第38話 夫婦は一緒にお風呂に入る
「あーーーー……きもちいいぃーーーーーー」
思わずだらしない声が響き……想像よりも大きな声が浴場に響き渡る。
しかしながら誰一人として僕に迷惑気な視線を向ける者はいない。
なぜならこの浴場には僕とセラスしかいないからだ。
「……ふふっ、お前様。随分と疲れておったのだなぁ……聞いているこっちがうれしくなってくるような声であったぞ?」
くすくすと笑いながら、長い黒髪を束ねて入っているセラスはそんなことをいって僕の隣にまでゆっくりと近づいてきてぴたりとくっつく。
体にはタオルを巻いているものの、やわらかいセラスの肌に僕はドキリを心臓が跳ねる。
「ふふっ……魔王討伐に明け暮れた日々のお前様にとって、湯あみなど久方ぶりなのではないか?」
セラスは笑いながらそういうと、いたずらっぽく僕の耳を指先でくすぐってくる。
感触が気持ちいいのだろうか? 楽し気に耳たぶを指先で転がすセラスに、僕は変な声が漏れそうになるのを必死に抑える。
「……た、確かに。旅をしているときは、宿に泊まることはまれだったからね。 行く先はだいたい魔物に占拠されてたり破壊されつくしてたりしてた場所を順繰りにめぐってたからね……武器はリアナだけいればよかったし、魔王軍を殲滅すれば旅に必要な道具は十分すぎるぐらい手に入ったから……おかげで宿に泊まったことすら久しぶりだよ」
僕の言葉にセラスはため息を漏らして耳から手を離す。
「魔王も驚きな過酷な旅よな……そんな休憩も寄り道もなしに拠点をつぶされて父上もさぞ慌てたことだろうよ」
「そうだね……魔王城に行った時の魔王……君のお父さんの第一声は「早すぎだろ!」だったからね」
「殺されかけたとはいえ、少々気の毒よな……」
セラスはそう言いながらもカラカラと笑みを零しお盆にのった徳利からお酒をお猪口に注いで口につける。 よく見ればお猪口が一つしかない。
「お猪口、自分の分しか持って来てないの?」
「何を言うラクレス……一つで十分であろう?」
そういうと、今度はなみなみとお酒の注がれたお猪口をセラスは僕に渡してくれる。
「あ……え、えと……」
俗にいう間接キス。
当然のことながら夫婦になって間接キスに恥ずかしがるというのはどうなのだろうとも思うが、セラスと僕はまだキスをしたことすらない。
僕はお猪口を受け取るも、お猪口とセラスの唇の間を僕の視線は行ったり来たりしてしまう。
「……どうした?」
「あ、いや……その、いただきます」
こくりとお猪口に口をつける。
お酒の独特な甘い香りに交じって……ほんのりと優しい花のような香りがする。
これはお酒の香りなのか、セラスの香りなのか……よくわからなかったが、彼女と一緒に飲むお酒は今までに飲んだどんなお酒よりもおいしく感じた。
「酒は冷える程良いとは言うが……東の酒だけは、こうして湯につかりながら飲むのが格別よなぁ」
セラスは嬉しそうに笑いながら、なみなみとお猪口に酒を注いで再度口に運ぶ。
「……東の果てのお酒は、結構高級なお酒だったのにね、魔物が居なくなったおかげでどの交易ルートも安定して、今じゃどこでも簡単に手に入るようになったってみたいだね」
「あぁ……これだけの量でも金貨一枚は当然であったが、今ではいくら飲んでも金貨一枚には遠く及ばないそうな。ふふん、そう考えれば未来の世界というのは新婚旅行にはぴったりの世界なのかもしれぬの」
機嫌よくセラスはそう微笑むと、お猪口にどんどんお酒を注いでくる。
それはそれは……とても幸せな時間で、こんな時間がずっと続いてくれるのだと思うと、自然とうれしくて胸が熱くなってくる。
あぁ……これが楽しいってことなのかな。
怒りと同様に、忘れかけていたそんな感情。
彼女のおかげで僕はまた少しずつ人間に戻っていける……そんな予感がした。
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