第2話 新川悠1
日記を開く。ここ最近の内容に目を通してから外出の支度を始める。日記を確認するのは毎日の習慣だ。
日記の内容は様々だ。今日起こった印象的な出来事、家族の様子、メールの内容。これを毎日付ける。そして確認することによって、自分が何者なのかを確認する。週に一度は数年前の日記を確認し、三ヶ月に一度、さらに昔の日記を確認する。過去を振り返ることによってこそ今の自分がある。失敗、約束、思い出。そういった僕を構成する要素は忘れてはいけない。僕は意思が弱いから、振り返ることが必要なんだ。
日記を一通り読み終えると支度を始める。今日は大学の講義は二コマ目からなので比較的余裕を持って通学できる。ただ、起きる時間はいつも同じだ。大学に行くまでの朝の時間をのんびり過ごす。これが僕にとっての至福の瞬間だ。着替えが終わると前日に準備しておいたカバンを持って一階へと降りていく。
階段を降りるとスーツ姿の父さんが家を出る所だった。
「いつもより早いね」
「ああ、今日は何としても定時で上がりたいからな。早めに出て面倒な仕事は片付けておきたい」
母さんの誕生日だからか、いつもより張り切っている気がする。サプライズ好きな父さんのことだから今日までに色々と用意してきたのだろう。真面目な父さんが念入りにプレゼントや花束を選ぶ姿を想像したら笑えてくる。対応した店員もさぞ苦労しただろう。
「笑うなよ。いいじゃないか。家族を大事にしたって」
「ごめんごめん。愛妻家だなぁと思ってさ」
父さんが俯く。メガネが反射して表情は分からないがきっと照れているのだろう。
「お前も今日は早いんだろう?」
「本当はシフトを入れない予定だったんだけど、担当の子が急に来れなくなってさ。店長が出社するまで代わりに出ることになったよ。父さんの方が早いと思うから先に始めて貰っていいよ」
「何を言っているんだ。こういうイベント毎は家族揃ってやるものだぞ。
その言葉に一瞬胸が痛んだ。店長にもっと強く言うべきだったな。
「まだ行ってなかったの? 今日早いんでしょう?」
「おっと、それじゃあ行ってくるよ」
リビングから母さんの声が聞こえると、父さんは慌てて出て行った。
「悠は今日ゆっくり出るのよね。朝ごはんできてるわよ」
「ありがとう」
ダイニングに行くといつもより豪華な朝食が並んでいる。トーストにスクランブルエッグ、焼いたベーコンにサラダ、スープ、フルーツにヨーグルトまで……多いな。
「今日ちょっと多すぎない?」
「お母さん仕事休みにしてもらって朝から暇なのよ。それに夕飯はお父さんが作ってくれるって言うし、何かしないと落ち着かなくて」
「せっかくの休みなんだからゆっくりしてればいいのに」
朝食を作るのも学生である僕がやるべきだ。前にそう提案したことがあったけど母さんに猛反対された。「苦労してやっと受かった大学でしょう? 家のことより勉強や友達を作ることの方が重要よ」そう力説され、押し切られてしまった。バイトに関しては僕の強い要望もあって納得してくれたんだけどな。
母さんの職場の話を聞きながら朝食を食べていると携帯電話の着信音が鳴った。黒いボディに赤いラインの折り畳み式携帯。近頃は新しい機種も出始めたので母さんに機種変更を進められたりすることもあるが、まだまだこの携帯は現役だ。
「あら、ひなたちゃんからメール来てるわよ」
「食べたら返信するよ」
「あなた、女の子を待たせちゃだめよ。今すぐ返信してあげなさい」
携帯を開く。メールには最近見た映画についての考察が書かれている。昨日、僕が見た映画の話題を振ったからだ。ひなたちゃんも見ていたようでそこから二人で考察した。
辰巳ひなたは僕の数少ない友人だ。子供の頃からの幼馴染というやつで、昔、かなり酷い喧嘩をしてしまった。その頃から何となく会うのが怖くなってメールだけで連絡をとりあう仲になっている。
前の僕ならすぐにでも会いたいと思っただろう。ただ、今はどんな顔をして良いかわからない。会うことを先延ばしにしていることが彼女を傷つけていることはわかっているのだが、どうしても会うことができないんだ。かといって彼女との関係を切る勇気もなくズルズルとこの関係を続けていた。
メールの文面を作っていく。ひなたちゃんの考察内容に対する考えを述べ、また夜にメールする旨を伝える。
「そろそろ会ってあげたらいいじゃないの。もう負い目もないでしょう?」
「そうなんだけど……」
「あなたは自慢の息子だけど、その点だけは理解できないわねぇ。ま、本人達のことだからおばさんはこれ以上口出ししないでおくわ」
良かった。これ以上言われるのは流石に辛い。これはナイーブな問題なんだ。良い解決策が見つかるまで、このままで行くしかない。
テレビを着ける。今年のゴールデンウィークについて特集が組まれている。バイト代も結構貯まったし免許も取った。家族旅行にでも連れて行ってあげてもいいかもな。
「さて、そろそろ行くよ」
「あら、もっとゆっくりしてから行けばいいのに」
「あまり慌てたくないからね」
「はいはい。気をつけて行ってらっしゃい」
扉を開けると春らしい爽やかな気候だ。今日は良い日になりそうな予感がした。
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