アキラX
三丈 夕六
第1話 白瀧1
大学入試も引っ越し作業も終わり、後は入学を待つのみとなった僕は、退屈な日々を送っていた。
実家からそれほど離れていないとはいえ、知らない地で初めての一人暮らしだ。未知の世界に足を踏み入れることを想像して胸が高鳴った。
僕は束の間の自由を謳歌する為、ずいぶん早く引っ越しを完了させた。しかし、その希望は数日で打ち砕かれてしまう。
知り合いのいない地での一人暮らし。近隣をひとしきり散策した後に残ったのは、退屈と家事の煩わしさだけだ。
友人が近くにいれば誰か訪ねて来てくれるのに。僕の友人達は皆遠方の大学へ進学してしまって、引っ越し準備に忙しそうだ。
アルバイトを始めるにしても、慎重派の僕としては大学のスケジュールが判明してから始めたいところだ。サークルに入り、まだ見ぬ彼女達と青春を謳歌しようにもアルバイトに忙殺されては目も当てられない。
持て余した時間を使いながら僕はそんなことを考えていた。そろそろ昼食をどうしようかと考え始めた頃、インターホンが鳴る。
今日届く予定の荷物は無いはずだ。新聞や宗教の勧誘だと厄介だな。実家暮らしなら親が対応してくれていたが、今では自分で上手く断らなければならない。僕は警戒しながらドアの覗き穴を見た。
ドアの前に立っている人物を見て思わず息を飲む。その女性は今まで自分の周りでは見たことがないほどの美人だった。長い黒髪には光が反射し、きらきらと輝いている。漆黒の瞳に長身モデルのような姿は僕よりも背が高いように思えた。
先ほどまでは居留守を使おうかと考えていたが、これほどの美人ならば勧誘を受けることなんて苦痛にすら感じないだろう。僕は姿見で自分の服装を確認した後、ドアを開けた。
「
女性が僕の名前を呼ぶ。その声は女性の中では比較的低音の声だった。白瀧という苗字は今まであまり好きではなかったが、彼女の声で呼ばれると心地良いリズムに感じられた。
「はい。何か御用でしょうか?」
「
内島アキラ。
その名前を聞いてこの女性を追い返す訳にはいかない。
「先輩について何か知っているのですか?」
「詳しくお話したいので中に入れて頂けませんか?」
女性を自分の部屋へ通す。本来なら招き入れる前に部屋の片付けでもするところだろうが、幸いにも越して来たばかりだったので部屋は綺麗に片付いていた。まだ生活感が無いと言ってもいい。
買ったばかりのクッションを敷き、そこに座ってもらう。インスタントコーヒーを入れて、カップをテーブルの上に二つ置く。
改めて女性を見る。彼女は姿勢良く正座し、僕が話を聞く準備が整うのを待っていてくれていた。その姿はどこか育ちの良さを醸し出している。いつの間にか彼女に見惚れていたことに気付き、僕は慌ててテーブルの向かいに腰掛けた。
「
女性が名刺を差し出してくる。渡された名刺に目をやった。桜沢花。見た目だけでなく名前まで綺麗な人だな。名刺には株式会社桜沢情報事務所、所長と書かれている。
「情報事務所? 探偵のようなものですか?」
それも所長という肩書きだ。ということはこの人が会社の長ということだろうか。見たところ二十代半ばほどに見える彼女が一つの会社のオーナーとは、全く信じられない。
「少し違いますね。私は情報を集めて依頼主に提供することを生業とさせて頂いています。いわゆる情報屋、という職業です。探偵という表現もあながち間違いではないですが」
情報屋。ドラマや映画でしか聞かない単語だ。しかし、彼女の口調や雰囲気から嘘を言っているようには感じられない。その言葉や出立ちからは何故か不思議な説得力を感じた。
「今回は少し状況が違いますけれど。警察の方から調査依頼を受けたのです」
警察と言われて嫌な予感がする。彼女はアキラ先輩のことで話があると言っていた。先輩がトラブルに巻き込まれたのだろうか。でも、それなら警察が来るはずだ。
「なぜ一般人のあなたが聞き込みを? 警察が一般人に仕事を依頼していいんですか?」
「こう言ってはなんですが、依頼主の方は腐ってらっしゃるのです。知り合いの私に頼むほどですから。県を跨いでの捜査は面倒だとかおっしゃっていましたよ。……きっと本来のルートであれば色々と手続きがあるのでしょう」
腐ってらっしゃるという言い回しが妙におかしく感じた。口調からして長年の知り合いからの依頼のようだ。桜沢さんは「落ち着いて聞いて下さい」と前置きして話し始めた。
「埼玉県山中で遺体が発見されました。その遺体は身分証を所持し、近くには彼のものと思われる携帯電話が発見されました。身分証に記載された名前は内島アキラ。携帯からはあなたの電話番号が吸い出せました。私は身元確認の依頼を受け、あなたを訪ねさせて頂いたのです」
アキラ先輩の遺体?
桜沢さんの話す内容が理解できない。彼女は説明を続けているが、僕の頭は完全にフリーズしてしまう。〝遺体〟という言葉だけがループしていた。その意味を理解するにつれ、感情が急激に冷えていくのがわかった。
「あなたは内島アキラさんの高校時代の後輩ということで間違いありませんか?」
「ちょ、ちょっと待って下さい。その話……冗談ですよね?」
「残念ながら事実です」
彼女の顔を見ると、ゾッとするほど冷たい顔をしていた。先ほど端正な顔立ちだと思ったが間違いだ。彼女の顔に表情は無く、その声には感情が感じられない。まるで人形のようなその姿に恐怖心が芽生えた。
彼女に話を聞かなければという思いと、この人を今すぐ追い出して布団にくるまってしまいたいという思いが同時に訪れる。出せない答えはいつの間にか頬を伝って膝の上に落ちた。
僕と彼女との間に沈黙が流れる。窓の外からは遊んでいる子供達の声が聞こえた。
「良ければあなたの知っているアキラさんの話を教えて貰えますか?」
彼女は僕から視線を逸らしてそう言った。もっと残酷な言葉を浴びせられると身構えていたが、意外にも優しい言葉をかけられて戸惑ってしまう。それとも別の意図があるのだろうか。彼女の声や顔からはその意図が全く汲み取れない。
戸惑いながらも僕は、少しずつ先輩との思い出を話し始める。話しながら自分の記憶へと入っていく。あの日々が今でも僕の中に鮮明に残っていた。
アキラ先輩と僕は演劇部だった。舞台の上の先輩はすごく輝いていて、どんな役でもこなす人だった。役に入りこむ役者、まさにそんなタイプの人だ。僕はそんな先輩に憧れて入部を決めた。
入部した後気づいたけど、休憩時間や放課後、先輩はいつも一人で過ごしていた。僕は先輩と仲良くなりたかったので休憩時間は先輩と過ごすようにした。
初めは警戒されたが、しばらく過ごす内に仲良くなった。一人の時の先輩は普段と雰囲気が違い、とても子供っぽい性格で、僕とは妙に気が合った。
先輩は、一度心を開いた相手は仲間や家族として扱ってくれる。僕は、そんな先輩が大好きだった。
「アキラさんとは連絡を取り合っていたのですか?」
「いえ、先輩は三年生の時に退学したんです。それからは連絡が取れませんでした」
先輩が退学したのは夏に向けて暑くなる季節、まだ学年が変わったばかりの頃だった。
それまでそんなそぶりはなかったし、教師達に事情を聞いても、プライベートなことだからと何も教えてくれなかった。
なんだか、自分だけ真実から取り残されたような、そんな感覚を今でも覚えている。
桜沢さんは時折何か考えている仕草をしていたが、僕には何を考えているのかはわからない。
彼女は僕の話を否定も肯定もせず、時折質問を挟みながら話を聞いていく。話しているうちに僕は少しずつ落ち着きを取り戻していた。思い出話を終える頃にはいつものように思考が回るようになっていた。なんとも不思議な感覚だった。
自分自身に言い聞かせる。ただ人の話を聞いたくらいで先輩が死んだなんて信じられない、信じられるわけがない。僕自身で確かめなければ。意を決して桜沢さんに質問した。
「教えて下さい。先輩は誰かに殺されたんですか?」
「複数犯の可能性は高いと言われています。遺体は地面に埋められていました。成人男性を埋めるなんて、かなりの重労働ですから。ただ、他殺かはどうかはまだ分かりません。死体遺棄だけの可能性も考えられますし。死因は首をロープで締められたことによるものだと思われます」
先輩はトラブルに無縁な人では無かったし、誤解されやすい性格だ。ただ、その行動の奥には必ず理由があった……誰かの悪意による犯行なのだろうか?
「アキラさんの親族の方はご存知ですか?」
「お父さんは昔亡くなったと聞いています。お母さんや他の親類の人は分かりません」
家族の話を積極的に話してくれた記憶が無い。先輩のお父さんの話もそうだ。あまり踏み込んで欲しくないという空気を持っていた。
「そうですか。親族の方に繋がれば前進しましたのに」
桜沢さんは変わらない表情でそう言った。
こういった遺体の身元を突き止める際に重要な要素は家族関係らしい。DNA鑑定や歯型で確認しようにも、家族が見つからなければ確かめようが無い。歯の治療履歴も調べられないし、比較するものがなければ調べようが無いからだ。その場合は身につけているものから判断するしかないそうだ。
「僕は先輩が死んだなんて信じられません。遺体の写真は無いんですか?」
「あるにはありますが、写真で判断できる状態では無いですよ」
写真で判断できない状態?
「見せて下さい」
やめておけ。今後後悔するかもしれないぞ。先輩を思い出す度に無残な姿を思い出すかもしれない。そんな自分の内なる声を払う。
桜沢さんがカバンから写真を取り出した。恐る恐る写真を見ると、確かに遺体の顔は判別できる状態ではなかった。肉は腐食し、頭蓋骨が面積の大部分を占めている。正視できない状態だ。しかし、あまりに不可解だと思った。
「桜沢さん。死後数日の遺体ってこんな風になりますか? その、腐るような」
「数日? 警察の調べによると死後一年以上は経過していると聞いています」
一年以上前……。
心臓が早鐘のように脈打った。桜沢さんに違和感の正体を伝える。
「先輩から電話があったんですよ。数日前に」
彼女の雰囲気が変化したのを感じた。彼女の視線がより強くなる。
「その話は間違いないのですか? もう少し内容を教えて下さい」
「数日前の夜八時頃だったと思います。電話の内容は世間話が多かったですね。好きな女優が結婚してショックだとか言っていました」
あの時は、先輩からの連絡にただ舞い上がっていた。聞きたいことが沢山あったのに、僕はそれを飲み込んでしまった。
桜沢さんはテーブルを見つめ、考え込んでいる。
あの電話は本当に先輩からのものだったのだろうか? ふと手元を見ると自分が入れたコーヒーが冷めきっていることに気がついた。
「着信履歴を見せて下さい」
桜沢さんに促され、自分の携帯を見る。しかし、着信履歴は非通知となっていた。当時は画面をよく見ずに電話に出たから気づかなかった。
「電話の相手は間違いなくアキラさんだったのですか?」
「あの雰囲気は間違いなく先輩でした。でも、今は自信がありません……」
「そうですか。他に手がかりがない以上、当初の予定通り、彼の親類を探す所から動かなければいけませんね。まずは母校のことを教えて頂けますか?」
「僕も行きます。アキラ先輩に何があったのか知りたいんです」
桜沢さんが僕を睨み付ける。その瞳からハッキリとした拒否の意思を感じた。でも、僕だって真実を知りたい。気圧されながらも、目を逸らさず続けた。
「アキラ先輩が退学した時、僕は何も知りませんでした。教師に聞いても他の先輩達に聞いても、先輩に何が起こったのか教えてくれませんでした。僕もそれが先輩の為になると思って何も言わなかった。でも、あの時の僕の考えは間違っていたと思います。あの時無理矢理にでも先輩を止めていれば、こんなことにならなかったかもしれない。先輩にもう一度会える可能性がほんの少しでもあるなら僕は一緒に行きたいです」
「嫌だと言ったら?」
「僕もあなたに協力しません」
彼女の瞳に揺らぎは無い。交渉にすらなっていないことは自分でも分かる。彼女は情報屋だと言っていた。そうであるなら僕の協力など無くても調査を進められるだろう。
いやまて。情報屋か……。
「ではこういうのはどうですか? 僕はあなたに同行することで真実を知りたい。あなたが僕に協力してくれれば報酬を支払います。これからあなたが得るであろう情報を僕が買い取るということです」
「学生のあなたがそれなりの金額を提示できるとは思いませんが。高校在学中に熱心にアルバイトをしていたとして十万程度、良く見積っても二十万円が限界でしょう?」
図星だ。学生時代にアルバイトして稼いだ金額に幼い頃からの貯金を追加しても二十万と少ししかない。
「考えても見て下さい。僕は新たに依頼を出す訳じゃない。あなたは既にこの件の依頼を受けていて、報酬の話も着いているはずだ。労力はそのままに僕の提示する金額が追加されるのならあなたにとって不利な話にはならないと思いますよ」
僕は情報屋の相場も知らないし、出せる金額もおおよそ言い当てられている。手の内を全て曝け出しているも同然だ。苦し紛れに相手の目を見つめる。あとできることは半端な覚悟ではないと意思を示すことしかなかった。
しばらく見つめ合った後、桜沢さんは諦めたようにため息を吐いた。それに呼応するように張り詰めた空気が緩む。
「……わかりました。アキラさんの関係者がいた方が情報収集も行い易いでしょうし」
「ありがとうございます!」
その後、桜沢さんと報酬の話をして契約を交わした。彼女から提示される条件を携帯のメモ欄に入力していく。契約内容を念入りに確認したが、明らかに僕が不利な内容は含まれていなかった。少なくとも桜沢さんから一方的に約束を反故にされることはないはずだ。
安心したと同時に頭の中に疑問が湧いてくる。
「そういえば先輩の携帯から番号が見つかったと言っていましたけど、他の同級生の所には行きましたか?」
「いえ、あなたの所だけです。厳密にいえば、あなたの携帯番号しか残っていませんでした。これが不思議なのですけれど、アキラさんの携帯、充電したところ起動したようなのです。一年以上地中に入っていたものであるはずなのに劣化が見られない。それがどうも気になりました。だからこそあなたに会いに来たのです」
「携帯に画像データとか手がかりになるようなものはありませんでしたか?」
「残念ながら携帯はその他のデータが全て消去されていたようです。身分証も写真の無い保険証のみ所持していましたね」
どういうことだ? 犯人はわざわざ僕の連絡先だけ残して携帯のデータを消したのか。
「保険証から血縁関係は照会できないんですか? それに、先程言っていた歯の治療履歴も」
「そちらは警察が調査中です」
一通り話を聞くと確かに不自然な点が多い。彼女がわざわざ僕を訪ねたのも納得がいった。
次に僕はアキラ先輩の元担任教師、真田先生に連絡を取った。事情を説明すると、真田先生から直接会って話をしたいと言われ、これから母校に向かうこととなった。
家を出ようとした時にふと気になる点を思い出す。
「事件とは関係ないですが、なぜ、僕の住所がわかったんですか? まだ誰にも住所を教えてないのに」
「誰にも、ですか。そういうことであれば簡単な結論になりますね。自分以外でここの住所を知る人物。未成年が部屋の賃貸契約で必要な人物がいるでしょう?」
……母さんか。僕は浮かれた母の顔が容易に想像できた。女性が息子を訪ねてくる。あの人が一番喜びそうなことだ。
「ご両親には個人情報の大切さを教えてあげるべきでしたね」
桜沢さんが意味深な含みを持たせて言った。
話好きな母のことだ。きっと僕の情報を見境なく彼女に与えてしまっただろう。他人に知られると恥ずかしいことも含めて。彼女に何を言ったのか想像すると恐ろしくなった。
「ところで、これから行動を共にするのでしたら、あなたのことを何とお呼びすればよろしいですか?」
呼び方? 変なことを人に尋ねるな。彼女は僕のことを何と呼べば良いかブツブツと独り言を言い始めた。その姿からは先ほどまで放っていた威圧感は微塵も感じられない。
「いや、そんなに真剣に悩まなくても僕の方が年下ですし、呼び捨てで良いですよ」
「呼び捨てというのはどうも苦手なのですよね……それではこうしましょう。これからよろしくお願いしますね。白瀧くん」
迷った割には普通の呼び名を言い、彼女は部屋を出て行く。
僕は急に不安を覚えた。
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