灰皿はいかが?
丁度いいもん持ってきてくれたねお前。ちょうど今日はいい菓子がなくてな、もう魚肉ソーセージでも出すしかないなって考えてたから、お土産持ってきてくれて助かったよ。皿に開けたから好きに食べなさい。同じ町内でお土産っていうのも何かあれだな、お裾分けの方が正しいんだろうか。りんごチップスうまいからな、しかも王林なら俺の好きな味だ。親御さんにお礼の電話しとかないといけないな……。
この辺り、基本的には治安が良いからな。ここんとこ十年は盛大なあれこれは起きてないし。だからお前んとこのご両親もここに家建てようって決めたんだろ。いい人だもんなご両親。近所のおじさんとこに遊びに行くっていう子供を、叱るどころか手土産持たせて送り出すんだから……いやまあ、何もしないけどね。子供っても十八だしなあ。それでも昨今このご時世じゃ微妙なところなんだよその辺りは。
まあね、俺町内会もできる範囲で参加してるからね。面倒はそりゃ面倒だけど、そこでごねてもっと面倒を起こすのも嫌だからな。それだけのことだよ。ちゃんと
しかしお前、さっきから灰皿じっと見てどうしたの。そんなに珍しいもんでもないだろう。この手の型は由緒正しいぞ。ぶん投げて上手く狙えばUFO写真も撮れる。ああご両親が煙草吸わないのか。じゃあ見慣れないよな。
昔のやつなんか色々あるからな、親父はゴジラ型の持ってたっけ……中が空洞になってる、小さいゴジラの立像だったよ。吸いさしを背中の穴に差し込むと、煙がもくもく口から出るのが面白かったっけ。多分家のどっかにはあるんだけどな、見当もつかない。他にも色々あるぞ、でっかいクリスタルガラスの灰皿とかな。お前の顔くらいあるやつだ。さすがに普段使いするにはしんどいから、仏壇に添えてマッチ殻入れにしてる。よく昔のドラマの死因はあの手の灰皿で頭部を一撃だったって聞くけど、最近のドラマだともっぱら転落死ばっかりだしな。灰皿振り上げるやつも大人しく喰らうやつもあんまり見ない。俺は非力だから多分無理だ。もっと軽いやつで頑張ると思うよ──ビール瓶とかな。俺缶ビール派なんだけどね、うん、人の頭ぶっ叩くために趣味変えるのは面白くないな。
何でそんなに吸うんですかって言われてもなあ……真面目に考えたことあんまりないんだ。しいていや趣味だよ。金がかかるし健康にも影響があるけど、本人がとても満足する。そういうのは趣味のカテゴリだろ。
ああ──けどな、煙草一応実益もあるぞ。聞いたことない? 狐や狸に化かされたら一服点けろって……呆れた顔をするんじゃないよ。要するに魔除けになるって話だよ。俺の爺様あたりの世代じゃそういう話もよくあったらしくてな、親戚の
聞くかい。ん……お前、この手の話好きだねえ。別にいいけどさ。
と言ってもね、大した話じゃないんだよな。日の都合でお盆のちょっと前に一人で墓参りに行ったやつがいたんだと。目当ての墓に行きついて、墓石磨いて花生けて、線香焚いて拝んだからよし帰ろう、って桶持って墓場の出口に向かって歩き出した。だけども行けども行けども一向に周りは墓だらけのままで、おかしいなあって首を捻っても蝉がじゃわじゃわ鳴いてるのがよく聞こえるばっかり。どこだここはって見当をつけようにも、周りにあるのが墓ばっかりだから見覚えがあるのかないのかも分からない。これはちょっといけないな、って日はじりじり照ってくるのに背中に冷たい汗が伝い始める。
ともかく冷静になろうって道の真ん中だけども煙草咥えて、墓参りに使ったライターで火を点けた。そんで煙を二三度吹くあたりで、遠くから車道を走る車の音が聞こえているのに気づいた。さてはと思って咄嗟に横を向けば、見慣れたうちの墓石があって、その手前に供した線香から煙が昇っている。
なんとなく一礼して、今度こそと恐る恐る歩を進めれば、当然のように墓場の出口に辿り着いた。
そのまま煙草咥えて帰ろうとして、寺務所から出てきた住職とかち合って叱られたってさ。な? 煙草が役に立ってるだろ。そのせいで怒鳴られてるけどな。そりゃあ親戚が悪い。歩き煙草は危ないもんだ。
まあ、何だって人様に迷惑かけるのはあんまりよくないわな。やたら気を遣うのもどうかと思うけど、意味なく喧嘩売って歩くのもしんどい話だよ。それで得るものがあるかっていったら、俺は失うもんの方が多いと思うしね。基本が小心者なんだよ。多勢に逆らってもいいことないしね。長いものにはぐるぐるに巻かれた方がいいと思うんだよ。いざってときの盾にできなくもないから。対抗手段は多く持っとくにこしたことはないわけよ。逃げ足とか、逃げ道とか、逃亡資金とか……疚しいわけじゃないって。その辺は普通に生きてても大事だぞ。煙草だってそうだ。俺には大事な趣味だし、ついでにいうと魔除けのお守りにもなるわけだからな。
実際に避けたことはあるかって?
だから親戚が……そうじゃなくて、俺がってことか。そういう怖い目にはできるだけ遭わないようにしてきたからなあ。
ああ。
一つあるな。どっちか微妙な話だけど。
いつだったかな、ちょっと大きめの仕事が済んで、打ち上げしようぜって話になったんだよ。最初は店で飲んで、ラスオダ過ぎたからじゃあ誰かんちで飲むかって話になって、そんとき近くに住んでたやつの家に行った。先の店で結構飲んでたから、まず部屋に着いた途端に数人潰れて寝倒れてたし、家主もなんか早々に別室に行って帰ってこなかった。家主だからな、ちゃんとベッドを使う権利があったんだよ。
で、飲んでたのは俺ともう二人くらいだった気がする──佐藤と田中でいいや。覚えておくほどの人間でもないからな、お互い。佐藤たちは飲み足りねえって来るときに買い込んだ酒がっぱがっぱ飲んでたんだけどな、俺はあんまり酒好きじゃなくてな。最初に貰った缶ビールちびちび飲みながら、つまみもうちょい買ってくりゃ良かったなとかそんなこと考えながら暇つぶしに煙草吸ってた。本当なら換気扇とかベランダとか気使うべきだったんだろうけど、そこそこ酔ってたのと目の前に灰皿があったから、じゃあここで吸っていいだろって思ったんだよ。
火点けて、吸いつけてからぼんやり煙吹いて……いつも通りに一本吸い終わって、吸い殻を灰皿に押し付けたときに、妙に周りが静かなのに気がついたんだよ。寝たのかあいつらって見回したら、ものすごい顔でこっちを見てる佐藤たちと目が合った。目ぇひん剥いてこっち見てるからさ、さすがにこっちもばつが悪いというよりおっかなくなってさ、何だよって聞いた。
『お前、消えてたぞ』って言われた。
呆気にとられたね。どういうことだってもちろん聞いた。佐藤たちも何度か首を傾げてから、ビール缶を掴んだまま説明してくれた。佐藤たち、二人で楽しく談笑しながら缶ビールくぴくぴしていたんだけど、しばらくしたら煙草の匂いがし始めたのに田中が気づいた。ああ日下のやつ煙草吸い始めたなって思って、んで、とりあえず灰皿あったかって聞こうとして、俺の方を見たんだと。
そしたら煙だけがゆらゆら揺れていて、俺の姿がどこにもなかった。
田中が呆然としているもんだから、不思議がって佐藤が声を掛けた。田中が黙って指さす方を向いて、佐藤も俺がいたはずのところに浮かぶ煙を見た。二人揃って驚いて、でもどうするべきか分からなくて、とりあえずじっと見てたそうだ。
五分ぐらいだったそうだよ。煙が薄くなったかと思うとぱっと俺の姿が現れて、何事もなかったように灰皿に吸い殻を押し付けてた。そういうのを見てたからあの顔だったんだなって納得はしたけど……あいつらもびっくりしたんだろうけど、俺も結構怖かった。怖がられるのは向いてないな、俺。
お祓いとかは行ってないな。佐藤たちからはすごく心配されたけどな、別に何ともなかったぞ。その年は風邪ひとつ引かなかったんだから立派なもんだろ。ああ、しばらくその話を聞いたやつが面白半分で煙草寄越してくれたのは良かったな。色んなもん吸えたし、何より人のおごりで吸う煙草は何だってうまい。
どうした、お前が面白い顔してるな? ……なんだ。どういうあれだ、よく分からないぞ。怖がられたら俺はちょっと悲しい。正真正銘ただの職業不詳の近所のおじさんでしかないからな。証明手段がないけれど。
だから何だよ、別に俺消えてないだろ? 消えたとしたら、まあそれまでだしな。自分の好きでやってることでくたばるんなら、納得できる終わり方だろ。別に何で死んでも惜しいもんでもないけど、自業自得ならまだ諦めがつく。人の巻き添えであれこれやられるってのは、あれたまったもんじゃないからな。
ん、帰るんならちょっと待ってな。確かアスパラガス貰ったやつがあるから、それ土産に持たせるよ。知り合いが農家でさ、貰ったはいいが一人で食い切れる量じゃなくてな。持ってってくれるか。ご両親によろしく伝えてくれな。
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