」

「そういう時こそ友達の出番じゃないか」


 男性刑事はさも当然といった顔で言った。


 嫌な顔だなと思った。こちらの事情に関係なく正論をぶつけてくる。そんな顔。


「当然何度も彼に会おうと思いました。ただ、彼に拒否されて……」


 あの日のことは忘れられない。悠くんの異変を知ってから数日後、この家を訪ねた。ただ、彼が部屋に入れてくれることは無かった。

扉越しに聞こえたのは、彼の怒声と泣き声だけだった。私は今まで見たことのない彼の様子に動揺した。そして、あろうことかその言葉に傷つき、保身に走ってしまったのだ。彼の心配よりも、彼に嫌われたくないという思いを優先してしまった。


 そこからしばらくしてからだ。メールでのやり取りを始めたのは。


「それであえて距離をとっていた、と。君はずいぶん大人な考え方をするのだね。若いうちはもっとこう、突っ走るものだと思っていたが」

「そんな立派なものじゃありません。ただ、私が無理に会おうとすることで、彼との唯一の繋がりまで無くなることが怖かったんです」


 最初の頃は自分の平静を装うことで精一杯だった。返信が遅いと不安になった。それでも繋がりを残したいと思い、頻繁に連絡を取った。そこから徐々に関係性を回復できたと思う。


「メールではどんなやりとりを?」

「些細なことですよ。テレビの話や思い出話とか。そうするうちに悠くんの心の整理がつけばと思っていました」

「引きこもりの少年か。確認だが、彼が両親と諍いを起こして殺害に至ったという可能性は本当に考えられないかい?」

「絶対にあり得ません」

「ずいぶん確信を持った言い方じゃないか。鷹鳥に言っていたのが根拠かい? 新川悠さんが大学に通っていたとか」


 二人の刑事から視線を向けられる。二人は私の言葉を待っていた。静まり返った空気を痛いほど肌に感じる。人に注目されてこんなにも居心地の悪さを感じたことは今まで無かった。


「悠くんは自分から挑戦して、成功を掴んだ。そんな人が自分の親を殺しますか? それに、私は大学受験に成功したらもう一度会って欲しいと彼から言われていました。まだ会ってはいなかったですが…… 」


 男性刑事は一応の納得をしたのか、再び物腰が柔らかくなる。緊張が解け、全身から力が抜けた。


「彼の犯行の可能性が低いとなると……他に犯人となり得る人物に心辺りはあるかな? 直樹さんの状況から考えて私怨による犯行かもしれない」

「わかりません。私には新川家の人が恨みを買うようなイメージがありません」


 新川家は両親二人共人当たりが良く、地域の行事にも積極的に参加していた。悠くんが外に出なくなってからはさすがに交流は少なくなったようだが、決して恨みを買うような人達ではなかったはずだ。


「わかった。今度は通報した経緯を教えてくれるかい?」

「悠くんからメールが来たんです。家族が襲われた。助けて欲しいって。その後すぐ彼に電話をしましたが出ませんでした」


 私は自分の携帯からメールアプリを起動して男性刑事に見せた。数時間前の私達の会話が映し出される。とりとめないやりとりの後、急に現実味のない会話が始まっている。会話は「警察に連絡した」という所で途切れていた。


「彼の言うことが本当なら車の中に閉じ込められているということになるか。彼との連絡の件、引き続きよろしく頼むよ。それと君の安全の為、鷹鳥を近くに待機させておくから何かあればすぐ連絡をして欲しい」


 言うことが本当なら……か。私がどれだけ確信を持っていたとしても、やはり悠くんも疑われることになるのか。


「よろしくお願いします」


 鷹鳥刑事は笑みを浮かべた。私を安心させようと微笑みかけたのかもしれないが、狼狽した姿を見ていたせいで余計に不安になった。鷹鳥刑事と連絡先を交換する。私の安全の為と言っていたが、監視されるようで嫌な感じがした。


「そうだ。おばさんはどこにいるんですか?」

「上の階で休んでもらっているよ。落ち着いた後病院に移動させる。鷹鳥、案内してあげなさい」


 私は鷹鳥刑事に連れられ、二階へと上がっていった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る